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メキシコ陸軍

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メキシコ陸軍

メキシコ陸軍の歴史と現在

連邦国家であり、ヌエバ・エスパーニャの後継国家であるメキシコ合衆国の国土と都市部を国防する陸軍組織である。隊内では主にスペイン語が共通語とされ、一部では先住民の入隊も認められている。メキシコ合衆国全土の成年男子への1年間の選抜的徴兵制を実行する国民軍である。同国のメキシコ・シティー(首都)及び1億人2千万人を超えるメキシコ合衆国国籍を持つ国民の生命財産及び国家の国益を保護する為に、防空任務を受け持つメキシコ空軍メキシコ海軍と共に、徴兵制士官学校出身の職業軍人で編成されるメキシコ合衆国の正規軍である。人員数はメキシコ陸軍全体で常備軍約「223,000名」(大都市やその他地域での治安維持部隊を含む定数)、有事の際に備える予備役約「582,000名」を有しており、スペイン語圏では最大級の常備軍定員を持つ。陸軍内では各地の高級将校担当司令部と、国境など警備部隊、独立部隊に編成されている。警備部隊の担任区域は、12個軍管区の下で45個軍区に割り振られている。アルタ・カリフォルニア地域(現在のロサンゼルス及びサンフランシスコ含む地域)はヌエバ・エスパーニャ時代に領有しており、この時期1613年に、日本での江戸時代初期に仙台藩主伊達正宗が派遣したフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使とした慶長遣欧使節団は、途中で経由したヌエバ・エスパーニャ国にて、日本人初の北米大陸上陸経験者となったが、この時点で上陸したアカプルコの港からアルタ・カリフォルニア地域までは、現在のメキシコ陸軍前身組織にあたるヌエバ・エスパーニャ国境管理軍が国防を担当しており、当人たちの認識ではスペイン領内と記されてるが、実際にはこの地域であり、現在のメキシコ海軍及びメキシコ陸軍によって防備されているアカプルコが、北米大陸中米含む)初上陸となった。その後使節団はキューバ大西洋を渡り首都マドリードに到着、最終目的地であったローマに到着した時点で1615年に入っており、母国日本では大阪夏の陣が起きている時期に常長はローマ法王との謁見とローマ市民権証書を受け取り、インド洋経由で同じくスペインフィリピンマニラまでの世界一周を達成した。この時点でメキシコ海軍の前身であるメキシコ海軍の先進的な技術や航海法を観察し、現在のメキシコ陸軍となるメキシコ・シティでのヌエバ・エスパーニャ兵士のパレードも見学したとされるが、当時の一般的な認識として「スペイン国内」として日記などにも記している為に、当時のメキシコ陸軍の詳しい装備内容などはわかっていないが、その後米墨戦争を経て、独立後のメキシコ帝国(第一帝政)はアルタ・カリフォルニア地域を失い、大都市ロサンゼルススペイン語風の都市名を持ちながら、英語圏アメリカ合衆国カリフォルニア州)に新たに組み込まれた。日本国内で幕末の時代に相当する時期の出来事であり、ペリー黒船浦賀来航)提督がアメリカ合衆国海軍を率いて日本に到着した時点では、彼らが出立した北米大陸西海岸沿岸は、アメリカ合衆国の領土になったばかりであった。ゴールド・ラッシュアメリカ合衆国に割譲した直後にこの地域で迎え、メキシコ国民は大いに同地域の奪還をメキシコ陸軍に対して期待していたが、圧倒的な英語圏カナダを含む軍事力は覆せず、19世紀末期には内戦が勃発し、ナポレオンの後押しを受けたメキシコ第二帝政時期を経て、現在に至る。本来のメキシコ領カリフォルニア地域において、ほぼ南半分のみとなるバハ・カリフォルニア半島と隣接する港湾都市のみが、以後の20世紀初頭からメキシコ陸軍の国防担当地域となった。 第一次世界大戦中(1917年)には、協商国ドイツ帝国に対して、メキシコ政府宛てに書かれたとされるツィンメルマン電報事件の発覚により、アメリカ合衆国政府が日英同盟やフランス及びイタリアなど連合国側で対独宣戦布告(戦勝国五大国参照)を行う理由となった。このドイツ帝国外務大臣から新大陸メキシコ政府へ発進された電報「ツィンメルマン電報」の内容は、「アメリカ合衆国南東部旧テキサス共和国地域へのメキシコ陸軍による先制攻撃によって、それを兵器援助などドイツ帝国が援助し、第一次世界大戦ドイツ帝国が勝利した場合には、メキシコが米墨戦争によって、アメリカ合衆国に奪われたテキサス州ニューメキシコ州アリゾナ州(いずれも元メキシコ領)を、メキシコ政府に向けて返還させる講和条約を結ぶ」というものであったが、これが事前に傍受されて、アメリカ合衆国第一次世界大戦に対協商国宣戦布告を行い、軍の参謀本部などに軍事的な可能性を研究させるなど、真剣に対米国宣戦も考えていたとされる当時のメキシコ政府は、最終的にメキシコ政府はこの「ツィンメルマン電報事件」によるドイツ帝国政府からの参戦要請を断った。以後は、アメリカ合衆国冷戦期にはFTAを結ぶなどしており、西側諸国の一員として冷戦終結まで過ごしていた為に、現在もメキシコ陸軍の標準装備はNATO規格である。

メキシコ陸軍と空軍部隊の特殊な役割分担

比較的早く航空機産業が発達したアメリカ合衆国の隣国であったメキシコ政府は、早期からメキシコ陸軍を通して航空機を使った戦術について研究を始めており、この流れの中で陸軍航空隊として扱われるようになった「メキシコ空軍」部隊は、レシプロエンジン搭載戦闘機の他に、第二次世界大戦以後の冷戦時代には、NATOの盟主アメリカ軍とカナダ軍(英連邦)との集団的自衛権構築による友好を最優先し、初期のターボジェットエンジン搭載戦闘機も整備した。1970年代からはヘリコプターや陸軍航空隊としての偵察用兼対地攻撃用として、エンブラエル製航空機を保有していた時期もあった。UH-60(ブラックホーク多用途ヘリコプター)などを保有する中米最大規模の陸軍組織であるが、特徴的なメキシコ軍の編成として、メキシコ空軍(スペイン語: Fuerza Aérea Mexicana, FAM)は、独立した軍組織として存在しているが、憲法の規定により、陸軍に従属するものとされており(行政的には大日本帝国陸軍に類似した「陸軍航空隊」との位置付けが現在も続く)また州ごとの治安組織にはMRAPに相当する重装甲車が配備されるなど国内での治安担当部隊が重装備である事が知られている。さらにメキシコ軍においては、通常はNATO系諸国で陸軍航空隊が保有する輸送ヘリコプターや攻撃ヘリコプターの機種は、陸軍の担当から外れおり、メキシコ陸軍がヘリコプター向きパイロットを持たないため、その運用はメキシコ空軍の主たる任務として行なっているなど、隣国であるアメリカ合衆国とは異なる軍の構成になっている。南米大陸北米大陸では、国境を接する仮想敵国がそもそも同系統のスペイン語圏英語圏など、大航海時代移行の植民地域発祥の移民国家がほとんどを占める為、直接的な防空戦闘機の必要性よりも、国内での密林地帯などでの対武装組織反乱鎮圧作戦用のCOIN機や攻撃機の分野が重要視され、輸送やゲリラ組織掃討まで可能な多用途ヘリコプターが重視される傾向もある。キューバ革命以降のキューバ危機においては、カナダや周辺の西側諸国と共に反共義勇軍として、キューバを乗っ取った社会主義政権の打倒が検討された事もあったが、結果的にはキューバ危機核戦争に発展せずに終息した為に、実現しなかった。ソ連崩壊による冷戦終結以後の国際社会では、より国際貢献を求められる地域大国として扱われるようになり、積極的にPKOや医療支援などの国連関係業務にも取り組んでいる。2009年にはISAFの一員として混乱が続いていたアフガニスタンに陸軍歩兵部隊が派遣されており、隣国アメリカ軍ドイツ連邦軍及びオマーン軍歩兵部隊と共に、国連軍としての共同行動中に過激派残党勢力との激しい市街戦を経験している。その際に指摘された戦闘小隊間連絡の不備から、陸軍内の問題点が浮かび上がり、メキシコ陸軍内では組織改革と近代的通信装備の導入が進んだ。小銃においても改革が進んでおり、近代化が進んだ他、狙撃銃についても現代水準の銃に更新される事となった。(現在でもメキシコ陸軍はコロンビアカナダと共に、NATO規格の陸軍組織や海軍艦艇を構成している自由主義圏国家であるが、言語的にスペイン語圏として意思疎通が容易な隣国グアテマラ軍やホンジュラス軍との国際共同訓練が実施され、この地域でベリーズのみ英語圏である為に、同国はメキシコ湾カリブ海を本拠地とするアメリカ軍支部やガイアナ軍等々との繋がりが深い)

メキシコ合衆国陸軍及び陸軍航空隊としてのメキシコ空軍の装備

メキシコ陸軍においてその主力となるのは欧州製装甲車やCOIN機などである。多くの人員はブラックホーク多用途ヘリコプターを主要な移動手段としており、亜熱帯の国土で日々の訓練に励んでいる。(メキシコ合衆国には日本成田国際空港から長距離直行便が存在しており、日本の自動車製造業などの工場進出が中米で最も多い国の一つである。アメリカ合衆国に並ぶほどの日本人学校が存在する程に、首都メキシコ・シティ周辺や一部のには多くの在外日本国民が居住している) 機甲戦力は、広い砂漠を擁する国土に適応するために戦車が少なく、冷戦期の軍備調達においては四輪駆動あるいは六輪を持つ機動戦闘車や重装甲車が多いのが特徴である。国土が広い為にある程度の物資ではヘリコプターを用いるほかに、尉官以上の基地間連絡兼偵察機としてガルフストリーム社製プライベートジェットを用いる場合もある。特に「セドナ・ヘンシェル HWK-11」歩兵戦闘車(メキシコのセドナ社とドイツ連邦共和国ヘンシェル社の共同開発)、AMX-VCI(装甲兵員輸送車APC)フランス製装甲車や「90mm低圧砲」を搭載した装輪式の「ERC 90」装甲車と、これをもとに21世紀に国産開発したVCR装甲兵員輸送車である。これらの装甲車はメキシコ陸軍が重視するPKO活動でも活躍している。また、セドナ「DN」装甲兵員輸送車シリーズなど、メキシコ国産の装備を増やし、兵器の自給自足も重要視する為に研究開発費を軍事予算における割合で増やしており、独自の国土的環境に適合する兵器供給を重視している。陸軍の命令体系に組み入れられているメキシコ空軍の主力防空戦闘機は、F-5E/F(タイガーII)が冷戦中から務めているが、カリブ海に突き出すメキシコ合衆国領土ユカタン半島部分では、冷戦期中期には意図的にメキシコカリブ海領空地域やアメリカ合衆国フロリダ半島領空へ、かなり挑発的な接近と飛行を繰り返していたとされるキューバ戦闘機に対して、メキシコ空軍パイロットらは、スクランブル発進する事も多かったとされている。メキシコ空軍は、世界で唯一戦闘機パイロットが任務飛行中に目撃し、上部に報告した未確認飛行物体(UFO)の存在をメキシコ軍当局が公式に認めたという経歴を持ち、世界的に話題となった。またメキシコ空軍は2015年に、同国メキシコ合衆国の国家元首や閣僚などが外遊に使用する政府専用機を、導入すると発表し、これには米国ボーイング社製B787(B787-8試験用機材改修)を選定し、運用を開始している。戦術輸送機としては西側標準C-130シリーズを主力としており、イタリア製C-27J(スパルタン輸送機)なども導入した。C-130はメキシコ海軍航空隊も保有しており、メキシコ海軍太平洋艦隊の艦載対潜及び艦艇間輸送ヘリコプターとしては、CH-53UH-60を駆逐艦や輸送艦などに装備している。チリ海軍と共に、旧宗主国スペインの伝統を引き継ぎ、練習艦隊に歴史的帆船を使用して士官候補生の世界一周公開を行う海軍として知られており、メキシコ海軍アカプルコ海軍基地所属「帆船クワウテモック(Cuauhtemoc)」との有名な帆船を保有している。メキシコ・アカプルコが母港であり、練習航海以外では基地周辺でしか目にする機会がないが、平成21年には練習航海のアジアでの寄港先に日本を選び、海上自衛隊が日墨海軍間親善交流事業を成功させたほか、「スペイン」にて1982年健造の練習船「クワウテモック号」を、写真に収める愛好家らが寄港先の神奈川県港湾地区に集う事となった。この帆船は「メキシコ海軍の誇り」とメキシコ国民からの人気も高く、また近代設備を完備している事から、21世紀世界で最も航行性能が高い帆船とされている。[[1]]