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復活祭

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キリストの復活マイスター・フォン・メスキルヒ

復活祭(ふっかつさい)とは、キリスト教典礼暦における最も重要な祝い日で、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念する。「復活主日」、あるいは英語で「イースター(Easter」とも言われる。正教会では「イースター」よりも「パスハ」の呼称の方が好まれる。


復活祭は基本的に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」に祝われるため、年によって日付が変わる移動祝日である。2011年の復活祭は西方教会東方教会も同日であり4月24日であるが、年によっては東西教会で復活祭を祝う日は異なる事も多い。

名称と起源

英語ドイツ語ポーランド語以外のヨーロッパ諸言語における「復活祭」という言葉は、すべてギリシア語: Πάσχα古典ギリシア語再建音:パスカ、現代ギリシア語転写:パスハ)に由来しており、その言葉も元をたどれば、アラム語の「パスハ(pascha)」で、これはユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」を表す「ペサハ」(Pesach)というヘブライ語の言葉から来ている。つまり、キリスト教の復活祭がユダヤ教の「過越の祭り」から生まれた祝い日であることを示している。ギリシャ正教会復活大祭を「パスハ(Πάσχα)」と呼ぶのは勿論のこと、ロシア正教会ロシア語でも復活大祭はヘブライ語・ギリシャ語起源の「パスハ(Пасха)」と呼ばれ、日本正教会でも復活大祭をパスハと呼ぶ。カトリック教会においてもイタリアなどのラテン系の国では「パスカ」(ラテン語: Pascha)、スペイン語ではパスクワ(Pascua)の呼称が一般的である。

一方、復活祭を表す英語「イースター(Easter)」およびドイツ語「オーステルン(Ostern)」はゲルマン神話の春の女神「エオストレ(Eostre)」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト(Eostremonat)」に由来しているといわれる。8世紀の教会史家ベーダ・ヴェネラビリスはゲルマン人が「エオストレモナト」に春の到来を祝う祭りをおこなっていたことを記録している。実際、復活祭の習慣の中には、このゲルマン人の祭りに由来すると思われるものもある。たとえば、復活祭に色をつけた卵を配るイースター・エッグや多産の象徴であるウサギ(イースターバニー)が復活祭のシンボルとされていることがそうであると考えられる(「習合」を参照)。 あるいは、卵は殻をやぶって雛が生まれることから復活を表し、うさぎは(特に岩うさぎ)その目が、月を思い起こさせ、月は欠けて見えなくなっても、また新月から三日月、そして満月となることからやはり復活を表すものとして、キリストの復活のシンボルとされている。

ギリシア神話の神々の信仰が盛んだったシチリアでは、復活祭の伝統行事の中に死から蘇るキリストとハーデースから帰還するペルセポネーの習合と、デーメーテールアドーニス信仰の名残りが見られる[1]

日付

復活祭の日付、2000年-2020年
西方教会 東方教会
2000年 4月23日 4月30日
2001年 4月15日
2002年 3月31日 5月5日
2003年 4月20日 4月27日
2004年 4月11日
2005年 3月27日 5月1日
2006年 4月16日 4月23日
2007年 4月8日
2008年 3月23日 4月27日
2009年 4月12日 4月19日
2010年 4月4日
2011年 4月24日
2012年 4月8日 4月15日
2013年 3月31日 5月5日
2014年 4月20日
2015年 4月5日 4月12日
2016年 3月27日 5月1日
2017年 4月16日
2018年 4月1日 4月8日
2019年 4月21日 4月28日
2020年 4月12日 4月19日
2021年 4月4日 5月2日
2022年 4月17日 4月24日

復活祭は移動祝日であり、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、太陽暦では年によって日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、ユリウス暦を用いる東方教会では、グレゴリオ暦の4月4日から5月8日の間のいずれかの日曜日に祝われる。国によってはキリスト教の習慣に従って翌日の月曜日も休日にすることがある。

もともとは復活祭はユダヤ教の過越の祭りと同じ日に祝われていたと考えられている。過越の祭りはユダヤ教の暦で「ニサンの月の14日」に固定されている。しかしキリスト教がユダヤ教から離れ、各地に広まっていく中で、復活祭をいつ祝うかということで2世紀頃から論争が起こることになった。これを「パスカ論争」という。

すなわち小アジアの教会はユダヤ教以来の伝統に従ってニサンの月の14日をパスカ(復活祭)として祝っていたため、平日に祝われることもあった。一方、ローマをはじめ多くの教会ではイエスが復活した日曜日を主イエスの日として優先するため、復活祭(パスカ)も復活の日である「ニサンの月の14日の後の最初の日曜日」に祝う習慣であった。初期キリスト教では、各地方に根付いた習慣は排斥されることがなく、論争の過程でも、むしろそれぞれの地方の慣習と伝承を尊重することが勧告されたが、やがてどちらか一方に統一しようという動きが強まった。

325年におこなわれた第1ニカイア公会議は小アジアの教会の主張を退け、全教会で復活祭を同じ日曜日に祝うことを決議した(この公会議の文書資料は残されていない)。そこで、復活祭を決定する権限は誰にあるのかという問題が起こってきた。公会議はとりあえずアレクサンドリアの教会に復活祭の日付の決定をゆだねている。なぜなら当時アレクサンドリアが地中海世界でもっとも学問の盛んな都市だったためである。

アレクサンドリアの教会では、復活祭は「(ユリウス暦でいうところの)3月21日以降で最も早い(太陰暦の)14日の次の日曜日」に祝う習慣であったため、東方の教会は第1ニカイア公会議の決定に従ってこのアレクサンドリア方式を採用した。しかし、この決定方法は非常にわかりにくいものだったので中世になるとこれが「復活祭は春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」という表現に変化していった。

一方西方のローマ教会は6世紀までは独自の方法で復活祭を算出していたが、アレクサンドリアの教会の手法を(ローマで用いられていた)ユリウス暦に適応させる方法がディオニュシウス・エクシグウスによって編み出されたことでようやくその決定法を採用することになった。イギリスやフランスなどの各地でも当初はローマ式の方法が採用されていたが、やがてディオニュシウスの方法が採用され、ようやく復活祭の日付がヨーロッパの全キリスト教会で統一されることになった。しかし、16世紀になって西欧社会がグレゴリオ暦を採用したことで、ユリウス暦を用いつづけた東方教会との間で再び復活祭がくい違うという現象が起こるようになった。

1997年シリアアレッポでキリスト教諸派の代表が集まっておこなわれた世界キリスト教協議会では復活祭の日付の確定法の再検討と全キリスト教における復活祭の日付の統一が提案された。この問題は現在でも協議が続けられているが、いまだに統一には至っていない。

ある人々は復活祭の日付が移動することや教派によって日付が異なることの不便を解消するため、思い切って月齢と復活祭を切り離すことを提案している。たとえば4月の第二日曜日に固定するなどの意見が出されているが、まだ広範な支持を受けるまでには至っていない。

西方教会において、最も早く復活祭が祝われる可能性がある日は(グレゴリオ暦の)3月22日である。これは最も近くでは1818年にそうなっていた。次にこの日が復活祭になるのは2285年のことである。逆に最も遅い日は4月25日である。最も近くでこの日が復活祭となったのは1943年のことであり、次は2038年になる計算である。

典礼暦における位置づけ

『主の復活』のイコン。上方にキリストが復活した情景、下方にキリストがアダムの手を取り人々を地獄から引き上げる情景(地獄降り)。主・神であるキリストにより、旧約の時代の人々にまで遡って復活の生命が人類に与えられたという正教会の伝承に基づいている。17世紀ヤロスラヴリのもの。

伝統的教会では、復活祭の前に40日の準備期間として四旬節が置かれる。ただし、この40日には日曜日を含めない。カトリックなど西方教会では、四旬節は灰の水曜日に始まり、主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサの前まで続く。正教会では四旬節を大斎(おおものいみ)ともいう。数え方は若干西方と異なり、日曜日および土曜日を含めず、復活祭の7週前の主日である断酪の主日(赦罪の主日)の日没後から始まり、復活祭前の水曜日(聖大水曜日)に終わる。なお聖公会でも四旬節を大斎と呼ぶが、読みは「たいさい」である。大斎節(たいさいせつ)とも言う。

復活祭前の一週間は「聖週間」「受難週」等と呼ばれ、典礼の中で非常に重要な位置を占めている。まず復活祭前の日曜日は英語でパーム・サンデー(Palm Sunday、「椰子の日曜日」の意。日本語では枝の主日聖枝祭、復活前主日、棕櫚の主日、受難の主日など)と呼ばれ、大きな主日のひとつとされている。

正教会では受難週のそれぞれの日を、聖大月曜日聖大火曜日聖大水曜日聖大木曜日聖大金曜日聖大スボタと呼び、毎日特別の礼拝を行い、イエスのエルサレム入城から受難を経て復活するまでのそれぞれの日を象り記憶する。また西方教会でも、受難の月曜日、受難の火曜日、受難の水曜日、この週の木曜日から土曜日までは特に、聖木曜日(洗足木曜日)、聖金曜日(英語でGood Friday、受難日、受苦日)聖土曜日と呼ばれ、特別の儀式が行われる。多くの教派では復活祭の祝いが始まるのは(ユダヤ暦が日没を一日の始まりとすることから)土曜日の夜からであり、これを復活徹夜祭という。 カトリックでは「過越の三日間」として、人間にあがないをもたらしたキリストの受難と復活を主の過越の出来事として祝う。「過越の三日間」は主の晩さん(聖木曜日)の夕べのミサから、復活の主日の「晩の祈り」までとし、年間を通した典礼暦の最高頂である。中でも復活徹夜祭を最も重要な祭儀として祝い、この日に入信の秘跡(洗礼堅信聖体)を授けることが伝統的な習慣となっている。

復活祭から始まる季節が「復活節」(カトリック教会・聖公会の用語)・「復活祭期」(正教会の用語)であり、ペンテコステ(聖霊降臨)の日まで7週間続く。

復活祭に関する習俗

復活祭に祝福される食品を入れた籠(ポーランド)
復活祭の食卓(スウェーデン)

西方教会と東方教会では、伝統的に四旬節および大斎の期間中禁じられていた肉、乳製品、卵(東方教会では魚肉も)が復活祭の日に初めて解禁になるため、復活祭の正餐の食卓にはこれらの動物性食品が並ぶ。また、卵、バター、乳などをふんだんに使った復活祭独特の菓子パンケーキが作られる。家禽を飼っている家庭では、四旬節および大斎の期間中に生まれたために食べられずにたまっていた卵をまとめて消費するという理由もある。

ドイツでは、オシュターフラーデン(Osterfladen)という円形のパンを食べる。パン生地をウサギの形に成形するとオシュターハーゼ(Osterhase)となる[2]

スイスドイツ語圏のオスターフラーデンは、アーモンドレーズンタルトである[3]

イタリアの復活祭の伝統料理は地方によって異なるが、主菜には子羊が好まれる。もっとも有名な食品はコロンバ・パスクァーレ(復活祭のハト)という、ハトをかたどった菓子パンであろう。パン生地に卵を殻ごと入れて焼いた、クッドゥーラ(cuddura)やプッドリーケ(Puddhriche)というパンを作る地域も多い。シチリア島ではペコレッレ(pecorelle)と呼ばれるマルチパンでできた子羊が食べられる。復活祭の翌日の月曜日はパスケッタ(pasquetta、小復活祭の意)と呼ばれる祝日で、戸外でピクニックをする日となっている。

スウェーデンでは、ゆで卵ニシンの酢漬けやアンチョビなどと供する。主菜は家庭によって子羊の脚またはサケが供される[4]

フィンランドでは、東方教会の影響下にあったカレリアではパスハを、その他の地域ではメンミ(Mämmi)というライ麦粉と廃糖蜜プディングを食べる[5]

アイスランドでは、子羊肉またはマトン燻製と、またはオオムギのミルクプディングを食べる習慣があった[6]

ポーランドの復活祭の正餐には、ゆで卵、ソーセージ、乳飲み豚のロースト、ハム、おろしたセイヨウワサビなどが並ぶ。デザートにはマズレク(mazurek、長方形のケーキ)やバブカ(babka、クグロフに似た形のケーキ)を食べる[7]

アカディアには、朝食にゆで卵、昼食に卵とハムまたは塩漬け豚肉、夕食にはオムレツかフラン(パンケーキ)にメープルシロップかメープルシュガーをつけて食べる習慣があった[8]

イースター・エッグ

復活祭に殻に鮮やかな彩色を施したり、美しい包装をしたゆで卵を出す習慣である。国や地域によっては、復活祭の際に庭や室内のあちこちに隠して子供たちに探させるといった遊びもおこなわれる。近年では卵だけでなく、卵をかたどったチョコレートも広く用いられている。これはもともとヒナが卵から生まれることをイエスが墓から出て復活したことに結びつけたもの、および冬が終わり草木に再び生命が甦る喜びを表したものといわれている。英語圏やドイツではイースター・バニーが運んでくる(または産む)ものとされているが、フランスやイタリアでは教会の鐘が運んでくるものとされている。

また、上記のイースターエッグの探し物遊びにちなんで、ソフトウェアの中に開発者がまぎれこませたメッセージ(開発チームスタッフへの謝辞やスタッフロール)のことも「イースター・エッグ」と呼ばれる。

イースター・バニー

ホワイトハウスから手をふるナンシー・レーガンとイースター・バニー(1981年

英語圏やドイツでは、ウサギをかたどったチョコレートやパンが作られる。ウサギは多産なので生命の象徴であり、また跳ね回る様子が生命の躍動を表しているといわれる。あるいは、うさぎの目が、月を思い起こさせ、月は欠けて見えなくなっても、また新月から三日月、そして満月となることからやはり復活を表すものとして、キリストの復活のシンボルとされている。

関連項目

参考文献

  1. ^ Carol Field. Celebrating Italy. Harper Perennial, 1997年。410頁
  2. ^ Mimi Sheraton. The German Cookbook. Random House, 1966年。452-453頁
  3. ^ Nika Standen Hazelton. The Swiss Cookbook. Hippocrene, 1998年。164頁
  4. ^ Natur och Kultur. The Best of Swedish Cooking. 1995年。159頁
  5. ^ Beatrice A. Ojakangas. The Finnish Cookbook. Crown Publishers, 1989年。230頁
  6. ^ Nanna Rögnvaldardóttir. Icelandic Food and Cookery, Hippocrene. 2002年。12頁
  7. ^ Robert & Maria Strybel. Polish Heritage Cookery. Hippocrene, 2005年。
  8. ^ Marielle Cormier-Boudreau & Melvin Gallant. A Taste of Acadie. Goose Lane, 1991年。16頁

外部リンク

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