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藤原周家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤原 周家
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 長暦2年9月1日1038年10月1日
官位 従四位下大舎人頭
主君 一条天皇
氏族 藤原北家中関白家
父母 父:藤原道隆、母:伊予守奉孝の娘
兄弟 道頼頼親伊周定子隆家原子隆円、頼子、御匣殿周家周頼
藤原妍子女房、好親平重義
長心、行尊
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藤原 周家(ふじわら の ちかいえ)は、平安時代中期の貴族藤原北家摂政関白内大臣藤原道隆の子。官位従四位下大舎人頭

経歴

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一条朝長保5年(1003年)頃から寛弘6年(1009年)頃にかけて右衛門佐を務め、のち大舎人頭に任ぜられた。

後朱雀朝長暦2年(1038年)9月1日に周家の物を盗み取ろうとした家来に殺害される。従兄弟にあたる関白藤原頼通一族や[1]、甥の頭弁藤原経輔に服したという[2]

官歴

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系譜

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尊卑分脈』による。

  • 父:藤原道隆
  • 母:伊予守奉孝(姓不詳)の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:長心
    • 男子:行尊

脚注

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  1. ^ 『春記』長暦2年9月1日条
  2. ^ 『春記』長暦2年9月23日条
  3. ^ a b c 『権記』
  4. ^ 『御堂関白記』寛弘6年3月30日条で藤原知光が右衛門佐の任にあり。
  5. ^ 『尊卑分脈』
  6. ^ 『春記』

出典

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  • 『尊卑分脈 第一篇』吉川弘文館、1987年
  • 市川久『衛門府補任』 続群書類従完成会、1996年