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'''十字架'''は[[イエス・キリスト]]が[[磔刑]]に処されたときの刑具であり、またこの刑具に由来する[[キリスト教]]で最も重要な宗教的象徴である。日本語では後者のうち立体のものを十字架と呼び、旗や紋章に描かれた二次元のものは[[十字]]と呼ぶことが多い。
'''十字架'''は[[イエス・キリスト]]が[[磔刑]]に処されたときの刑具であり、またこの刑具に由来する[[キリスト教]]で最も重要な宗教的象徴である。日本語では後者のうち立体のものを十字架と呼び、旗や紋章に描かれた二次元のものは[[十字]]と呼ぶことが多い。


==歴史と受容==
十字架がキリスト教の信仰のなかで重視されるようになったのは[[4世紀]]以降である。十字架はキリストの受難の象徴また死に対する勝利のしるしとして捉えられた。
十字架がキリスト教の信仰のなかで重視されるようになったのは[[4世紀]]以降である。十字架はキリストの受難の象徴また死に対する勝利のしるしとして捉えられた。
キリスト教を公認した[[ローマ皇帝]][[コンスタンティヌス1世]]の夢に十字架が勝利のしるしとして現れたという伝承や、コンスタンティヌスの母[[ヘレナ]]が[[エルサレム]]巡礼に際して十字架の遺物を発見したという伝承がある。
キリスト教を公認した[[ローマ皇帝]][[コンスタンティヌス1世]]の夢に十字架が勝利のしるしとして現れたという伝承や、コンスタンティヌスの母[[ヘレナ]]が[[エルサレム]]巡礼に際して十字架の遺物を発見したという伝承がある。

2004年4月17日 (土) 02:12時点における版

十字架イエス・キリスト磔刑に処されたときの刑具であり、またこの刑具に由来するキリスト教で最も重要な宗教的象徴である。日本語では後者のうち立体のものを十字架と呼び、旗や紋章に描かれた二次元のものは十字と呼ぶことが多い。

歴史と受容

十字架がキリスト教の信仰のなかで重視されるようになったのは4世紀以降である。十字架はキリストの受難の象徴また死に対する勝利のしるしとして捉えられた。 キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の夢に十字架が勝利のしるしとして現れたという伝承や、コンスタンティヌスの母ヘレナエルサレム巡礼に際して十字架の遺物を発見したという伝承がある。

カトリックおよび東方正教会においては、この十字架発見を始めとして、幾つかの十字架に関する祝祭日がある。信者は十字架を身に付けるほか、指を用いて十字を描くのを常とする。東方教会では十字を画くのに右手を用い、まず上から下へ、つぎに右肩から左肩へと画く。このとき指は親指・人差し指・中指の三指を伸ばして合わせ三位一体を現わし、残る二本の指は内側へ折る。このような画き方は古代の教義論争の結果成立したものであり、最初期には一本指・二本指などいろいろな方法があった。また十字を画く場所も多岐にわたった。

プロテスタントでも十字架はキリストの受難を象徴するものとして教会装飾に取り入れられるが、ほとんどの教派では十字を描く習慣は廃されている。

十字架の道行き

カトリックで行われる祈祷の一形態。中世末期から行われるようになった。キリストのまねびの一形態ともいえる。 イエスの受難を、捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、その一つ一つの場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。 聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。これを模すために カトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が掲げてある。 最後の15番目場面の復活は祭壇側に向かって祈る。ただし、四旬節中は、14番目までの祈りが奉げられる。 特に四旬節は毎週金曜日に行われるのが一般的である。