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柳元景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

柳 元景(りゅう げんけい、義熙2年(406年)- 永光元年8月13日[1]465年9月18日))は、南朝宋の武将。本貫河東郡解県

生涯

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元嘉27年(450年)、文帝が北伐の軍を起こすと、参軍の一人として従軍した。弘農郡を攻め落とし、続けて陝城を攻めたが北魏の援軍に阻まれた。薛安都の奮戦によって北魏の軍勢を退けたが、太武帝の南下を聞いて襄陽郡まで退いた。後に襄陽郡太守に任命された。また、劉徳願とも親交があった。

永光元年(465年)、江夏王劉義恭とともに前廃帝の廃立を謀ったが、沈慶之の密告により、家族(柳承宗・柳纂を除く)とともに殺害された。享年59。

家族

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  • 柳憑

子女

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  • 柳慶宗
  • 柳嗣宗
  • 柳紹宗
  • 柳茂宗(柳共宗)
  • 柳孝宗
  • 柳文宗
  • 柳仲宗
  • 柳成宗
  • 柳季宗
  • 柳承宗(遺腹の子)

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  • 柳纂(柳嗣宗の遺腹の子)

脚注

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  1. ^ 宋書』巻7, 前廃帝紀 永光元年八月癸酉条による。