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「ノート:エホバの証人」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
O^tsuka (会話 | 投稿記録)
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:個人的な感情のままに書きこみをしてしまい、また、エホバの証人の方に失礼な態度を取ってしまった事は、私自身、申し訳なく思っています。
:個人的な感情のままに書きこみをしてしまい、また、エホバの証人の方に失礼な態度を取ってしまった事は、私自身、申し訳なく思っています。
[[利用者:Bigkoro|Bigkoro]] 2005年11月2日 (水) 21:36 (UTC)
[[利用者:Bigkoro|Bigkoro]] 2005年11月2日 (水) 21:36 (UTC)


::改竄という表現には問題があったかもしれません、他によい表現があればそちらに訂正します。
::私も教団内部と外部との認識にズレがあることは否定しませんが、''批評家の主張する''といった文言は、ともすれば部外者が勝手に主張しているといった印象をうけますし、項目の終わりに付け足されていた''エホバの証人はこうした事実を認めていない''という文言は、違う事実を主張しているのか単に認めていないだけなのかわかりません。書き加えるならば、「エホバの証人が信じている(或いは主張する)事実」を書き加えればよいのではないでしょうか。
::いわゆる「大ちゃん事件」についても、助からなかった可能性が高いという話は信者の間では通説のようになっているようですが、医師の初診では「入院二ヶ月」だったそうですから、これも''仮に輸血を施しても助からなかった可能性が高かったことが分かった''とだけ書くのは問題があるように思います。このようなことより、旧版のほうがより適切ではないかと思った次第です。
::しかし、何も連絡することなく勝手に前の版に戻したことは間違った行動でした。きちんとみなさんにお話をし、意見を仰ぐべきでした。―[[利用者:O^tsuka|O-tsuka]] 2005年11月3日 (木) 06:48 (UTC)

2005年11月3日 (木) 06:48時点における版

改変この項目は特定の版の削除が行われています。削除に関する議論は[[ノート:ノート:エホバの証人/削除]]をご覧ください。


ノート:エホバの証人/archive1 ノート:エホバの証人/archive2 アーカイヴ化しました。KIZU 11:00 2004年3月25日 (UTC)

snufkinです 久しぶりに来たら予想通りの状態になっていました(笑) 現在の記事は辞書としては偏向が多々見受けられます。 ・エホバの証人独自の語の用法が増え記事内容の汎用性が損なわれています ・記事のソースがエホバの証人側のものばかりで中立的な視点が失われています 以上の理由から編集停止解除の要請をします。

とりあえず現実的な方策として記事の変更箇所をこの場で明らかに したいと考えていますがよろしいでしょうか

snufkin 21:53 2004年4月26日 (UTC)snufkin アーカイブざっと読みました、偏向ページが飛び散っている様子確認しました


Snufkinさん、お久しぶりです。

何がどうなっているのか、どういう経緯で保護されたもので、現段階では保護しておく必要があるかどうか、以前少し調べたので、もう一度ざっと見回してまとめてみました。

かなり錯綜していて整理するのが大変そうなので、いっそのことこれまでの経緯を無視して一斉解除してしまって、問題が発生したらまた保護をかける、ぐらいの方が簡単でいいんじゃないかとも思いましたが。。

  • Wikipedia:保護依頼のページには保護の記録がなく、そもそもページが作られる前に保護されたもののようです。
  • Wikipedia:Protection_logを見ると、2月27日に保護がかけられたものです。ログの性質上、理由は記録されていないのですが、当時関連のページが幾つか保護されており、その理由は中立性と編集合戦にあるようです。保護をかけたSuisuiさんがこのノート:エホバの証人で理由を説明しており、それがノート:エホバの証人/archive1に残っています。(以下、同ページで参照できる書き込みはA1と記します。)
  • 記事の履歴を見ると、K.M.さんとHarukaさんが「キリスト教」と「キリスト教系」という形容のどちらにするかについて話し合いをすることもなく変更を繰り返していたようです。(いわゆる編集合戦)
  • キリスト教vsキリスト教系の点については、保護がかけられたすぐ後、2月28日に僕が両論併記の栄案をこのノートでしています。(A1)
  • この案については、Kadzuwoさんが特に反対を表明されています。(A1)
  • 3月に入って、宮原崇さんが諸点に渡る具体的な改訂案を出され、K.M.さんは賛成。他に特に反対意見は出ていません。(A1)ちなみに宮原さんは保護がかかって以降ノートでの議論に参加された方で、編集合戦などには関わっていないように思います。
  • ただし、この宮原案には「キリスト教」vs「キリスト教系」についての解決案が含まれていません。また、ものみの塔聖書冊子協会という記事との並立でよいか、そうだとしたらどのような分担関係をとるかについての案もありません。それをK.M.さんが指摘しています。(A1)
  • ほぼ同時期、ノート:聖霊で僕がこの記事を含む関連記事の一斉保護解除を提案してみましたが、おそらくこの2点を理由にK.M.さんが、この記事については当面保護解除を見合わせるほうがよい、と意見を出しています。他にSuisuiさんも反対意見です。(同ノートを参照。)
  • 一斉保護解除の提案が出ている間に、ノート:エホバの証人/archive2(以下A2)にある通り、宮原さんが更にこの記事の改訂案を出されました。これは、上記のK.M.さんが問題にした2点についての解決案も含むものです。K.M.さんは賛成(A2)。
  • K.M.さんはKIZUさんとHarukaさんの意見を知りたいと言うことでしたが、それを受けて利用者‐会話:Harukaでの宮原さんが問い合わせを行いました。それに応じてHarukaさんは、宮原さんの案の一部にやや反対を表明しましたが、これはK.M.さんが問題にした2点とは異なる点のようです。(つまり、K.M.さんとの間にあった争点はここで事実上解消を見たと考えられるのではないかと思います。)宮原さんはKIZUさんにも問い合わせを行いましたが、返事はないようです。
  • 更に、4月に入ってからWikipedia:コメント依頼に、K.M.さんによってコメント依頼が出されており、これは、キリスト教の団体なのかキリスト教系の団体なのかについて議論が分かれていることを指摘しています。併せて、ノート:ものみの塔聖書冊子協会にもあるように、記事の並立の可否、記事間の分担、教団の名称などをめぐっても論争の解消を見ていない、ということのようです。ですが、どうやらHarukaさんとK.M.さん、あるいは更に広く関連記事で編集合戦などに関与した方としてKIZUさんを勘定に入れても、当事者間での論争は既に沈静化したか、特定の案に合意を見たと考えていいのではないかと思います。
  • もし当時の関係者間で合意がなく、論争が沈静化してもいないということであれば、K.M.さんが投稿ブロックされた状態にあることをどう考えるべきか悩むところです。K.M.さんが特定の案を推していたところが別の理由(著作権関連)で投稿ブロックされている間に、K.M.さんに反対する意見の方が意見を押し通す、というような形は余りよくなさそうなので。

以上から、解除してもいいんじゃないかと思いました。

宮原さんの案がとりあえず改訂の方向としてそれなりの賛同を得ているようであることから、それに沿って編集が行われるのであればとりあえずは余り波乱が起きないのではないかと予測しますが、snafkinさんのように議論に参加していたわけでもなく、編集合戦の当事者であったわけでもない方からはまた別の意見などが出てくるのもありだろうと思いました。

再発が起きることを懸念して保護を継続するよりも、再発したらその時点でまた保護依頼を出してもらって保護をかけるという形にする方がウィキらしいのではないかとも思いました。

最後に、K.M.さんが投稿された記事のかなりのものが、著作権上問題がある可能性がありそうだという指摘が出ていることも気になります。もしもこの記事にもそういう問題があるのであれば、いずれ記事が(全履歴ごと)削除されることになるのではないかと思います。だから保護を解除しないべき、という話ではないですが、解除して編集したものの結局削除する破目になっては無駄骨なので、どなたかがチェックして下さるのを待つのもいいかと思います。宮原さん、Allways Minorityさんが関連文献にアクセスがあるようで、類似または同一の文があるかどうかを調べて下さっているようです。(但し、K.M.さんが同意されない場合もあるのですが。。) 

とっても長くなりましたが以上です。Tomos 07:55 2004年4月29日 (UTC)

Tomosさん お久しぶりです、サマリありがとうございます。 わたしはカソリック(反対者)からの視点が強すぎると思い編集したのですが、すぐその後、教団反対者の意向過剰を理由に編集合戦が起こったようですね(笑)

ノート:聖霊でTomosさんが提案されたガイドライン賛成です。が、 当記事では、信者同士でも意見の一致が難しい話題があることがわかりました。 そのような話題は、中立性への指向や辞書の役割からして記事本文に記載するのは とりあえず避けた方がよいと思います。 ・信者や反対者ではない人に効率的に情報を伝える利便性を優先する (もちろんそれらの争点は別記事にまとめる可能性を考慮したうえです) ・再び保護扱いになるのを避けるため

さらに雑駁に追記すると、 ・内輪の対立が延々と続く可能性があり、さらに細分化するようなら該当する話題を削除しノートに移動する。 ・掲載する内輪の論争は、「(根拠付の)こなれた論争」にとどめる

以上は編集一般ではなく本記事への考えですが少なくとも宗教関係全般にあてはまるのではないかと思います。

また著作権違反の恐れについてですが、当該宗教団体が配布する文章の扱いについてだと思います。少なくともわたしが読んだ限り、まとまった文章をそのままコピペしたと思われるものは気がつきませんでした。独特の文調や用語の使い方、論の展開といった多分に感覚的なものであって記事全文を精査したわけではありませんけど。

編集保護措置は醜いやりとりが続いたことに対して適用されると捉えているので適当な期間を経たら解除するのに理由は無いのでは。解除したとたんに醜態アゲインであれば繰り返しそのものを新たな対応課題としてとらえるのは実効性が無いでしょうか? 「適当な期間」については今回のように保護解除要請が出された時に考慮するやり方では管理者の負担が大きすぎるでしょうか。わたしはしばらく気長に宮原案を元に編集するつもりです。--snufkin 17:08 2004年5月1日 (UTC)snufkin

異論もないようですし、特に考え直すべき理由なども思い当たらなかったので保護解除しました。執筆・編集、どうぞよろしくお願いします。Tomos 16:42 2004年5月10日 (UTC)

新規執筆

とりあえず以前に書いたものを入れてみましたが、これでは記事内容の順番に問題があるみたいです。宮原崇 05:16 2004年5月11日 (UTC)

Tomosさんありがとうございます上述したとおりぼちぼちやります。 まず始めに、宗教団体の説明は当事者国(wikiPediaJAでいうと日本)でのありかたを述べるのが一般的なので[概観-起源と歴史]に日本への伝播とおおまかな変遷を加えるのが適切です。この点異論が無ければ具体的な修正案をノート上に提案しますsnufkin 20:32 2004年5月24日 (UTC)

いま、ここの執筆は私がメインとなっているようです。といっても、すでにあるものを改訂しているだけです。よろしくお願いいたします。宮原崇 08:07 2004年5月28日 (UTC)

「教義における社会的問題」は百科事典としてはあまりに醜いので、「エホバの証人の社会的特徴」として、内容を適宜組み直していくつもりでいますのであらかじめお知らせしておきます。宮原崇 08:07 2004年5月28日 (UTC)

宮原崇さんはじめまして。「教義における社会的問題」は部分的に批判的立場からの視点が強いように感じます、また前述したとおり国内の出来事を中心に記述し必要であれば補足として海外の事例を載せるというスタンスで書き直す余地があると思いました。

宮原崇さんの御意見に対してですが教団・信者を総称した意味での"エホバの証人"にまつわる社会問題は現存する問題なので「・・・社会的特徴」という見出しではなく端的に「・・・社会問題」とするのが適切と考えます。

実際、エホバの証人は社会的な問題を起こす宗教団体(俗称でいうカルト)という捉え方をされることがあるからです。しかし、他団体に比べて規模が大きく、金銭問題のトラブルで取り上げられることが無いのは際立った特徴であり安易にカルトに括るのは不適切と思われます。よって過去に広く報道された出来事を"社会問題"という語を用いて価値中立的に記述するのが適切と考えます。

現状の見出し「教義における・・・」は社会問題化した理由を見過ごし宗教論争を招く恐れがあるため適切さを欠くので削除し「社会問題」または「既知の社会問題」を代替案とします。snufkin 19:50 2004年5月28日 (UTC)

では、折衝案として、「社会的特徴」と「社会的問題」を並立させる、もしくは「社会的特徴」の中に「社会的問題」を入れるというのはどうでしょうか。宮原崇 03:04 2004年5月31日 (UTC)

よく見るとXHTMLになってますね。タグの使用には気をつけます。宮原崇 03:04 2004年5月31日 (UTC)

体育や学級委員をやってはならないあるがどうしてですか?馬鹿馬鹿しい戒律だと思いますが… --202.213.176.245 2005年8月23日 (火) 09:51 (UTC)利用者:マサヒロ[返信]

批判内容について

教派批判的な内容の書き入れについてです。たとえばここ数日を見てみますと、3点の書き入れがあります。

エホバの証人は聖書を唯一の聖典とし、その厳密な解釈と適用を行う。

のあとに

(「厳密」に関しては、以下の輸血禁止のように、「文字のまま」とするのが聖書の正しい受け止め方なのかどうかの問題がある)

という書き入れが入っています。 これはこのあいだ各所で某氏@エホバの証人がされたことと同じで、Wikipediaを攪乱し、百科事典の中立性を損なうものと思います。 この種の書き込みを許容しますと、世の中には様々な形態の批判意見があるのですから、すべての項目にそのような書き入れが入ってくることは避けられないでしょう。やがては収拾のつかない編集合戦になります。 単にイメージダウンをねらって、もともと自明なことをくどくど書き込むような方もおられるかと思います。

エホバの証人は三位一体の教理を支持せず、イエスは神の被造物であり、神の独り子であったと信じる。

のあとには、

(イエス・キリストを神と認めず、人間として考えるため、キリストを崇拝の対象としない。このため、伝統的なキリスト教(カトリックやプロテスタントなど)からは、キリスト教ではないと批判されている。)

が書き入れられています。 内容が間違っている(「人間として考える」のくだり)うえに、書き入れ方が不適切だと思います。 たとえばキリスト教派内におけるエホバの証人の立場を取り上げる項目を別に作って、教派間の意見の対立は無難に取り上げようという配慮が必要です。その場合、とりあげる両者を対等に扱う書き方が求められます。

エホバの証人は生命の尊厳の尊重と贖いの擁護との二つの理由によって輸血を拒否する。

のあとには

(旧約聖書では、動物は傷つけられ出血多量となると死ぬことから、いのちは血の中にあると考えた。このため、いのちは神に返し食べてはならないと禁止し、キチンとした手順を経た血を抜いた肉だけが食べることができた。この科学以前の世界観を現在に適用し、輸血は他人のいのちを取り込むとの考えで、輸血を拒否している。伝統的なキリスト教では、旧約聖書を上記のようには解釈せず、輸血を認めている。)

このくだりは仮説を事実であるかのように述べている問題がありますが、それよりも問題なのは、エホバの証人の信条に対する事実上の否定論を書き入れていることです。ようするに、旧約聖書は現在の科学から比べれば非科学的なので輸血拒否は無理がある、と言いたい書き込みです。 また、輸血拒否の教理を(宗教的・倫理的ではなく)科学的な考察の対象にしている点も問題です。Wikipediaの宗教の各項目にちくいち「この信条は科学的ではない」に類する書き入れがあればどうなるかということを考えてください。たとえばカトリックやプロテスタントといったところの各項目にエホバの証人がそういう書き入れをいくつも行って、「両論併記だ」などと開き直ったら、どうでしょうか。 Wikipediaの中立性に関してはすでに、出版されている他の百科事典という多くの手本があります。他の百科事典ではあり得ないような書き入れは慎むべきかと思います。宮原崇 2004年9月20日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

:実際に起きた「父親による息子の輸血拒否事件」に関して記述していないのはおかしいのではないでしょうか。社会的に衝撃を与えた事件であると同時に、親権などの法的問題もかかわってくるからです。宗教的記述は避け、事件の内容と法的に問題である疑いがあることを記述すればいいのではないでしょうか。中立性を保つために記述を削除することが、逆に中立性を損なわせている、と私は考えます。--222.159.52.197 2005年2月12日 (土) 11:05 (UTC)[返信]

このセクションにいままで気づかなかったのですが、宮原さんのご理解はWikipediaの方針である中立的な観点を理解しておられないご意見だと思いました。批判的なことを書かないというのは中立的な観点とむしろ対立します。多くの人から批判がある以上。多くの人から批判されているものとして示すのが中立的な観点です。ここからはエホバの証人からの批判をカトリックの項目に直接相当量の記述で書くことの不適切さも導出されます。なぜなら少数派の意見に過度にスポットをあてることもやはり中立的な観点に反するからです。キリスト教の他の宗派とこれこれの教義を共有していないということを書くのは妥当ですが、エホバの証人という集団の大きさにかなった分量を逸脱するなら、それは中立的な観点の方針に照らして不適当な扱いにあります。--Aphaia 2005年11月2日 (水) 20:57 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼

出しました。間違えて自分のブロック依頼出したりしたけど・・・保護依頼とは別なのか? snufkin 2005年4月12日 (火) 04:22 (UTC)[返信]

保護解除

動きもない様なので、解除しても良いのではと思われるのですが…。

現在の状況でしたら解除してよいと見るべきでしょうね。時期を見て保護解除される方が居ないようでしたら、私が解除要請します(ただ、私は議論に関わっていないので当事者または以前から閲覧していた方が居ればその方にお願いします)。しかし、発言にはかならず署名をお願いします(半角の「~(チルダ)」を4つです)。署名がないといつの・誰の発言なのか判別できず、解除してよいのかも判断つきません。haco 2005年9月14日 (水) 07:03 (UTC)[返信]

久々に見にきてよかった。解除に賛成です。申し訳ないのは最新の運営ルールを把握していない事です。どっかよそに解除依頼しなきゃいけないのであれば私がやります、今はここで意見表明します。snufkin 2005年9月20日 (火) 17:51 (UTC)snufkin[返信]

ノート(再開)

運営の方々、解除作業ありがとうございました。保護解除したとたん、あちこち理由無しに削除されてました(笑)ルール通り編集された方と、そうじゃない方に以下コメントします。

  • 2005年9月25日 (日) 13:15 Gakuinryouさん
編集されたとおり、元稿を書かれた方が情報ソースを提出するなり、当ページに意見表明される内容だと思います。
Gakuinryouです。当該部分の書き込みをされた雲居雁乃さんのノートに8月16日に質問を書き込んで出典の明示を求めたのですが、そのままお返事がいただけず、自分でも調べてみましたが公式文書に出典が見当たらないので削除いたしました。snufkinさんには「ルール通り編集された方」と見なしていただけたようですが、私もこのノートに削除理由を一言書いておくべきでした。Gakuinryou 2005年9月27日 (火) 23:08 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。これからも積極的な意見交換を重ねてゆきたいと思っています、よろしくお願いします。--219.109.192.74 2005年10月5日 (水) 21:15 (UTC)[返信]
  • 2005年9月24日 (土) 13:09 220.108.92.162さん
「堅く守る」という表現は日本の「エホバの証人」信者に特有の表現なので、より一般的な言葉に訂正されてはいかがでしょうか。
  • 2005年9月25日 (日) 08:30 220.221.201.26さん
理由を明示することなく本文をざっくり削除されるのはいかがなものかと思います。一週間以内に削除理由を公開していただだけない場合、元の文章に戻すつもりです。
  • 2005年9月26日 (月) 22:51 219.205.72.164さん
理由を明示することなくリンクをざっくり削除されるのはいかがなものかと思います。一週間以内に削除理由を公開していただだけない場合、元の文章に戻すつもりです。

snufkin 2005年9月27日 (火) 19:37 (UTC)[返信]


bigkoroと申します。エホバの証人ではありません。中立的な書き込みをすると、エホバの証人と思われる方が私の投稿を修正していますね。 書き換えた投稿を見て、エホバの証人の方の修正だな~、というのが分かります。 Bigkoro 2005年10月23日 (日) 04:47 (UTC)[返信]

恐れ入りますが、あなたの記述は中立的とは言えず100%批評的です。なぜなら、
  • エホバの証人はC・T・ラッセルを'創始者とは認めていない'。
  • 彼らはラッセル、ラザフォード、ノア、フランズ、ヘンシェルを'エホバの証人の指導者とは認めていない'。
  • ラッセルの死後、組織は混乱状態になり、後を継いだジョゼフ・フランクリン・ラザフォードが分裂した団体との差別化のため1931年にエホバの証人の名称を採用し現在に至っていったというのは批評家の一方的な主張である。ラッセルの死後、ラザフォード氏が時期会長になることは既に決まっていた(ラッセルの遺言状にラザフォードが理事会の委員一人になることが記されていた)。一部の人は、ラザフォードの人柄がラッセルの人柄と大きく違うことを言い訳に、組織を混乱に陥れたため、除名された。
  • 彼らは現代医療の禁忌などを主張したことはない。確かに過去誤った治療法を'掲載した'ことはあるが、それは推奨ではない。近年の「目ざめよ!」誌の脚注に書かれているように、ものみの塔協会はいかなる治療法も推奨していない。61.22.157.95 2005年11月2日 (水) 13:38 (UTC)[返信]

改竄問題について

ここのところいろいろと記事が改編されているようです。具体的には、エホバの証人及びものみの塔聖書冊子協会にとって都合の悪いと思われる記事が、機関紙のプロパガンダ記事のように書き換えられているようです。 そのため、保護されていた頃の記事に一時的に戻しました。必要ならばもう一度保護を依頼しなければならないかもしれませんが、より本質的な解決を望みたいところです。O-tsuka 2005年11月1日 (火) 17:06 (UTC)


保護されていた記事の方がまだまともだが、表現について気になった点を少々。
  • 堅く守る
  • 厳格に守っている
→上でも指摘されているが、「規律が定められている」等の表現の方が適当ではないか。
  • 聖書の教えに基づく
→同じ聖書(改竄疑惑等あるにしても)を使っていても、エホバの証人のような解釈はしないのが一般的であることが多いので、「統治体の解釈による」等とするのが適当ではないか。


また輸血問題については、子供に輸血拒否が認められるかといった観点からの指摘も必要だろう。
個人的には、2005年10月17日 (月) 08:46の記事がよくまとまっていると思う。


改竄を確認したので再度保護されていた頃の記事に戻します。記事の内容を変更する方は、ノートに報告をお願いしたいと思います。―O-tsuka 2005年11月2日 (水) 16:20 (UTC)

改ざんといいますが、ウィキペディアの記事は誰にも編集されるのが当たり前です。自分が好ましいと思わない編集が加えられたからといって自分の編集や自分が好ましいと思う版に差し戻すということがあってはなりません。特に2回も同じ行動をとられたこと、他の編集者にどちらの場合も事前に相談しなかったことは遺憾に思います。直前の版はわたくしですので差し戻ししませんが、現在の版が以前の版に比べて総合的により妥当だとは考えません(一部の記述は復活すべきですが)。そしてNPOVの観点からも、外部からの認識と教団内部の認識の違いがあることを示すことは有益です。NPOVは「唯一の客観的な記述」を行うものではないので、その点「教団側はこれを認めていない」などの記述はむしろあるほうが好ましいと考えます。

どなたか差し戻してくださることを希望します。 --Aphaia 2005年11月2日 (水) 20:58 (UTC)(追加 2005年11月2日 (水) 21:03 (UTC)、2005年11月2日 (水) 21:07 (UTC))[返信]

私もAphaiaさんの意見に同意しています。 ウィキペディアは色々な人が観るし、色々な人が執筆できるようになっています。 外部的に見られている事と内部事情・エホバの証人の主張は、異なって当然の事です。 いくら内部事情・エホバの証人の主張に合わないからといって、外部からはどう見られているのかも、執筆しないと、エホバの証人の事を知りたい人には伝わりません。 ‥1914年問題や1975年問題にみられるように、勝手に教理を変えてしまう。‥一番言いたくない事ですが、都合の悪い事は、エホバの証人の都合の良いように替えてしまう、前の版に戻してしまう、一部の方がその様にしているが為に、エホバの証人全体がその様に見られてしまうことになりかねません。

個人的な感情のままに書きこみをしてしまい、また、エホバの証人の方に失礼な態度を取ってしまった事は、私自身、申し訳なく思っています。

Bigkoro 2005年11月2日 (水) 21:36 (UTC)[返信]


改竄という表現には問題があったかもしれません、他によい表現があればそちらに訂正します。
私も教団内部と外部との認識にズレがあることは否定しませんが、批評家の主張するといった文言は、ともすれば部外者が勝手に主張しているといった印象をうけますし、項目の終わりに付け足されていたエホバの証人はこうした事実を認めていないという文言は、違う事実を主張しているのか単に認めていないだけなのかわかりません。書き加えるならば、「エホバの証人が信じている(或いは主張する)事実」を書き加えればよいのではないでしょうか。
いわゆる「大ちゃん事件」についても、助からなかった可能性が高いという話は信者の間では通説のようになっているようですが、医師の初診では「入院二ヶ月」だったそうですから、これも仮に輸血を施しても助からなかった可能性が高かったことが分かったとだけ書くのは問題があるように思います。このようなことより、旧版のほうがより適切ではないかと思った次第です。
しかし、何も連絡することなく勝手に前の版に戻したことは間違った行動でした。きちんとみなさんにお話をし、意見を仰ぐべきでした。―O-tsuka 2005年11月3日 (木) 06:48 (UTC)[返信]