ノー・ニューヨーク
『ノー・ニューヨーク』 | |
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Various Artists の コンピレーション・アルバム | |
リリース | |
録音 |
ビッグ・アップル・スタジオ 1978年春 |
ジャンル | ノー・ウェイヴ |
時間 | |
レーベル | アンティルス・レコード |
プロデュース | ブライアン・イーノ |
専門評論家によるレビュー | |
ピッチフォーク・メディア (8.3/10) |
『ノー・ニューヨーク』(No New York)は、1978年にアンティルス・レコード (アイランド・レコードのサブレーベル) からリリースされたコンピレーション・アルバムである。プロデューサーはブライアン・イーノ。このアルバムには4組のアーティストしか参加していないが、1970年代後半に発生したジャンルであるノー・ウェイヴのきっかけとなったアルバムとして知られる。
背景
[編集]1970年代のニューヨークにおいて、ソーホーにあるアーティスト・スペースというギャラリーで、ロックフェスティバルが4日間開かれた[4]。そのライブの3日目(金曜日)にDNAとザ・コントーションズが出演、つづく最終日(土曜日)にはマーズとティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスが出演した[4]。そのライブの観客の中に、トーキング・ヘッズのセカンドアルバム『モア・ソングス』のマスタリングのためにニューヨークに来ていたブライアン・イーノがいた[4]。イーノはこの4組のバンドに興味を持ち、これらのバンドによるノー・ウェイヴのコンピレーションを、自ら監修してリリースする案を思いついた[5]。
なお、このライブの様子はオープンリールで録音されたが、消失して現存しない[6]。
製作
[編集]イーノは4バンドにコンピレーションを作る案を持ちかけ、イーノのアパートでミーティングを行った[7]。当初、アーティスト・スペースでのライブに出演していた他のバンド、例えばグレン・ブランカ率いるセオリティカル・ガールズなどもコンピレーションに参加する案があったが、イーノや4組のバンドの意向によって、結局参加することはなかった[6]。アルバムの構成は、4バンドが各4曲ずつ、計16曲となった。
ミーティングの後、イーノはアイランド・レコードにコンピレーションの構想を持ち込み、ビッグ・アップル・スタジオ(現:グリーン・ストリート・スタジオ)でレコーディングが行われた[8]。しかしイーノは、プロデュースにおいてあまり手を加えず、各バンドの演奏をできるだけ生のまま活かそうとしていた[8]。そのため演奏にほとんど口を挟まず、時にはレコーディング中に雑誌を読んでいることもあった[8]。レコーディングについて、ザ・コントーションズのメンバー、ジェームス・チャンスは「ザ・コントーションズのトラックは、スタジオ内ですべて演奏し、楽器別に録音もせず、多重録音もなし、ただ演奏を記録しただけだ」と語った[5]。
しかし、1979年に行われた「The Studio As Compositional Tool」というレクチャーにおいて、イーノは「『ノー・ニューヨーク』に収録された「ヘレン・フォーズデイル」で、私はギターパートのクリック音にエコーをかけ、全体を通してコンプレッサーで音を圧縮させることで、ヘリコプターのブレードのような響きを出した[9]」と語っている。
リリースと評価
[編集]『ノー・ニューヨーク』は、当初、アイランド・レコードからのリリースを検討されていたが、内容が実験的過ぎると判断され、サブレーベルのアンティルス・レコードからリリースされたとされる[8]。1978年に『ノー・ニューヨーク』のLP盤は発売されたが、ビルボードのチャートにはランクインしなかった[1]。またこのアルバムでは、歌詞がレコードスリーブの内側に印刷されており、歌詞を読むためにはスリーブを破らなければいけなかった[2][3]。
このアルバムに対しては、さまざまな評価がなされた。例えば批評家のリチャード・C・ウォールズは、『クリーム・マガジン』の1979年4月号で「このアルバムはNOというゆるぎない声明で、リスナーに新しい思考材料を与える」[7]と好意的に評した。また、1981年9月30日-10月6日発行の『ヴィレッジ・ヴォイス』では、レスター・バングが「身の毛のよだつノイズミュージックへの正統なガイド」「重要な分岐点」[7]として推薦している。
しかし批判的な意見もあり、1979年4月5日号の『ローリング・ストーン』では、「攻撃的なアンチ・メロディ」「反人道主義」として批評し、特にザ・コントーションズ以外のバンドについて「(ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスは)全く我慢ならない」、「(マーズは)とりわけ魅力的というわけでもない」、「(DNAは)特にオリジナルというわけでもない」などと厳しく評した[7]。
廃盤状態と再発
[編集]『ノー・ニューヨーク』は賛否両論となり、多くのリスナーを刺激したが、後にリリース元のアンティルス・レコードが倒産、マスター音源が消失してしまった[8]。その後しばらく同盤が入手しづらい状態になり、ニューヨークのレコードショップなどでは、80ドルで取引されるなど価格が高騰した[8]。1995年には『ニューヨーク・タイムズ』で、廃盤となったアルバムのトップ10に『ザ・ビートルズ・スーパー・ライヴ!』や『クラフトワーク』と並んで、『ノー・ニューヨーク』が挙げられた[8]。
その後1997年に日本でCDとして再発されたのをはじめ、アメリカでも2005年に Lilith Records からCDとLP盤が再発された。再発後のレビューはおおむね好意的で、Allmusicでは「この影響力の大きいアルバムは、今でもニューヨークのノー・ウェイヴ運動の決定的な記録である」[1]と評され、『クリーム・マガジン』でも「『ノー・ニューヨーク』の音楽に魅了される人もいるだろうし、信じられないと思う人もいるだろう」とされた。2007年12月には、『ブレンダー・マガジン』で発表された「史上最も優れたインディーロックのアルバム100」の65位に『ノー・ニューヨーク』がランクインした[10]。
トラックリスト
[編集]# | タイトル | 作詞・作曲 | アーティスト | 時間 |
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1. | 「ディッシュ・イット・アウト - "Dish It Out"」 | ジェームス・チャンス | ザ・コントーションズ | |
2. | 「フリップ・ユア・フェイス - "Flip Your Face"」 | チャンス | ザ・コントーションズ | |
3. | 「ジェイデッド - "Jaded"」 | チャンス | ザ・コントーションズ | |
4. | 「アイ・キャント・スタンド・マイセルフ - "I Can't Stand Myself"」 | ジェームス・ブラウン、編曲:ザ・コントーションズ | ザ・コントーションズ | |
5. | 「バーニング・ラバー - "Burning Rubber"」 | リディア・ランチ | ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス | |
6. | 「ザ・クローゼット - "The Closet"」 | ランチ | ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス | |
7. | 「レッド・アラート - "Red Alert"」 | ランチ | ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス | |
8. | 「アイ・ウォーク・アップ・ドリーミング - "I Woke Up Dreaming"」 | ランチ | ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス |
# | タイトル | 作詞・作曲 | アーティスト | 時間 |
---|---|---|---|---|
9. | 「ヘレン・フォーズデイル - "Helen Fordsdale"」 | ナンシー・アーレン、チャイナ・バーグ、マーク・カニンガム、サムナー・クレーン | マーズ | |
10. | 「ヘアウェーブス - "Hairwaves"」 | アーレン、バーグ、カニンガム、クレーン | マーズ | |
11. | 「トンネル - "Tunnel"」 | アーレン、バーグ、カニンガム、クレーン | マーズ | |
12. | 「プエルトリコ・ゴースト - "Puerto Rican Ghost"」 | アーレン、バーグ、カニンガム、クレーン | マーズ | |
13. | 「エゴマニアックス・キス - "Egomaniac's Kiss"」 | ロビン・クラッチフィールド、アート・リンゼイ | DNA | |
14. | 「ライオネル - "Lionel"」 | クラッチフィールド、リンゼイ | DNA | |
15. | 「ノット・ムービング - "Not Moving"」 | クラッチフィールド、リンゼイ | DNA | |
16. | 「サイズ - "Size"」 | クラッチフィールド、リンゼイ | DNA |
参加アーティスト
[編集]- ジェームス・チャンス (James Chance) - サックス、ボーカル
- ドン・クリステンセン (Don Christensen) - ドラム
- ジョディ・ハリス (Jody Harris) - エレキギター
- パット・プレイス (Pat Place) - スライドギター
- ジョージ・スコット III (George Scott III) - ベース
- アデル・バーティ (Adele Bertei) - エーストーン、オルガン
- リディア・ランチ (Lydia Lunch) - ギター、ボーカル
- ゴードン・スティーヴンソン (Gordon Stevenson) - ベース
- ブラッドリー・フィールド (Bradley Field) - ドラム
- サムナー・クレーン (Sumner Crane) - ギター、ボーカル
- チャイナ・バーグ (China Burg) - ギター、ボーカル
- マーク・カニンガム (Mark Cunningham) - ベース、ボーカル
- ナンシー・アーレン (Nancy Arlen) - ドラム
- アート・リンゼイ (Arto Lindsay) - ギター、ボーカル
- ロビン・クラッチフィールド (Robin Crutchfield) - オルガン、ボーカル
- イクエ・モリ (Ikue Mori) - ドラム
その他
[編集]- ブライアン・イーノ (Brian Eno) - プロデュース、カバーデザイン、カバー写真
- カート・マンカッシ (Kurt Munkasci) - エンジニア
- ヴィシェク・ボシェック (Vishek Woszcyk) - エンジニア
- ロッド・フイ (Roddy Hui) - アシスタント・エンジニア
- スティーブン・ケイスター (Steven Keister) - カバーデザイン
リリース情報
[編集]発売国 | 発売日 | レーベル | フォーマット | 型番 |
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アメリカ合衆国 | 1978年 | Antilles Records | LP | AN-7067 |
2005年 | Lillith Records | CD(デジパック仕様)/LP | LR102 | |
日本 | 1997年 | Off Note / Cut Out | CD | ONCO-002 |
2005年 | BRIDGE INC. | CD(紙ジャケット仕様、2000枚限定) | BRIDGE-036 |
脚注
[編集]- ^ a b c Kristel, Todd. “No New York - Various Artists : Songs, Reviews, Credits, Awards”. Allmusic. 2012年8月7日閲覧。
- ^ a b Walls, Richard C.. “No New York - Various Artists”. Creem. 2008年9月2日閲覧。
- ^ a b Stosuy, Brandon. “No New York : Pitchfork”. Pitchfork Media. 2008年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月2日閲覧。
- ^ a b c Reynolds, 2006. p.146
- ^ a b Reynolds, 2006. p.147
- ^ a b 『アフター・アワーズ』(2001) p.40
- ^ a b c d 『アフター・アワーズ』(2001) p.38
- ^ a b c d e f g 『アフター・アワーズ』(2001) p.41
- ^ http://music.hyperreal.org/artists/brian_eno/interviews/downbeat79.htm
- ^ “The 100 Greatest Indie-Rock Albums Ever — #70 to #61”. ブレンダー・マガジン. 2008年9月21日閲覧。
参考文献
[編集]- Reynolds, Simon (2006). Rip it Up and Start Again: Postpunk 1978-1984. Penguin. ISBN 0143036726
- 『アフター・アワーズ #15 SPECIAL ISSUE』After Hours、2001年。