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2024年12月11日 (水) 01:11時点における版
しまたに ひろゆき 島谷 弘幸 | |
---|---|
生誕 |
1953年11月26日(71歳) 日本・岡山県高梁市 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
東京教育大学 (現・筑波大学) |
職業 | 古美術家・文化人 |
団体 | 国立文化財機構関係者 |
肩書き |
国立文化財機構理事長(第3代) 皇居三の丸尚蔵館長 |
島谷 弘幸(しまたに ひろゆき、1953年(昭和28年)11月26日[1] - )は、日本の古美術学者・文化人である。九州国立博物館館長を務めた後、国立文化財機構理事長。岡山県出身[2]。
経歴
生い立ち
1953年(昭和28年)岡山県に生まれる。1969年に岡山県立高梁高等学校へ入学。1972年に卒業し、同年東京教育大学(現・筑波大学)教育学部芸術学科に入学。古筆学を専攻し、小松茂美に師事した[3]。1976年に同大学卒業を経て、1979年山梨英和短期大学講師となり、1984年に東京国立博物館に勤務となった。
博物館就職後
1994年、41歳の時に学芸部美術課書跡室長となり、その後2001年に課長へ昇進した。2003年、50歳のときに文化財部展示課長となり、2007年文化財部長、2011年から東京国立博物館の副館長となった。この間、芸術に関する12個の論文を発表した[4]。その多くが、島谷自身が大学時代に研究していた古筆に関するものである[4]。
その後、2015年(平成27年)に九州国立博物館館長に就任した。これが縁となり、2017年から2020年まで、佐賀県書道展の審査委員長を務めた。九州国立博物館の館長時代には、相田みつをに関する講演で、相田みつをの書の魅力として、具体的には、線質や文字の配置、余白の使い方といった特徴を探り、さらに書の歴史や戦争に関連する作品にも触れている。みつをの字は一見単純に見えるかもしれないが、伝統的な書を学び、基礎と美意識に基づいた書であると述べている。加えて、昭和以降の書壇では新しい書が生まれ、みつをもその一環として評価されており、同時代の活躍した書家として金子鷗亭や井上有一も紹介し、みつをの魅力を伝えている[2]。
また、島谷が思う書の楽しみ方として、次のようにアドバイスしている。書の魅力は空間構成や全体の調和、線質、字形などにあり、好きな書を見つける楽しみが広がる。みつをの作品は言葉自体が魅力的で、書としても優れ、何度も楽しめる。自分の部屋に飾りたい作品や一番好きなものを選ぶことで、書展をもっと楽しめると思う。美術展は心を豊かにし、生きる活力を与えてくれる。すべての作品を理解する必要はなく、気になる作品をじっくり楽しむことを勧めたい。自分の感性を大切にし、心に響く作品を探してほしいと述べている[2]。
2021年4月よりこれまでの活躍が認められ、国立文化財機構の第3代理事長に就任した。また、2023年より皇居三の丸尚蔵館の運営館長としても就任している。
脚注
- ^ “1953年に生まれた芸術関係者[誕生日データベース]”. ストローワラの情報交差点. 2024年12月1日閲覧。
- ^ a b c “没後30年「相田みつを全貌展」-みつをが遺したもの- 佐賀県立美術館”. 没後30年「相田みつを全貌展」-みつをが遺したもの- 佐賀県立美術館. 2024年12月1日閲覧。
- ^ 日経ビジネス電子版 (2018年1月22日). ““文字”に遭遇した古の日本人”. 日経ビジネス電子版. 2024年12月1日閲覧。
- ^ a b “島谷 弘幸 (Hiroyuki Shimatani) - マイポータル - researchmap”. researchmap.jp. 2024年12月1日閲覧。