ボードゥアン7世 (フランドル伯)
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ボードゥアン7世 Baudouin VII | |
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フランドル伯 | |
在位 | 1111年 - 1119年 |
出生 |
1093年 |
死去 |
1119年7月17日 |
配偶者 | アニェス・ド・ブルターニュ |
家名 | フランドル家 |
父親 | フランドル伯ロベール2世 |
母親 | クレマンス・ド・ブルゴーニュ |
ボードゥアン7世(フランス語: Baudouin VII de Flandre、オランダ語: Boudewijn VII van Vlaanderen、1093年 - 1119年7月17日)は、フランドル家最後のフランドル伯(在位:1111年 - 1119年)。
生涯
[編集]血縁
[編集]フランドル伯ロベール2世とクレマンス・ド・ブルゴーニュの息子である。母方の叔父にローマ教皇カリストゥス2世とカスティーリャ王配ライムンド・デ・ボルゴーニャがおり、ライムンドの息子のカスティーリャ王アルフォンソ7世をはじめ、サヴォイア伯アメデーオ3世やモンフェラート侯グリエルモ5世は従兄弟にあたる。
フランドル伯
[編集]1111年10月5日、父ロベール2世の死により18歳でフランドル伯を継承した。同じ宮廷で育った一回り年上の従兄弟シャルル(後のフランドル伯シャルル1世)が助言者となった。1118年、ボードゥアン7世はシャルルとマルグリット・ド・クレルモンの結婚を仲立ちした。
死去と継承
[編集]1118年9月、ビュール=アン=ブレイの戦いでフランス王ルイ6世の側につきイングランド王ヘンリー1世と闘ったが負傷し、その傷がもとで1119年に死去した。ボードゥアン7世が死の直前に後継者に指名したシャルルが、シャルル1世としてフランドル伯に即位した[1]。
結婚
[編集]1105年、ボードゥアン7世はブルターニュ公アラン4世の娘アニェスと結婚した。この時夫は12歳、妻はわずか9才であった。1110年に2人は離婚し、以後ボードゥアン7世は結婚しなかった。アニェスとの間には子が無かった。
参考文献
[編集]- ^ Paul, Nicholas L. (2012-09-21) (英語). To Follow in Their Footsteps: The Crusades and Family Memory in the High Middle Ages. Cornell University Press. ISBN 0801465540
- www.genealogie-mittelalter.de
- Bram Brutsaert: Boudewijn VII Hapkin, een Witte Ridder uit de 12de eeuw, graaf van Vlaanderen (1111–1119). Dissertation 2003–2004 in the University of Louvain, see online: Deel I. Prins Boudewijn (1093–1111)
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