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'''出家''' (しゅっけ、pravrajyaa、प्रव्रज्या (sanskrit)) とは、家庭生活を捨てて遍歴・遊行(ゆぎょう)生活に入ることで、世俗を離れ、修行者の仲間に加わること。
'''出家''' (しゅっけ、pravrajyaa、प्रव्रज्या (sanskrit)) とは、世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ること。


[[仏教]]教団において[[剃髪]](ていはつ)して[[袈裟]]を被い、[[受戒]](じゅかい)し、[[沙弥]]・[[沙弥尼]]となることをいうが、[[具足戒]]を受けた[[比丘]]・[[比丘尼]]を呼ぶ場合にも使う。[[在家]](ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、[[バラモン教]]の伝統的権威を認めない[[沙門]](しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、[[解脱]](げだつ)への道を求めて禅定や苦行(くぎょう)などの修行にいそしんだ。有力な沙門のもとには多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、[[釈迦]](しゃか)もその沙門の一人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。
[[仏教]]教団において[[剃髪]](ていはつ)して[[袈裟]]を被い、[[受戒]](じゅかい)し、[[沙弥]]・[[沙弥尼]]となることをいうが、[[具足戒]]を受けた[[比丘]]・[[比丘尼]]を呼ぶ場合にも使う。[[在家]](ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、[[バラモン教]]の伝統的権威を認めない[[沙門]](しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、[[解脱]](げだつ)への道を求めて禅定や苦行(くぎょう)などの修行にいそしんだ。有力な沙門のもとには多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、[[釈迦]](しゃか)もその沙門の一人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。

2004年4月20日 (火) 01:45時点における版

出家 (しゅっけ、pravrajyaa、प्रव्रज्या (sanskrit)) とは、世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ること。

仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、受戒(じゅかい)し、沙弥沙弥尼となることをいうが、具足戒を受けた比丘比丘尼を呼ぶ場合にも使う。在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行(くぎょう)などの修行にいそしんだ。有力な沙門のもとには多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦(しゃか)もその沙門の一人であった。仏教における出家の伝統はこれに由来する。

仏教では、出家者は在家者を教え導き、在家者は出家者を経済的に資助するものとされ、出家の精神的優位が説かれたが、紀元前1世紀頃に始まった大乗仏教においては、菩薩(ぼさつ)による衆生済度(しゅじょうさいど)の観点から、在家の意義も積極的に認めた。
中国では、仏教の出家主義は儒教(じゅきょう)の側から「孝」(こう)などの社会規範を乱すものとしてしばしば非難を受けた。また唐代以降は、国家経済的見地から出家行為自体を統制し、出家者数を国家的に管理する法制度が整えられた。