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ノート:十字架/削除

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これはこのページの過去の版です。Aphaia (会話 | 投稿記録) による 2004年2月20日 (金) 22:14個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (moving from ja:"Torture Stake")であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

英語版を見るに、おそらく日本で「十字架」と言ったときの意味合いは"Cross"よりも狭いんだろうなと思いました。「正符号」や漢字の「十」は、確かにCrossではあるけれども十字架ではないな、と。

ので、英語版で挙げられている実例のどこまでを引き写したものか迷いまして、結局初めのほうしか持ってきていません。

  • どこまでが日本語で言う「十字架」に該当するのか。
  • ひょっとして、en:Crossではなく、en:Christian crossにリンクするべきなのか?
  • しかし、十字架をChristian crossに限定すると、今度は意味が狭すぎる恐れも。

と、判断が付きません。ご意見をお待ちしています。

Crossで思いつくモノと言えば、交差点(十字路)、クロストーク(相互干渉、相互の部分が交差という概念にあたる)とか、だったりする私です。
Crossは、日本語の「十字」もしくは「×(バツ)」に相当するので、十字はクリスチャンの宗教的な象徴にリンクでおおむね間違いは無いと思います。
たとえば「HE」のように、「CROSS」と大文字にしたときに、特に「Christian cross」を意味するとかはあるのですか? Adacom 07:17 2003年8月21日 (UTC)

出典元を書いているので、著作権法違反という主張は該当しません。いつまでこういう悪質な嫌がらせを続けるのでしょうか。人間性を疑います。K.M. 03:42 2004年2月19日 (UTC)

十字「架」は柱という意味ですから、Christian cross にあてるのが妥当でしょう。 非キリスト教文化(たとえば仏教の卍)なども十字形シンボルですから、「十字」の項を 十字架と別に立てるというのも手だと思います、いかがは。KIZU

こんにちは。こちらにもお邪魔します。
おせっかいなようですが、著作権についてはK.M.さんに誤解があるようなので、僕が知っていることを少し説明させて下さい。
K.M.さんは出典を示せば著作権法違反になりえない、とされていますが、引用にも紹介されている通り、日本の著作権法で認められている公正な慣行に沿った引用は、出典を示す以外にも、量的・質的に引用部分が従であること、引用の範囲に必然性があること、などの条件を満たしている必要があります。それらの条件を満たしているかというと、どうもそうでもないように思いませんか?
ただ、1900年に出版されたものなどは、著作権の保護期間を過ぎているかも知れません。そうだとすれば別に出典を示さなくても問題ないわけですが。
K.M.さんの会話ページの方にも少し追記しようかと思います。Tomos 05:11 2004年2月19日 (UTC)

話が飛んですみません。だれか[[1]]にふさわしい画像を張ってください。わたしは英語版のコピーをしようと思ったのですが、うまくいきませんでした。K.M. 11:50 2004年2月19日 (UTC)

ノート:苦しみの杭からの移動記事

十字架の記述内容について

  • 十字架の記事にある「十字架は……キリスト教という信仰を象徴する」というくだりを訂正してほしいと存じます。これが事実なら、エホバの証人はキリスト教ではないという印象を読者に抱かせ、「読者を誤導する」恐れがあります。(K.M.)

その部分を執筆した者として個人的に申し訳なく思っています。あれを書いた時点ではエホバの証人の意見を完全に失念していました。教派名を具体的に挙げて限定することを提案します。たとえば、

キリスト教のうち、カトリック教会, 東方正教会などの教派では十字をキリスト教という信仰の象徴と見なしている。

(Yugui) Yugui 04:55 2004年2月20日 (UTC)

Yuguiさんの表現では問題があると考えます。 エホバの証人以外には教派として十字架を否定する教派はないのではないでしょうか? 断言はしませんが、以下のことは指摘できます。

  • ほとんどのプロテスタント教会および一般にはキリスト教に含めて考えないモルモン教・統一協会なども、イエスの十字架刑を肯定している。
  • 特にルター派などはカトリックに対する自らの地位を「十字架の神学」と位置付け、十字架の神学的意味を重視している
  • 正統信仰に含めて考えない東方諸教会でも十字は重要な象徴表現である。

ここはむしろ

一般にキリスト教では十字をキリストの受難の象徴と見なして、重視する。

のほうが適切ではないでしょうか。一般に、といれることで例外があることは示唆できると考えます。

また、エホバの証人がキリスト教に含まれない印象を与えるとのコメントですが、エホバの証人はその出版物で他の教会を「大いなるバビロン」「キリスト教世界」と呼び、同一視をこばみ、自らを「真のキリスト教」と呼んでいます。後者はどの教団でもいうことなので置いておいて(w 他をここまで峻別する教団はプロテスタント諸派に一部あるくらいです。 エホバの証人がキリスト教に含まれる という言い方は、ある意味教団の教義とも違背するのではないですか?KIZU

ありがとうございます。現在「十字架は……キリスト教という信仰を象徴する」と書かれている部分については

一般にキリスト教では十字をキリストの受難の象徴と見なして、重視する。

に置き換えることに賛成です。その上で、十字架刑について述べている部分で

  • エホバの証人などの一部のキリスト教団体は、一般に十字架と呼ばれているこの刑具は実際には横木のない杭だった可能性が高いと述べている。
  • しかし、ほとんどのプロテスタント教会および一般にはキリスト教に含めて考えないモルモン教・統一協会なども、イエスの十字架刑を肯定している。

と書けば中立性を確保できるのではないでしょうか。できれば、(私には十分な知識がないですが)史的な検討も加えられれば更に良いと思います。

また、挙げて下さった残りの「特にルター派など……」と「正統信仰に含めて考えない……」の2点も、信仰上の位置づけを詳述するということで一節を設けて書き加えられたら、と思います。Yugui 09:31 2004年2月20日 (UTC)