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{{政治}} |
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'''議院内閣制'''(ぎいんないかくせい)とは、[[立法権]]を有する[[議会]]と[[行政権]]を有する[[政府]]([[内閣]])が分立して |
'''議院内閣制'''(ぎいんないかくせい)とは、[[立法権]]を有する[[議会]]と[[行政権]]を有する[[政府]]([[内閣]])が一応分立しているものの、政府は議会(特に下院)の信任によって存立することとする制度<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、321頁</ref><ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、233-234頁</ref>。 |
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== 概説 == |
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内閣の成立には議会([[二院制]]の場合、主に[[下院]])の信任が必要とされ、内閣は連帯責任による議会の解散権を持つ。制度上、議会と内閣との間に抑制と均衡を以て成立する相互関係が築かれる。このような政治制度を議院内閣制という。 |
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議院内閣制は[[大統領制]]、[[超然内閣制]]、[[議会統治制]]などと並ぶ、議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つである<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁</ref>。 |
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=== 議院内閣制の特徴 === |
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== 歴史 == |
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議院内閣制を他の政治制度と比較的に考察すると以下のような特徴によって表される。 |
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18世紀に[[イギリス|英国]]で誕生し、[[立憲君主制]]の標準的制度として[[ヨーロッパ]]と[[日本]]に広まった。その後も、英国植民地からの独立国を中心に取り入れられたが、大統領制に比べてその数は少ない。 |
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* 大統領制(presidential system、アメリカ型) |
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: 今日では議院内閣制と並ぶ代表的な政治形態であり、立法権と行政権を厳格に独立させ、行政権の主体たる大統領と立法権の主体たる議会をそれぞれ個別に選出する政治制度<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁</ref><ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、232頁</ref><ref>大石眞著 『憲法講義Ⅰ』 有斐閣、2004年、85頁</ref>。その特徴としては、大統領は議会選挙からは独立した選挙により国民から直接選出されること(アメリカ大統領選挙は制度上においては間接選挙であるが実質的には直接選挙として機能しているとされる<ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁</ref>)、原則として大統領は任期を全うすること(アメリカでは弾劾制度が設けられているが弾劾の事由は狭く限定されたものとなっている<ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁</ref>)、大統領には議会解散権が与えられていないこと、大統領には法案提出権がないこと、議員職と政府の役職とは兼務できないこと、政府職員は原則として議会に出席して発言できないことなどを特徴とする<ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、233頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁</ref>。 |
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* 超然内閣制 |
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: 政府(内閣)は君主に対してのみ責任を負うものとされ、議会に対しては責任を負わない政治制度<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁</ref>。 |
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* 議会統治制(議会支配制、assembly goverment、スイス型) |
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: 政府は独立性を有さず全て議会の指揮下におかれている政治制度(内閣不信任や議会解散権はない)<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁</ref><ref>大石眞著 『憲法講義Ⅰ』 有斐閣、2004年、85頁</ref>。 |
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* 議院内閣制(parliamentary goverment / parliamentary cabinet system、イギリス型) |
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: 行政府の主体たる内閣は議会([[二院制]]の場合には主に[[下院]])の信任を得て存立する政治制度<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁</ref>。権力分立の観点からみると、議院内閣制は議会統治制とは異なり議会と政府は一応分立しているものの、アメリカ型大統領制のような厳格な分離はとられず、政府(内閣)は議会の信任によって存立する<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、321頁</ref>。また、民主主義の観点からみると、内閣の首班(首相)は議会から選出されること、内閣は議会(特に下院)の信任を基礎として存立し、議会(主に下院)は内閣不信任を決議しうること、内閣には議会解散権が認められていること(ただし、議会解散権については議院内閣制一般に認められる本質的要素とみるか否かについて責任本質説と均衡本質説が対立する)、内閣には法案提出権が認められること、内閣の構成員たる大臣はその多くが議員であること、大臣には議会出席について権利義務を有することなどを特徴とする<ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、233-235頁</ref>。 |
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政治モデルとしては、アメリカ型大統領制は立法権と行政権を厳格に分離し権力の分散という点を強調し権力分立を指向するのに対し、イギリス型議院内閣制は立法権と行政権が政権党によって結合され強力な内閣のもとに権力の集中を容認する制度であるとされる<ref>飯尾潤著 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 中公新書、2007年、143・154頁</ref><ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁</ref>。しかし、日本では歴史的・制度的な点から長い間にわたり議院内閣制のために権力の集中は生じないとみられてきたという指摘がある<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁</ref>([[#日本の議院内閣制]])。 |
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* 1715年:[[ロバート・ウォルポール|ウォルポール]]がイギリス最初の首相に任命される。(二元主義型議院内閣制) |
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* 1832年:[[庶民院]](下院)で[[ホイッグ党]]が多数であったが、国王[[ウィリアム4世 (イギリス王)|ウィリアム4世]]が[[トーリー党]]の首相を任命しようとする。→失敗、一元主義型議院内閣制へ移行。 |
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国民による公選によって選出される大統領とは異なり、議院内閣制における内閣は国民から直接選ばれるわけではないため、自らの民主的正統性の根拠について議会からの信任に依拠することになる<ref>野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、164頁</ref>。議院内閣制の下では原理的には議会は内閣に優位することになり、アメリカ型の大統領制に比して[[権力分立]]という自由主義的側面は後退することになるが、国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖と、内閣→議会(議院)→国民(有権者)という責任の連鎖を構築することによって行政権の民主的コントロールを確保するとともに、議会(主に下院)の多数党派が行政部の中枢機関を担うこととして政治上の責任の所在を明確にして民主主義的要請に応えようとする制度であるとされる<ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、234-235頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、233頁</ref><ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁</ref>。 |
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== 原則 == |
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* 合議制の原則 |
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* 分担管理の原則 |
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* 首相主導の原則 |
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議院内閣制では議会と内閣の協働関係が破綻した際には、[[内閣不信任決議]]、[[内閣総辞職]]、議会解散権の行使のいずれかによって解決が図られる<ref>野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、162-162頁</ref>。議院内閣制の下で内閣に議会解散権が広く認められる政治制度がとられるとき、議会には内閣に対する不信任決議、一方の内閣には議会解散権が認められているため、両者に意思の対立があれば(解散を経て)議会選挙を通じて国民がその問題に決着をつけることになる<ref>野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、164頁</ref>。このことは議院内閣制においては選挙となれば国民の審判にさらされるという緊張関係を常に生じていることを意味し、そのため議院内閣制の下ではいつ選挙が行われても国民からの支持を得られるように民意への接近という動因が絶えず働くことになるとされる<ref>野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、164頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、233-234頁</ref>。実際の政党政治の下では議会において多数を占める政党が政権を担う(内閣を組織する)ことから、この要素は内閣と議会との間にではなく、与野党間、連立与党の各党間、与党の主流派と反主流派などにおいて働くとされる<ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、234頁</ref>。 |
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== 分類 == |
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; 一元主義型議院内閣制 |
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: 内閣が専ら議会にのみ責任を負い、[[国家元首]]([[君主]]、[[大統領]])には責任を負わない。 |
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; 二元主義型議院内閣制 |
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: 内閣が[[国家元首]]([[君主]]、[[大統領]])と議会の2者に責任を負う。 |
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また、国民の支持の厚い首相=党首を擁する場合は、不信任決議と関わりなく解散を行い、さらに自党の政権を選挙時点からさらに向こう任期年間延命することができる。不人気な首相が自ら辞任して後継自党党首<ref>[[ドイツ]]では、[[コンラート・アデナウアー|アデナウアー]]や[[ヴィリー・ブラント|ブラント]]の様に首相職を辞任した後も与党の党首の座には留まったという例が見られる。</ref>に託すのも、たったそれだけで国民の支持が回復することが現実にあり得るからである。 |
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{{独自研究|date=2011年8月}} |
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一般的な議院内閣制は一元主義型議院内閣制を指し、これが議院内閣制の標準とされる。二元主義型議院内閣制は今日では変則とされるが、初期の議院内閣制は二元主義のものであった。近年では[[半大統領制]]の下で二元主義型議院内閣制が復活{{誰|date=2011年8月}}している。 |
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以上の点は立法府と行政府の厳格な分離をとり、大統領の任期が定められ、また、大統領の所属政党と議会多数派とが異なる場合も出現しやすいアメリカ型の大統領制と異なる点である。 |
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特にイギリス等{{誰|date=2011年8月}}では一元主義・二元主義の境界は曖昧で、現在でもイギリス議会は伝統的に議会における[[首相指名選挙]]というものは行われず、辞職する[[首相]]の助言に基づき[[国王]]が次期首相を任命するという形式になっている。また[[大臣]]の議会に対する責任は、連帯ではなく単独で国王を輔弼することである。このため、議会における内閣の基本方針演説は首相ではなく国王が行う([[国王演説]]。ただし、内閣が用意した原稿を読むだけである)。だが、実際の運用はほとんど以下の一元主義型議院内閣制の説明と変わらない。 |
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議院内閣制の利点を実際に活かすことができるか否かは政治上の諸条件にかかっているとされ、議会や政党に頽落を生じる場合にはアメリカ型の大統領制よりもよりも大きな構造的な問題を抱えることになるとされる<ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、240頁</ref>。 |
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== 一元主義型議院内閣制 == |
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修飾語なしに議院内閣制を論じるときに想定される標準的制度である。この制度の場合、大統領や[[君主]]などの[[元首]]は儀礼的な役割しか持たず、内閣が実際の行政権を持つのが普通である。 |
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議院内閣制の問題点としては、政権与党が議会の圧倒的多数を占めることになると独裁に陥りかねず、他方で政権与党が小政党の連立である場合には政権基盤は著しく不安定なものとなる点がある<ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、235-236頁</ref>。 |
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一元主義型議院内閣制を採用している国家は、[[イギリス]]、[[フランス]]第三・第四共和制、[[日本]]、[[ドイツ]]、[[スペイン]]、[[スウェーデン]]、[[オランダ]]などが挙げられる。日本の国会はイギリスのものを模倣して作られたものである。以下この項では主として日本を念頭に解説する。 |
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=== 議院内閣制と政党 === |
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一元主義型議院内閣制では、議会が首相の任命に同意し<ref>日本やドイツのように議会が直接指名する場合と、その他の多くの国のように前任の首相やその他の人物・機関の助言を受けて元首が新首相を任命し、議会が信任する場合とがある。</ref>、首相が内閣の他の大臣を指名する。 |
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議院内閣制は議会多数派(一般的には政党)が内閣を組織して政治を主導することから'''政党内閣制'''とも呼ばれる<ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、72頁</ref>。一党で内閣が組織される場合には単独内閣、複数党で内閣が組織される場合には[[連立内閣]]と呼ばれ、また、内閣には加わらないものの内閣の方針を基本的に支持する形をとることを閣外協力と呼ぶ<ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、72頁</ref>。 |
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議院内閣制の下での内閣総理大臣に選出方法について、イギリスでは二大政党制の下で下院の第一党の党首が首相に任命されるのが慣行となっているのに対し、日本やドイツでは議会で首相指名選挙が行われ、連立政権となる場合には必ずしも第一党の党首が就任するわけでもない<ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、31・70頁</ref>。例えば日本の[[細川護煕]]元首相、[[羽田孜]]元首相、[[村山富市]]元首相は第一党の所属ではなかった。また、ドイツの[[ヘルムート・シュミット]]は[[ヴィリー・ブラント]]の後を受けて首相となったが第二党の所属でしかも党首職にも就かなかった(ブラントが党首職に留まった)<ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、31・70頁</ref>。 |
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内閣は議会に対して連帯して責任を負い、分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合(閣内不統一)、大臣が閣内にとどまったまま首相に対する反対派となることは許されず、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。辞任を通じて議会内の多数派に変動が起き、結果的に内閣が倒れることは許容される。 |
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== 議院内閣制の歴史 == |
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内閣は議会の明示的あるいは暗黙的な多数派に依拠しなければならない。議会は、[[内閣不信任決議]]を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる<ref>ドイツの場合は、憲法に当たる[[ドイツ連邦共和国基本法]]で、[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]が新首相候補を選出した後にしか内閣不信任案を提出できない「建設的不信任([[:de:Konstruktives Misstrauensvotum|Konstruktives Misstrauensvotum]])」制度を採用しており、逆に首相の信任決議が否決された時以外、内閣は連邦議会を解散できない。これは[[ヴァイマル共和政]]時代に[[倒閣]]だけを目的とした内閣不信任が何度も可決された結果政治が安定せず、その混乱を衝く形で[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭してしまったことへの反省によるものである。つまり一見ドイツの内閣は積極的な議会解散権を持たないように見えるが、実際には与党に信任決議案を出させ、わざとそれを否決させて解散を実現する手法がとられる。だが、この手法を基本法違反と批判する法学者もいる。</ref>。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、議会の多数派を再形成するために解散するかを選択する。解散の後、選挙を経て新たに作られた議会の勢力により内閣の命運が決まる。選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任をあきらめ別の首相が任命されることになる。 |
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議院内閣制は沿革的には[[18世紀]]から[[19世紀]]にかけて[[イギリス|英国]]で王権と民権との拮抗関係の中で自然発生的に誕生し慣行として確立されるに至った制度である<ref>芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、321頁</ref><ref>小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、235頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、232頁</ref>。 |
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内閣制度の草創期において閣僚は国王の「家僕」とされ、国王は自由に閣僚を任免することができた<ref>高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁</ref>。 |
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== 二元主義型議院内閣制 == |
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二元主義型議院内閣制は、[[君主]]や大統領等が裁量権を持つが、その補助的な役割として首相が存在し行政権が与えられて内閣が存在する制度である。[[半大統領制]]等の場合において見られる。 |
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しかし、議会の力が大きくなり18世紀末に誕生した初期の議院内閣制では内閣は[[君主]]と議会の双方に責任を負い、大臣の地位は君主の信任を受けて認められる地位であるとともに、議会の支持が得られなければ政治的根拠を失い、自発的に辞職しなければならないとする政治制度が成立した<ref>高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、232頁</ref>。このように内閣が[[国家元首]]と議会の双方に対して責任を負う類型を'''二元主義型議院内閣制'''という。 |
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二元主義型議院内閣制を採用している主な国家には、[[大正デモクラシー]]期の[[日本]]、[[ヴァイマル共和政|ワイマール]]時代の[[ドイツ]]、[[オルレアン朝]]と[[フランス第五共和制|第五共和制]]の[[フランス]]などが挙げられる。 |
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イギリスにおける選挙法による下院の地位向上など、議会の優位がさらに進み、19世紀後半になると国家元首の任命権は形式的・名目的なものとなって、首相には議会の多数派党首を任命せざるをえなくなるとともに、議会の[[内閣不信任決議|不信任決議]]により内閣は辞職しなければならないようになった<ref>高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁</ref><ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、232頁</ref>。このように内閣が議会に対してのみ責任を負う類型を'''一元主義型議院内閣制'''という。 |
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二元主義型議院内閣制では、君主または大統領が首相を指名し、首相が他の大臣を指名する。多くの場合、首相または内閣(あるいは双方)は議会からの信任をも必要とする。首相の解任権限は君主または大統領が実質的にも保持し、しかも議会も不信任決議によって内閣を退陣させることができる。内閣全体に対してではなく個別の大臣に対しても不信任決議を出せる制度もある。議会の解散権は内閣ではなく君主または大統領が持つ。それゆえ、不信任された内閣はその時点で君主または大統領に見捨てられることが多く、解散を通じて乗り切ることは少ない。 |
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一元主義型議院内閣制の下では大統領や[[君主]]などの[[元首]]は儀礼的な役割しか持たず、内閣が実際の行政権を持つのが普通である。一元主義型議院内閣制を採用している国家は、[[イギリス]]、[[フランス]]第三・第四共和制、[[日本]]、[[ドイツ]]、[[スペイン]]、[[スウェーデン]]、[[オランダ]]などが挙げられる。 |
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二元主義型議院内閣制は議会権力の勃興期に現われ、君主が自己の好む首相の擁立に失敗して議会に屈服したときに一元主義型議院内閣制に移行した。後には、組閣をめぐる議会内の取引に政局が左右されることを避け、一人の元首によって政治的安定を確保するために導入された。しかし、両方の信任をつなぎとめなければならないので内閣の存立条件はむしろ厳しくなった。 |
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内閣は議会(特に下院)に対して連帯して責任を負い、分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合(閣内不統一)、大臣が閣内にとどまったまま首相に対する反対派となることは許されず、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。辞任を通じて議会内の多数派に変動が起き、結果的に内閣が倒れることは許容される。 |
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現在の半大統領制では、大統領が統治の実権を握り、内閣の意義、ひいては倒閣の意義が小さいものが多い。この場合、内閣の頻繁な交代は単なる大臣の交代にとどまり、政治危機の規模は局限される。現在の[[フランス第五共和制]]では、大統領と議会多数派が食い違った場合に大統領が譲って一元主義型議院内閣制に切り替わる慣行になっている。 |
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内閣は議会(特に下院)の明示的あるいは暗黙的な多数派に依拠しなければならない。議会(主に下院)は、[[内閣不信任決議]]を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる<ref>ドイツの場合は、憲法に当たる[[ドイツ連邦共和国基本法]]で、[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]が新首相候補を選出した後にしか内閣不信任案を提出できない「建設的不信任([[:de:Konstruktives Misstrauensvotum|Konstruktives Misstrauensvotum]])」制度を採用しており、逆に首相の信任決議が否決された時以外、内閣は連邦議会を解散できない。これは[[ヴァイマル共和政]]時代に[[倒閣]]だけを目的とした内閣不信任が何度も可決された結果政治が安定せず、その混乱を衝く形で[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が台頭してしまったことへの反省によるものである。つまり一見ドイツの内閣は積極的な議会解散権を持たないように見えるが、実際には与党に信任決議案を出させ、わざとそれを否決させて解散を実現する手法がとられる。だが、この手法を基本法違反と批判する法学者もいる。</ref>。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、議会の多数派を再形成するために解散するかを選択する。解散の後、選挙を経て新たに作られた議会の勢力により内閣の命運が決まる。選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任をあきらめ別の首相が任命されることになる。 |
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== 議院内閣制の現状 == |
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[[政党]]規律が強まった現代では、国民の支持の「短期的な」変化とかかわりなく議会内多数派が維持できるようになった。政策上の重要争点について自党内が分裂して不信任投票に至らぬよう、予め十分に調整することができるのである。そのため首相は重要争点をめぐって解散に打って出て多数派を再形成する必要が減少した。近時は、いわゆる「ねじれ」が生じた二院制下において上院(参議院)が法案に反対とみられる場合に、下院(衆議院)で法案の再議決できるだけの多数を得たり上院に翻意を促すために、下院解散を行う例([[郵政解散]])が見られる。 |
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議会の優位がさらに進むと政府が完全に議会に従属する議会統治制が出現するが、これが好ましい政治形態であるかは疑問とされ、イギリスなどではこのような展開は見られないとされる<ref>高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁</ref>。 |
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また、[[世論調査]]が普及して支持率が常にわかるようになると、あまりに顕著かつ長期的な支持率低下をみて政権の継続を断念する内閣が増えた。このまま政権を担当し続けるにしても、遠からず来るであろう議員任期満了による選挙で自党を勝たせる可能性は低い。よって自党内から[[倒閣|倒閣運動]]が始まるのである。それに抵抗して首相が解散に打って出ても、自党(場合によっては自派)の敗北が予想されるためにそれも不可能であり、野党に転落し、しかも党首の座を追われるという最悪の結果を避けるため、国民に不人気となった首相は自ら辞任する。このため、不信任による解散、という議院内閣制の代表的な機構が用いられる頻度は、20世紀後半から低下している。 |
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なお、半大統領制の下では内閣が大統領と議会の双方に責任を負う二元主義型議院内閣制がみられるが、これは初期の二元型議院内閣制における君主が大統領に置き換わったものとして理解することができるとされる<ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、235頁</ref>。 |
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ただ、国民の支持の厚い首相=党首を擁する場合は、不信任決議と関わりなく解散を行い、さらに自党の政権を選挙時点からさらに向こう任期年間延命することができる。不人気な首相が自ら辞任して後継自党党首<ref>[[ドイツ]]では、[[コンラート・アデナウアー|アデナウアー]]や[[ヴィリー・ブラント|ブラント]]の様に首相職を辞任した後も与党の党首の座には留まったという例が見られる。</ref>に託すのも、たったそれだけで国民の支持が回復することが現実にあり得るからである。 |
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== 議院内閣制 |
== 議院内閣制の本質 == |
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議院内閣制の本質をめぐり責任本質説と均衡本質説の対立がある。 |
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若干概念論争的になるが、内閣の議会解散権は議院内閣制の必要条件ではないとする責任本質説が、通常の憲法学または政治学上の多数説である。これに対し、議会と政府の均衡を重視する均衡本質説では、内閣の議会解散権は議院内閣制の根拠とみる余地もあるとする。 |
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; 責任本質説 |
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: 内閣の議会解散権は必ずしも議院内閣制の必要条件ではないとみる。通常の憲法学または政治学上の多数説とされる。 |
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; 均衡本質説 |
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: 内閣の議会解散権も議院内閣制の要素であるとみる。 |
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議院内閣制と議会統治制(スイス型)との違いについて、均衡本質説によれば内閣の解散権の有無により、責任本質説によれば辞職の自由の有無により区別すべきとされる<ref>毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、233頁</ref>。 |
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議会解散という制度は、歴史的に古くから存在した。よって行政権を通常担当する者(近現代では内閣)が、その行使につき責任を誰に対して負うのかという点が争われ、結果として議会が国王に対して勝利した時、解散権は与件としてあったのであり、これが議院内閣制という制度を他から分かつ標識たり得るかという点については疑問視されるのである。 |
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== 英国の議院内閣制 == |
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たとえば議会解散権が事実上封じられていた[[フランス第三共和政]]も、議院内閣制でないとは言えない。統治の効率の点で問題の多い少ないは別儀である。 |
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イギリスでは二大政党制の下、庶民院(下院)の第一党の党首が首相に任命されるのが慣行となっている<ref>中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82頁(浅野和生)</ref><ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、31・70頁</ref>。日本やドイツのように議会による首相指名の手続はない<ref>中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82頁(浅野和生)</ref> |
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閣僚の任免は首相の指名・申出に基づいて国王が行うが、庶民院か貴族院(上院)のいずれかに議席がなければ閣僚となることはできない<ref>中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82頁(浅野和生)</ref><ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、70頁</ref>。 |
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閣僚には約20名の閣議のメンバーとなる閣内大臣、そしてそのほかに閣外大臣がおり、その下に政務次官が置かれている<ref>中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82-83頁(浅野和生)</ref>。与党所属の庶民院議員のうち約100名が行政府に籍を置くこととなるといわれ、与党と内閣とは一体的で一元化されている<ref>中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、83頁(浅野和生)</ref><ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、71頁</ref>。 |
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日本では内閣総理大臣その他の国務大臣は議席の有無に関係なく議院出席の権利義務が定められている([[日本国憲法第63条]])。しかし、イギリスでは庶民院所属の閣僚は貴族院での審議に参加できず、反対に貴族院所属の閣僚は庶民院での審議に参加できないとされ、他院では閣外大臣や政務次官が審議に応じる形をとる<ref>中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、83頁(浅野和生)</ref>。 |
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官僚は政治的中立性の原則の下で選挙によって成立した政権に忠誠を尽くすとともに、指揮関係を乱すことのないよう議員であっても大臣ではない者との接触は忌避されるという<ref>飯尾潤著 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 中公新書、2007年、156頁</ref>。 |
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== 日本の議院内閣制 == |
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=== 日本国憲法と議院内閣制 === |
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以下の条文から日本国憲法は議院内閣制を採用しているものと理解されている<ref>大石眞著 『憲法講義Ⅰ』 有斐閣、2004年、88頁</ref>。 |
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* 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ([[日本国憲法第66条]]3項)。 |
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* 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する([[日本国憲法第67条]]1項)。 |
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* 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない([[日本国憲法第68条]]1項)。 |
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* 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない([[日本国憲法第69条]])。 |
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* 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない([[日本国憲法第70条]])。 |
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* 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない([[日本国憲法第63条]])。 |
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なお、日本国憲法は議院内閣制を採用したものではないとする少数説もある。[[小嶋和司]]の主張のように、首相が国会の指名によって定まること([[日本国憲法第67条]])及び衆議院議員総選挙後に初めて国会の召集があったときは内閣は総辞職しなければならないとされている点([[日本国憲法第70条]])から、日本国憲法の議院内閣制は伝統的なものとはいえずむしろ議会支配制(議会統治制)の原理を浸透させたものであるとする見解もある<ref>小嶋和司・大石眞著 『憲法概観(第7版)』 有斐閣、2011年、231頁</ref>。 |
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=== 日本における問題点 === |
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==== 官僚内閣制 ==== |
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日本の内閣制度は官僚内閣制と表現されることがある。議院内閣制の下では国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖が本来生じるはずであるが<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁</ref>、日本の内閣制度の基本的特徴はこの権限委任の連鎖が首相以降の部分で断ち切られていることにあるとされる<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、377頁</ref>。 |
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内閣の意思決定は全会一致を基本原則とするが、各省庁は高い自律性を持つ官僚集団であり、大臣は各省庁の代表者としてその意思を代弁者となってしまい、また、個々の政策決定には官僚の同意を必要とし、内閣の意思決定のためには省庁の官僚間での調整が必要とされることとなり、首相が積極的に政策形成や意思決定、政策転換を行うことは困難となるという指摘がある<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、378-379頁</ref>。 |
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歴史的には日本では戦前から超然主義の下で権力分立の原理を意図的に持ち込み政党政治勢力を行政権から排除する運用がなされてきたとの指摘がある<ref>大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、96頁(大石眞)</ref>。 |
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==== 政府と与党の関係 ==== |
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英国では与党と内閣は一体的で一元化されているのに対し、日本では与党が内閣に並立的に存在し、政務は首相以下の閣僚など、党務は幹事長以下の党役員が担い、個々の法案成立には与党による事前審査手続が必要とされてきた<ref>大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、95頁(山口二郎)</ref><ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、71頁</ref>。政府と与党の権力の二重構造とも表現され、このような構造は政治過程を不透明で解りにくいものにするとの指摘がある<ref>大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、36頁(大石眞)</ref>。 |
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事前審査制は1970年代に定着した日本独特の慣行で、官僚が法案を説明し、与党議員は必要であれば直接政府側に修正を要求しうるとするものであるが、政党全体としての自律的意思形成能力の向上を妨げる、政官関係の固定化、国会での論戦を著しく制約するといった弊害が指摘される<ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、71頁</ref><ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、381-382頁</ref>。 |
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==== 参議院との関係 ==== |
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日本においては、衆議院の優越の関係から衆議院の多数派の支持を得た者が最終的に首相に指名され、また、衆議院のみが内閣不信任を決議でき(参議院は政治的意味を有するにとどまる問責決議のみ)、一方、内閣は衆議院のみ解散できる(参議院は解散できない)。このようなことから日本において実質的に議院内閣制の関係が成立しているのは内閣と衆議院の間だけで、内閣と参議院の間ではこのような関係が成立していないとの指摘がある<ref>竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、188頁</ref>。 |
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問題とされるのは衆議院の多数派を形成して内閣を組織している政権党が参議院での多数を失っている場合に立法活動が滞るという点である([[ねじれ国会]]も参照)<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、405頁</ref>。 |
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その原因としては日本では議院内閣制を採用するにしては上院(参議院)が強すぎるという問題があるとされる<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、405頁</ref>。憲法上、法律案については参議院の支持を得られなければ、衆議院は3分の2で再可決して成立させることができると衆議院の優越について定めてはいるが、この要件を満たすことは非常に難しく容易でない<ref>竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、189頁</ref>。 |
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また、このような制度上の特質は内閣の存立が参議院選挙の結果にも左右されることとなり、現行憲法下では衆参の国政選挙がおよそ1年6ヶ月ごとと頻繁に行われており安定政権の不存在の要因となっているとの指摘がある<ref>大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、33頁(大石眞)</ref>。議院内閣制をとるヨーロッパの国々では下院の任期は4年以上で、上下両院では選出方法が大きく異なり、上院での選挙結果が内閣の存立を左右することはないとされる<ref>大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、33頁(大石眞)</ref>。 |
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かつて参議院は衆議院のカーボンコピーと揶揄されたが、1989年の参議院選挙以降、与野党間の差は縮まり、連立内閣の組織や重要法案の成否などの点において参議院は影響力を高めている<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、395頁</ref><ref>竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、191頁</ref><ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、66頁</ref>。参議院議員には首相の解散権が及ばないため直接的にけん制する手段はない<ref>竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、199-202頁</ref>。そのため、衆参で「ねじれ」が生じて参議院が法案を支持しないとみられる場合に、首相が衆議院で法案を再議決できるだけの多数を得るため、あるいは参議院の翻意を促すために衆議院の解散が行われることもある(例として[[郵政解散]])。 |
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議院内閣制の下では国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖を生じる<ref>佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁</ref>。そこで参議院の内閣総理大臣の指名を削除するなど一院制的なものに編成を改め、衆議院総選挙を実質的な首相選出の選挙として直結させ、首相の地位(民主的正当性)を高めるなど政府・首相と国民との関係を明確なものにすべきとの意見もある<ref>大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、38-40頁(大石眞)</ref>。 |
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2000年4月にまとめられた参議院議長の私的諮問機関である参院の将来像を考える有識者懇談会の意見書では、衆参の役割分担を明確にすべきとし、衆議院での再議決要件を3分の2以上から過半数に改める、参議院の内閣総理大臣指名の権限を廃止する、参議院からの閣僚就任を自粛する等の内容が盛り込まれたが、このような改革論には参議院側からの強い反発がある<ref>橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、30・67頁</ref>。 |
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== 現在議院内閣制を採用する主な国家 == |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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* 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年 |
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== 関連項目 == |
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2012年2月24日 (金) 10:45時点における版
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議院内閣制(ぎいんないかくせい)とは、立法権を有する議会と行政権を有する政府(内閣)が一応分立しているものの、政府は議会(特に下院)の信任によって存立することとする制度[1][2]。
概説
議院内閣制は大統領制、超然内閣制、議会統治制などと並ぶ、議会と政府との関係の点から見た政治制度の分類の一つである[3]。
議院内閣制の特徴
議院内閣制を他の政治制度と比較的に考察すると以下のような特徴によって表される。
- 大統領制(presidential system、アメリカ型)
- 今日では議院内閣制と並ぶ代表的な政治形態であり、立法権と行政権を厳格に独立させ、行政権の主体たる大統領と立法権の主体たる議会をそれぞれ個別に選出する政治制度[4][5][6]。その特徴としては、大統領は議会選挙からは独立した選挙により国民から直接選出されること(アメリカ大統領選挙は制度上においては間接選挙であるが実質的には直接選挙として機能しているとされる[7])、原則として大統領は任期を全うすること(アメリカでは弾劾制度が設けられているが弾劾の事由は狭く限定されたものとなっている[8])、大統領には議会解散権が与えられていないこと、大統領には法案提出権がないこと、議員職と政府の役職とは兼務できないこと、政府職員は原則として議会に出席して発言できないことなどを特徴とする[9][10]。
- 超然内閣制
- 政府(内閣)は君主に対してのみ責任を負うものとされ、議会に対しては責任を負わない政治制度[11]。
- 議会統治制(議会支配制、assembly goverment、スイス型)
- 議院内閣制(parliamentary goverment / parliamentary cabinet system、イギリス型)
- 行政府の主体たる内閣は議会(二院制の場合には主に下院)の信任を得て存立する政治制度[14][15]。権力分立の観点からみると、議院内閣制は議会統治制とは異なり議会と政府は一応分立しているものの、アメリカ型大統領制のような厳格な分離はとられず、政府(内閣)は議会の信任によって存立する[16]。また、民主主義の観点からみると、内閣の首班(首相)は議会から選出されること、内閣は議会(特に下院)の信任を基礎として存立し、議会(主に下院)は内閣不信任を決議しうること、内閣には議会解散権が認められていること(ただし、議会解散権については議院内閣制一般に認められる本質的要素とみるか否かについて責任本質説と均衡本質説が対立する)、内閣には法案提出権が認められること、内閣の構成員たる大臣はその多くが議員であること、大臣には議会出席について権利義務を有することなどを特徴とする[17]。
政治モデルとしては、アメリカ型大統領制は立法権と行政権を厳格に分離し権力の分散という点を強調し権力分立を指向するのに対し、イギリス型議院内閣制は立法権と行政権が政権党によって結合され強力な内閣のもとに権力の集中を容認する制度であるとされる[18][19]。しかし、日本では歴史的・制度的な点から長い間にわたり議院内閣制のために権力の集中は生じないとみられてきたという指摘がある[20](#日本の議院内閣制)。
国民による公選によって選出される大統領とは異なり、議院内閣制における内閣は国民から直接選ばれるわけではないため、自らの民主的正統性の根拠について議会からの信任に依拠することになる[21]。議院内閣制の下では原理的には議会は内閣に優位することになり、アメリカ型の大統領制に比して権力分立という自由主義的側面は後退することになるが、国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖と、内閣→議会(議院)→国民(有権者)という責任の連鎖を構築することによって行政権の民主的コントロールを確保するとともに、議会(主に下院)の多数党派が行政部の中枢機関を担うこととして政治上の責任の所在を明確にして民主主義的要請に応えようとする制度であるとされる[22][23][24]。
議院内閣制では議会と内閣の協働関係が破綻した際には、内閣不信任決議、内閣総辞職、議会解散権の行使のいずれかによって解決が図られる[25]。議院内閣制の下で内閣に議会解散権が広く認められる政治制度がとられるとき、議会には内閣に対する不信任決議、一方の内閣には議会解散権が認められているため、両者に意思の対立があれば(解散を経て)議会選挙を通じて国民がその問題に決着をつけることになる[26]。このことは議院内閣制においては選挙となれば国民の審判にさらされるという緊張関係を常に生じていることを意味し、そのため議院内閣制の下ではいつ選挙が行われても国民からの支持を得られるように民意への接近という動因が絶えず働くことになるとされる[27][28]。実際の政党政治の下では議会において多数を占める政党が政権を担う(内閣を組織する)ことから、この要素は内閣と議会との間にではなく、与野党間、連立与党の各党間、与党の主流派と反主流派などにおいて働くとされる[29]。
また、国民の支持の厚い首相=党首を擁する場合は、不信任決議と関わりなく解散を行い、さらに自党の政権を選挙時点からさらに向こう任期年間延命することができる。不人気な首相が自ら辞任して後継自党党首[30]に託すのも、たったそれだけで国民の支持が回復することが現実にあり得るからである。
以上の点は立法府と行政府の厳格な分離をとり、大統領の任期が定められ、また、大統領の所属政党と議会多数派とが異なる場合も出現しやすいアメリカ型の大統領制と異なる点である。
議院内閣制の利点を実際に活かすことができるか否かは政治上の諸条件にかかっているとされ、議会や政党に頽落を生じる場合にはアメリカ型の大統領制よりもよりも大きな構造的な問題を抱えることになるとされる[31]。
議院内閣制の問題点としては、政権与党が議会の圧倒的多数を占めることになると独裁に陥りかねず、他方で政権与党が小政党の連立である場合には政権基盤は著しく不安定なものとなる点がある[32]。
議院内閣制と政党
議院内閣制は議会多数派(一般的には政党)が内閣を組織して政治を主導することから政党内閣制とも呼ばれる[33]。一党で内閣が組織される場合には単独内閣、複数党で内閣が組織される場合には連立内閣と呼ばれ、また、内閣には加わらないものの内閣の方針を基本的に支持する形をとることを閣外協力と呼ぶ[34]。
議院内閣制の下での内閣総理大臣に選出方法について、イギリスでは二大政党制の下で下院の第一党の党首が首相に任命されるのが慣行となっているのに対し、日本やドイツでは議会で首相指名選挙が行われ、連立政権となる場合には必ずしも第一党の党首が就任するわけでもない[35]。例えば日本の細川護煕元首相、羽田孜元首相、村山富市元首相は第一党の所属ではなかった。また、ドイツのヘルムート・シュミットはヴィリー・ブラントの後を受けて首相となったが第二党の所属でしかも党首職にも就かなかった(ブラントが党首職に留まった)[36]。
議院内閣制の歴史
議院内閣制は沿革的には18世紀から19世紀にかけて英国で王権と民権との拮抗関係の中で自然発生的に誕生し慣行として確立されるに至った制度である[37][38][39]。
内閣制度の草創期において閣僚は国王の「家僕」とされ、国王は自由に閣僚を任免することができた[40]。
しかし、議会の力が大きくなり18世紀末に誕生した初期の議院内閣制では内閣は君主と議会の双方に責任を負い、大臣の地位は君主の信任を受けて認められる地位であるとともに、議会の支持が得られなければ政治的根拠を失い、自発的に辞職しなければならないとする政治制度が成立した[41][42]。このように内閣が国家元首と議会の双方に対して責任を負う類型を二元主義型議院内閣制という。
イギリスにおける選挙法による下院の地位向上など、議会の優位がさらに進み、19世紀後半になると国家元首の任命権は形式的・名目的なものとなって、首相には議会の多数派党首を任命せざるをえなくなるとともに、議会の不信任決議により内閣は辞職しなければならないようになった[43][44]。このように内閣が議会に対してのみ責任を負う類型を一元主義型議院内閣制という。
一元主義型議院内閣制の下では大統領や君主などの元首は儀礼的な役割しか持たず、内閣が実際の行政権を持つのが普通である。一元主義型議院内閣制を採用している国家は、イギリス、フランス第三・第四共和制、日本、ドイツ、スペイン、スウェーデン、オランダなどが挙げられる。
内閣は議会(特に下院)に対して連帯して責任を負い、分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合(閣内不統一)、大臣が閣内にとどまったまま首相に対する反対派となることは許されず、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。辞任を通じて議会内の多数派に変動が起き、結果的に内閣が倒れることは許容される。
内閣は議会(特に下院)の明示的あるいは暗黙的な多数派に依拠しなければならない。議会(主に下院)は、内閣不信任決議を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる[45]。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、議会の多数派を再形成するために解散するかを選択する。解散の後、選挙を経て新たに作られた議会の勢力により内閣の命運が決まる。選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任をあきらめ別の首相が任命されることになる。
議会の優位がさらに進むと政府が完全に議会に従属する議会統治制が出現するが、これが好ましい政治形態であるかは疑問とされ、イギリスなどではこのような展開は見られないとされる[46]。
なお、半大統領制の下では内閣が大統領と議会の双方に責任を負う二元主義型議院内閣制がみられるが、これは初期の二元型議院内閣制における君主が大統領に置き換わったものとして理解することができるとされる[47]。
議院内閣制の本質
議院内閣制の本質をめぐり責任本質説と均衡本質説の対立がある。
- 責任本質説
- 内閣の議会解散権は必ずしも議院内閣制の必要条件ではないとみる。通常の憲法学または政治学上の多数説とされる。
- 均衡本質説
- 内閣の議会解散権も議院内閣制の要素であるとみる。
議院内閣制と議会統治制(スイス型)との違いについて、均衡本質説によれば内閣の解散権の有無により、責任本質説によれば辞職の自由の有無により区別すべきとされる[48]。
英国の議院内閣制
イギリスでは二大政党制の下、庶民院(下院)の第一党の党首が首相に任命されるのが慣行となっている[49][50]。日本やドイツのように議会による首相指名の手続はない[51]
閣僚の任免は首相の指名・申出に基づいて国王が行うが、庶民院か貴族院(上院)のいずれかに議席がなければ閣僚となることはできない[52][53]。
閣僚には約20名の閣議のメンバーとなる閣内大臣、そしてそのほかに閣外大臣がおり、その下に政務次官が置かれている[54]。与党所属の庶民院議員のうち約100名が行政府に籍を置くこととなるといわれ、与党と内閣とは一体的で一元化されている[55][56]。
日本では内閣総理大臣その他の国務大臣は議席の有無に関係なく議院出席の権利義務が定められている(日本国憲法第63条)。しかし、イギリスでは庶民院所属の閣僚は貴族院での審議に参加できず、反対に貴族院所属の閣僚は庶民院での審議に参加できないとされ、他院では閣外大臣や政務次官が審議に応じる形をとる[57]。
官僚は政治的中立性の原則の下で選挙によって成立した政権に忠誠を尽くすとともに、指揮関係を乱すことのないよう議員であっても大臣ではない者との接触は忌避されるという[58]。
日本の議院内閣制
日本国憲法と議院内閣制
以下の条文から日本国憲法は議院内閣制を採用しているものと理解されている[59]。
- 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ(日本国憲法第66条3項)。
- 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する(日本国憲法第67条1項)。
- 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない(日本国憲法第68条1項)。
- 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない(日本国憲法第69条)。
- 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない(日本国憲法第70条)。
- 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない(日本国憲法第63条)。
なお、日本国憲法は議院内閣制を採用したものではないとする少数説もある。小嶋和司の主張のように、首相が国会の指名によって定まること(日本国憲法第67条)及び衆議院議員総選挙後に初めて国会の召集があったときは内閣は総辞職しなければならないとされている点(日本国憲法第70条)から、日本国憲法の議院内閣制は伝統的なものとはいえずむしろ議会支配制(議会統治制)の原理を浸透させたものであるとする見解もある[60]。
日本における問題点
官僚内閣制
日本の内閣制度は官僚内閣制と表現されることがある。議院内閣制の下では国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖が本来生じるはずであるが[61]、日本の内閣制度の基本的特徴はこの権限委任の連鎖が首相以降の部分で断ち切られていることにあるとされる[62]。
内閣の意思決定は全会一致を基本原則とするが、各省庁は高い自律性を持つ官僚集団であり、大臣は各省庁の代表者としてその意思を代弁者となってしまい、また、個々の政策決定には官僚の同意を必要とし、内閣の意思決定のためには省庁の官僚間での調整が必要とされることとなり、首相が積極的に政策形成や意思決定、政策転換を行うことは困難となるという指摘がある[63]。
歴史的には日本では戦前から超然主義の下で権力分立の原理を意図的に持ち込み政党政治勢力を行政権から排除する運用がなされてきたとの指摘がある[64]。
政府と与党の関係
英国では与党と内閣は一体的で一元化されているのに対し、日本では与党が内閣に並立的に存在し、政務は首相以下の閣僚など、党務は幹事長以下の党役員が担い、個々の法案成立には与党による事前審査手続が必要とされてきた[65][66]。政府と与党の権力の二重構造とも表現され、このような構造は政治過程を不透明で解りにくいものにするとの指摘がある[67]。
事前審査制は1970年代に定着した日本独特の慣行で、官僚が法案を説明し、与党議員は必要であれば直接政府側に修正を要求しうるとするものであるが、政党全体としての自律的意思形成能力の向上を妨げる、政官関係の固定化、国会での論戦を著しく制約するといった弊害が指摘される[68][69]。
参議院との関係
日本においては、衆議院の優越の関係から衆議院の多数派の支持を得た者が最終的に首相に指名され、また、衆議院のみが内閣不信任を決議でき(参議院は政治的意味を有するにとどまる問責決議のみ)、一方、内閣は衆議院のみ解散できる(参議院は解散できない)。このようなことから日本において実質的に議院内閣制の関係が成立しているのは内閣と衆議院の間だけで、内閣と参議院の間ではこのような関係が成立していないとの指摘がある[70]。
問題とされるのは衆議院の多数派を形成して内閣を組織している政権党が参議院での多数を失っている場合に立法活動が滞るという点である(ねじれ国会も参照)[71]。
その原因としては日本では議院内閣制を採用するにしては上院(参議院)が強すぎるという問題があるとされる[72]。憲法上、法律案については参議院の支持を得られなければ、衆議院は3分の2で再可決して成立させることができると衆議院の優越について定めてはいるが、この要件を満たすことは非常に難しく容易でない[73]。
また、このような制度上の特質は内閣の存立が参議院選挙の結果にも左右されることとなり、現行憲法下では衆参の国政選挙がおよそ1年6ヶ月ごとと頻繁に行われており安定政権の不存在の要因となっているとの指摘がある[74]。議院内閣制をとるヨーロッパの国々では下院の任期は4年以上で、上下両院では選出方法が大きく異なり、上院での選挙結果が内閣の存立を左右することはないとされる[75]。
かつて参議院は衆議院のカーボンコピーと揶揄されたが、1989年の参議院選挙以降、与野党間の差は縮まり、連立内閣の組織や重要法案の成否などの点において参議院は影響力を高めている[76][77][78]。参議院議員には首相の解散権が及ばないため直接的にけん制する手段はない[79]。そのため、衆参で「ねじれ」が生じて参議院が法案を支持しないとみられる場合に、首相が衆議院で法案を再議決できるだけの多数を得るため、あるいは参議院の翻意を促すために衆議院の解散が行われることもある(例として郵政解散)。
議院内閣制の下では国民(有権者)→議会(議院)→内閣(首相・大臣)→行政各部(官僚)という権限の委任と監督の連鎖を生じる[80]。そこで参議院の内閣総理大臣の指名を削除するなど一院制的なものに編成を改め、衆議院総選挙を実質的な首相選出の選挙として直結させ、首相の地位(民主的正当性)を高めるなど政府・首相と国民との関係を明確なものにすべきとの意見もある[81]。
2000年4月にまとめられた参議院議長の私的諮問機関である参院の将来像を考える有識者懇談会の意見書では、衆参の役割分担を明確にすべきとし、衆議院での再議決要件を3分の2以上から過半数に改める、参議院の内閣総理大臣指名の権限を廃止する、参議院からの閣僚就任を自粛する等の内容が盛り込まれたが、このような改革論には参議院側からの強い反発がある[82]。
現在議院内閣制を採用する主な国家
立憲君主国
- イギリス
- カナダ
- ニュージーランド
- オーストラリア
- 日本
- スペイン
- スウェーデン
- デンマーク
- ノルウェー
- リヒテンシュタイン
- オランダ
- ベルギー
- ルクセンブルク
- マレーシア
- ブータン
- タイ
- カンボジア
- レソト
など
共和国
- ドイツ
- イタリア
- ポルトガル
- アイスランド
- フィンランド
- オーストリア
- ポーランド
- チェコ
- スロバキア
- スロベニア
- ハンガリー
- エストニア
- ラトビア
- リトアニア
- ギリシャ
- アイルランド
- インド
- バングラデシュ
- イスラエル
- イラク
- トルコ
- エチオピア
など
脚注
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、321頁
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、233-234頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、232頁
- ^ 大石眞著 『憲法講義Ⅰ』 有斐閣、2004年、85頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、233頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁
- ^ 大石眞著 『憲法講義Ⅰ』 有斐閣、2004年、85頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、320頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、231頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、321頁
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、233-235頁
- ^ 飯尾潤著 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 中公新書、2007年、143・154頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁
- ^ 野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、164頁
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、234-235頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、233頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁
- ^ 野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、162-162頁
- ^ 野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、164頁
- ^ 野中俊彦ほか著 『憲法Ⅰ(第4版)』 有斐閣、2006年、164頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、233-234頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、234頁
- ^ ドイツでは、アデナウアーやブラントの様に首相職を辞任した後も与党の党首の座には留まったという例が見られる。
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、240頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、235-236頁
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、72頁
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、72頁
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、31・70頁
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、31・70頁
- ^ 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年、321頁
- ^ 小林直樹著 『憲法講義(下)(新版)』 東京大学出版会、1981年、235頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、232頁
- ^ 高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁
- ^ 高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、232頁
- ^ 高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、232頁
- ^ ドイツの場合は、憲法に当たるドイツ連邦共和国基本法で、連邦議会が新首相候補を選出した後にしか内閣不信任案を提出できない「建設的不信任(Konstruktives Misstrauensvotum)」制度を採用しており、逆に首相の信任決議が否決された時以外、内閣は連邦議会を解散できない。これはヴァイマル共和政時代に倒閣だけを目的とした内閣不信任が何度も可決された結果政治が安定せず、その混乱を衝く形でナチスが台頭してしまったことへの反省によるものである。つまり一見ドイツの内閣は積極的な議会解散権を持たないように見えるが、実際には与党に信任決議案を出させ、わざとそれを否決させて解散を実現する手法がとられる。だが、この手法を基本法違反と批判する法学者もいる。
- ^ 高橋和之著 『立憲主義と日本国憲法』 有斐閣、2005年、25頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、235頁
- ^ 毛利透ほか著 『憲法1統治(第5版)』 有斐閣、2011年、233頁
- ^ 中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82頁(浅野和生)
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、31・70頁
- ^ 中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82頁(浅野和生)
- ^ 中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82頁(浅野和生)
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、70頁
- ^ 中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、82-83頁(浅野和生)
- ^ 中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、83頁(浅野和生)
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、71頁
- ^ 中村勝範編著 『主要国政治システム概論改訂版』 慶應義塾大学出版会、2005年、83頁(浅野和生)
- ^ 飯尾潤著 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 中公新書、2007年、156頁
- ^ 大石眞著 『憲法講義Ⅰ』 有斐閣、2004年、88頁
- ^ 小嶋和司・大石眞著 『憲法概観(第7版)』 有斐閣、2011年、231頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、377頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、378-379頁
- ^ 大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、96頁(大石眞)
- ^ 大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、95頁(山口二郎)
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、71頁
- ^ 大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、36頁(大石眞)
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、71頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、381-382頁
- ^ 竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、188頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、405頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、405頁
- ^ 竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、189頁
- ^ 大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、33頁(大石眞)
- ^ 大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、33頁(大石眞)
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、395頁
- ^ 竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、191頁
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、66頁
- ^ 竹中治堅著 『首相支配―日本政治の変貌』 中公新書、2006年、199-202頁
- ^ 佐々木毅・清水真人編著 『ゼミナール現代日本政治』 日本経済新聞出版社、2011年、376頁
- ^ 大石眞ほか編著 『首相公選を考える―その可能性と問題点』 中公新書、2002年、38-40頁(大石眞)
- ^ 橋本五郎・飯田政之・加藤秀治郎著 『Q&A日本政治ハンドブック』 一藝社、2006年、30・67頁
参考文献
- 芦部信喜著・高橋和之補訂 『憲法(第5版)』 岩波書店、2011年