独裁政治

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独裁政治(どくさいせいじ、dictatorship)とは、政治権力が一人または少数の為政者が絶対的な権力を握る政治体制を指す。独裁制(どくさいせい、autocracy)。

戦争内乱などの非常事態において、法的委任の手続きに基づき独裁官に支配権を与える古代ローマの統治方法に由来する。

一般に、社会の混乱期において発生し易く、政治の混沌期や、経済の長い停滞期に多く出現する。民衆は抑圧され、反対派は排除される事が多い。

強力な指導体制で国家が大きく発展していくという歴史的効果もあったが、その分抑制が効かずに、国家としての方向性が失われて行く場合が多い。

代表的な独裁政治

古代ローマでは、元老院議員による腐敗政治が横行した「評議会」に代わって、強力な指導者が望まれたことに誕生し、その後誕生するローマ帝国は最盛期を迎えている。

第一次世界大戦後のドイツでは、第一次世界大戦に敗戦し、ベルサイユ条約によって天文学的額の賠償金を請求されていたことと、同時に世界恐慌が生じていたにも関わらず、当時のワイマール共和国政府の経済政策の停滞により大量の失業者が溢れ出ていた。そのためナチ党が圧倒的に支持され、アドルフ・ヒトラーが政権を握る。その後、アウトバーンの建設などヒトラーによる懐柔策によって失業者は殆どなくなり、ナチス・ドイツになって急速な経済復興を果たして行く。

ソビエト連邦では、ウラジーミル・レーニン死後の権力闘争で、ヨシフ・スターリンが政権を獲る。スターリンは、1928年に5か年計画を打ち出し、これ以降ソ連の世界的な政治力・経済力が高まった。2000万人もの労働者や党員を虐殺する一方、第二次世界大戦ではソ連領土に侵略したドイツ軍を撃破する。

独裁肯定論

古代ギリシアプラトンがそうであったと言われる。

民主主義はエゴイズムの集大成に過ぎない、それよりも透徹した指導者が、民衆を善導すべきだ、と考えたのである。

利益誘導や、集団心理に対しては、頂門の一針かもしれない。

Wikipediaにおける独裁政治

ウィキペディアでは、ページが保護ないし半保護されると、ログインをしないIPユーザーが編集できなくなる。また、特定のIPアドレスに対し投稿ブロックをされると、そのユーザーは編集をすることが出来なくなる。これらは本来荒らしからウィキペディアを保護するシステムだが、このシステムを悪用した管理者による横暴を独裁政治に比喩することがある。

一部の管理者が他者の多数の意見に耳を傾けずにページを保護・半保護に追い込んでいると指摘する向きがあるが、管理者が絶対権限を持っている現状では、このような行為を回避するのは困難を極めている。

独裁政治の例

関連項目

外部リンク