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'''田井 一郎'''(たい いちろう、[[1946年|1948年]](昭和23年) - )は、日本の[[実業家]]、元[[東芝]]取締役代表執行役・副社長。[[岡山県]][[高梁市]]出身<ref name=":0">{{Cite web |title=田井一郎 - 日本精工株式会社 (2016年3月期) 役員の略歴 (健全!どんぶり会計β版) |url=https://donburi.accountant/history/?ds=76178&do=9 |website=donburi.accountant |access-date=2024-11-19}}</ref>。先端技術学生論文表彰の審査委員を務める<ref>{{Cite web |title=独創性を拓く 先端技術大賞 |url=https://www.sankei-award.jp/sentan/about/ |website=www.sankei-award.jp |access-date=2024-11-21}}</ref>。 |
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2024年12月11日 (水) 01:10時点における版
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たい いちろう 田井 一郎 | |
---|---|
生誕 |
1948年 - 岡山県高梁市 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京大学工学部 東京大学工学系研究科原子力工学専攻 |
職業 | 研究者・実業家 |
肩書き |
東芝副社長 日本精工社外取締役 電気学会会長(第95代) |
田井 一郎(たい いちろう、1948年(昭和23年) - )は、日本の実業家、元東芝取締役代表執行役・副社長。岡山県高梁市出身[1]。先端技術学生論文表彰の審査委員を務める[2]。
経歴
生い立ち
1948年(昭和23年)岡山県高梁市に生まれる。その後、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し、東京大学へ入学。元JR北海道社長の小池明夫や弁護士の浜田俊郎は、高梁高校から東京大学へ進学した2歳年上の先輩として深い親交があった[3]。東京大学工学部を卒業後、同大学工学系研究科原子力工学専攻を経て東芝へ入社した。大学での研究は、原子力高速炉の計測装置の開発である[4]。
東芝時代
1976年(昭和51年)東芝に入社し、同社の原子力技術研究所へ配属となり、活躍した。その後、研究開発センター所長となり[5]、2003年(平成14年)には東芝執行役常務に昇進。この後も日本の電力が経産省の主導で原子力エネルギーへ注力されることとなり、それに併せて東芝においても原子力エネルギーへ投資の比重が重くなるにつれ、原子力技術研究所出身の田井は注目される存在となる。
そして、東芝の上席常務、執行役専務を経て、2009年(平成21年)同社取締役・代表執行役副社長に就任した。しかしながら、その後、2011年3月に東日本大震災が発生し、日本での原子力エネルギーの推進見直しが相次ぎ、計画が頓挫、同年6月に同社の常任顧問となり経営の一線から退いた。
その後は、2012年(平成24年)には、東芝時代の活躍が認められ、東光電気(現・東光高岳)社外取締役や日本精工社外取締役を歴任し[1]、2024年には先端技術学生論文表彰の審査委員を務めている。
略歴
- 1968年:岡山県立高梁高等学校卒業、東京大学入学。
- 1976年:東京大学大学院を経て、東芝に入社。
- 2003年6月:同社代同社執行役常務。
- 2007年6月:同社執行役上席常務。
- 2008年6月:同社執行役専務。
- 2009年6月:同社取締役・代表執行役副社長に就任。
- 2011年6月:同社常任顧問。
- 2012年6月:東光電気(現・東光高岳)社外取締役。
- 2014年6月:日本精工社外取締役、 指名委員会委員
- 2018年6月:日本精工取締役退任[6]。
脚注
- ^ a b “田井一郎 - 日本精工株式会社 (2016年3月期) 役員の略歴 (健全!どんぶり会計β版)”. donburi.accountant. 2024年11月19日閲覧。
- ^ “独創性を拓く 先端技術大賞”. www.sankei-award.jp. 2024年11月21日閲覧。
- ^ 田井一郎「交遊抄 ふるさとの先輩」『日本経済新聞』2009年1月21日。
- ^ “学位論文要旨詳細”. gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp. 2024年11月21日閲覧。
- ^ “受託研究・共同研究”. 京都大学 工学広報. 2024年11月21日閲覧。
- ^ “田井一郎 | 異動ニュース”. relocation-personnel.com. 2024年11月21日閲覧。