ピグマリオン (戯曲)
『ピグマリオン』(Pygmalion )は、ジョージ・バーナード・ショーによる戯曲。舞台ミュージカル『マイ・フェア・レディ』およびその映画化作品『マイ・フェア・レディ』の原作にもなった。『マイ・フェア・レディ・イライザ』という日本語の訳題も存在する。1912年に完成したが、1913年にウィーンで初演。ロンドンの公演では名女優パトリック・キャンベル夫人が演じて大好評を博し、ショーをイギリスで著名な劇作家に押し上げた。
ピグマリオン | |
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Mrs. Patrick Campbellによるイライザのイラスト | |
脚本 | ジョージ・バーナード・ショー |
初演日 | 1913年10月16日 |
初演場所 | オーストリアウィーンHofburg Theatre |
ジャンル | ロマンチック・コメディ, 社会批判 |
舞台設定 | イギリスロンドン |
英語の発音は「ピグメイリオン」なので注意。タイトルになったピュグマリオーン(古希: Πυγμαλίων, Pygmaliōn)というのはギリシア神話に登場するキプロス島の王である。現実の女性に失望していたピュグマリオーンは、あるとき自ら理想の女性・ガラテアを彫刻した。その像を見ているうちにガラテアが服を着ていないことを恥ずかしいと思い始め、服を彫り入れる。そのうち彼は自らの彫刻に恋をするようになる。それゆえ「ピグマリオンコンプレックス」は狭義に「人形偏愛症」を意味することもある。
教育によって淑女や「いい女」をというプロットは映画『シーズ・オール・ザット』『プリティ・ウーマン』などにも影響を与えていると言われたり、引き合いに出されたりすることが多い。日本には石川達三の『結婚の生態』があり、谷崎潤一郎の『痴人の愛』はパロディとも考えられる。『コレクター』なども含めて「ピグマリオン・コンプレックス」と呼ぶことがあり、小野俊太郎に同名の著書(ありな書房)がある。
第3幕の "Walk? Not bloody likely!" (『歩く?とんでもない!」)という言葉が一番有名で、bloodyはあまりにも汚い言葉と当時考えられていて、芝居を見て失神した女性もいたという[要出典]。
登場人物
- イライザ:花売り娘。
- ヒギンズ:言語学者。毒舌家。
- ピカリング:大佐。言語学者でもあり、ヒギンズに会いに来た。
- ヒギンズ夫人:ヒギンズの母。
- ドゥーリトル:イライザの飲んだくれの父。
- フレディー:イライザに恋する青年。
- ピアス:ヒギンズ家の家政婦。しっかり者。
あらすじ
ロンドンの下町の花売り娘イライザは、誰の発話からも出身地を当てるという音声学の天才である言語学者ヒギンズと、ひょんなことから出会い、彼の家に押しかけ、もっとよい仕事につくために洗練された喋り方を教授してくれと頼む。実験精神に富んだヒギンズは彼女を家に住まわせ、彼女のコックニー訛りをレディらしい英語に直す。イライザの父親がヒギンズの家に押しかけてくるなどのちょっとした騒ぎもあるが、イライザは血のにじむような話し方の訓練を受ける。ヒギンズとその友人のピカリングは、修行の仕上げとしてイライザを舞踏会に連れて行ってレディとして通そうとし、三人はこれに成功する。しかしながらイライザは立派にやりとげた自分に対してあまりにもヒギンズが大人としての敬意を払わないことに怒り、ヒギンズの家を出て行ってしまう。イライザがいなくなったことに驚いたヒギンズとピカリングはヒギンズの母の家でイライザを見つける。イライザとヒギンズは対決する。イライザは友人であるフレディと結婚するかもしれないと述べ、ヒギンズはこれに動揺する。イライザは自分の父親の結婚式に出席すると言ってヒギンズに別れを述べて出て行ってしまい、ヒギンズはイライザが帰ってくるはずだと自分を慰める。
執筆の背景
ヒギンズとピカリングの人物設定は、シャーロック・ホームズとワトソンのパロディだという指摘がある[1]。
一般的にはヘンリー・スウィートという音声学者がモデルと信じられている。ただし、ショーの『ピグマリオン』序文には"Higgins is not a portrait of Sweet, to whom the adventure of Eliza Doolittle would have been impossible; still, as will be seen, there are touches of Sweet in the play."と書いてある。スウィートはBitter Sweetともあだ名され、変人だった。だから、大学に迎え入れられることはなかった。皮肉なことに著作の一部はオックスフォード大学出版局から出ている。
結末
『ピグマリオン』はショーの戯曲の中でも最も幅広い人気を博している作品であった。しかしながらウェスト・エンドの劇場で大スターが出演している楽しい演目を見たいと考えている一般の観客の間でも、また一部の批評家の間でも、お気に入りのキャラクターであるイライザとヒギンズの間のハッピーエンドが望ましいという要望があった[2]。1914年の上演では、ヒギンズ役の俳優で劇場主であったビアボーム・トゥリーがショーのもともとの結末をもう少し甘いものにしてしまったため、ショーは驚きはしなかったがこの変更に激高した[3]。ショーは100回目の上演を見にやってきたが、そのときの上演では窓に立ったヒギンズがイライザに花束を投げる演出があった。「私の結末は儲かるんだから、君は感謝すべきだよ」とトゥリーはショーに反抗したが、ショーは「君の結末は最悪だから、君は銃で撃たれるべきだね」と言ったという[4][5]。ショーはこの変更に非常にいらだっていたため、1916年以降の版用の後書きとして「後に起こったこと」("'What Happened Afterwards,")という文章を書いたが、その中ではヒギンズとイライザが結婚するという結末は不可能であるという理由を明確に説明している[6]。この後書きでショーは、イライザはヒギンズではなくフレディと結婚することになるはずだということを明確に述べている。
ショーは1938年まで、イライザの運命が逆転してヒギンズと結婚してしまうような結末に抗い続けた。本作が映画化された際、脚本を担当したショーは、映画プロデューサーのガブリエル・パスカルにかなり妥協したと感じつつも結末部分を書き加えて送った。この脚本では、ヒギンズとイライザがロマンティックに別れる場面のあと、フレディとイライザが青果や花を売る店で楽しげにしているという終わり方が提示されていた。ショーはスニークプレビューで初めて、パスカルが勝手に結末を変更したことに気付いたという[要出典]。ミュージカル及び映画の『マイ・フェア・レディ』においても似たような結末の変更が実施されている。
映画版
イギリスで1938年に映画化された。
- 監督: アンソニー・アスクィス、レスリー・ハワード
- 脚本: ジョージ・バーナード・ショー 、W・P・リップスコーム、セシル・ルイス
- 出演: レスリー・ハワード、ウェンディ・ヒラー
日本では劇場未公開だったが、DVDは発売されている。既にこの映画は、いったん出て行ったイライザが戻ってくる場面で終っている。
脚注
- ^ Martha Fodaski Black (1995). Shaw and Joyce: "The Last Word in Stolentelling". University Press of Florida. pp. p.100. ISBN 0813013283
- ^ Evans, T.F. (ed.) (1997). George Bernard Shaw (The Critical Heritage Series). ISBN 0-415-15953-9, pp. 223–30.
- ^ "From the Point of View of A Playwright," by Bernard Shaw, collected in Herbert Beerbohm Tree, Some Memories of Him and His Art, Collected by Max Beerbohm (1919). London: Hutchinson. Versions at Text Archive Internet Archive
- ^ Shaw, Bernard, edited by Dan H. Laurence. Collected Letters vol. III: 1911–1925.
- ^ Shaw–Campbell Correspondence, p.160.
- ^ Shaw, G.B. (1916). Pygmalion. New York: Brentano. Sequel: What Happened Afterwards. Bartleby: Great Books Online.