コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

源高実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源高実
時代 平安時代中期 - 後期
生誕 永承元年(1046年
死没 嘉承元年5月23日1106年6月26日
別名 正字:高實
官位 正四位上阿波守
主君 後冷泉天皇後三条天皇白河天皇堀河天皇
氏族 醍醐源氏
父母 父:源高房、母:大江定経の娘
兄弟 高実、清実、家実、源道良
藤原憲房の娘
実房
テンプレートを表示

源 高実(みなもと の たかざね)は、平安時代中期から後期にかけての貴族醍醐源氏但馬守源高房の長男。官位正四位上中宮亮

経歴

[編集]

初め、後冷泉天皇蔵人を務める。白河朝にて、伯耆守中宮大進を歴任したのち、承暦4年(1080年越前守に転じる。越前守在任中の応徳3年(1086年)に越前国大野郡牛原荘荒地200余町を醍醐寺円光院に寄進している。また、同年11月に堀河天皇の即位儀において、高実は右大将代を務めた。同年12月に弟の清実に国司職を譲っている。

白河院政期に入ると、寛治元年(1087年)に院昇殿を聴され、寛治2年(1088年従四位下、寛治6年(1092年)従四位上と昇進を重ねた。承徳2年(1098年中宮篤子内親王中宮亮に任ぜられる一方で、康和4年(1102年)ごろ讃岐守長治元年(1104年)ごろ阿波守に任ぜられるなど、受領を歴任。この間、康和5年(1103年正四位下に叙せられている。

のち、中宮御堂の造営を命ぜられたが、嘉承元年(1106年)5月23日に造営の途中で卒去享年61。最終官位は正四位上中宮亮兼阿波守。

官歴

[編集]

系譜

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『水左記』
  2. ^ 『御産部類記』(図書寮叢刊)2-423
  3. ^ 『大府記抜書』12月5日条に在任中であり、『天祚礼祀職掌録・即位雑礼条々当日』12月19日条に前守と見える。
  4. ^ 『為房卿記』
  5. ^ a b c d e f g 『中右記』
  6. ^ 『後二条師通記』
  7. ^ 『尊卑分脈』
  8. ^ 『殿暦』

参考文献

[編集]
');