宋端儀
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宋 端儀(そう たんぎ、1447年 - 1501年)は、明代の学者・官僚。字は孔時、号は立斎。本貫は興化府莆田県。
生涯
[編集]1481年(成化17年)、進士に及第し、礼部精膳司主事に任じられた。父母を相次いで失ったため、辞職して喪に服した。喪が明けると、礼部祠祭司主事に起用された。雲南で提学の官に欠員が出たため、礼部が端儀を配属させようと意見していたが、吏部が人事公表の前にこのことを漏らしていた。端儀は「人事が公表される前に、すでに人々の噂となっているとは。人はわたしが猟官したものだと言っているぞ」といって固辞した。ほどなく礼部主客司員外郎に進んだ。外国の貢使とたびたび面会したが、贈物を全て拒絶して受け取らなかった。
1495年(弘治8年)、端儀は広東按察司提学僉事となった。1501年(弘治14年)7月甲子、在官のまま死去した。享年は55。著書に『立斎閑録』4巻・『祠部典故』4巻[1]・『宋行朝録』[2]・『革除録』[3]・『考亭淵源録』[4]・『莆陽人物備志』・『郷賢考証』[5]・『莆陽科名志』・『高科録』[6]・『莆陽逸事』[7]・『立斎稿』[8]があった。