敦賢親王
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敦賢親王(あつかたしんのう、長暦3年(1039年) - 承保4年8月17日(1077年9月6日))は、平安時代中期から後期にかけての皇族。三条天皇の孫。敦明親王(小一条院)の皇子。官位は三品・式部卿。
経歴
[編集]後冷泉朝の天喜元年(1053年)12月になって祖父・三条天皇の養子として親王宣下される。天喜4年(1056年)四品に叙せられると、康平元年(1058年)中務卿、康平4年(1061年)式部卿を歴任する。治暦4年(1068年)後三条天皇即位の日に帯剣を聴されている。白河朝の承保元年(1074年)三品に至った。
承保4年(1077年)8月17日に平安京で大流行した疱瘡のために薨去。享年39。
経歴
[編集]- 天喜元年(1053年) 12月:親王宣下
- 天喜4年(1056年) 日付不詳:四品
- 康平元年(1058年) 正月:中務卿
- 康平4年(1061年) 12月:式部卿
- 承保元年(1074年) 11月21日:三品
- 承保4年(1077年) 8月17日:薨去[1]
系譜
[編集]『尊卑分脈』による。
脚注
[編集]- ^ 『水左記』
参考文献
[編集]- 『大日本史料』2編902冊
- 水左記、栄花物語、十三代要略、扶桑略記、本朝皇胤紹運録、歴代編年集成、一代要記、皇代暦、伊勢斎宮部類