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元君(げんくん、? - 前230年)は、衛の第44代君主。嗣君の子で懐君の弟。妻は魏の安釐王の娘。
嗣君の子として生まれる。
懐君31年(前253年)、懐君が魏に殺されると、元君は魏によって立てられ、衛の君となった。
ある時、衛人の荊軻が諸国の旅から衛に帰国した後、官僚を志して衛の君主である元君に謁見し、旅で学んだ遊説術に基づいた国家議論を大いに述べたが、元君は全く聞き容れなかった。こうして荊軻は挫折し、それ以来遊侠に身を投じた。
元君12年(前241年)、秦に濮陽を奪われ、濮陽は東郡に編入された。このとき衛は野王に遷された。
元君23年(前230年)、元君が薨去し、子の角が立って衛の君(衛君角)となった。
- 司馬遷『史記』(六国年表、衛康叔世家第七、刺客列伝)
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- 康叔?-?
- 康伯?-?
- 孝伯?-?
- 嗣伯?-?
- 寁伯?-?
- 靖伯?-?
- 貞伯?-前867
- 頃侯前866-前855
- 釐侯前855-前813
- 共伯前813
- 武公前812-前758
- 荘公前757-前735
- 桓公前734-前719
- 州吁前719
- 宣公前718-前700
- 恵公前699-前696
- 黔牟前696-前688
- 恵公前688-前669
- 懿公前668-前660
- 戴公前660
- 文公前659-前635
- 成公前634-前600
- 穆公前599-前589
- 定公前588-前577
- 献公前576-前559
- 殤公前558-前547
- 献公前546-前544
- 襄公前543-前535
- 霊公前534-前493
- 出公前492-前480
- 荘公前479-前478
- 衛君起前477
- 出公前476-前470
- 悼公前455-前451
- 敬公前450-前432
- 昭公前431-前426
- 懐公前425-前415
- 慎公前414-前373
- 声公前372-前362
- 成侯前361-前333
- 平侯前332-前325
- 嗣君前324-前283
- 懐君前282-前253
- 元君前252-前230
- 衛君角前229-前209
- 滅亡
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