「秋葉原通り魔事件」の版間の差分
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*[[裁判長]]より[[刑事訴訟法]]に則り、人定質問がなされ、[[被告人]]の[[氏名]]、[[生年月日]]、[[職業]]、[[住居]]、[[本籍]]等を確認した。(人違いを防止する為。この行為はどの[[刑事裁判]]でも初[[公判]]時に必ず行われる。) |
*[[裁判長]]より[[刑事訴訟法]]に則り、人定質問がなされ、[[被告人]]の[[氏名]]、[[生年月日]]、[[職業]]、[[住居]]、[[本籍]]等を確認した。(人違いを防止する為。この行為はどの[[刑事裁判]]でも初[[公判]]時に必ず行われる。) |
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*[[検察]] |
*[[検察 |検察側]]の[[起訴状]][[朗読]]の後、検察側の冒頭陳述にて当該事件の内容が詳細に述べられた。 |
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*裁判長による[[黙秘権]]の説明の後、[[罪状認否]]に於いて[[被告人]]は起訴事実を認めた。 |
*裁判長による[[黙秘権]]の説明の後、[[罪状認否]]に於いて[[被告人]]は起訴事実を認めた。[[弁護人 |弁護側]]からは[[責任能力]]に疑問がある旨の弁護があった。 |
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*しかし、検察側が裁判所に提出した[[証拠]]を弁護側が認めなかった為、検察側は事件の[[立証責任]]の為、第一審裁判にて[[物証]]の提示や[[証人]]を東京地方裁判所に召還し、公判にて証言させる必要に迫られた。([[被告人]][[推定無罪]]の[[法則]]による為) |
*しかし、検察側が裁判所に提出した[[証拠]]を弁護側が認めなかった為、検察側は事件の[[立証責任]]の為、第一審裁判にて[[物証]]の提示や[[証人]]を東京地方裁判所に召還し、公判にて証言させる必要に迫られた。([[被告人]][[推定無罪]]の[[法則]]による為) |
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2010年1月29日 (金) 17:16時点における版
秋葉原通り魔事件 | |
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外神田交差点で現場検証をする捜査員 | |
場所 |
日本東京都千代田区外神田 (秋葉原) |
日付 |
2008年6月8日 午後12時30分 (UTC+9) |
標的 | 民間人 |
攻撃手段 |
トラックで轢く。 ダガーナイフで斬殺する。 |
武器 | 2トントラックとダガーナイフ |
死亡者 | 7人 |
負傷者 | 10人 |
動機 | たくさん人を殺せば死刑になれるから |
秋葉原通り魔事件(あきはばらとおりまじけん)とは2008年(平成20年)6月8日に東京・秋葉原で発生した通り魔事件のことである。この事件で7人が死亡、10人が負傷した。今では「秋葉原無差別殺傷事件」とマスメディア等で報道されている。
事件の概要
日本時間の6月8日午後0時30分過ぎ、東京都千代田区外神田4丁目の神田明神通りと中央通りが交差する交差点で、2トントラックが、西側の神田明神下交差点方面から赤信号を突っ切り、横断中の歩行者5人をはねとばした。
このトラックは交差点を過ぎて対向車線で信号待ちをしていたタクシーと接触して停車。周囲の人々は最初は交通事故だと思ったが、トラックを運転していた男性は車を降りた後、撥ねられて道路に倒れこむ被害者や救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーナイフで立て続けに殺傷した[1]。
さらに、この男性は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後数分して万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が男を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃を抜いてナイフを捨てるように警告し、それに応じナイフを捨てた男性を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえた[2][3]。これらはおよそ5-10分間ほどの間の出来事だった。
事件当日は日曜日で中央通りは歩行者天国となっている区域だった。この日も多くの買い物客や観光客でごった返しているなかの凶行であり、事件直後に多くの人々が逃げ惑い、また、負傷者が横たわる周囲が血の海になるなど事件現場はさながら戦場の様相を呈しており、まさに白昼の惨劇であった。男性はナイフは他にも5本所持していたことが明らかになった。
救急活動
一方、これらの凶行に対する救命活動はおおむね迅速に遂行された。犯行現場にいた一般の通行人は犯人がまだ拘束されていない段階から積極的に被害者たちに対する一次救命処置を開始[4]し、また、携帯電話などを活用しての迅速な通報がなされた。
東京消防庁は12時36分に最初の119番通報を受信、通常の救急事案として、救急隊1隊と救急隊支援のための消防隊1隊を出場させたが、さらに通報が相次いだことから、指揮隊1隊と救急隊4隊を応援隊として出場させた。同43分には最初の救急隊(浅草橋出張所)が現場に到着した。現場到着部隊は、通常の態勢で対処できる状況ではないと判断し、現場到着とほぼ同時に、災害派遣医療チームの出場を要請、東京消防庁は東京DMATに対して出動要請を行なった。47分には消防の現場指揮本部から応援要請を受け、多数の傷病者に対応するための「救急特別第1出場」を発令、救急隊10隊や、東京DMATの支援のための消防隊等を追加出場させた。同49分には、先に出場を指令された救急隊5隊が現場での活動を開始している。
東京消防庁がDMATチームに出動を要請してから12分後の12時55分、現場から最も近かった日本医科大学付属病院のDMATチームが現場到着した。日本医大DMATチーム指揮官は、犯行規模の大きさからDMATチームをさらに2チーム追加投入するよう要請し、13時8分に東京医科大学病院のDMATチームが到着、これにより、自然災害以外としては初のDMATチーム複数投入が実施されることとなった。最終的には、日本医大、東京医大に加え、白鬚橋病院と都立広尾病院の4チームが現場に展開している。1時過ぎにはDMATチームの現地指揮所が設置され、最初に現場に展開した日本医大チームが全体の指揮を執ることで指揮系統が確立された[5]
これらのDMATチームが主導することで、救急活動はおおむね円滑に遂行されたと評価されている。しかし、一方で、DMATチームの出動に頼ったために、初動のトリアージに遅れが出た可能性も指摘されている[6]。
容疑者
現行犯逮捕された容疑者は青森県青森市出身の25歳の男性だった(1982年9月生まれ、年齢は犯行当時)。容疑者は2003年3月岐阜県の短大卒業後、2003年7月から2005年2月まで宮城県仙台市で警備員として、2005年4月から2006年4月まで埼玉県上尾市にある自動車工場の派遣社員として、2006年5月から2006年8月まで、茨城県常総市の住宅建材メーカーに派遣社員として、2007年1月から2007年9月まで青森県青森市でトラックの運転手として(2007年4月以降は正社員)、2007年11月から2008年6月まで静岡県裾野市の自動車工場の派遣社員として、各地を転々としながら働いていた。
犯行当時は東京都内にある人材派遣会社、日研総業と契約し、静岡県裾野市のトヨタ自動車系列会社、関東自動車工業の工場に派遣されていた(後日、関東自動車工業が容疑者に関わる事案とお詫びを発表[7])。犯行に使用されたトラックは犯行日前日にレンタカーとして借りた車で、犯行に使用されたダガーナイフなどのナイフ類6本は犯行日2日前に福井県福井市のミリタリー輸入雑貨店で購入したものであった[8]。トラックで人を跳ね飛ばすのは2005年4月に発生した仙台アーケード街トラック暴走事件(容疑者は仙台市の事件現場の近くに住んでいたことがある)を参考にし、ナイフで人を襲うのは2008年3月に発生した土浦連続殺傷事件を参考にしたと供述している。
容疑者はそのトラックを自ら運転し、東名高速道路を経由して上京し犯行に及んだとされている。逮捕後容疑者は「生活に疲れた。世の中が嫌になった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」などと犯行の動機を供述している。
容疑者は拘置所においては弁護士以外との面会を拒否し、手紙の受け取りを拒否している[9]。
携帯サイトの掲示板
さらに、容疑者は携帯サイトの掲示板で約1000回の書き込みを行っていた。心のよりどころを携帯サイトの掲示板にするも、次第に孤立感を深め、次第に殺人を予告する書き込みを行うようになっていった。6月8日午前5時21分、「秋葉原で人を殺します」とのタイトルで、「車でつっこんで、車が使えなくなったらナイフを使います みんなさようなら」との犯行予告を行なった[10][11][12]。その後、沼津から犯行現場まで移動する間に約30回のメッセージを書き込んでいた[13]。
被害者
17名がトラックではねられたり刺されたりするなどの被害を受け、その内、7名(19歳から74歳までの男性6名、21歳の女性1名)が死亡した[14]。通り魔事件としては過去30年で最悪の事件とみられている[15](ただし、無差別殺人は2時間に30人が殺傷された1938年の津山事件がある)。 被害者数は平成時代に起きた無差別殺傷事件としては奇しくも7年前の同じ日に発生した大阪教育大学附属池田小学校の児童殺傷事件に次ぐ惨劇になった。
トラックではねられる(5人、死亡3人・負傷2人)
- 74歳男性 - 左背中刺創・死亡(東京慈恵会医科大学附属病院)
- 19歳男性 - 腹部打撲・死亡(国立国際医療センター)
- 19歳男性 - 死因不明・死亡(三井記念病院)
- 20歳男性 - 腰の痛み・軽傷(白鬚橋病院)
- 19歳男性 - 擦過傷・軽傷(三井記念病院)
ナイフで刺される(12人、死亡4人・負傷8人)
- 21歳女性 - 失血・死亡(東京医科歯科大学)
- 47歳男性 - 背部刺創・死亡(東京女子医科大学)
- 33歳男性 - 背部刺創・死亡(駿河台日本大学病院)
- 31歳男性 - 胸部貫通刺創・死亡(東京都立墨東病院)
- 43歳男性 - 背部刺創・重傷(聖路加国際病院)
- 53歳男性 - 腰・重傷(東京医科歯科大学)
- 24歳女性 - 肺・重傷(東京医科歯科大学)
- 53歳男性警察官 - 胸部刺創・重傷(東京大学医学部附属病院)
- 27歳男性 - 背部刺創・軽傷(日本医科大学)
- 54歳男性 - 右胸刺創・重体(日本医科大学)
- 30歳女性 - 腹部刺創・重傷(聖路加国際病院)
- 28歳男性 - 右前腕切創・軽傷(東京厚生年金病院)
事件の反響
報道
日曜の午後に一般市民を巻き込んで発生した重大事件であったため、主要メディアが大きく報道した[16][17] [18] [19]。また、国外のメディアも速報で伝えた[20] [21] [22] [23] [24] [25]。事件の速報中に初期の頃は死者2人だったのが度々速報が入るにつれて死者の数が増えていき、最終的に死者7人になる殺人事件となった。
なお、事件現場が秋葉原であったことから、防犯カメラや一般人によるカメラなどでの撮影が多く、犯人と警察官が対峙する場面の画像撮影や警察官が犯人を押さえつけている映像が存在しており、一部のマスメディアはこれらの画像や映像を使用した。
歩行者天国の中止
事件を受け、千代田区や所轄の万世橋警察署、地元町会は秋葉原の歩行者天国のあり方について議論し、毎週日曜日12:00〜17:00まで中央通りにて行われていた歩行者天国の中止を東京都公安委員会に届出、6月13日に当分の間中止することを決めた。中止を受け、事件後最初の日曜日である2008年6月15日より実施された。なお、2010年現在も秋葉原の歩行者天国は再開の目処が立っていない。
公的機関
福田康夫総理大臣(当時)は、泉信也国家公安委員長に対し、事件の再発防止策の検討を指示した。また、町村信孝官房長官は刃物の所持規制強化を検討すると述べた。千代田区立の小中学校に子供達の精神ケアを行うカウンセラーを派遣することを決めている[26]。
民間
- Yahoo! ショッピングやamazon.co.jp、楽天においてダガーナイフの販売を全面中止。オークションでの出品も全面禁止となった。
- TBSは6月9日に月曜ゴールデンで放送予定であったテレビドラマ『森村誠一サスペンスシリーズ(7) 〜時〜』にひき逃げや人が刺されるシーンがあり、事件を連想させるとして放送を自粛すると発表し、急遽、映画『NANA』を代替放送した。なお、『時』は2008年9月15日に放送された。
- 6月12日に事件が発生した秋葉原を含む都内3ヶ所で『メタルギアソリッド4』の発売イベントを行う予定であったがこの事件により中止となった(ただし、ソフトは通常通り発売された)。
- 事件現場の前にあるソフマップ本館は当日午後の営業を取りやめ、現場近くのPCパーツショップなどの店舗も事件発生後、当日の営業を急遽中止・終了した。後日、ソフマップ本館前には臨時の献花台テントが設営され、多くの人が亡くなった犠牲者に対して献花した。なお、この献花台は6月16日以降、交差点の反対側の旧日本通運本社跡(現:住友不動産秋葉原ビル)に移設されていたが、犠牲者の四十九日にあたる2008年7月27日を過ぎたことを機に、翌7月28日撤去された。
- 東映制作の特撮テレビドラマ『炎神戦隊ゴーオンジャー』では番組中に登場する武器「ロケットダガー」の呼称を当分自粛[27]、メインスポンサーであるバンダイは、同武器の玩具の発売直前に商品名を『スイッチ噴射剣ロケットダガー』から『スイッチ噴射剣ロケットブースター』に急遽変更し、パッケージと説明書の作り直しの為発売が延期された。『ダガー』の名称が本事件に用いられた凶器『ダガーナイフ』を連想させるための配慮である[28]。呼称の自粛は同年度の冬ごろには解除されている(劇中の武器名は変更なし)。
ネット上における反応
- 事件の悲惨さを嘆いたり、事件が起きたことに対する憤り、犯人に対する怒りといったような、凶悪犯罪が起きた場合にはよくある典型的な一般大衆の反応があった。しかし、その一方で犯人を英雄視する見方も発生した。この見方においては、犯人に対して、「犯人は神」、「格差社会の英雄」、「勝ち組に対して事件を起こすことで一矢報いた」、「犯人は我々のスケープゴートとなった聖人」などと語られた[29]。
献花台の設置・供物の窃盗
- 事件を受け、事件現場の交差点のソフマップ本館側の歩道に、仮設テント付の献花台が設置された。
献花台に供えられたものは法的にみて千代田区の所有物であり、それらを持ち去ることはれっきとした窃盗にあたる。万世橋警察署はこうした事例を受け、定期的に保管所へ移動させるなどの処置を行ったが持ち去りは後を絶たず、パトロールを強化するなどして対応した。現在は前述の通り献花台は撤去されている。ただし、持ち去りについては供物を「お下がり」として持ち帰ったとする解釈もあり、その正否の解釈が分かれる。
労働環境
加害者が派遣社員であったことから、若者の雇用環境が厳しくなっていることが将来に希望を失い、事件の動機になったとする見方も出た。またこの事件を持って若者の雇用環境悪化を問題視する意見が報道機関から多数出て、読者からの投稿でもそれに追随する意見が出された。加害者はずっと派遣社員だったわけではなく、一時期地元の青森で正社員として勤務している(後に自己都合退職)。これについては、青森では最低賃金や求人倍率が全国でも1、2を争うほど低く、正社員の求人も月収12-16万円程度が相場のため、都市部に仕事を求めていったのではとの見方もある[30]。なお、この年の下旬には世界的な金融危機に伴い、製造業を中心に大量の派遣労働者が雇止めされる(派遣切り)事態となり、秋葉原の事件の再発が危惧されたが杞憂に終わった。
犯人の世代
この事件の犯人は、1997年の神戸連続児童殺傷事件(1997年)の犯人(酒鬼薔薇聖斗・逮捕時14歳)や2000年の西鉄バスジャック事件の犯人(ネオむぎ茶・逮捕時17歳)など世間から注目を集めた少年犯罪があり、2000年にはキレる17歳と呼ばれた世代(同学年・1982年4月2日 - 1983年4月1日生まれ)と同じだったことから、「理由なき犯罪世代」として世代論について語られた[31]。また、西鉄バスジャック事件とはネットでの犯行予告という共通点もある。
犯罪予告
事件後複数のサイトにおいて、殺人などの犯罪予告が相次ぎ、7月7日までに33人を検挙した。事件前は月に2~3件だったが、事件後1ヶ月で100件以上になっている。このほとんどが10代と20代で、供述内容などからそのほとんどが悪戯とされているが、実行の意思とは関係なく脅迫罪や威力業務妨害に該当するれっきとした犯罪である。小中学生が行ったものもある[32]。また、通り魔事件や犯人に対して言及したものも一定数みうけられる。警察庁は6月24日に、全国の警察本部にネット掲示板への犯罪予告の書き込みを厳正に取り締まり、摘発例を積極的に広報することなどの通達を出した[33]。
レンタカー事業者
レンタカー事業者のなかには犯罪の手段として使用されやすい商用車の貸出要件の厳格化(使用目的の確認、クレジットカードの保有を条件とする)を行う動きがみられた。仙台のアーケードでの暴走事件と、今回の事件では同じレンタカー会社の車両が使われた。レンタカー会社は後日、追悼の意を表明する旨をトップページに掲載した。
銃刀法の改正
この事件の影響を受け、2009年1月5日に銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)が改正された。内容は、「刃渡り5.5cmの剣が原則所持禁止」が主となっている。これにより集蜜用ナイフやカキの殻むきナイフも違法にあたると発表され、各業界で混乱を招いている。
監視カメラの設置
2010年1月、千代田区外神田三丁目の一部地域で、防犯目的での監視カメラが公園や電柱上に16台設置・運用開始された。管理は町会がしている。
起訴及び裁判
3ヶ月に渡る精神鑑定の結果「完全な責任能力あり」との鑑定結果が出されたことから、東京地検は10月6日から被害者や遺族への通知を開始し、10月10日に殺人、殺人未遂、公務執行妨害、銃刀法違反での起訴に踏み切った[34]。10月31日には公判前整理手続に入ることが決定され、翌2009年6月22日には第1回公判前整理手続が行なわれて、弁護側は起訴事実を大筋で認めた[35]。
第一審・東京地方裁判所
2010年1月28日、東京都千代田区霞が関一丁目にある東京地方裁判所にて刑事裁判による第一審の初公判が開かれた。被告人は事件発生後、初めて公の場に姿を現した。
- 裁判長より刑事訴訟法に則り、人定質問がなされ、被告人の氏名、生年月日、職業、住居、本籍等を確認した。(人違いを防止する為。この行為はどの刑事裁判でも初公判時に必ず行われる。)
- 検察側の起訴状朗読の後、検察側の冒頭陳述にて当該事件の内容が詳細に述べられた。
- 裁判長による黙秘権の説明の後、罪状認否に於いて被告人は起訴事実を認めた。弁護側からは責任能力に疑問がある旨の弁護があった。
- しかし、検察側が裁判所に提出した証拠を弁護側が認めなかった為、検察側は事件の立証責任の為、第一審裁判にて物証の提示や証人を東京地方裁判所に召還し、公判にて証言させる必要に迫られた。(被告人推定無罪の法則による為)
脚注
- ^ 当初、サバイバルナイフを使用したとの報道もあったが、トラック内のショルダーバッグにはサバイバルナイフなどもあったものの事件当時使用されたのはダガーナイフであった。ほか、ペティナイフ、特殊警棒1本がトラック内からみつかっている。“秋葉原通り魔:「5、6日に決意」 福井でナイフ6本購入”. 毎日新聞. (2008年6月9日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “秋葉原で通り魔、トラックで次々とはねてナイフで斬りつけ、7人が死亡”. GIGAZINE. (2008年6月8日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ 北村/Webアキバ編集部 (2008年6月8日). “アキバで通り魔事件”. ASCII.jp. アスキー・メディアワークス. 2008年7月19日閲覧。
- ^ 「東京DMATの一員として -秋葉原無差別殺傷事件の現場で」『元気がいいね』第51号、東京都医師会、2009年8月11日閲覧。
- ^ 吉原淳 (2008年6月13日). “惨劇のアキバ 救命最前線は : 秋葉原無差別殺傷”. 読売新聞 2009年8月11日閲覧。
- ^ “患者選別「トリアージ」手間取る…秋葉原殺傷”. 読売新聞. (2008年10月15日) 2009年8月11日閲覧。
- ^ "6月8日秋葉原通り魔事件の報道について" (PDF) (Press release). 関東自動車工業. 9 June 2008. 2008年7月19日閲覧。
- ^ ミリタリー輸入雑貨店は10日間販売を自粛した後で福井市の店の対面販売を止めて、ネット販売のみ続けている
- ^ “「なぜ息子は死んだのか」=救いたかったと遺族、今も−秋葉原無差別殺傷から1年”. 時事通信社. (2009年6月6日)
- ^ “携帯サイトで犯行予告 秋葉原無差別殺傷7人死亡”. 朝日新聞. (2008年6月9日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “秋葉原通り魔:携帯掲示板に予告 警視庁に情報、警戒中”. 毎日新聞. (2008年6月9日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “犯行予告 容疑者の文章(6月8日)”. 読売新聞. (2008年6月9日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “「秋葉原で人を殺します」容疑者、携帯掲示板に予告”. 読売新聞. (2008年6月9日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “白昼の秋葉原で25歳男が凶行、18人に切りつけ7人死亡”. 読売新聞. (2008年6月8日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “【秋葉原通り魔事件】犯行使用のナイフとは別の刃物も所持 過去30年で被害最悪か”. 産経新聞. (2008年6月8日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ 秋葉原無差別殺傷 - ニュース特集(朝日新聞)
- ^ 秋葉原通り魔事件 - トピックス(産経新聞)
- ^ 秋葉原通り魔 - 毎日jp(毎日新聞)
- ^ 秋葉原無差別殺傷:特集(読売新聞)
- ^ CNN.com:At least seven killed in Tokyo stabbing spree
- ^ BBC News:Seven dead in Tokyo knife attack
- ^ REUTERS:Man stabs shoppers in Tokyo street, killing seven
- ^ Правда:В Токио от нападения преступника погибли шесть человек
- ^ Le Monde:Tokyo : coup de folie meurtrière à Akihabara
- ^ Le Figaro:Tokyo : coups de poignard mortels dans la foule
- ^ “秋葉原無差別殺傷 「悪い町に…なぜ」地元町会、急激な変化懸念”. 産経新聞. (2008年6月10日) 2009年12月21日閲覧。
- ^ 武器自体は登場。事件直後に放送された数話では明らかに台詞を消したと思われる"間"がある。
- ^ ただし『ダガー』という名称自体はゲームや玩具などで以前から使われており珍しいものではない。
- ^ 『ネットで「神」と崇められる「アキバ通り魔」』『週刊新潮』2008年 6月26日号。
- ^ 豊吉広英 (2008年6月12日). “より高給、より望む職求め県外へ 容疑者が故郷を離れた環境”. 産経新聞 2008年7月19日閲覧。
- ^ “【秋葉原通り魔事件】神戸事件やバス乗っ取りと同学年”. 産経新聞. (2008年6月11日)
- ^ 遠山和彦 (2008年7月8日). “東京・秋葉原殺傷:事件1カ月 犯行予告33人摘発、ネット模倣100件超”. 毎日新聞 2008年7月19日閲覧。
- ^ “秋葉原通り魔事件後、17人を摘発・補導 警察庁「7割は定職つかず」”. 産経新聞: p. 2. (2008年6月24日) 2008年7月19日閲覧。
- ^ “秋葉原事件 容疑者、精神鑑定で「責任能力あり」”. 朝日新聞. (2008年10月6日) 2008年12月21日閲覧。
- ^ “秋葉原無差別殺傷事件で公判前整理手続き 被告起訴事実大すじ認める ”. 産経新聞. (2009年6月22日) 2009年12月21日閲覧。