菅原是善
菅原是善『前賢故実』 | |
時代 | 平安時代前期 |
生誕 | 弘仁3年(812年) |
死没 | 元慶4年8月30日(880年10月11日) |
墓所 | 京都府京都市南区吉祥院高畑町59香泉寺 |
官位 | 従三位、参議 |
主君 | 淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇→清和天皇→陽成天皇 |
氏族 | 菅原氏 |
父母 | 父:菅原清公 |
兄弟 | 清成、興善、忠臣、善主、是善、是算、康子 |
妻 | 伴氏(伴真成の娘) |
子 | 道善、道仲、道真、類子 |
菅原 是善(すがわら の これよし)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・文人。従三位・菅原清公の四男。官位は従三位・参議。
経歴
[編集]幼い頃から聡明で才知があり、弘仁年間の末に11歳にしてに召されて殿上に侍し、常に嵯峨天皇の前で書を読み詩を賦したという。
承和2年(835年)文章得業生となり、承和6年(839年)対策に及第して従六位下から正六位上と三階級の加叙を受ける。大学允/助・大内記を経て、承和11年(844年)従五位下に叙爵。承和12年(845年)文章博士に任ぜられる。のち文章博士を務める傍らで越後介・讃岐権介と地方官を兼ね、皇太子・道康親王の東宮学士にもなった。
嘉祥3年(850年)道康親王の即位(文徳天皇)に伴い二階級昇進して正五位下に叙せられる。引き続き文章博士を務める一方で、大学頭・左京大夫・加賀権守・美作権守・伊勢守・備前権守を兼ねた。また、この間の斉衡2年(855年)には従四位下に叙せられている。
清和朝に入ると文章博士に播磨権守を兼ね、貞観2年(860年)には従四位上に昇叙された。のち、弾正大弼・刑部卿・近江権守・伊予権守を経て、貞観12年(870年)式部大輔に任官する。貞観14年(872年)には参議に任じられて公卿に列し、議政官として勘解由長官・刑部卿などを兼任した。貞観15年(873年)正四位下、元慶3年(879年)従三位。元慶4年(880年)8月30日薨去。享年69。最終官位は参議従三位行刑部卿。
文徳・清和両天皇の侍読となって『文選』や『漢書』の進講を行ったり、内記として起草した詔勅や願文が多く残されている。都良香らと『日本文徳天皇実録』を撰し、『貞観格式』の編纂にも参画、また自ら『東宮切韻』『銀牓輪律』『集韻律詩』『会昌分類集』などを撰している。家集に『菅相公集』がある。
人物
[編集]当代随一の文人として、詩家の宗匠小野篁あるいは在朝の通儒春澄善縄・大江音人と親交があったという。上卿良吏・儒者詞人の多くを弟子としていた。俗世間の事柄に興味が薄く、世間を忘れたように風月を観賞して詩を吟じた。仏道を崇めて人々を慈しみ、孝行は天に至るほどで、殺生も好まなかった。臨終の際、初冬の梅の季節に自らの法要を営むことのみ一言し、他には何も語らなかったという。[1]
官歴
[編集]注記のないものは『六国史』による。
- 承和2年(835年) 日付不詳:文章得業生
- 時期不詳:従六位下
- 承和6年(839年) 11月5日:対策及第(中上第)、正六位上
- 承和7年(840年) 6月10日:大学大允[2]。9月20日:大学助[2]。7月25日:大内記[2]
- 承和11年(844年) 正月7日:従五位下
- 承和12年(845年) 3月5日:文章博士
- 承和13年(846年) 2月29日:兼越後介
- 承和14年(847年) 5月10日:兼東宮学士(皇太子・道康親王)、大内記如故
- 嘉祥2年(849年) 正月13日:兼讃岐権介、文章博士東宮学士如故
- 嘉祥3年(850年) 4月17日:正五位下(越階)。10月1日:兼加賀権守
- 仁寿3年(853年) 正月16日:大学頭、文章博士加賀権守如故
- 斉衡2年(855年) 正月7日:従四位下
- 斉衡3年(856年) 2月8日:左京大夫、文章博士如故
- 時期不詳:修理東大寺仏使長官[2]
- 天安元年(857年) 5月8日:兼美作権守、文章博士左京大夫如故
- 天安2年(858年) 正月16日:兼伊勢守。5月21日:備前権守。9月23日:兼播磨権守、文章博士如故
- 貞観2年(860年) 11月16日:従四位上
- 貞観5年(863年) 2月10日:弾正大弼
- 貞観6年(864年) 正月16日:近江権守。3月:刑部卿[2]
- 貞観9年(867年) 日付不詳:止文章博士[2]
- 貞観12年(870年) 正月25日:伊予権守。2月14日:式部大輔
- 貞観14年(872年) 8月25日:参議、式部大輔如元
- 貞観15年(873年) 正月7日:正四位下
- 貞観16年(874年) 正月15日:兼播磨権守[2]。2月29日:兼勘解由長官[2]
- 貞観18年(876年) 正月14日:兼近江守[2]
- 貞観19年(877年) 正月15日:兼刑部卿[2]
- 元慶3年(879年) 11月25日:従三位
- 元慶4年(880年) 8月30日:薨去(参議従三位行刑部卿)
系譜
[編集]旧跡
[編集]墓所
[編集]京都市南区吉祥院高畑町にある香泉寺の境内に、是善のものとされる墓があり、本堂には是善の坐像が安置されている。
神社
[編集]是善を主祭神として祀る神社も存在する。