花言葉
花言葉(はなことば、floriography、language of flowers)は、草花にあてはめられた合い言葉や符牒(符丁)、もしくは単に言葉や文の事。
特徴や印象を言葉に置き換える事により、草花や花飾り・花束を通じて、直接言葉を交わさずとも互いの意志疎通や感情を伝える事の出来る手段として生まれた。花詞の文字を当てる場合もある。英国では19世紀のヴィクトリア朝時代に流行し、定着した。当時の花言葉は忘れ去られたものも多いが、赤いバラは情熱的で甘美な愛情、桃色のバラは病気の回復など、残っているものもある。
概要
花言葉は、国や民族、言語ごとに異なったものがある。それぞれは各民族が持つ神話や伝説などの伝承や歴史や風習、書物による故事来歴、宗教などから生まれたため、同じ種類の草花であっても国や民族によって異なる意味を持つことが多く、加えて花の色によっても異なる。
現代の日本においては、いわゆる占いのように扱われ、様々な団体、著者が花言葉をめいめいに定めている。 花言葉とされる語・文の例としては、「栄光」「あなたはわたしを騙せない」「永遠の悲しみ」といったものがある。
歴史
花言葉は、17世紀にオスマン帝国(トルコ)の首都イスタンブル(コンスタンティノープル)で付けられ始めるようになったとされる。当時のイスタンブルの社会では、チューリップをはじめ様々な花が愛好されていた。
花言葉はヨーロッパには、二人の人間によって紹介された。一人は当時、英国のコンスタンティノープル駐在大使夫人であったメアリー・W・モンタギュー(Mary Wortley Montagu, 1689年 - 1762年)で、彼女によって1717年に英国へ伝えられた。もう一人はヨーロッパからアジア、アフリカなどを旅行してまわり、トルコには4年間滞在したオーブリー・ド・ラ・モトレイ(Aubry de La Mottraye, 1674年 - 1743年)で、1727年にスウェーデン王カール12世(1682年6月17日 - 1718年11月30日)の宮廷に招かれた際に紹介した。
その後、1819年12月にシャルロット・ド・ラトゥール(Charlotte de Latour)が著わした Le Langage des Fleurs (『花の言葉』[1])により、フランスでは1810年から1850年にかけて流行した。これをはじめとして、英国では1820年から1880年のヴィクトリア朝時代、アメリカでは1830年から1850年代に流行し、さらにベルギーやドイツなどの他のヨーロッパ諸国や南アメリカへと広まっていって、現代のように世界的に広く知られるに至った。
花言葉の例
- オリーブ:「平和」 [1]
- ゲッケイジュ:黄色の花が咲くと「不信」「裏切り」[2]
- サクラ:日本では「精神美」[2]
- 白ユリ:「純潔」 [3]
- スイセン:イギリスでは「自己愛」「自己主義」、フランスでは「愚かさ」「あなたはあなた自身だけを愛している」[2]
- スミレ:「忠実」[4]
- ツツジ:「節制」[2]
- バラ:「愛」[3][4]、「愛情」 [1]
- ヒナギク:「無邪気」[4]
- フクジュソウ:日本では「しあわせを招く」、西洋では「悲しき思い出」[2]
- ヤマザクラ:「純潔」「淡泊」「高尚」「美麗」[2]
- ヤマブキ:「崇高」「待ちかねる」[2]
- ユリ:「あなたは私をだませない」[4]