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2007年10月13日 (土) 04:11時点における版
「悪の起源」
人間社会における「悪」存在は、誰の目にも明らかである。このように現実に存在する「悪」は、どのように、また、何処から始まったのであろうか。「悪」は、国家との関係において定義されると「犯罪」と呼ばれ、社会・人との関係において定義されると、それは「不道徳」と呼ばれる。創造主である神との関係においては、「罪」と言う概念となろう。
「悪の起源」に関しては、以下のような諸説がある。
聖書以外の説明
- ゾロアスター教により代表されるペルシャの二元論では、「善」と「悪」は、永遠に対峙する二つのものであって、しばしば、「善」は、霊の世界、「悪」は、物質の世界と結びつけられている。この二元論はグノーシス主義を介して、広くギリシャ・ローマ世界に影響を与えた。肉体そのものを悪と考え、禁欲主義を主張したストア派の哲学、この世を悪として隠遁生活を唱導したキリスト教の修道院主義などにその感化をみる。
- 近代に入ってからは、「悪の起源」を、人間文明の発達と結びつける説が現れた。すなわち、文明の初期には、素朴で悪とは無関係な生活をしていた人類は、文明の発展に伴って、経済機構の複雑化などの影響を受け、そこに悪が始まったとする。この説によると、貨幣経済は貪欲を生み出したのである。
- ある学者は、チャールス・ダーウインによる生物進化論の立場から、まだ未進化のままで人のうちに残っている動物的な性質に「悪の起源」を求める。彼らによれば、人はなお進化の途上にあって、未だ克服できない課題として「悪」の問題を抱えているのである。これは、ウオルター・ラウセンブッシュによって道徳的に適用され、唱導された。
- ソクラテスを初めとするギリシャの哲学者たちは、事を単純化して、悪の起源は、人間の無知にあると考えた。
- ラインフォルド・ニーバーは、人間の不安が悪を生み出すと説明している。
- ポーロ・テーリッヒは、人間の有限性に罪の起源があるとの説を支持した。
聖書の教え
- 聖書によれば、すなわち、キリスト教の立場からは、人間社会における「悪の起源」は、創世記3章に記されているような、人祖アダム、そして、エバの創造主に対する不服従の結果として、人間生活に闖入してきた原理であると説く。犯罪、また、不道徳を含めて、それは、創造主である神に対する罪なのである。このように悪は神との関係において定義され、その起源は、聖と義である神との交流を見失い、疎遠・断絶という関係が始まったという関係の変化に存するとする。
補足
成長の家では、この世のことは実相ではないと言う理由から、「悪」そのものがないものとしている。彼らの教えでは「悪」は人の幻想にしか過ぎないとされる。
参考文献
- Purkiser、W.T.他著、「GOD,MAN, & SALVATION」、Beacon Hill Press,1977、P.79~
- Grider, J. Kenneth、「A Wesleyan Holiness Theology」、Beacon Hill Press、1994,P.259~