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無錫旅情

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「無錫旅情」
尾形大作シングル
B面 清名橋から
リリース
ジャンル 演歌
レーベル バップ
作詞・作曲 中山大三郎
ゴールドディスク
第29回日本レコード大賞金賞
チャート最高順位
  • 週間9位(オリコン
  • 登場回数83回(オリコン)
  • 1987年度年間8位(オリコン)
  • 1988年度年間50位(オリコン)
  • 1988年度年間1位(JASRAC、カラオケ歌唱回数)
  • 13位(ザ・ベストテン
  • 1987年年間42位(ザ・ベストテン)
  • 1988年年間86位(ザ・ベストテン)
尾形大作 シングル 年表
俺の道
(1986年)
無錫旅情
(1986年)
筑後川
1987年
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無錫旅情』(むしゃくりょじょう)は、1986年9月にリリースされた歌手尾形大作シングルである。

概要

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無錫旅情の石碑,無錫

1986年、中国江蘇省無錫市日本からの観光客誘致を考え、日本の観光業界の援助により作詞家作曲家を無錫に招待した。中山大三郎も5日間無錫を訪れ、帰国後に書いたのがこの曲である[1]。歌詞には無錫市の情景が歌われている。

尾形大作盤は発売当時130万枚以上[2] 売れ、また中国でもカバーされ、カバー盤を含めると300万枚を超える[3]など大ヒットソングとなった。尾形の代表曲である。

この曲で尾形は、1987年の第29回日本レコード大賞金賞を受賞した。また、この曲で1987年の第38回NHK紅白歌合戦に初出場した。

オリコンシングルチャートでは、1986年9月29日付で95位と100位以内に初登場し、1988年1月18日付で100位以内初登場から69週目にして10位にランクインした[4]

TBS系ザ・ベストテン」では週間10位以内のランクインは成らなかったが、1987年2月12日放送の今週のスポットライトコーナー(日野美歌・葵司郎の「男と女のラブゲーム」と共に)へ生出演を果たした。

1988年度(1988年4月1日〜1989年3月31日)の日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額から推定したカラオケ歌唱回数では、本曲が推定4350万回で年間1位となった[5][6]。これは全国のカラオケ店舗数30万店、平均年間営業日数を250日で計算したものである[6]

無錫市の太湖の湖畔にある鼈頭渚公園には、本作の中国語版の歌碑がたっている。

本曲のヒットにより、日本人の間での無錫の知名度が上がり、1980年代後半からは、無錫への日本人観光客が急増した[1]

1988年3月に発生した上海列車事故により、日本ではこの曲の放送を自粛していた時期がある。

(歌詞の1番に、事故を起こした311列車のコースが歌われているため)

その後、作曲者である中山大三郎の直弟子だった半田浩二が、師の一周忌を追悼し、同じく尾形の持ち歌だった「大連の街から」とともに本曲をカバーし、2006年5月24日に両曲をカップリングしたシングルが発売された。

収録曲

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  1. 無錫旅情
  2. 清名橋から

脚注

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  1. ^ a b 「無錫旅情」から始まる中日協力の20年、「人民網日本語版」2007年1月16日(無錫観光局)
  2. ^ 尾形大作【新栄プロダクション:所属歌手】(2013年8月22日閲覧)
  3. ^ 産経新聞』1996年8月14日付東京夕刊
  4. ^ オリコン・ウィークリー(編)『小池聡行のオリコンデータ私書箱』オリジナルコンフィデンス、1991年、66頁。ISBN 4871310272
  5. ^ 「JASRAC賞、『命くれない』昨年に続き金賞」『朝日新聞』1989年5月8日付夕刊、13頁。
  6. ^ a b 「あなたは何回? 1位は無錫旅情」『日本経済新聞』1989年4月24日付夕刊、8頁。

関連項目

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