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ペンテコステ運動 2007年10月26日 09:55 (UTC) を統合 (主執筆者:利用者:Blessing,利用者:211.132.88.148.,利用者:71.40.64.164., 利用者:杉山真大,利用者:河内景隆) |
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'''ペンテコステ運動''' (''Pentecostalism'')は、1900年頃にアメリカで始まった聖霊運動。その運動によって始まった[[キリスト教]]の[[プロテスタント]]の一派を[[ペンテコステ派]]という。1960年代にアメリカで始まった[[カリスマ運動]]を含めて、聖霊派という。 |
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*「ペンテコステ派」と言うときには、通常、前記の聖霊運動の結果として生まれた諸教派を指す。 |
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*カリスマ運動と言う時には、その後、ローマ・カソリック教会、プロテスタント諸教会の[[主流派]](The Main Line Church)、[[福音派]]を問わず、教派の線を越えて広がった、以下に記したような特色を持つ運動のことを指す。 |
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== 特色 == |
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特色は聖霊の[[バプテスマ]]とそれに伴うしるしとしての[[異言]]を強調することである。 |
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異言を伴う聖霊のバステスマ(マルコ福音書16章15~20節/使徒行伝2章1節~21節/ヨエル書2章28~32章/マタイ3章11節/などを参照)をキリストの教会に復興した「信仰復興(リバイバル)運動」であり、現在進行形の流れである。「後の雨リバイバル」との評価(日本では[[奥山実]]その他によって評価されている)もある。 |
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聖霊の(=聖霊による)バプテスマによって与えられる[[聖霊の賜物]]も強調される。「聖霊の賜物」とは、異言・異言の解き明かし・預言・いやし・奇蹟・悪霊の追い出しなどを行う力のことである。聖霊の賜物が用いられることによって、神の栄光が現されるという信仰である。 |
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==運動の歴史== |
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*ベンジャミン・アーウィンがバプテスト教会から、ホーリネス教会に移った後、J.フレッチャーの書物によって、聖霊の火による第三の御業を主張するようになった。この第三の御業には、叫び、すすり、泣き、異言、エクスタシーが伴うのが特徴。アーウィンの運動はアメリカ中西部、南部に広がって行った。 |
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*1859年にペンテコステ教会の最初の教会、Fire Baptized Holiness Churchが誕生した。これに続いてペンテコステ教会が次々に誕生した。 |
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*[[1906年]] アメリカ[[ロサンゼルス]]のアズサ通りでウィリアム・シーモアを中心にリバイバルが起こる。シーモアが行った信徒の集会中にエクスタシー状態に陥り、異言を語る現象が起こった。そして、メソジスト教会で集会を継続した。このことがロサンゼルスの新聞に掲載されて、全米に広まった。このことがペンテコステ運動を決定付けた。<ref>共立基督研究所編『宣教ハンドブック』p.242</ref> |
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*この運動によって、[[アセンブリーズ・オブ・ゴッド]]、[[フォースクエア福音教会]]、[[合同ペンテコステ教会]]の各教派が誕生する。 |
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== 日本での宣教の歴史 == |
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*これらのグループから[[1913年]]から宣教師が送られて来た。はじめは[[ペンテコステ教会]]を名乗り、その後日本聖書教会と改め、日本基督教団成立の祭には、他のグループと共に第十部に所属。戦後に離脱して[[日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団]]を設立した。 |
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*[[1939年]]から伝道が始められ教団を形成していた、日本ペンテコステ教団も戦中は解散を余儀なくされていた。[[1950年]]に宣教師の再来日で、同じ名前で再建された。この派は一人一派の活動をするので、多くのグループが誕生した。<ref>『よくわかるキリスト教の教派』p.76</ref> |
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== ペンテコステ派と音楽 == |
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現代のキリスト教音楽はペンテコステ派の多大なる影響をうけている。多くのワーシップソング([[賛美歌]])やゴスペルソングはペンテコステ派の音楽家によって書かれている。また、世界を代表するワーシップリーダーの多くは、ペンテコステ派である。[[ヒルソング教会]]、ビンヤード、チャーチ・オン・ザ・ウェイ等のペンテコステ派の教会達は、世界中で歌われている現代の[[賛美歌]]を多く書いている。日本でもこの傾向は同じで、日本を代表するワーシップリーダー・[[小坂忠]]師はペンテコステ派・フォースクエアゴスペル教団の牧師である。 |
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また、ペンテコステ派の影響を受けて育った著名な音楽家も多い。[[エルビス・プレスリー]]、[[ジェリー・リー・ルイス]]、[[マーヴィン・ゲイ]]、[[アクセル・ローズ]]、[[パット・ブーン]]等である。 |
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== ペンテコステ派と教会成長 == |
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世界の多くのメガ・チャーチ(会員2000人以上の教会)はペンテコステ派あるいはその影響を多大に受けている教会である。世界最大の教会である[[ソウル]]・ヨイド純福音教会(チョー・ヨンギ牧師)がその典型である。[[2006年]]に、[[共同通信社]]は、世界で最も成長しているキリスト教派はペンテコステ派だと発表している。 |
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==クート宣教師のペンテコステ教会への影響== |
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特に関西にあるペンテコステ派教団、単立教会や小さな群れの多くは、直接的か間接的にクート宣教師の影響を受けている場合がある。クート師自身については色々と意見があるが、師のペンテコステ派内での影響を無視することはできない。 |
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クート師の影響の理由は、師が戦前から生駒聖書学院で長年にわたり多くの伝道者を訓練したことと、多くの(アッセンブリーズ教団とフォースクエア教団以外の)アメリカのペンテコステ派宣教師はクート師を頼ってきたからである。又、アメリカでも、クート師は1940年代にインタナショナル・バイブル・カレッジ(当時、国際ユナイテッド・ペンテコステ教団所属)を[[テキサス州]][[サンアントニオ]]に建てており、多くの卒業生を日本に宣教師として送りだしている。 |
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師の影響を直接あるいは間接的に受けた教団は、日本ペンテコステ教団、日本福音ペンテコステ教団、ネクスト・タウンズクルセード、トータルクリスチャンチャーチ、日本ユナイテッド・ペンテコステ教団等である。その他にも関西を中心に多くの単立教会や群れがなんらかの影響を受けている。 |
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==ごく一般的なプロテスタントと異端の見分け方== |
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最も明確かつ簡単なカルトの見分け方として、[[福音]](イエスキリストの贖罪と復活)・[[三位一体]]などの中心的教理と信仰を守っているか否かで判断するというのがある。福音や三位一体を認めていない教会は、たとえ聖霊のバステスマを標榜していようとも異端と看做す<ref>これはペンテコステ派で無くとも、リベラル派・福音派・聖霊派であっても当てはまる</ref>。 |
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==日本の聖霊派== |
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*[[日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団]]、([[アッセンブリーズ・オブ・ゴッド]]の日本の団体) |
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*[[日本フォースクエア福音教団]]、([[国際フォースクエア伝道教会]]の日本の団体) |
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*[[日本チャーチ・オブ・ゴッド教団]](Church of God in Christの日本の団体)/神の教会 |
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*[[日本オープン・バイブル教団]] |
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*[[トータル・クリスチャン・チャーチ]] |
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*[[イエス・キリスト福音の群]] |
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*[[神の家族キリスト教会]] |
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*[[日本ペンテコステ神之教会教団]] |
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*[[使徒の信仰伝道団]] |
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*[[純福音日本国内教会]] |
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*[[カルバリキリスト教団]] |
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<!-- ===聖霊派系統のカルト=== |
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[[イエスの御霊教会教団]] |
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[[日本ユナイト・ペンテコステ教団]] |
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[[サンビ教団]] |
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[[聖イエス教会]] |
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[[イエス之御霊教会]] |
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[[真イエス教会]] |
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[[アポストリック・フェイス教会]]/使徒信仰の教会 --> |
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== 関連 == |
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*[[ペンテコステ]] |
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*[[ペンテコステ派]] |
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*[[カリスマ運動]] |
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*[[聖霊の第三の波]] |
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*[[福音派]] |
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*[[キリスト教根本主義]] |
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*[[日本のプロテスタント教派一覧]] |
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== 脚注 == |
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<references/> |
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== 参考文献 == |
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*共立基督研究所編『宣教ハンドブックQ&A130(共立モノグラフNo.4)』いのちのことば社,1991 |
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*今橋朗・徳善義和著『よくわかるキリスト教の教派』キリスト新聞社、1996 |
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2007年11月27日 (火) 10:59時点における版
ペンテコステ派(ぺんてこすては)はメソジスト、ホーリネス運動の流れをくむプロテスタント教会の一派。ペンテコステ教会。牧師・趙鏞基(チョ-・ヨンギ)の純福音派もこの流れに属する。
近代ペンテコステ派・運動は1901年にカンザス州トピカの聖書学院から、ロスアンゼルスのアズサ・ストリートにあった伝道館・教会を経て世界中に広められた。やがて、1914年にアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団や他の教団が発足し運動が組織化され始めた。
ホーリネス教会の四重の福音(しじゅうのふくいん)「新生・聖化・神癒・再臨」をスローガンとはしていないが継承している。ホーリネスの「聖化」(きよめ)に相当するものは「聖霊の満たし」と表現し、聖霊に満たされた結果、宣教を進める力が与えられ、新約聖書(使徒言行録、コリントの信徒への手紙一)にある異言をともなう祈りをする、という信仰を持つ。
この異言をペンテコステの出来事において使徒らに発現した聖霊の賜物(=カリスマ)と同じものであるとする主張から、自らをペンテコステ派、その宣教運動をペンテコステ運動と呼ぶ。同様に「カリスマ派」「カリスマ運動」を自称する類縁教派・宣教運動もあり、他派からはまとめて「聖霊派」と総称される。
日本においては教団よりも同じ牧師や宣教師によって生まれた小さな「群れ」や、単立ペンテコステ教会という、個々が独立した緩やかなつながりを持つ教会が多いようである。
ペンテコステ派と音楽
現代のキリスト教音楽はペンテコステ派の多大なる影響をうけている。多くのワーシップソング(賛美歌)やゴスペルソングはペンテコステ派の音楽家によって書かれている。また、世界を代表するワーシップリーダーの多くは、ペンテコステ派である。ヒルソング教会、ビンヤード、チャーチ・オン・ザ・ウェイ等のペンテコステ派の教会達は、世界中で歌われている現代の賛美歌を多く書いている。日本でもこの傾向は同じで、ワーシップリーダー・小坂忠はペンテコステ派・フォースクエアゴスペル教団の牧師である。
また、ペンテコステ派の影響を受けて育った著名な音楽家も多い。エルビス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、マーヴィン・ゲイ、アクセル・ローズ、パット・ブーン等である。
ペンテコステ派と教会成長
世界の多くのメガ・チャーチ(会員2,000人以上の教会)はペンテコステ派あるいはその影響を多大に受けている教会である。世界最大の教会であるソウル・ヨイド純福音教会がその典型である。2006年に、共同通信社は、世界で最も成長しているキリスト教派はペンテコステ派だと発表している。
日本におけるペンテコステ教会の歴史と現状
クートの影響
日本、特に関西にあるペンテコステ派教団、単立教会や小さな群れの多くは、直接的か間接的に宣教師のレオナルド・クートの影響を受けている場合が多い。クート自身については色々と意見があるが、クートのペンテコステ派内での影響を無視することはできない。
クートの影響の理由は、クートが戦前から生駒聖書学院で長年にわたり多くの伝道者を訓練したことと、多くのアメリカのペンテコステ派宣教師はクートを頼ってきたからである。又、アメリカでも、クートは1940年代にインタナショナル・バイブル・カレッジ(当時、国際ユナイテッド・ペンテコステ教団所属)をテキサス州サンアントニオに建てており、多くの卒業生を日本に宣教師として送りだしている。
現在の日本におけるペンテコステ派
日本において現在活動中の教派(教団、連盟等)は、クートの影響を直接あるいは間接的に受けた、日本ペンテコステ教団、日本福音ペンテコステ教団、ネクスト・タウンズクルセード、トータルクリスチャンチャーチ、日本ユナイテッド・ペンテコステ教団や、影響を受けていないアッセンブリーズオブゴッド教団やフォースクエア教団がなどがある。。その他にも関西を中心に、既存の伝統的教団である日本基督教団や日本バプテスト連盟に所属する一部の教会を含む、多くの教会(単立教会が多い)や群れがある。
ペンテコステ派の教役者(主に牧師、牧師夫人、教会内献身者、神学生等)を中心とした緩やかな交流組織である「日本ペンテコステ親交会」には、カトリック教会に所属する聖職者の参加も見られる。
社会学的考察
ペンテコステ運動は、その初期、アメリカ都市部の移民・移住者・低所得層の間に広まった。彼等は言語障壁により社会的に抑圧された階層であり、「超自然的に獲得した言語能力により自らを聖別する」「情緒表現を抑制せずむしろ鼓舞する」この運動の特徴が特に彼等にアピールした結果と考えられている。ペンテコステ運動の伝播を追跡すると、訛も含む言語障壁や経済格差の存在する地域で特に旺盛である(主に参考文献『宗教セクト』による)。
※議論:この資料はペンテコステ運動を否定的にとらえ、批判する目的で作られた資料であろうと推測される。(この記事のノートを参照)
その他
参考文献
関連項目
外部リンク
ペンテコステ運動 (Pentecostalism)は、1900年頃にアメリカで始まった聖霊運動。その運動によって始まったキリスト教のプロテスタントの一派をペンテコステ派という。1960年代にアメリカで始まったカリスマ運動を含めて、聖霊派という。
- 「ペンテコステ派」と言うときには、通常、前記の聖霊運動の結果として生まれた諸教派を指す。
- カリスマ運動と言う時には、その後、ローマ・カソリック教会、プロテスタント諸教会の主流派(The Main Line Church)、福音派を問わず、教派の線を越えて広がった、以下に記したような特色を持つ運動のことを指す。
特色
特色は聖霊のバプテスマとそれに伴うしるしとしての異言を強調することである。 異言を伴う聖霊のバステスマ(マルコ福音書16章15~20節/使徒行伝2章1節~21節/ヨエル書2章28~32章/マタイ3章11節/などを参照)をキリストの教会に復興した「信仰復興(リバイバル)運動」であり、現在進行形の流れである。「後の雨リバイバル」との評価(日本では奥山実その他によって評価されている)もある。
聖霊の(=聖霊による)バプテスマによって与えられる聖霊の賜物も強調される。「聖霊の賜物」とは、異言・異言の解き明かし・預言・いやし・奇蹟・悪霊の追い出しなどを行う力のことである。聖霊の賜物が用いられることによって、神の栄光が現されるという信仰である。
運動の歴史
- ベンジャミン・アーウィンがバプテスト教会から、ホーリネス教会に移った後、J.フレッチャーの書物によって、聖霊の火による第三の御業を主張するようになった。この第三の御業には、叫び、すすり、泣き、異言、エクスタシーが伴うのが特徴。アーウィンの運動はアメリカ中西部、南部に広がって行った。
- 1859年にペンテコステ教会の最初の教会、Fire Baptized Holiness Churchが誕生した。これに続いてペンテコステ教会が次々に誕生した。
- 1906年 アメリカロサンゼルスのアズサ通りでウィリアム・シーモアを中心にリバイバルが起こる。シーモアが行った信徒の集会中にエクスタシー状態に陥り、異言を語る現象が起こった。そして、メソジスト教会で集会を継続した。このことがロサンゼルスの新聞に掲載されて、全米に広まった。このことがペンテコステ運動を決定付けた。[1]
- この運動によって、アセンブリーズ・オブ・ゴッド、フォースクエア福音教会、合同ペンテコステ教会の各教派が誕生する。
日本での宣教の歴史
- これらのグループから1913年から宣教師が送られて来た。はじめはペンテコステ教会を名乗り、その後日本聖書教会と改め、日本基督教団成立の祭には、他のグループと共に第十部に所属。戦後に離脱して日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団を設立した。
- 1939年から伝道が始められ教団を形成していた、日本ペンテコステ教団も戦中は解散を余儀なくされていた。1950年に宣教師の再来日で、同じ名前で再建された。この派は一人一派の活動をするので、多くのグループが誕生した。[2]
ペンテコステ派と音楽
現代のキリスト教音楽はペンテコステ派の多大なる影響をうけている。多くのワーシップソング(賛美歌)やゴスペルソングはペンテコステ派の音楽家によって書かれている。また、世界を代表するワーシップリーダーの多くは、ペンテコステ派である。ヒルソング教会、ビンヤード、チャーチ・オン・ザ・ウェイ等のペンテコステ派の教会達は、世界中で歌われている現代の賛美歌を多く書いている。日本でもこの傾向は同じで、日本を代表するワーシップリーダー・小坂忠師はペンテコステ派・フォースクエアゴスペル教団の牧師である。
また、ペンテコステ派の影響を受けて育った著名な音楽家も多い。エルビス・プレスリー、ジェリー・リー・ルイス、マーヴィン・ゲイ、アクセル・ローズ、パット・ブーン等である。
ペンテコステ派と教会成長
世界の多くのメガ・チャーチ(会員2000人以上の教会)はペンテコステ派あるいはその影響を多大に受けている教会である。世界最大の教会であるソウル・ヨイド純福音教会(チョー・ヨンギ牧師)がその典型である。2006年に、共同通信社は、世界で最も成長しているキリスト教派はペンテコステ派だと発表している。
クート宣教師のペンテコステ教会への影響
特に関西にあるペンテコステ派教団、単立教会や小さな群れの多くは、直接的か間接的にクート宣教師の影響を受けている場合がある。クート師自身については色々と意見があるが、師のペンテコステ派内での影響を無視することはできない。
クート師の影響の理由は、師が戦前から生駒聖書学院で長年にわたり多くの伝道者を訓練したことと、多くの(アッセンブリーズ教団とフォースクエア教団以外の)アメリカのペンテコステ派宣教師はクート師を頼ってきたからである。又、アメリカでも、クート師は1940年代にインタナショナル・バイブル・カレッジ(当時、国際ユナイテッド・ペンテコステ教団所属)をテキサス州サンアントニオに建てており、多くの卒業生を日本に宣教師として送りだしている。
師の影響を直接あるいは間接的に受けた教団は、日本ペンテコステ教団、日本福音ペンテコステ教団、ネクスト・タウンズクルセード、トータルクリスチャンチャーチ、日本ユナイテッド・ペンテコステ教団等である。その他にも関西を中心に多くの単立教会や群れがなんらかの影響を受けている。
ごく一般的なプロテスタントと異端の見分け方
最も明確かつ簡単なカルトの見分け方として、福音(イエスキリストの贖罪と復活)・三位一体などの中心的教理と信仰を守っているか否かで判断するというのがある。福音や三位一体を認めていない教会は、たとえ聖霊のバステスマを標榜していようとも異端と看做す[3]。
日本の聖霊派
- 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、(アッセンブリーズ・オブ・ゴッドの日本の団体)
- 日本フォースクエア福音教団、(国際フォースクエア伝道教会の日本の団体)
- 日本チャーチ・オブ・ゴッド教団(Church of God in Christの日本の団体)/神の教会
- 日本オープン・バイブル教団
- トータル・クリスチャン・チャーチ
- イエス・キリスト福音の群
- 神の家族キリスト教会
- 日本ペンテコステ神之教会教団
- 使徒の信仰伝道団
- 純福音日本国内教会
- カルバリキリスト教団
関連
脚注
参考文献
- 共立基督研究所編『宣教ハンドブックQ&A130(共立モノグラフNo.4)』いのちのことば社,1991
- 今橋朗・徳善義和著『よくわかるキリスト教の教派』キリスト新聞社、1996