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源朝任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源朝任
時代 平安時代中期
生誕 永祚元年(989年
死没 長元7年9月16日1034年10月30日
別名 号:二條別當または三條別當
官位 従三位参議
主君 一条天皇三条天皇後一条天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:源時中、母:藤原安親の娘
兄弟 済政、信時、重時、惟時、朝任経相、則孝
源俊賢の娘、主殿頭貞科の娘、源頼国の娘
師良、定長、有章、朝実、定観、永尊、藤原資房室、藤原経任
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源 朝任(みなもと の あさとう)は、平安時代中期の公卿宇多源氏大納言源時中の七男。官位従三位参議二條別當を号す。

経歴

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一条朝長保3年(1001年元服する。加冠は春宮大夫藤原道綱で、理髪蔵人藤原朝経が務めた。7,8人の公卿や10余人の殿上人が参会している。

長保5年(1003年従五位下叙爵し、侍従次いで左衛門佐に任官する。寛弘3年(1006年)正月に従五位上・少納言に叙任され、3月9日に少納言として初めて外記政を行った[1]。寛弘7年(1010年五位蔵人に補任されるとともに、右近衛少将次いで左近衛権少将に任ぜられる。

寛弘8年(1011年)6月に三条天皇即位すると蔵人を去るが、同年10月に正五位下に叙せられ、寛弘9年(1012年)正月には改めて五位蔵人に再任されている。長和2年(1013年従四位下、長和3年(1014年)右近衛中将、長和5年(1016年)従四位上次いで正四位下、長和6年(1017年)左近衛中将と三条朝から後一条朝初頭に書けて近衛次将を務めながら順調に昇進した。

寛仁3年(1019年蔵人頭に補され、治安3年(1023年)に参議に任ぜられ公卿に列す。万寿3年(1026年右衛門督を、長元2年(1029年)には検非違使別当も兼帯した。同年従三位に昇叙された。

長元7年(1034年)9月16日薨去享年46。歌人大弐三位との交流が知られている。

官歴

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註釈の無いものは『公卿補任』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『権記』寛弘3年3月9日条
  2. ^ 『権記』
  3. ^ または時中の子。
  4. ^ または有章の子。

参考文献

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年