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三島女子短大生焼殺事件

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三島女子短大生焼殺事件
場所

日本の旗 日本静岡県三島市[新聞 1][新聞 2]

三島市青木、国道136号沿いの路上[新聞 3]
三島市川原ケ谷字山田[新聞 1][判決文 1]、山中にあるゴルフ場「三島ジャンボゴルフセンター」沿い[新聞 4]、ゴルフ場から北側[新聞 5]、約100m[新聞 6]、市道路肩(殺害・遺体発見現場)[新聞 1]
座標
北緯35度8分30.85秒 東経138度56分36.30秒 / 北緯35.1419028度 東経138.9434167度 / 35.1419028; 138.9434167座標: 北緯35度8分30.85秒 東経138度56分36.30秒 / 北緯35.1419028度 東経138.9434167度 / 35.1419028; 138.9434167
日付 2002年平成14年)1月22日 - 1月23日[新聞 1][判決文 1]
午後11時頃[判決文 1] – 午前2時35分頃[判決文 1] (UTC+9)
概要 男が通りすがりの女子短大生を拉致強姦し、山中で灯油をかけて焼き殺した[判決文 1]
攻撃側人数 1人
武器 灯油ライター
死亡者 当時19歳女性(三島市内在住の短期大学1年生)[新聞 7][新聞 8]
犯人 男H(犯行当時29歳、逮捕当時30歳、三島市若松町在住、建築作業員)[新聞 3]
1972年昭和47年)2月21日生まれ[書籍 1]2012年平成24年)8月3日、死刑執行(40歳没)[新聞 9][新聞 10][法務省 1]
動機 強姦
対処 静岡県警察三島警察署逮捕[新聞 3][新聞 11][新聞 12]静岡地方検察庁沼津支部が起訴[新聞 13]
謝罪 第一審最終意見陳述にて謝罪[新聞 14]
上告審までに被害者遺族に対し謝罪の手紙[新聞 15]
刑事訴訟 死刑[判決文 1][新聞 16][新聞 17]執行済み[新聞 9][新聞 10][法務省 1]
影響 最高裁判所から「永山基準」が示されて以降では、殺害された被害者数が1人で、経済的利欲目的でない殺人事件において、殺人で服役した前科のなかった被告人に対し、刑事裁判死刑判決が言い渡され[新聞 16][新聞 17][新聞 18]、最高裁でその死刑判決が支持されて確定した[新聞 19][新聞 20]、極めて特異な事例だった[新聞 19]
管轄 静岡県警察三島警察署[新聞 1][新聞 21][新聞 22][新聞 3][新聞 11][新聞 12]静岡地方検察庁沼津支部[新聞 13]
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最高裁判所判例
事件名 三島女子短大生焼殺事件
事件番号 平成17年(あ)第959号
2008年(平成20年)2月29日
判例集 『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁
裁判要旨
  1. 死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない
  2. 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。
第二小法廷
裁判長 古田佑紀
陪席裁判官 津野修今井功中川了滋
意見
多数意見 全員一致
意見 なし
反対意見 なし
参照法条
逮捕・監禁強姦殺人
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三島女子短大生焼殺事件(みしま じょしたんだいせい しょうさつじけん)とは、2002年平成14年)1月22日深夜、静岡県三島市川原ケ谷の山中を通る市道路肩で、当時19歳の女子短大生が、生きたまま灯油をかけられ、焼き殺された殺人事件[新聞 1][新聞 2][新聞 21]

加害者の男H(犯行当時29歳、逮捕当時30歳)は、帰宅途中の被害者女子短大生を拉致・強姦した上、「覚醒剤を打つのに邪魔になった」という理由で焼き殺した[判決文 1]

最高裁判所から1983年、永山則夫連続射殺事件の上告審判決において、死刑適用基準を示した傍論「永山基準」が示されて以降では、殺害された被害者数が1人で、経済的利欲目的でない殺人事件において、殺人で服役した前科のなかった被告人に対し、刑事裁判死刑判決が言い渡され[新聞 16][新聞 17][新聞 18]、最高裁でその死刑判決が支持されて確定した[新聞 19][新聞 20]、極めて特異な事例だった[新聞 19]

元死刑囚H

本事件の加害者である男Hは1972年昭和47年)2月21日[書籍 1]、4人兄弟の第三子(次男)として誕生した[判決文 1]本籍北海道上川郡上川町[新聞 12]、逮捕当時は三島市若松町在住[新聞 3][新聞 12]

事件の14年前(1988年)、父母ら家族とともに、三島市若松町内に移住したが、H自身は、仕事・婚姻などの理由で、三島市・沼津市内などを転々としていた[新聞 12]

2012年(平成24年)8月3日、死刑囚として収監されていた東京拘置所で、死刑が執行された(40歳没)[書籍 1][新聞 9][新聞 10][法務省 1]

生い立ち

静岡県三島市内の小中学校で学んだHは、中学3年生の時、窃盗非行で初等少年院に送致された[判決文 1]

1977年(昭和52年)から1989年(昭和64年・平成元年)頃にかけ、Hは後述の拉致現場となった三島市青木からそれぞれ約500m以内にある、三島市南二日町・三島市富田町で生活していたことがあった[新聞 23]

仮退院後、Hは鉄筋工などとして働いたが、17歳の時には再び窃盗などの非行で中等少年院に送致された[判決文 1]

少年院退院後の前歴

中等少年院を仮退院後、Hは姉が居住する沖縄県内に移り住み、工員として約1年間働いた[判決文 1]

その後、三島市に戻り、スナックバー従業員や土木作業員として働いたが、窃盗の非行で保護観察処分を受けた[判決文 1]

当時20歳だった1992年(平成4年)8月、Hは中学時代の同級生女性と結婚し、2児を儲けた[判決文 1]

しかし1992年12月、覚せい剤取締法違反、道路交通法違反の罪で、懲役1年6月、執行猶予4年(保護観察付)の有罪判決を受けた[判決文 1]

Hは、1995年2月7日午後6時30分頃、自宅近くの三島市若松町で、駐車場に停車してあった同県富士市在住の会社員の乗用車内から、書類などが入っていたハンドバッグ(8000円相当)を盗む車上荒らし事件を起こした[新聞 24]静岡県警察沼津警察署は現場周辺で聞き込み捜査を続け、Hの犯行と断定した[新聞 24]

1995年4月8日、強盗致傷事件で懲役4年6月の前科

前述の執行猶予期間中の[判決文 1]1995年(平成7年)4月8日午後10時40分頃[新聞 25][新聞 26]、当時23歳だったHは、当時21歳の男(田方郡函南町生まれ、住所不定無職)と共謀した[新聞 25][新聞 27][新聞 26]

その上で、JR三島駅北口から約300mの駿東郡長泉町下土狩の路上で、自転車に乗って帰宅途中だった[新聞 26]、同町在住の地方公務員男性(当時22歳)を[新聞 28][新聞 27]、目前に乗用車を急停車させた上で、「金を出せ」などと脅した[新聞 28][新聞 26]

そして、共犯の男が木刀[新聞 26]、抵抗した男性の頭を殴り、男性に全治2週間の怪我を負わせた[新聞 28][新聞 26][新聞 26]

その上でHは共犯の男とともに、抵抗した被害者男性から[新聞 25]、ポケットに入っていた財布[新聞 28]、現金約5000円入りのリュックサック1個(6500円相当)などを奪った[新聞 25]

この事件で被害に遭った男性が静岡県警沼津署に通報したため、同署は本事件を強盗致傷事件と断定して捜査を開始、逃走した若い男2人の行方を追った[新聞 28]

1995年4月24日、前述の車上荒らし事件を捜査していた沼津署は、被疑者Hを窃盗容疑で逮捕した[新聞 24]。しかしこの時点では強盗致傷事件については立件されなかった。

この強盗致傷事件により、Hは共犯者とともに、この事件の被疑者として、1995年5月22日までに、静岡県警沼津署に強盗致傷容疑で逮捕された[新聞 25][新聞 27]

被疑者Hは、1995年6月12日付で、静岡地方検察庁沼津支部から、この強盗致傷罪で、静岡地方裁判所沼津支部に起訴された[新聞 26]。同事件の共犯者の男も、Hに先立つ同年6月9日付で、静岡地裁沼津支部に起訴された[新聞 29]

強盗致傷、恐喝、窃盗の罪で起訴された被告人Hは[判決文 1]、1995年7月27日、静岡地裁沼津支部(東原清彦裁判長)にて開かれた初公判で、共犯の男とともに起訴事実を全面的に認めた[新聞 30]。その後、Hら被告人2人はともに、検察側から懲役7年を求刑された[新聞 31]

1995年10月26日、静岡地裁沼津支部(東原清彦裁判長)にて、被告人Hは懲役4年6月の実刑判決を受けた[新聞 31]。同日、共犯の男は懲役4年の実刑判決を受けた[新聞 31]

これによりHは、前述の執行猶予も取り消され、併せて刑の執行を受けた後2001年(平成13年)4月、仮釈放された[判決文 1]。その服役期間中、1999年(平成11年)1月には、妻と離婚した[判決文 1]

2001年4月、仮釈放後

Hは仮釈放後、配送会社で働くなどしたが、2001年7月頃からは、離婚した元妻との関係を修復し、沼津市内の元妻宅で同居していた[判決文 1]

その上で、2001年10月頃からは、以前働いたことのある三島市内の建設会社で、土木作業員として働いていた[判決文 1]

事件の経緯

事件発生まで

2002年1月22日、Hは仕事を終えた後、会社の同僚らと三島市内の居酒屋で飲食し、乗用車を運転して帰宅していた[判決文 1]

Hはその途中、従業員の集合場所に、自分の弁当箱を忘れてきたことに気付いたため、弁当箱を取りに戻ろうと、同市内の国道136号を南に向かって走行していた[判決文 1]

Hは、同日午後11時頃、三島市青木の、国道136号沿いの路上で[新聞 3]、同じ方向を自転車に乗って走行していた女性を見つけ、女性に近づき、車の中から声を掛けた[判決文 1]

この女性が、本事件の被害者であり、当時神奈川県秦野市上智短期大学1年生で[新聞 32]東海道新幹線通学していた、同市内在住の短大1年生の19歳女性だった[新聞 7][新聞 8][新聞 32]

女性は、午後10時50分頃、アルバイト先のJR三島駅前の居酒屋を出て[新聞 8]、自転車で帰宅する途中だった[新聞 8][判決文 1]

被害者を拉致・強姦

Hは、女子短大生から全く相手にされなかったが、この女性を「若くてかわいい」と思ったことから、何とか関係を持ちたいと考えた[判決文 1]

そのため、先回りして車を降り、女子短大生の前に立ち塞がり、自転車を止めさせた[判決文 1]。そして、その前輪を跨ぎ、前籠に両肘をつくなどして、年齢・氏名・学校などを尋ねた[判決文 1]

その上でHは、女子短大生の方に腕を回し、背中を押して自転車ごと、近くに停めてあった自車の側まで連れて行った[判決文 1]。そして、再び自転車の前輪をまたぎ、執拗に女子短大生を誘ったが、女子短大生が自転車共々倒れ込んだ[判決文 1]

女子短大生はその後、大声を上げて起き上がり、Hから逃げ出そうとした[判決文 1]

Hは、女性を引き倒したが、女性は手を振り回すなどして抵抗し、悲鳴を上げた[判決文 1]。そのため、Hは女性を強姦することを決意し、女性の頭部を右脇に抱え込みながら、口を手で塞いで「静かにしろ」と脅した[判決文 1]

その上で、チャイルドロックが設定された、自車後部座席に女性を素早く押し込み、そのまま自車を発進させ、同県田方郡函南町軽井沢字立洞地内まで車を走らせ、女性を拉致した[判決文 1]

その間、恐怖する女性に対し、Hは「俺の顔見ただろう。警察にチクるなよ。ぶっ殺すぞ」などと脅迫し、午後11時40分頃、車内で女性を強姦した[判決文 1]

被害者を殺害することを決意するまで

Hはその後、強姦されたことで憔悴し、服を着るのが精一杯で、声を出す気力もないほどだった女子短大生を、車内に監禁したまま、再び三島市内まで戻った[判決文 1]

Hは当初、街中の人気のない場所で被害者を解放しようと、適当な場所を探して走り回っていたが、覚醒剤仲間から「注射器を持って来てほしい」との電話が入ったことから、自分も覚醒剤を打ちたくなった[判決文 1]

そして、「被害者の解放場所を早く見つけなければならない」と考え、焦る一方で、「被害者を解放すれば、警察に通報され、刑務所に戻ることになる」と不安を募らせた[判決文 1]

そのため、Hは、被害者を殺害することを考えついた[判決文 1]

Hは当初、殺害方法として、犯行が発覚しないように、被害者を山に埋めるか、海や川に沈めるなどして殺害・遺棄することを考えた[判決文 1]

しかし、適当な場所が思い浮かばないまま、被害者を閉じ込めた車を走らせ、覚醒剤仲間から依頼された注射器を取りに、三島市若松町の実家に立ち寄った[判決文 1]

Hはその際、玄関先に置かれていた灯油入りのポリタンクを目にしたため、被害者に灯油をかけて焼き殺すことを思いついた[判決文 1]

被害者を殺害

Hはすぐに、前述のポリタンクを持ち出し、車に積み込み、人気のない場所を求め、車で走り回った[判決文 1]

Hは、日付が変わった2002年1月23日午前2時頃、三島市川原ケ谷字山田山地内の[判決文 1]、三島市道山田31号道路拡幅工事現場に到着した[判決文 1][新聞 33][新聞 34]

現場は、「三島ジャンボゴルフセンター」に沿って走る[新聞 4]、ゴルフ場北側の[新聞 5]、三島市の山中を抜ける市道の路肩で[新聞 1][新聞 6][新聞 5]、峠にあるゴルフ練習場から、約100m下った先だった[新聞 6]

また、当時は市道を拡幅する工事をしていたため、道路の一部は未舗装だった[新聞 35][新聞 36][新聞 6]。現場周辺には、民家はなく、夜に出歩く人もほとんどいなかったが、三島市から御殿場市裾野市方面への抜け道になっていたため、昼夜ともに車の通りが絶えない場所だった[新聞 6]

そこに車を停めたHは、被害者が逃げ出したり、声を上げたりしないように、被害者の両手首付近を着衣の上からガムテープを巻き付け、後ろ手に縛った[判決文 1]

その上で、口にガムテープを張り付けて塞ぎ、殺害の準備を整えた[判決文 1]

そして、被害者の腕を引っ張って降ろし、その背中を押して歩かせ、未舗装の道路に座らせた[判決文 1]

Hは、被害者に対し、ポリタンクの灯油を、頭から全身に浴びせかけ、「火、点けちゃうぞ」などと脅した[判決文 1]

しかし、被害者が身動きせず、声も上げなかったことから、Hは、「警察に通報しようと考えているのではないか」と、一層不安に駆られた[判決文 1]

そのためHは、「早く被害者を始末して覚醒剤仲間のところに向かい、自分も覚醒剤を打ちたい」と思う一方、「これだけ脅せば、解放しても被害者は警察に通報しないのではないか」とも考え、いったんは殺害を迷った[判決文 1]

しかし、Hは結局、刑務所に逆戻りすることを恐れ、改めて被害者を殺害することを決断した[判決文 1]

そのためHは、灯油のかかった被害者の後頭部の髪の毛に、ライターで点火し、炎が燃え広がっていく様子を確認した上、車に乗り、その場から逃走した[判決文 1]

火を点けられた被害者は火だるまとなり、数m離れたコンクリートブロックの間に倒れ込んで息絶えた[判決文 1]

Hは犯行後、証拠を隠滅するため[新聞 37]、被害者の自転車を、沼津市の狩野川河口付近に架かる「港大橋」から、狩野川に投げ捨てた[新聞 38]

また、自転車を処分した前後に[新聞 37]、携帯電話・財布など、被害者の所持品は、沼津市内のコンビニエンスストアのごみ箱に捨てたり、友人宅で燃やすなどして、証拠隠滅を図っていた[新聞 37][新聞 13]

捜査

2002年1月23日、事件発覚

Hが被害者を殺害してから約30分後の[判決文 1]、2002年1月23日午前2時35分頃[新聞 1]、現場付近を自動車で通りかかった通行人が[判決文 1] [新聞 1]、黒い塊から炎が上がり[新聞 21][判決文 1]、衣類などが地面に残されているのを発見した[新聞 21][新聞 22]

通行人は炎に近づくと、強い異臭がし、炎の中に足が見え、それが人であることを悟ったため、静岡県警察三島警察署110番通報した[新聞 1][新聞 21][新聞 22][判決文 1]

通報を受け、駆け付けた三島署員は、運動靴を履いた、身長155cm - 160cmの、若い女性とみられる焼死体を発見した[新聞 1][新聞 1][新聞 21][新聞 22][新聞 39][新聞 40][新聞 41]

三島署員が駆け付けた際、遺体発見現場の近くには、被害者が着ていたとみられる、茶色のフード付きジャンパーがあった[新聞 1][新聞 21]

また、被害者の遺体は髪が焼け焦げ、体の表面全体が着衣とともに炭化し、身を屈めるようにして横たわっていた[判決文 1]

静岡県警は当初、自殺・事件の両面で調べたが[新聞 21]、静岡県警捜査一課・三島署はその後、以下のように不審な点が見られることから、「殺人事件の可能性が高い」と断定し、捜査本部を設置の上、捜査を開始した[新聞 1][新聞 2][新聞 7][新聞 8]

  • 遺体の口元に粘着テープが残っていたり[新聞 42]、遺体の腕が粘着テープで後ろ手に縛られているなど、遺体に不審な点が見られる[新聞 1]
  • 女性が生前、着ていたとみられる、茶色のフード付きジャンパーの袖にも[新聞 33][新聞 22][新聞 42]、粘着テープが巻かれ、灯油の容器や着火装置も見つからなかった[新聞 33]
  • 焼け残った皮膚に生活反応がある[新聞 33]

静岡県警捜査本部が、浜松医科大学司法解剖した結果[新聞 2][新聞 22]、遺体は中肉体形の、髪を茶色に染めた、10歳代から20歳代の若い女性で[新聞 2][新聞 33]血液型はA型と判明した[新聞 2][新聞 33][新聞 22]

女子短大生の両親は、同日午後、「子供が前夜から帰宅せず、連絡が取れない」と、捜査本部に連絡した[新聞 32]

遺体発見現場の市道は[新聞 33]、JR三島駅から北東約4km離れた、箱根の山林内を抜ける道路で[新聞 22]、夜間はほとんど一通りがなく、事件の2年前(1999年及び2000年)にも、現場周辺で女性の死体遺棄事件があったため、現場周辺の住民の間には衝撃が走った[新聞 33]

2002年1月24日、被害者女子短大生の身元確認

2002年1月24日、遺体の身元は女子短大生と判明した[新聞 43][新聞 44][新聞 42][新聞 7][新聞 8][新聞 32]

遺体の指紋が、女子短大生の学用品に残されたものと一致したことに加え[新聞 32]、遺体の歯の治療痕も、女子短大生のものと一致した[新聞 22]

また、前述のように、女子短大生の両親から、捜査本部に連絡があったことも、身元確認の決め手となった[新聞 32]

捜査本部は、女性がアルバイト先の居酒屋から、自転車で帰宅する途中、何者かに襲われ、粘着テープで縛られ、現場まで拉致されたとみて、遺体で発見されるまでの約3時間半の足取りを追った[新聞 7][新聞 8]

2002年1月25日、Hが当て逃げ事故を起こす

Hは、事件2日後の2002年1月25日夜、函南町塚本の国道136号で、犯行に使ったステーションワゴンを無免許運転していた[新聞 45]

その際、Uターンしようとして、前から来た乗用車に接触し、運転していた男性と、同乗の女性の首に、それぞれ全治2週間の怪我を負わせ、そのまま逃走する、当て逃げ事故を起こした[新聞 45][新聞 46]

三島署はこの事故について、目撃されたナンバープレートから、Hの身元を特定した[新聞 45]

Hは、約1か月後の2002年2月28日、車検証を持って三島署に出頭し、ナンバープレートも後日提出した[新聞 47]。同日、Hは、道路交通法違反(ひき逃げ)[新聞 45][新聞 46]業務上過失傷害の各容疑で[新聞 45]、三島署に逮捕された[新聞 45][新聞 48][新聞 46][新聞 49]

Hは、取り調べに対し、車については「処分した」と供述したが、具体的な処分方法については、取り調べを拒否したり、曖昧な供述をするなどして明かさなかった[新聞 47]。このため、車の処分方法が解明されないまま、ひき逃げ事件の公判が開かれる異例の事態になった[新聞 47]

Hはその後、静岡地方裁判所沼津支部で受けた[新聞 12]、懲役1年6月の有罪判決が、2002年4月16日付で確定したため[新聞 12]、本事件で逮捕される直前まで、静岡刑務所沼津拘置支所に服役していた[新聞 3][新聞 48][新聞 46]

2002年2月23日まで、事件発覚から1カ月間の捜査

女子短大生が乗っていた、婦人用の自転車は、現場から見つからなかった[新聞 8][新聞 50]

また、女子短大生の携帯電話・財布・バッグなどの所持品もすべて無くなっていた[新聞 51][新聞 52]。そして、女子短大生の携帯電話は、かけても通話できない状態だった[新聞 50]

このことから捜査本部は、女子短大生の携帯電話などについて、犯人が持ち去った可能性もあるとみて[新聞 51]、現場周辺[新聞 50]・JR三島駅前のアルバイト先と、女子短大生宅を結ぶ約4kmのルートなどを、それぞれ捜索するなどして[新聞 52]、捜査を続けるとともに、携帯電話の通話記録を調べた[新聞 51]

その後、2002年1月26日には、捜査の結果、女子短大生の携帯電話は、事件当日の2002年1月23日午前0時30分頃、帰宅が遅いことを心配した両親が、電話してもつながらず、この頃には既に通話不能になっていたことが判明した[新聞 52]

女子短大生は、アルバイトが終わると、普段は携帯電話で自宅に「これから帰る」と、帰宅予定を告げる電話連絡をしていたが、失踪した日の夜は、その連絡がなかったことも、2002年1月27日に判明した[新聞 53]

このことから捜査本部は、女子短大生がアルバイト先を出た直後、事件に巻き込まれたとみて、足取りを調べるとともに、自転車・携帯電話など、遺留品の発見に全力を挙げた[新聞 53]

2002年1月28日、捜査本部は、所在不明となった自転車の特徴を、以下のように発表した[新聞 54]

また、捜査本部は、犯行に使われた灯油と、市内のガソリンスタンドなどで売られている灯油を分析し、購入先の特定を進めた[新聞 55]

捜査の難航

事件発生から1か月になる2002年2月23日までに、捜査本部の調べの結果、被害者がアルバイト先を出た直後の、2002年1月22日午後11時過ぎ、国道136号沿いの三島市青木の住民が、女性の悲鳴を聞いていたことが判明した[新聞 56]

それまでの調べでも、被害者宅から約1km離れた、国道136号沿いのガソリンスタンドでは、2002年1月22日夕方、防犯カメラに、アルバイト先に通勤中の被害者の姿が映っていた[新聞 56]

そのため、捜査本部は、被害者は帰り道も同じ道を通った可能性が高いとみて、136号沿いを中心に目撃情報がないか聞き込み捜査を続けた[新聞 56]

また、事件現場から検出された灯油を分析した結果、三島市内のガソリンスタンド2軒で販売されていた灯油と、成分が似ていることが判明したが、販売元は特定できなかった[新聞 56]

被害者の携帯電話には、友人・家族以外の不審な通話記録は残っておらず、被害者と事件の接点は、まったく見えなかった[新聞 56]

事件現場は、粗大ごみ不法投棄が問題となっていた箱根山系西麓にあるため、三島市が2002年6月1日に実施した、ごみの一斉回収に伴い、三島署は事件の遺留品の捜索協力を、三島市に要請した[新聞 57]。地元住民や市職員ら計約1000人が参加し、市内8か所で午前9時から約2時間行われた作業では、テレビジョン6台、冷蔵庫4台、洗濯機1台など計7t余りの粗大ごみが回収されたが、遺留品は発見されなかった[新聞 57]

2002年7月23日、事件発生から半年。静岡県警三島署捜査本部、被疑者Hを逮捕監禁・強盗容疑で逮捕

2002年7月23日、事件発生から半年を迎えた[新聞 58]。しかし、それまでの捜査では、被害者周辺に目立ったトラブルは見当たらず、携帯電話にも不審な通話記録はなかった[新聞 58]

そのため捜査本部は、通り魔的犯行の可能性を視野に、捜査を進めていた[新聞 58]

前日(2002年7月22日)付『静岡新聞』朝刊記事や[新聞 59]、同日付『読売新聞』朝刊記事では、捜査が難航していたかのように報道されていた[新聞 58]

しかし同日までに、捜査本部が不審者の割り出しを進めたところ[新聞 48][新聞 60]、男H(当時30歳、三島市内の建設作業員)が、捜査線上に浮上していた[新聞 61][新聞 62][新聞 48]

Hは、夜間に市内を車で走り回ることが多く[新聞 60]、事件2日後に当て逃げ事故を起こし、有罪判決が確定したため、刑務所に服役していた[新聞 61]

HのDNA型を、捜査本部が鑑定したところ、現場の遺留物と一致したことから[新聞 48][新聞 46]、捜査本部は同日午前、Hを重要参考人として、任意の事情聴取を開始した[新聞 48][新聞 46]

Hは、当初は容疑を否認したが、その一方で、「事件の夜、被害者とコンビニエンスストアで会った」などと供述した[新聞 60][新聞 23]

このことから、捜査本部は同日、逮捕・監禁強盗などの容疑で、被疑者Hを逮捕し、同時に殺人容疑での追及を開始した[新聞 3][新聞 11][新聞 12][新聞 60][新聞 63]

  • 逮捕監禁容疑 - 2002年1月22日午後11時頃、三島市青木の国道136号沿いの路上で、自転車で帰宅途中の被害者を自車に押し込めて監禁し、翌23日午前2時半頃まで、同市内周辺を車で連れ回した容疑[新聞 60]
  • 強盗容疑 - 被害者から現金約1万円入りの財布・携帯電話を奪うなどした容疑[新聞 60]

2002年7月24日

逮捕された被疑者H、事件後に車を処分した疑いが浮上

2002年7月24日、捜査本部の取り調べにより、Hが事件後、被害者を拉致するのに使った車(スバル製・1990年式の黒いステーションワゴン車検切れ)を、証拠隠滅のため処分した疑いが判明した[新聞 64]

H宅の大家の男性は、『読売新聞』の取材に対し、「本年1月、Hが『車を買い替える』と言って、車庫証明を求めて訪れた。今思えば、これは事件に関係していたかもしれない」と語った[新聞 60]

また、Hは当て逃げ事故の公判でも、車の所在については「処分した」としか話していなかった[新聞 64]

捜査本部は、この車に証拠が残っている可能性が高いとみて、発見を急いだ[新聞 64]

逮捕された被疑者H、逮捕・監禁容疑を認める

Hは逮捕直後、逮捕・監禁、強盗などの各容疑を、すべて否認していたが、同日になって、逮捕・監禁容疑を認める供述を始めた[新聞 65]

しかし、その供述の内容には、あいまいな点が多かった上、強盗などの容疑は、依然として否認し続けていた[新聞 65]

2002年7月25日

被疑者Hを静岡地検沼津支部に送検

2002年7月25日、捜査本部は被疑者Hを、逮捕・監禁容疑などで、静岡地方検察庁沼津支部に送検した[新聞 66][新聞 67][新聞 65]

犯行に使われた車が解体されたことが判明

所在不明になっていた、被疑者Hの黒いステーションワゴンは[新聞 47]、ひき逃げ事件後の2002年1月末から、同年2月下旬までの間に[新聞 47]、函南町内の自動車解体工場で解体処分されていたことが、同日までに判明した[新聞 47][新聞 68][新聞 65]

車体はその後、沼津市内のスクラップ工場で圧砕処理の後[新聞 47][新聞 68]愛知県岡崎市内の製鋼工場に運ばれ、破砕・製鋼された[新聞 68]

また、車のエンジンも、同年2月下旬頃、長泉町内の製鋼工場で、溶解処理された[新聞 68]

2002年7月28日

被疑者H、殺害現場にいたことを認める

被疑者Hは、2002年7月28日までに、共犯者の存在を仄めかした上で、「被害者が殺害された当時、殺害現場にいた」と認める供述をした[新聞 36]

しかし、その一方で、自身が殺害に関与した疑いについては、依然として否認し続けた[新聞 36]

捜査本部は、供述に曖昧な点が多いことから、共犯者の有無などについて、慎重に調べた[新聞 36]

犯行に使われた車のタイヤを押収

捜査本部は同日までに、Hが犯行に使用した車のタイヤを、産業廃棄物処理業者から押収した[新聞 35][新聞 36]

三島市川原ケ谷の殺害現場は、事件当時、道路の一部が未舗装だった[新聞 35][新聞 36]。このことから捜査本部は、このタイヤを、「車の走行ルート・犯行を裏付ける重要な手掛かり」として[新聞 35]、現場付近に残されたタイヤ痕を、タイヤと照合するなどして、裏付け捜査を急いだ[新聞 35][新聞 36]

2002年7月30日

被疑者Hが殺害を認める供述

Hは逮捕当初から、事件当夜に被害者に会ったことは認めたが、殺害については「一緒にいた外国人がやった」などと供述して否認していた[新聞 69]

しかし、2002年7月30日までに[新聞 70]、Hは一転して、「被害者に灯油をかけて焼いた」[新聞 69]、「灯油は家にあったものを使った」などと[新聞 71]、殺害を認める供述を始めた[新聞 70][新聞 69][新聞 72]

捜査本部は同日までに、被害者が殺害された際、後ろ手に縛られたり、口をふさがれたりした際に使われていたものと同型の、使い掛けの紙製粘着テープを押収した[新聞 70]。これは、Hがひき逃げ事件を起こし、車を処分した際、知人に処理を託された、車内の荷物の中に含まれていた[新聞 70]

仮にHが、被害者の殺害に関与していた場合、このテープが決定的な物証になる可能性が高まった[新聞 70]。そのため捜査本部は、テープに残った指紋・テープの切り口などについて、慎重に調べを進めた[新聞 70]

被害者の自転車を狩野川底から発見

同日、「被害者の自転車は狩野川に捨てた」という、Hの供述を受け、捜査本部は、機動隊のダイバー15人を投入し、沼津市の狩野川河口付近に架かる「港大橋」付近を捜索した[新聞 73][新聞 69]

その結果、捜索開始から約2時間後の午後2時55分頃[新聞 73]、水深約1.6mの[新聞 69]、橋下流の川底で[新聞 73]、婦人用の自転車が、泥に埋まっているのが発見された[新聞 73][新聞 69]

車体番号・防犯登録番号・被害者の卒業した高校のステッカーなどに加え、前輪泥除けに書かれた被害者の氏名・住所などから[新聞 73]、捜査本部は自転車を、所在不明だった被害者のものと断定した[新聞 69]

また、捜査本部は同日までに、関係先から粘着テープを押収していたことから、この粘着テープをHが、被害者を拘束するのに使ったとみて、分析を進めた[新聞 69]

2002年7月31日

被疑者H宅から灯油タンクを押収

捜査本部は2002年7月31日までに、被疑者H宅から、犯行に使われたとみられるプラスチック製の灯油タンクを押収した[新聞 74][新聞 71]

捜査本部は、事件に関わる重要な物証とみて、タンクに残った灯油と、事件現場から採取した灯油の成分の、比較を進めたり[新聞 71]、タンクに付着した指紋を鑑定するなど、地道な鑑識活動により、裏付け捜査を進めた[新聞 74]

Hはこの頃、捜査本部の取り調べに対し、被害者にまだ息があったことを知りながら焼き殺したことを認めた[新聞 71]。しかし、犯行の動機や状況については、なお不自然な供述も多かったため、捜査本部が追及を進めた[新聞 71]

2002年8月2日

被疑者H、殺害について具体的な供述

2002年8月2日までの取り調べに対し、Hは「顔を見られたので、灯油をかけライターで火をつけて殺した」と、殺害について、動機を含めた具体的な供述をした[新聞 75]

静岡地検沼津支部、被疑者Hの勾留延長を申請

静岡地検沼津支部は同日、勾留期限を迎える被疑者Hについて、「現段階では調べが不十分だ」として、2002年8月13日まで、10日間の拘置延長を、静岡地方裁判所沼津支部に請求した[新聞 76]。同日、静岡地裁沼津支部は、この請求を許可する決定をした[新聞 76][新聞 77]

2002年8月13日、三島署捜査本部、被疑者Hを殺人容疑で再逮捕

被疑者Hは、2002年8月になって、「顔を見られたので殺した。犯行に使った灯油は、被害者を車に乗せたまま、いったん家に取りに帰った」など、具体的な供述をし、殺人についても容疑を認めた[新聞 78][新聞 79]

そのため捜査本部は、2002年8月13日、被疑者Hを、殺人容疑で再逮捕した[新聞 80][新聞 81][新聞 82]

事件発生から約200日余りとなるこの日までに、捜査本部は延べ1万人余りの捜査員を、捜査に投入した[新聞 83]

殺人容疑での再逮捕以降

狩野川で発見された被害者の自転車や、失われた被害者の携帯電話など、被害者の所持品について、Hは「犯行後、拉致現場に自転車を取りに戻り、1月23日の夜に橋の上から投げ捨てた」、「携帯電話などは犯行後に焼いて処分した」など、証拠隠滅の手段について、具体的に供述した[新聞 82]

捜査本部は2002年8月15日、被疑者Hを殺人容疑で、静岡地検沼津支部に追送検した[新聞 84][新聞 85]

2002年9月3日、静岡地検沼津支部、被疑者Hを殺人罪などで静岡地裁沼津支部に起訴

静岡地方検察庁沼津支部は、2002年9月3日、被疑者Hを、殺人、逮捕・監禁などの罪状で、静岡地方裁判所沼津支部に起訴した[新聞 86][新聞 37][新聞 13]

それまでの取り調べに対し、被告人Hは、「たまたま出会った被害者をわいせつ目的で呼び止めて、無理矢理車の後部座席に押し込み、『俺の顔を見ただろう。警察に言うと殺すぞ』などと脅迫した。その上で、身元を隠すため、被害者を焼き殺した」など、殺害について詳細に供述した[新聞 13]。また、殺害直前に、被害者の手・口を粘着テープで縛ったことも認めた[新聞 13]

また、Hは全面的に犯行を認め、「申し訳ないことをした」と、反省の言葉を漏らした[新聞 37]

また、被告人Hは、狩野川に自転車を捨てた他、

一方で、被告人Hは、事件があった時期に、覚醒剤を使用していたことを認めた[新聞 87]。しかし、物証が得られなかったため、覚せい剤取締法違反での立件は見送られた[新聞 87]

また、当初の逮捕容疑の1つだった強盗容疑についても、不起訴処分となった[新聞 86]

刑事裁判

第一審・静岡地裁沼津支部

静岡地方裁判所沼津支部は、2002年9月27日付で、初公判開廷期日を、2002年11月12日午後1時10分に指定した[新聞 88]

その上で、同日午前、静岡県弁護士会に対し、国選弁護人の選任を依頼した[新聞 88]

2002年11月12日、第1回公判、検察側冒頭陳述・被告人罪状認否

2002年11月12日、静岡地方裁判所沼津支部(高橋祥子裁判長)で、被告人Hの初公判が開かれた[新聞 89][新聞 90][新聞 91][新聞 92][新聞 93][新聞 94]

検察側は冒頭陳述で、以下のように主張した。

  • 被告人Hは、職場に忘れ物を取りに戻る途中、アルバイト先から自転車で帰宅途中の被害者を、路上でたまたま見かけた[新聞 93]
  • 被害者に声を掛けたが、無視されたため、待ち伏せして強引に車に押し込み、強姦しようと企てた[新聞 91]
  • 被害者が通り過ぎると、車で先回りして、三島市青木の国道沿い駐車場で待ち伏せた[新聞 93]。その上で再度、声を掛けたが、断られたため、被害者を無理矢理車の後部座席に押し入れ、チャイルドロックをかけて監禁し、自転車を人目に付かない駐車場に投げ込んだ[新聞 93]
  • 監禁後、一時は被害者を解放することも考えたが[新聞 93]、覚醒剤を所持している知人から、携帯電話で「注射器を持ってきてくれ」と依頼されたことで、心情が変化した[新聞 93]。「注射器と引き換えに覚醒剤をもらおう」と考え、「覚醒剤を早く注射したい」と焦り始めた[新聞 91][新聞 93]。そして、「帰したら警察に通報され、刑務所に逆戻りする」という不安から、短絡的な凶行に及んだ[新聞 91][新聞 93]
  • 実家に隠していた注射器を取り、いったん帰宅したところで、玄関先の灯油入りタンクに気付き、「火を付けて殺せば身元不明の焼死体になる」と思い付いた[新聞 91]

その上で検察側は、「被告人Hが犯行後、友人宅で覚醒剤を使用した」ことや、「事件2日後に起こしたひき逃げ事件でも、運転中、覚醒剤による幻覚症状が出ていた」ことを明らかにした[新聞 91]

弁護人側は、「証拠が膨大で十分検討していない」として、証拠採用についての意見を留保した[新聞 91]

罪状認否で、被告人Hは、起訴事実を大筋で認めたが[新聞 89][新聞 93]、車への監禁について、高橋裁判長から「車に乗せる時点では、強姦する気持ちはなかったのか」と確認されると、「全くありません」と強い口調で答え、強姦目的の拉致を否認した[新聞 91]

2003年1月24日、第2回公判、証拠調べ

事件発生から1年となる2003年(平成15年)1月24日、第2回公判が開かれた[新聞 95][新聞 96]

同日、検察側は、証拠採用された被害者遺族(被害者の両親)らの調書を朗読した[新聞 95][新聞 96]

父親の調書は、「あの日、あの子に一体何が起きたのか。なんであんなむごい殺され方をしなければならなかったのか。犯人の口から聞きたい。明るくて優しい自慢の娘でした」などの内容だった[新聞 95][新聞 96]

母親の調書も、変わり果てた娘の遺体に対面した悲しみなどを訴えるものだった[新聞 95][新聞 96]

2003年2月20日、第3回公判、弁護人側陳述

2003年2月20日、第3回公判が開かれた[新聞 97][新聞 98]

同日、弁護人側の陳述が行われた[新聞 97][新聞 98]

弁護人側は、被告人Hが、被害者を車で連れ回してから、殺害するまでの経路について、検察側の主張との違いを指摘した[新聞 97]

弁護人は、「Hは、三島市長伏で、被害者の適当な解放場所を探していたが、被害者が車から突然飛び降り、逃げようとしたため、再び車に連れ戻した。この間に、覚醒剤を自分で2度使用した」と主張した[新聞 97]

また、殺害時の状況については、「灯油をかけたときは、(検察側主張と異なり)、被害者は気を失った状態で、正座をさせていたわけではない」などと主張した[新聞 98]

2003年3月20日、第4回公判、被告人質問

2003年3月20日、第4回公判が開かれ、被告人質問が行われた[新聞 99][新聞 100]

被告人Hは、犯行後、覚醒剤を使用していたことを認めた[新聞 100]

また、被告人Hは、弁護人の被告人質問に対し、殺害の際に使用した、灯油入りポリタンクを持ち出した段階での心情について、「漠然と(短大生が)いなくなればいいと思った」、「(殺害しようという)明確な意識はなかった。脅すつもりというのもあった」と説明した[新聞 99]。その上で、犯行を認めた理由について、Hは「被害者に対して申し訳ないと思った」と話した[新聞 99]

さらに、被告人Hは、「被害者が三島市内で、一度車から飛び降りて逃げようとしたが、再び車に連れ戻した」と述べた[新聞 100]

この事実を隠していた点について、Hは「罪が重くなると思って言わなかった」と話した[新聞 100]

2003年7月10日、第7回公判、検察側証人尋問

2003年7月10日、第7回公判が開かれた[新聞 101]

同日、検察側が、被害者女子短大生の両親に対し、証人尋問を行った[新聞 101]

証人出廷した被害者の父親は、事件後の生活について、「家の中が暗くなった。(以前のように)うなされることはなくなったが、たまに(亡くなった娘が)夢に出てくる。仕事中に事件を思い出し、娘の名前を叫ぶこともある」と述べ、極刑を望んだ[新聞 101]

また、事件当夜、短大生を探しに行った近辺で、短大生が車に押し込められたことなどについて、検察側に尋ねられると、父親は涙ぐみ、声を出せなかった[新聞 101]

被害者の母親は、「Hは、最初に娘に声を掛け、断られた時、なぜ放っておいてくれなかったのか」と訴えた[新聞 101]。その上で、「できることなら娘を返してほしい」と証言し、夫と同様、極刑を望んだ[新聞 101]

2003年8月26日、第8回公判、検察側・弁護人側がそれぞれ証人尋問

2003年8月26日、第8回公判が開かれた[新聞 102]

検察側は、被害者女子短大生の姉を、弁護人側は、被告人Hの父親を、それぞれ証人として召喚し、証人尋問を行った[新聞 102]

被害者の姉は、生前の妹との思い出を語り、「(生前は)妹との思い出を振り返ることはなかったが、『今生きていたら、何をしていたんだろう』と、よく考えるようになった」と語った[新聞 102]

その上で、「もともと(事件前には)、家には仏壇がなかったのに、線香や花の匂いがして、(妹が)死んでしまったことを実感させられる」と、自宅の様子を証言した[新聞 102]

そして、「私たち家族全員が(被告人Hを)許せないと思っている」として、前回公判で証言した両親同様、極刑を求めた[新聞 102]

弁護人側の証人尋問では、Hの父親が、息子の生い立ちを振り返った[新聞 102]

その上で、Hの父親は、「確かに息子のやったことは、取り返しのつかない、社会的にもどうしようもないことだ。しかし、どういう判決が下されても、息子には生きていてほしい」と述べ、死刑回避を訴えた[新聞 102]

2003年10月9日、論告求刑公判、検察側が死刑求刑

2003年10月9日、論告求刑公判が開かれ、検察側は被告人Hに対し、死刑求刑した[新聞 103][新聞 104][新聞 38][新聞 105]

検察側は、論告で「人間性のかけらも認められない非道、残虐な犯行で、到底許すことなどできず、無惨な死を遂げた被害者の無念は言い尽くせない」、「通り魔的な事件の中でも最も悪質な犯行で、極刑で臨むほかない」と、犯行を非難した[新聞 103]

静岡地裁などによれば、静岡県内の刑事裁判における死刑求刑は、1966年6月、同県清水市(現・静岡市清水区)で発生した「袴田事件」以来だった[新聞 105]

2003年10月30日、弁護人側最終弁論

2003年10月30日、弁護人側の最終弁論が行われ、結審した[新聞 106][新聞 14]

弁護人側は、「計画的犯行ではなく、Hは反省しており、矯正の可能性はある」として、死刑回避を求めた上で、無期懲役か有期懲役が相当と主張した[新聞 106][新聞 14]

最終意見陳述で、被告人Hは、「自分のしたことで、これだけの人に迷惑をかけて、本当にすみませんでした」と述べ、犯行を謝罪した[新聞 106][新聞 14]

判決期日変更

判決期日は当初、2003年12月18日に指定された[新聞 106][新聞 14]

しかし、その直前の2003年12月12日までに[新聞 107]、静岡地裁沼津支部は判決公判期日を、翌2004年(平成16年)1月15日に延期した[新聞 107][新聞 108]

2004年1月15日、判決公判、無期懲役判決

2004年1月15日、判決公判が開かれ、静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)は、被告人Hに対し、無期懲役判決を言い渡した[新聞 109][新聞 110][新聞 111][新聞 87][新聞 112]

静岡地裁沼津支部は、冒頭の主文に続き、約40分間の判決理由で、「火を点けた時、被害者は既に死亡しているかもしれないと思った」とするHの主張を退け、「犯行の発覚を恐れ、身元がわからないように焼殺した」との検察側主張を事実認定した。

その上で、「人間的な思考に欠けた冷酷な性格、残虐極まりない犯行で社会的影響は大きい。矯正教育をしても犯罪性向を改めるのは困難である」と犯行を非難した[新聞 87]

その一方で、Hが反省の態度を示していること、犯行に計画性がうかがえないこと、劣悪な環境で育ったことなどを挙げ、「規範的な人間性がわずかながら残されており、死刑とするにはなお躊躇いがある。終生、贖罪の日々を送らせるのが相当である」と結論付けた[新聞 87]

無期懲役判決に対する反応など

被害者の姉は判決後、報道陣の取材に対し「犯人を殺せる方法は死刑しかないのに…悔しい。Hは反省しているようには思えなかった」と語った[新聞 87]

被告人Hは閉廷後、傍聴席を振り返って友人に軽く手を上げ、「おう」と小さな声を掛け、退廷した[新聞 87]

担当した裁判官3人は、公判の途中から死刑求刑を予想し、死刑か無期懲役かの判断になるという前提で、議論を重ねた[新聞 113]

その結果、「従来の量刑の傾向から見ると、ボーダーラインというよりは、無期懲役に近いケースだと思った」として死刑を回避したが、「被害者感情を重視する世論が高まっている時期だった」(裁判官の1人)ことから、判決後、裁判所には、非難の電話が相次いだ[新聞 113]

2004年1月28日、検察側が東京高裁に控訴

静岡地検沼津支部は、量刑不当を理由に、判決を不服として、2004年1月28日付で、東京高等裁判所控訴した[新聞 114][新聞 115]

2004年2月10日まで、被告人H・弁護人側が東京高裁に控訴

被告人Hも、量刑不当を理由に、2004年2月10日までに、東京高裁に控訴した[新聞 116][新聞 117]

控訴審・東京高裁

2004年初夏以降、田尾健二郎裁判長の疑問

控訴審で東京高等裁判所裁判長を務めた田尾健二郎は、この時点で裁判官になってから36年の豊富なキャリアを持ち、数多くの刑事裁判を手掛けており、東京地方裁判所に所属していた際には東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件宮崎勤に死刑判決を言い渡したこともあった[新聞 113]

被告人の責任能力が争点になった宮崎の事件と違い、事実関係に争いがなかった本事件は、「殺害された被害者数が1人の事件において、死刑を適用することの妥当性」が争点だった[新聞 113]

田尾は、本事件を担当することになったことを受け、2004年初夏、第一審の判決文を読んだ[新聞 113]

田尾はその際、「『親に経済的な負担をかけまいと、地元の居酒屋でアルバイトをしていた、真面目な学生だった被害者が、アルバイトの帰り道で見ず知らずの男に車で拉致され、乱暴された挙句、山中の路上で体を縛られた状態で灯油をかけられ、火を付けられて殺される』という、不条理でやりきれない事件であることを知り、『あまりにひどい』と思った」、「(死刑を回避して無期懲役を選択したのは)これでいいのだろうか、という違和感に近い疑問を感じた」という[新聞 113]

その上で田尾は、「死刑か無期懲役か、すべての情状を判断しなければ結論が出ない、難しい事件だ」と気を引き締めた[新聞 113]

そして、検察側・弁護人側、それぞれの立場から事件記録を見る作業を、陪席裁判官2人とともに何度も繰り返し、それぞれの考えを慎重に突き詰めてから、合議に入った[新聞 113]

2004年10月14日、控訴審第1回公判

2004年10月14日、東京高裁で、控訴審初公判が開かれた[新聞 118]

検察側は、「冷酷、残虐な犯行で反省も見られない。殺人などの前科がなく、殺害された被害者が1人であっても、極刑を回避しては司法に対する信頼が揺らぐ」と、控訴理由を述べ、死刑適用を求めた[新聞 118]

弁護人側は、「途中で殺害を迷うなど計画性はなく、無期懲役は重過ぎる」と主張し、有期懲役刑を求めた[新聞 118]

2004年12月7日、控訴審第2回公判、被告人質問

2004年12月7日、第2回公判が開かれ、被告人質問が行われた[新聞 119]

被告人Hは、検察側の被告人質問に対し、殺害時に使った灯油を実家から持ち出した理由について、「脅すためで、その時点では殺そうと思っていなかった」などと説明した[新聞 119]。その上で、被害者を殺害した理由については、繰り返し「分からない」と述べた[新聞 119]

また、控訴理由については、「少しでも刑を軽くしたかった」と述べた[新聞 18]

2005年1月18日、控訴審第3回公判、証人尋問を行い結審

控訴審は、翌2005年(平成17年)1月18日、第3回公判で結審した[新聞 120][新聞 121]

この日は、証人尋問が行われ、被害者の父親が検察側証人として出廷した[新聞 120][新聞 121]

被害者の父親は、被告人H本人に対し、「娘がされたのと同じことをしてやりたい気持ちだ。発覚を恐れて殺すなんて人間のすることじゃない。極刑を望んでいる」と述べた[新聞 120]

その上で、被告人について、「娘のところに行って土下座して謝ってもらいたい」と涙ながらに語り、死刑を求めた[新聞 121]

また、被害者の父親の供述調書には、「同じように火をつけて、Hを殺してやりたい。どれだけ熱いか、どれだけ怖いか、どれだけ苦しかったか、思い知らせてやりたい」と記してあった[新聞 113]

控訴審判決を前に、関係者の動向

捜査に関わった検察官は、『読売新聞』の取材に対し、「被害者遺族は、涙も出ないほど憔悴し、抜け殻のようになっていた」と振り返った[新聞 113]

裁判長を務めた田尾は、判決を前に、第一審判決が指摘した、「周到な計画に基づく犯行ではない」、「Hの前科に殺人などの犯罪は見当たらない」など、死刑回避の理由を1つずつ検討した[新聞 113]

その上で田尾は、「殺害の計画性はないが、被告人Hは犯行直後、灯油のポリタンクを自宅に戻すなど、証拠隠滅を図っていた」、「被告人Hは、これまでに少年院・刑務所に入り、仮釈放から1年も経たないうちに犯行に及んだ」ことなどから、「第一審がどこで悩んだかはよく分かったが、生きたまま焼殺するという、犯行態様の残虐さに比べれば、どれも被告人に有利な事情とは認められない」という心証を固めていった[新聞 113]

そして、合議の末に「極刑しかない」という結論に至り、無期懲役の原判決を破棄し、死刑判決を書き上げることとなった[新聞 113]

2005年3月29日、控訴審判決公判、第一審破棄・死刑判決

2005年3月29日、控訴審判決公判が開かれた[判決文 1][新聞 18]

東京高裁(田尾健二郎裁判長)は、第一審の無期懲役判決を破棄し、検察側の求刑通り、Hに死刑判決を言い渡した[判決文 1][新聞 16][新聞 122][新聞 123][新聞 124][新聞 17][新聞 125][新聞 126][新聞 127][新聞 18][新聞 128]

東京高裁は、判決理由で、「監禁後、Hが殺害を躊躇したのは、殺害が発覚すれば重い罪で処罰されることを恐れたためで、もっぱら自己保身に基づく。周到に殺害を計画していないことを強調するのは相当ではない」と事実認定した[新聞 18]

また、被告人Hの生活環境については、「Hと同じ環境で育った兄弟に犯罪歴はない」と指摘した[新聞 18]

その上で、「体を縛られた状態で焼き殺された被害者の無念はいかばかりか」と述べた[新聞 18]

そして、犯行後の冷静な証拠隠滅活動などを指摘した上で、「被害者には何ら落ち度はなく、犯行の動機は誠に身勝手で、殺害方法も残虐極まりなく、冷酷、非情だ」、「覚醒剤を打ちたいと考えて被害者を生きたまま焼き殺すという人間性を欠いた被告人の行為には、慄然とせざるを得ない」と、量刑理由を説明した[新聞 18]

死刑選択基準の判例として、1983年、最高裁判所から「永山基準」が示されて以降、殺害被害者数が1人の事件では、身代金誘拐保険金殺人など、計画性が高い利欲目的の場合や、過去に無期懲役刑で服役し、仮釈放中に再犯した場合を除き、死刑を回避する傾向が強かった[新聞 18][注釈 1]

そのため、利欲目的でなく、殺人の前科もない被告人Hに、死刑判決が言い渡されたのは、極めて異例だった[新聞 18]

土本武司(当時・帝京大学教授)は、「注目すべき判決。複数の命でないと犯人1人の命に匹敵しないというのは不自然。この判決は重要な先例となるだろう」と、控訴審判決を評価した[新聞 18]

死刑判決に対する被害者関係者の反応

公判で意見陳述に立ち、「人間のすることじゃない。同じようにしてやりたい気分だ」と語っていた被害者の父親は、「思っていることが通じた。当たり前の判決です。帰ってすぐに報告したい。ただ、報告しても娘が帰って来るわけではない」とコメントした[新聞 123][新聞 18]

被害者の高校時代の恩師は、「亡くなった人は帰ってこないけど、裁判長がいい判断をしてくれたのはありがたい」と語った[新聞 124][新聞 18]

死刑判決について、裁判官の回想

裁判長として死刑判決を言い渡した田尾は、後に『読売新聞』の取材に対し、「(死刑判決を言い渡したとはいえ)被害者遺族の処罰感情はそれほど重視しなかった」と語った。

その上で、被害者の人物像を判決理由の中で述べた際も、感情的な言い回しを極力避けたが、「苦悶のうちに命を失うこととなった被害者の短い一生を思う時、深い哀れみを覚えざるを得ない」という一言だけは、田尾自身の心情を、判決文に反映したという[新聞 113]

また、静岡地裁沼津支部で第一審を担当した裁判官の1人は、自分たちが言い渡した無期懲役判決が破棄され、死刑が言い渡されたことをニュースで知ったが、「それもまた1つの判断。第一審は審理を尽くしたが、高裁は別の見方をした」と受け止めたという[新聞 113]

2005年3月30日、被告人H・弁護人側が最高裁に上告

被告人Hの弁護人は、控訴審の逆転死刑判決について、「被害者の数について言及されなかった点は疑問」と、判例違反を主張した[新聞 18]

その上で、2005年3月30日付で、最高裁に上告した[新聞 129][新聞 130]

上告審・最高裁第二小法廷

2007年10月22日まで、上告審口頭弁論公判開廷期日指定

最高裁判所第二小法廷(古田佑紀裁判長)は、2007年(平成19年)10月22日までに、上告審口頭弁論公判の開廷期日を、2007年12月17日に指定し、関係者に通知した[新聞 131][新聞 132]

2007年12月17日まで、上告審口頭弁論公判開廷

2007年12月17日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で、上告審口頭弁論公判が開かれ、結審した[新聞 133][新聞 15][新聞 134][新聞 135][新聞 136]

弁護人側は、上告趣意書にて、過去の焼殺事件の判例を挙げ、「残虐な犯行だが、同種の事件では無期懲役判決が一般的であり、本件の死刑適用は均衡を害する判例違反だ」と指摘した[新聞 133]

殺害された被害者が1人だったことなどを挙げ、「被害者1人の事件において、死刑の適用は慎重な運用が必要だ。被害者遺族の悲嘆も理解できるが、過度の重視は罪刑の公平性を欠く」[新聞 133]、「本件以上に残虐で悪質な犯行があることも否定できず、死刑が誠にやむを得ないとまでは言えない」などと主張した[新聞 15][新聞 135]

その上で、被告人Hが、被害者遺族に対し、謝罪の手紙を書いていることなどから、「更生の可能性がある」と述べ[新聞 15]、死刑判決を破棄するよう求めた[新聞 133][新聞 15][新聞 135]

一方、検察側は、「『永山基準』は殺害された被害者が複数でなければ死刑を選択できない、と判断したものではない」と反論した[新聞 15]。その上で、「犯行は極めて冷酷、残虐で、通り魔的なものであり、地域社会に与えた衝撃も大きい。犯行動機は自己中心的で、被告人Hの犯罪性向に、改善の余地はない。これまでの同種事件と比べても罪責は重く、死刑適用は免れない」として、被告人H・弁護人側の上告を棄却するように主張した[新聞 133][新聞 15][新聞 135]

2008年2月12日まで、上告審判決公判開廷期日指定

最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)は、2008年(平成20年)2月12日までに、判決公判期日を同月29日に指定し、関係者に通知した[新聞 137][新聞 138]

2008年2月29日、上告棄却判決

2008年2月29日、最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で、上告審判決公判が開かれた[新聞 139][新聞 19][新聞 140][新聞 20][新聞 141][新聞 142]

同小法廷は、控訴審の死刑判決を支持し、被告人Hの上告を棄却する判決を言い渡した[新聞 139][新聞 19][新聞 20][新聞 142]

判決理由で、同小法廷は、「意識のある人間に火をつけて殺すという残虐な殺害方法などからすれば、死刑はやむを得ない」などと述べた[新聞 19][新聞 20]

これにより、被告人Hに対し、死刑判決が確定することとなった[新聞 139][新聞 19][新聞 20][新聞 142]

「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者数が1人の事件で、死刑が確定したのは、この判決以前までに計24人だった[新聞 19]。しかし、そのうち23人は、強盗殺人・身代金目的誘拐・保険金殺人といった金銭利欲目的か、(無期懲役刑の仮釈放中に新たな殺人事件を起こした者を含め)殺人前科がある場合に限られており、唯一の例外は2004年に発生した、奈良小1女児殺害事件の死刑囚(自ら死刑を望み、第一審で死刑判決後、控訴取り下げ)だけだった[新聞 19]

そのため本事件は、「利欲目的」がなく、殺人前科もない被告人に対し、最高裁で死刑判決が支持され、確定に至るという、極めて異例なケースとなった[新聞 19][新聞 20]

静岡地裁管内で、第一審が行われた刑事裁判において、死刑判決が確定するのは、1980年、最高裁で死刑が確定した、袴田事件の死刑囚・袴田巌再審開始決定に対し検察側が即時抗告中)以来、28年ぶりだった[新聞 19][新聞 143]

上告審判決に対する評価

この判決について、『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県面の記事上で、渥美東洋(当時・京都産業大学教授)は、「拷問に等しいような犯行で、死刑は当然だ。犯罪が多様化し、被害者の数だけで量刑を決められるような時代ではない。判決は死刑適用の具体的事例として、新たな1つの基準が加わったとみることができる」とコメントした[新聞 20]

一方、石塚伸一(当時・龍谷大学教授)は、同記事上で、「被告人の更生の可能性に触れているのに、死刑を選択したことは従来より厳しいと言わざるを得ない。判決文では、死刑選択の理由に後向きな表現が目立つが、高裁の死刑判決を覆すには至らなかった」とコメントした[新聞 20]

2008年3月17日付、被告人Hの死刑判決確定

被告人Hの弁護人は、最高裁第二小法廷に対し、2008年3月10日付で[新聞 144]、判決の訂正を申し入れた[新聞 144]

しかし、この申し立ては、同小法廷の2008年3月17日付決定で棄却された[新聞 145][新聞 146][新聞 147]

そのため、同日付で、被告人Hの死刑判決が確定した[新聞 145][新聞 146][新聞 147]

死刑執行

2012年8月3日、死刑囚Hほか1人の死刑執行

2012年(平成24年)8月3日法務省法務大臣滝実)の死刑執行命令により、東京拘置所収監されていた、死刑囚Hに対し、死刑が執行された(40歳没)[新聞 148][新聞 149][新聞 9][新聞 150][新聞 151][新聞 10][法務省 1]

同日には、京都・神奈川親族連続殺人事件の死刑囚に対しても、大阪拘置所にて死刑が執行された[新聞 9][新聞 10][法務省 1]

参考文献

刑事裁判の判決文

  1. 被害者を力ずくで自車に引き込み、逮捕・監禁して、山間の畑地に連れて行って強姦し、更に、被害者に灯油をかけて焼き殺した事案につき、被告人に無期懲役を言い渡した一審判決を破棄し、死刑を言い渡した事例。
  2. 被害女性を自己の車内に押し込み逮捕・監禁したうえ強姦し、さらに犯行の発覚を恐れるなどして同女を殺害した事例につき、無期懲役を言い渡した原判決を破棄して死刑を言い渡した事例。
  • 最高裁判所第二小法廷判決 2008年(平成20年)2月29日 D1-Law.com(第一法規法情報総合データベース)判例体系 ID:28145284、『最高裁判所裁判集刑事編』(集刑)第293号373頁、『判例時報』第1999号153頁、『判例タイムズ』第1265号154頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、平成17年(あ)第959号、『逮捕・監禁、強姦、殺人被告事件』「被害者1名の殺人等の事案につき死刑の量刑が維持された事例(三島女子短大生焼殺事件)」。
  1. 死刑制度は憲法第31条・36条に違反しない。
  2. 被害者を強姦目的で自車内に監禁し、強姦した後、殺害を決意し、ガムテープで被害者を縛って路上に座らせ、その頭から灯油を浴びせかけて頭髪にライターで点火し焼死させたという事案につき、原判決の死刑が維持された事例。

関連書籍

  • 年報・死刑廃止編集委員会『ポピュリズムと死刑 年報・死刑廃止2017』インパクト出版会、2017年10月15日、195頁。ISBN 978-4755402807 

脚注

注釈

  1. ^ 同じく「永山基準」が示された1983年以降に発生した、身代金誘拐・保険金殺人を除く、無期懲役刑の前科がない、殺害被害者数1人の殺人事件で、最高裁で死刑が確定したケースとしては、横浜中華街料理店主射殺事件名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件JT女性社員逆恨み殺人事件の3例が挙げられるが、1件目・2件目は強盗殺人事件で、2件目・3件目の死刑囚は殺人の前科(有期懲役刑が確定し服役、満期出所後の犯行)がある。また、殺人の前科がない1件目の死刑囚も、銃を使用した犯行であり、これとは別に強盗殺人未遂事件・放火事件を起こしていた。

出典

判決文

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh 東京高裁、2005年3月29日判決 事件番号:平成16年(う)第605号

新聞報道

※見出し名に元死刑囚・被害者の実名が含まれる場合、元死刑囚は姓のイニシャル「H」、被害者は伏字に、それぞれ置き換えている。
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 静岡新聞』2002年1月23日夕刊第一社会面3面「市道に焼死体、殺人で捜査 若い女性 後ろ手に縛られ 三島」
  2. ^ a b c d e f 『静岡新聞』2002年1月24日朝刊第一社会面27面「三島の女性殺害 生存中に火付ける 灯油の痕跡 身元確認急ぐ」
  3. ^ a b c d e f g h 『静岡新聞』2002年7月24日朝刊1面「三島の短大生焼殺 30歳建設作業員を逮捕 逮捕監禁、強盗容疑 殺人、遺棄でも追及」
  4. ^ a b 『毎日新聞』2002年1月24日東京朝刊第一社会面31面「女性が焼き殺される 袖に粘着テープ、灯油?かけられ--静岡・三島の市道」
  5. ^ a b c 『毎日新聞』2002年1月23日東京夕刊第一社会面9面「市道に女性の焼死体--静岡・三島」
  6. ^ a b c d e 『毎日新聞』2002年1月23日朝刊静岡県第一面31面「三島の焼死体、茶髪10代後半~20代 被害者身元確認急ぐ/静岡」
  7. ^ a b c d e 読売新聞』2002年1月25日東京朝刊社会面35面「静岡・三島の焼殺女性は短大生、アルバイトの帰り」
  8. ^ a b c d e f g h 『読売新聞』2002年1月25日東京朝刊静岡県面28面「三島の短大生焼殺 バイト帰り、襲われる? 粘着テープで縛られ…静岡」
  9. ^ a b c d e 『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊1面「2人の死刑執行 三島短大生焼殺事件など」
  10. ^ a b c d e “2人の死刑執行 静岡の短大生殺害など 野田政権で2回目”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2012年8月3日). オリジナルの2017年8月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170807112435/http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0301K_T00C12A8CC0000/ 2017年8月7日閲覧。 
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  78. ^ 『静岡新聞』2002年8月13日朝刊1面「殺人容疑できょうH容疑者を再逮捕-三島・短大生焼殺事件」
  79. ^ 『読売新聞』2002年8月13日東京朝刊静岡県面32面「三島の焼殺 殺人容疑できょう再逮捕=静岡」
  80. ^ 『静岡新聞』2002年8月14日朝刊1面「殺人容疑でH容疑者を再逮捕-三島の短大生焼殺 犯行、大筋認める」
  81. ^ 『静岡新聞』2002年8月14日朝刊第一社会面23面「ち密な捜査、壁破る-県警捜査一課と三島署の捜査本部、三島の短大生焼殺事件でH容疑者を再逮捕 物証を丹念に重ね」
  82. ^ a b 『読売新聞』2002年8月14日東京朝刊静岡県面24面「三島の短大生焼殺 殺人容疑で建設作業員再逮捕 携帯電話焼いて処分?=静岡」
  83. ^ 『静岡新聞』2002年8月14日朝刊第一社会面23面「『全容解明急ぐ』-三島市の女子短大生殺人事件、H容疑者再逮捕で県警会見」
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  85. ^ 『読売新聞』2002年8月16日東京朝刊静岡県面24面「三島の短大生焼殺 容疑者を送検=静岡」
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  93. ^ a b c d e f g h i 『読売新聞』2002年11月12日東京夕刊第二社会面18面「女子短大生焼殺、起訴事実認める/静岡地裁沼津支部」
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  107. ^ a b 『静岡新聞』2003年12月13日朝刊第三社会面29面「法廷=『三島の短大生焼殺』来月15日に判決公判」
  108. ^ 『読売新聞』2004年1月15日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺きょう判決 残虐さ、社会に衝撃 犠牲1人、求刑は死刑=静岡」
  109. ^ 『静岡新聞』2004年1月15日夕刊1面「三島・女子短大生焼殺事件 H被告に無期判決─地裁沼津支部 周到な計画を否定、死刑を回避」
  110. ^ 『静岡新聞』2004年1月15日夕刊第一社会面3面「無期判決『悔しい』 すすり泣く遺族─三島の短大生焼殺事件判決 被告へ厳しい視線」
  111. ^ 『静岡新聞』2004年1月16日朝刊第一社会面29面「三島・女子短大生焼殺無期判決 遺族の傷癒えず」
  112. ^ 『読売新聞』2004年1月16日東京朝刊静岡県面26面「三島の短大生焼殺に無期 天仰ぎ、遺族ため息 判決、反省など考慮=静岡」
  113. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『読売新聞』2009年2月26日東京朝刊1面「[死刑]選択の重さ(1)女性焼殺「無期でいいのか」(連載)」
  114. ^ 『静岡新聞』2004年1月29日朝刊第一社会面29面「検察側が控訴-三島の短大生焼殺事件、地裁沼津支部の無期判決に不服」
  115. ^ 『読売新聞』2004年1月29日東京朝刊静岡県面32面「三島の短大生焼殺に無期刑 検察が控訴=静岡」
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  117. ^ 『読売新聞』2004年2月13日東京朝刊静岡県面32面「三島の女子短大生焼殺で被告側も控訴=静岡」
  118. ^ a b c 『読売新聞』2004年10月15日東京朝刊静岡県面32面「三島短大生殺人控訴審 検察側『極刑回避しては司法への信頼揺らぐ』=静岡」
  119. ^ a b c 『静岡新聞』2004年12月8日朝刊第一社会面29面「殺害理由『分からない』 三島の女子短大生焼殺事件で控訴審公判─東京高裁」
  120. ^ a b c 『静岡新聞』2005年1月19日朝刊第二社会面26面「三島の短大生焼殺事件 被害者の父『極刑望む』-東京高裁で控訴審が結審」
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  123. ^ a b 『静岡新聞』2005年3月29日夕刊第一社会面3面「三島・短大生焼殺 『死刑』 『なぜ娘を殺したのか』法廷、すすり泣く遺族 父親『当たり前の判決』」
  124. ^ a b 『静岡新聞』2005年3月29日夕刊第一社会面3面「三島・短大生焼殺 『死刑』 『ようやくここまで』 高校時代の担任教諭」
  125. ^ 『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31面「三島の短大生焼殺・死刑判決 癒えない悲しみ 現場、今も花や供物」
  126. ^ 『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31面「三島の短大生焼殺・死刑判決 被告側、上告へ」
  127. ^ 『静岡新聞』2005年3月30日朝刊第一社会面31面「三島の短大生焼殺・死刑判決 『主張認められた』静岡地検」
  128. ^ 『読売新聞』2005年3月30日東京朝刊静岡県面32面「遺族ら『思い通じた』 三島の女子短大生殺人、被告に死刑判決=静岡」
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  130. ^ 『読売新聞』2005年3月31日大阪夕刊第二社会面14面「静岡・三島の短大生焼殺 死刑判決のH被告が上告」
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  133. ^ a b c d e 『静岡新聞』2007年12月17日夕刊第一社会面3面「弁護側『死刑回避を』 検察は棄却求め結審-三島短大生焼殺上告審弁論」
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  139. ^ a b c 『静岡新聞』2008年2月29日夕刊1面「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」
  140. ^ 『静岡新聞』2008年3月1日朝刊第一社会面29面「両親『娘は帰らない』 主文にうなずき涙、今も悲しみ癒えず-短大生焼殺『死刑』」
  141. ^ 『読売新聞』2008年3月1日東京朝刊静岡県面33面「短大生殺害上告審 残虐性重視の判決 死刑でも『娘は帰らぬ』=静岡」
  142. ^ a b c 『産経新聞』2008年3月1日東京朝刊社会面「短大生焼殺 死刑確定へ」
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  145. ^ a b 『静岡新聞』2008年3月19日朝刊第一社会面27面「三島の短大生焼殺事件 H被告、死刑確定-最高裁が訂正申し立て棄却」(共同通信社配信)
  146. ^ a b 『読売新聞』2008年3月20日東京朝刊静岡県面35面「三島の女子短大生焼殺 被告の死刑確定=静岡」
  147. ^ a b 『産経新聞』2008年3月19日東京朝刊社会面「H被告の死刑確定」
  148. ^ 『静岡新聞』2012年8月3日夕刊第一社会面3面「2人の死刑執行 三島の短大生焼殺など-法務省(A版)」(共同通信社配信)
  149. ^ 『静岡新聞』2012年8月3日夕刊第一社会面3面「2人の死刑執行 三島の短大生焼殺など-法務省(B・C版)」(共同通信社配信)
  150. ^ 『読売新聞』2012年8月3日東京夕刊第二社会面18面「2人死刑 法相 執行に強い姿勢(解説)」
  151. ^ 『読売新聞』2012年8月4日東京朝刊静岡県面33面「『悲しく悔しい気持ちは今も』死刑執行で被害者の父=静岡」

書籍

法務省発表

  1. ^ a b c d e 法務大臣臨時記者会見の概要”. 法務省法務大臣滝実) (2012年8月3日). 2017年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月10日閲覧。

関連項目

「永山基準」以降、最高裁で死刑判決が確定した、殺害された被害者数が1人の事件

※過去に無期懲役刑に処された前科があるもの、身代金誘拐保険金殺人は含まない。

  1. ^ インパクト出版会 2017.