コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ノート:エホバの証人」の版間の差分

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
削除された内容 追加された内容
O^tsuka (会話 | 投稿記録)
83.250.210.112氏の投稿を適当と思われる箇所に移動
O^tsuka (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
1行目: 1行目:
''この項目は特定の版の削除が行われています。削除に関する議論は[[ノート:エホバの証人/削除]]をご覧ください。''
''この項目は特定の版の削除が行われています。削除に関する議論は[[ノート:エホバの証人/削除]]をご覧ください。''
----
----
<center>

[[ノート:エホバの証人/archive1]]
[[ノート:エホバの証人/archive1|archive1]] / [[ノート:エホバの証人/archive2|archive2]] / [[ノート:エホバの証人/archive3|archive3]]
</center>
[[ノート:エホバの証人/archive2]]
----
アーカイヴ化しました。[[利用者:KIZU|KIZU]] 11:00 2004年3月25日 (UTC)

snufkinです
久しぶりに来たら予想通りの状態になっていました(笑)
現在の記事は辞書としては偏向が多々見受けられます。
・エホバの証人独自の語の用法が増え記事内容の汎用性が損なわれています
・記事のソースがエホバの証人側のものばかりで中立的な視点が失われています
以上の理由から編集停止解除の要請をします。

とりあえず現実的な方策として記事の変更箇所をこの場で明らかに
したいと考えていますがよろしいでしょうか

[[利用者:Snufkin|snufkin]] 21:53 2004年4月26日 (UTC)snufkin
アーカイブざっと読みました、偏向ページが飛び散っている様子確認しました


Snufkinさん、お久しぶりです。

何がどうなっているのか、どういう経緯で保護されたもので、現段階では保護しておく必要があるかどうか、以前少し調べたので、もう一度ざっと見回してまとめてみました。

かなり錯綜していて整理するのが大変そうなので、いっそのことこれまでの経緯を無視して一斉解除してしまって、問題が発生したらまた保護をかける、ぐらいの方が簡単でいいんじゃないかとも思いましたが。。

*[[Wikipedia:保護依頼]]のページには保護の記録がなく、そもそもページが作られる前に保護されたもののようです。
*[[Wikipedia:Protection_log]]を見ると、2月27日に保護がかけられたものです。ログの性質上、理由は記録されていないのですが、当時関連のページが幾つか保護されており、その理由は中立性と編集合戦にあるようです。保護をかけたSuisuiさんがこのノート:エホバの証人で理由を説明しており、それが[[ノート:エホバの証人/archive1]]に残っています。(以下、同ページで参照できる書き込みはA1と記します。)
*記事の履歴を見ると、K.M.さんとHarukaさんが「キリスト教」と「キリスト教系」という形容のどちらにするかについて話し合いをすることもなく変更を繰り返していたようです。(いわゆる編集合戦)
*キリスト教vsキリスト教系の点については、保護がかけられたすぐ後、2月28日に僕が両論併記の栄案をこのノートでしています。(A1)
*この案については、Kadzuwoさんが特に反対を表明されています。(A1)
*3月に入って、宮原崇さんが諸点に渡る具体的な改訂案を出され、K.M.さんは賛成。他に特に反対意見は出ていません。(A1)ちなみに宮原さんは保護がかかって以降ノートでの議論に参加された方で、編集合戦などには関わっていないように思います。
*ただし、この宮原案には「キリスト教」vs「キリスト教系」についての解決案が含まれていません。また、[[ものみの塔聖書冊子協会]]という記事との並立でよいか、そうだとしたらどのような分担関係をとるかについての案もありません。それをK.M.さんが指摘しています。(A1)
*ほぼ同時期、[[ノート:聖霊]]で僕がこの記事を含む関連記事の一斉保護解除を提案してみましたが、おそらくこの2点を理由にK.M.さんが、この記事については当面保護解除を見合わせるほうがよい、と意見を出しています。他にSuisuiさんも反対意見です。(同ノートを参照。)
*一斉保護解除の提案が出ている間に、[[ノート:エホバの証人/archive2]](以下A2)にある通り、宮原さんが更にこの記事の改訂案を出されました。これは、上記のK.M.さんが問題にした2点についての解決案も含むものです。K.M.さんは賛成(A2)。
*K.M.さんはKIZUさんとHarukaさんの意見を知りたいと言うことでしたが、それを受けて[[利用者‐会話:Haruka]]での宮原さんが問い合わせを行いました。それに応じてHarukaさんは、宮原さんの案の一部にやや反対を表明しましたが、これはK.M.さんが問題にした2点とは異なる点のようです。(つまり、K.M.さんとの間にあった争点はここで事実上解消を見たと考えられるのではないかと思います。)宮原さんはKIZUさんにも問い合わせを行いましたが、返事はないようです。
*更に、4月に入ってから[[Wikipedia:コメント依頼]]に、K.M.さんによってコメント依頼が出されており、これは、キリスト教の団体なのかキリスト教系の団体なのかについて議論が分かれていることを指摘しています。併せて、[[ノート:ものみの塔聖書冊子協会]]にもあるように、記事の並立の可否、記事間の分担、教団の名称などをめぐっても論争の解消を見ていない、ということのようです。ですが、どうやらHarukaさんとK.M.さん、あるいは更に広く関連記事で編集合戦などに関与した方としてKIZUさんを勘定に入れても、当事者間での論争は既に沈静化したか、特定の案に合意を見たと考えていいのではないかと思います。
*もし当時の関係者間で合意がなく、論争が沈静化してもいないということであれば、K.M.さんが投稿ブロックされた状態にあることをどう考えるべきか悩むところです。K.M.さんが特定の案を推していたところが別の理由(著作権関連)で投稿ブロックされている間に、K.M.さんに反対する意見の方が意見を押し通す、というような形は余りよくなさそうなので。

以上から、解除してもいいんじゃないかと思いました。

宮原さんの案がとりあえず改訂の方向としてそれなりの賛同を得ているようであることから、それに沿って編集が行われるのであればとりあえずは余り波乱が起きないのではないかと予測しますが、snafkinさんのように議論に参加していたわけでもなく、編集合戦の当事者であったわけでもない方からはまた別の意見などが出てくるのもありだろうと思いました。

再発が起きることを懸念して保護を継続するよりも、再発したらその時点でまた保護依頼を出してもらって保護をかけるという形にする方がウィキらしいのではないかとも思いました。

最後に、K.M.さんが投稿された記事のかなりのものが、著作権上問題がある可能性がありそうだという指摘が出ていることも気になります。もしもこの記事にもそういう問題があるのであれば、いずれ記事が(全履歴ごと)削除されることになるのではないかと思います。だから保護を解除しないべき、という話ではないですが、解除して編集したものの結局削除する破目になっては無駄骨なので、どなたかがチェックして下さるのを待つのもいいかと思います。宮原さん、Allways Minorityさんが関連文献にアクセスがあるようで、類似または同一の文があるかどうかを調べて下さっているようです。(但し、K.M.さんが同意されない場合もあるのですが。。) 

とっても長くなりましたが以上です。[[利用者:Tomos|Tomos]] 07:55 2004年4月29日 (UTC)

Tomosさん お久しぶりです、サマリありがとうございます。
わたしはカソリック(反対者)からの視点が強すぎると思い編集したのですが、すぐその後、教団反対者の意向過剰を理由に編集合戦が起こったようですね(笑)

[[ノート:聖霊]]でTomosさんが提案されたガイドライン賛成です。が、
当記事では、信者同士でも意見の一致が難しい話題があることがわかりました。
そのような話題は、中立性への指向や辞書の役割からして記事本文に記載するのは
とりあえず避けた方がよいと思います。
・信者や反対者ではない人に効率的に情報を伝える利便性を優先する
(もちろんそれらの争点は別記事にまとめる可能性を考慮したうえです)
・再び保護扱いになるのを避けるため

さらに雑駁に追記すると、
・内輪の対立が延々と続く可能性があり、さらに細分化するようなら該当する話題を削除しノートに移動する。
・掲載する内輪の論争は、「(根拠付の)こなれた論争」にとどめる

以上は編集一般ではなく本記事への考えですが少なくとも宗教関係全般にあてはまるのではないかと思います。

また著作権違反の恐れについてですが、当該宗教団体が配布する文章の扱いについてだと思います。少なくともわたしが読んだ限り、まとまった文章をそのままコピペしたと思われるものは気がつきませんでした。独特の文調や用語の使い方、論の展開といった多分に感覚的なものであって記事全文を精査したわけではありませんけど。

編集保護措置は醜いやりとりが続いたことに対して適用されると捉えているので適当な期間を経たら解除するのに理由は無いのでは。解除したとたんに醜態アゲインであれば繰り返しそのものを新たな対応課題としてとらえるのは実効性が無いでしょうか? 「適当な期間」については今回のように保護解除要請が出された時に考慮するやり方では管理者の負担が大きすぎるでしょうか。わたしはしばらく気長に宮原案を元に編集するつもりです。--[[利用者:Snufkin|snufkin]] 17:08 2004年5月1日 (UTC)snufkin

異論もないようですし、特に考え直すべき理由なども思い当たらなかったので保護解除しました。執筆・編集、どうぞよろしくお願いします。[[利用者:Tomos|Tomos]] 16:42 2004年5月10日 (UTC)

==新規執筆==
==新規執筆==


565行目: 498行目:
:::*[[病者の塗油]]に警告を出さない医師会のあり方はどうなのでしょうか。
:::*[[病者の塗油]]に警告を出さない医師会のあり方はどうなのでしょうか。
:::科学的根拠云々について触れなければ、これらの問題を避けることができ、また必要な知識も十分に伝えることができます。[[利用者:203.141.155.228|203.141.155.228]] 2006年1月14日 (土) 18:02 (UTC)
:::科学的根拠云々について触れなければ、これらの問題を避けることができ、また必要な知識も十分に伝えることができます。[[利用者:203.141.155.228|203.141.155.228]] 2006年1月14日 (土) 18:02 (UTC)

::::宗教の教義に科学的根拠が求められているわけではありませんが、偽医療や疑似科学については指摘されるべきでしょう。この点を指摘しないことは逆に中立的な観点に反することになると思います。この点で「科学的根拠云々」以外でよい指摘方法があればお願いします。[[利用者:O^tsuka|O^tsuka]] 2006年1月15日 (日) 16:40 (UTC)

==アーカイブ化==

かなりノートページが長くなっていたので、とりあえず目次の部分までを除きました。アーカイブにするのは初めてで、手順等を間違っているかもしれないので、気付かれた方は直して頂けるとうれしいです。[[利用者:O^tsuka|O^tsuka]] 2006年1月15日 (日) 16:40 (UTC)

*[[ノート:エホバの証人/archive1]]
*[[ノート:エホバの証人/archive2]]
*[[ノート:エホバの証人/archive3]]

2006年1月15日 (日) 16:40時点における版

この項目は特定の版の削除が行われています。削除に関する議論はノート:エホバの証人/削除をご覧ください。


archive1 / archive2 / archive3


新規執筆

とりあえず以前に書いたものを入れてみましたが、これでは記事内容の順番に問題があるみたいです。宮原崇 05:16 2004年5月11日 (UTC)

Tomosさんありがとうございます上述したとおりぼちぼちやります。 まず始めに、宗教団体の説明は当事者国(wikiPediaJAでいうと日本)でのありかたを述べるのが一般的なので[概観-起源と歴史]に日本への伝播とおおまかな変遷を加えるのが適切です。この点異論が無ければ具体的な修正案をノート上に提案しますsnufkin 20:32 2004年5月24日 (UTC)

いま、ここの執筆は私がメインとなっているようです。といっても、すでにあるものを改訂しているだけです。よろしくお願いいたします。宮原崇 08:07 2004年5月28日 (UTC)

「教義における社会的問題」は百科事典としてはあまりに醜いので、「エホバの証人の社会的特徴」として、内容を適宜組み直していくつもりでいますのであらかじめお知らせしておきます。宮原崇 08:07 2004年5月28日 (UTC)

宮原崇さんはじめまして。「教義における社会的問題」は部分的に批判的立場からの視点が強いように感じます、また前述したとおり国内の出来事を中心に記述し必要であれば補足として海外の事例を載せるというスタンスで書き直す余地があると思いました。

宮原崇さんの御意見に対してですが教団・信者を総称した意味での"エホバの証人"にまつわる社会問題は現存する問題なので「・・・社会的特徴」という見出しではなく端的に「・・・社会問題」とするのが適切と考えます。

実際、エホバの証人は社会的な問題を起こす宗教団体(俗称でいうカルト)という捉え方をされることがあるからです。しかし、他団体に比べて規模が大きく、金銭問題のトラブルで取り上げられることが無いのは際立った特徴であり安易にカルトに括るのは不適切と思われます。よって過去に広く報道された出来事を"社会問題"という語を用いて価値中立的に記述するのが適切と考えます。

現状の見出し「教義における・・・」は社会問題化した理由を見過ごし宗教論争を招く恐れがあるため適切さを欠くので削除し「社会問題」または「既知の社会問題」を代替案とします。snufkin 19:50 2004年5月28日 (UTC)

では、折衝案として、「社会的特徴」と「社会的問題」を並立させる、もしくは「社会的特徴」の中に「社会的問題」を入れるというのはどうでしょうか。宮原崇 03:04 2004年5月31日 (UTC)

よく見るとXHTMLになってますね。タグの使用には気をつけます。宮原崇 03:04 2004年5月31日 (UTC)

体育や学級委員をやってはならないあるがどうしてですか?馬鹿馬鹿しい戒律だと思いますが… --202.213.176.245 --V-SSK 2005年11月26日 (土) 17:43 (UTC)[返信]

批判内容について

教派批判的な内容の書き入れについてです。たとえばここ数日を見てみますと、3点の書き入れがあります。

エホバの証人は聖書を唯一の聖典とし、その厳密な解釈と適用を行う。

のあとに

(「厳密」に関しては、以下の輸血禁止のように、「文字のまま」とするのが聖書の正しい受け止め方なのかどうかの問題がある)

という書き入れが入っています。 これはこのあいだ各所で某氏@エホバの証人がされたことと同じで、Wikipediaを攪乱し、百科事典の中立性を損なうものと思います。 この種の書き込みを許容しますと、世の中には様々な形態の批判意見があるのですから、すべての項目にそのような書き入れが入ってくることは避けられないでしょう。やがては収拾のつかない編集合戦になります。 単にイメージダウンをねらって、もともと自明なことをくどくど書き込むような方もおられるかと思います。

エホバの証人は三位一体の教理を支持せず、イエスは神の被造物であり、神の独り子であったと信じる。

のあとには、

(イエス・キリストを神と認めず、人間として考えるため、キリストを崇拝の対象としない。このため、伝統的なキリスト教(カトリックやプロテスタントなど)からは、キリスト教ではないと批判されている。)

が書き入れられています。 内容が間違っている(「人間として考える」のくだり)うえに、書き入れ方が不適切だと思います。 たとえばキリスト教派内におけるエホバの証人の立場を取り上げる項目を別に作って、教派間の意見の対立は無難に取り上げようという配慮が必要です。その場合、とりあげる両者を対等に扱う書き方が求められます。

エホバの証人は生命の尊厳の尊重と贖いの擁護との二つの理由によって輸血を拒否する。

のあとには

(旧約聖書では、動物は傷つけられ出血多量となると死ぬことから、いのちは血の中にあると考えた。このため、いのちは神に返し食べてはならないと禁止し、キチンとした手順を経た血を抜いた肉だけが食べることができた。この科学以前の世界観を現在に適用し、輸血は他人のいのちを取り込むとの考えで、輸血を拒否している。伝統的なキリスト教では、旧約聖書を上記のようには解釈せず、輸血を認めている。)

このくだりは仮説を事実であるかのように述べている問題がありますが、それよりも問題なのは、エホバの証人の信条に対する事実上の否定論を書き入れていることです。ようするに、旧約聖書は現在の科学から比べれば非科学的なので輸血拒否は無理がある、と言いたい書き込みです。 また、輸血拒否の教理を(宗教的・倫理的ではなく)科学的な考察の対象にしている点も問題です。Wikipediaの宗教の各項目にちくいち「この信条は科学的ではない」に類する書き入れがあればどうなるかということを考えてください。たとえばカトリックやプロテスタントといったところの各項目にエホバの証人がそういう書き入れをいくつも行って、「両論併記だ」などと開き直ったら、どうでしょうか。 Wikipediaの中立性に関してはすでに、出版されている他の百科事典という多くの手本があります。他の百科事典ではあり得ないような書き入れは慎むべきかと思います。宮原崇 2004年9月20日 (月) 01:54 (UTC)[返信]

:実際に起きた「父親による息子の輸血拒否事件」に関して記述していないのはおかしいのではないでしょうか。社会的に衝撃を与えた事件であると同時に、親権などの法的問題もかかわってくるからです。宗教的記述は避け、事件の内容と法的に問題である疑いがあることを記述すればいいのではないでしょうか。中立性を保つために記述を削除することが、逆に中立性を損なわせている、と私は考えます。--222.159.52.197 2005年2月12日 (土) 11:05 (UTC)[返信]

このセクションにいままで気づかなかったのですが、宮原さんのご理解はWikipediaの方針である中立的な観点を理解しておられないご意見だと思いました。批判的なことを書かないというのは中立的な観点とむしろ対立します。多くの人から批判がある以上。多くの人から批判されているものとして示すのが中立的な観点です。ここからはエホバの証人からの批判をカトリックの項目に直接相当量の記述で書くことの不適切さも導出されます。なぜなら少数派の意見に過度にスポットをあてることもやはり中立的な観点に反するからです。キリスト教の他の宗派とこれこれの教義を共有していないということを書くのは妥当ですが、エホバの証人という集団の大きさにかなった分量を逸脱するなら、それは中立的な観点の方針に照らして不適当な扱いにあります。--Aphaia 2005年11月2日 (水) 20:57 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼

出しました。間違えて自分のブロック依頼出したりしたけど・・・保護依頼とは別なのか? snufkin 2005年4月12日 (火) 04:22 (UTC)[返信]

保護解除

動きもない様なので、解除しても良いのではと思われるのですが…。

現在の状況でしたら解除してよいと見るべきでしょうね。時期を見て保護解除される方が居ないようでしたら、私が解除要請します(ただ、私は議論に関わっていないので当事者または以前から閲覧していた方が居ればその方にお願いします)。しかし、発言にはかならず署名をお願いします(半角の「~(チルダ)」を4つです)。署名がないといつの・誰の発言なのか判別できず、解除してよいのかも判断つきません。haco 2005年9月14日 (水) 07:03 (UTC)[返信]

久々に見にきてよかった。解除に賛成です。申し訳ないのは最新の運営ルールを把握していない事です。どっかよそに解除依頼しなきゃいけないのであれば私がやります、今はここで意見表明します。snufkin 2005年9月20日 (火) 17:51 (UTC)snufkin[返信]

ノート(再開)

運営の方々、解除作業ありがとうございました。保護解除したとたん、あちこち理由無しに削除されてました(笑)ルール通り編集された方と、そうじゃない方に以下コメントします。

  • 2005年9月25日 (日) 13:15 Gakuinryouさん
編集されたとおり、元稿を書かれた方が情報ソースを提出するなり、当ページに意見表明される内容だと思います。
Gakuinryouです。当該部分の書き込みをされた雲居雁乃さんのノートに8月16日に質問を書き込んで出典の明示を求めたのですが、そのままお返事がいただけず、自分でも調べてみましたが公式文書に出典が見当たらないので削除いたしました。snufkinさんには「ルール通り編集された方」と見なしていただけたようですが、私もこのノートに削除理由を一言書いておくべきでした。Gakuinryou 2005年9月27日 (火) 23:08 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。これからも積極的な意見交換を重ねてゆきたいと思っています、よろしくお願いします。--219.109.192.74 2005年10月5日 (水) 21:15 (UTC)[返信]
  • 2005年9月24日 (土) 13:09 220.108.92.162さん
「堅く守る」という表現は日本の「エホバの証人」信者に特有の表現なので、より一般的な言葉に訂正されてはいかがでしょうか。
  • 2005年9月25日 (日) 08:30 220.221.201.26さん
理由を明示することなく本文をざっくり削除されるのはいかがなものかと思います。一週間以内に削除理由を公開していただだけない場合、元の文章に戻すつもりです。
  • 2005年9月26日 (月) 22:51 219.205.72.164さん
理由を明示することなくリンクをざっくり削除されるのはいかがなものかと思います。一週間以内に削除理由を公開していただだけない場合、元の文章に戻すつもりです。

snufkin 2005年9月27日 (火) 19:37 (UTC)[返信]


bigkoroと申します。エホバの証人ではありません。中立的な書き込みをすると、エホバの証人と思われる方が私の投稿を修正していますね。 書き換えた投稿を見て、エホバの証人の方の修正だな~、というのが分かります。 Bigkoro 2005年10月23日 (日) 04:47 (UTC)[返信]

恐れ入りますが、あなたの記述は中立的とは言えず100%批評的です。なぜなら、
  • エホバの証人はC・T・ラッセルを'創始者とは認めていない'。
  • 彼らはラッセル、ラザフォード、ノア、フランズ、ヘンシェルを'エホバの証人の指導者とは認めていない'。
  • ラッセルの死後、組織は混乱状態になり、後を継いだジョゼフ・フランクリン・ラザフォードが分裂した団体との差別化のため1931年にエホバの証人の名称を採用し現在に至っていったというのは批評家の一方的な主張である。ラッセルの死後、ラザフォード氏が時期会長になることは既に決まっていた(ラッセルの遺言状にラザフォードが理事会の委員一人になることが記されていた)。一部の人は、ラザフォードの人柄がラッセルの人柄と大きく違うことを言い訳に、組織を混乱に陥れたため、除名された。
  • 彼らは現代医療の禁忌などを主張したことはない。確かに過去誤った治療法を'掲載した'ことはあるが、それは推奨ではない。近年の「目ざめよ!」誌の脚注に書かれているように、ものみの塔協会はいかなる治療法も推奨していない。61.22.157.95 2005年11月2日 (水) 13:38 (UTC)[返信]


匿名希望の者です。エホバの証人かどうかの判断は皆さんにお任せします。 ~したのは~だからである、失敗は~ 等の表現は主観的なものと考え、 その部分に変更を加えさせてもらいました。 --61.192.248.161 2005年11月9日 (水) 05:01 (UTC)[返信]

改竄問題について

ここのところいろいろと記事が改編されているようです。具体的には、エホバの証人及びものみの塔聖書冊子協会にとって都合の悪いと思われる記事が、機関紙のプロパガンダ記事のように書き換えられているようです。 そのため、保護されていた頃の記事に一時的に戻しました。必要ならばもう一度保護を依頼しなければならないかもしれませんが、より本質的な解決を望みたいところです。O-tsuka 2005年11月1日 (火) 17:06 (UTC)


保護されていた記事の方がまだまともだが、表現について気になった点を少々。
  • 堅く守る
  • 厳格に守っている
→上でも指摘されているが、「規律が定められている」等の表現の方が適当ではないか。
  • 聖書の教えに基づく
→同じ聖書(改竄疑惑等あるにしても)を使っていても、エホバの証人のような解釈はしないのが一般的であることが多いので、「統治体の解釈による」等とするのが適当ではないか。


また輸血問題については、子供に輸血拒否が認められるかといった観点からの指摘も必要だろう。
個人的には、2005年10月17日 (月) 08:46の記事がよくまとまっていると思う。


改竄を確認したので再度保護されていた頃の記事に戻します。記事の内容を変更する方は、ノートに報告をお願いしたいと思います。―O-tsuka 2005年11月2日 (水) 16:20 (UTC)

改ざんといいますが、ウィキペディアの記事は誰にも編集されるのが当たり前です。自分が好ましいと思わない編集が加えられたからといって自分の編集や自分が好ましいと思う版に差し戻すということがあってはなりません。特に2回も同じ行動をとられたこと、他の編集者にどちらの場合も事前に相談しなかったことは遺憾に思います。直前の版はわたくしですので差し戻ししませんが、現在の版が以前の版に比べて総合的により妥当だとは考えません(一部の記述は復活すべきですが)。そしてNPOVの観点からも、外部からの認識と教団内部の認識の違いがあることを示すことは有益です。NPOVは「唯一の客観的な記述」を行うものではないので、その点「教団側はこれを認めていない」などの記述はむしろあるほうが好ましいと考えます。

どなたか差し戻してくださることを希望します。 --Aphaia 2005年11月2日 (水) 20:58 (UTC)(追加 2005年11月2日 (水) 21:03 (UTC)、2005年11月2日 (水) 21:07 (UTC))[返信]

私もAphaiaさんの意見に同意しています。 ウィキペディアは色々な人が観るし、色々な人が執筆できるようになっています。 外部的に見られている事と内部事情・エホバの証人の主張は、異なって当然の事です。 いくら内部事情・エホバの証人の主張に合わないからといって、外部からはどう見られているのかも、執筆しないと、エホバの証人の事を知りたい人には伝わりません。

ならばはっきりと、「これは外部の人の見解です」と記載すべきです! そうでないとエホバの証人がそうした見解を主張しているとの誤解を与えてしまいます。61.22.157.95 2005年11月9日 (水) 08:02 (UTC)[返信]

‥1914年問題や1975年問題にみられるように、勝手に教理を変えてしまう。‥一番言いたくない事ですが、都合の悪い事は、エホバの証人の都合の良いように替えてしまう、前の版に戻してしまう、一部の方がその様にしているが為に、エホバの証人全体がその様に見られてしまうことになりかねません。 :1914年は今もキリストの臨在の年だし、1975年は初めからハルマゲドンが来る年とはされていなかった!61.22.157.95 2005年11月9日 (水) 08:02 (UTC)[返信]

個人的な感情のままに書きこみをしてしまい、また、エホバの証人の方に失礼な態度を取ってしまった事は、私自身、申し訳なく思っています。

Bigkoro 2005年11月2日 (水) 21:36 (UTC)[返信]


改竄という表現には問題があったかもしれません、他によい表現があればそちらに訂正します。
私も教団内部と外部との認識にズレがあることは否定しませんが、批評家の主張するといった文言は、ともすれば部外者が勝手に主張しているといった印象をうけますし、項目の終わりに付け足されていたエホバの証人はこうした事実を認めていないという文言は、違う事実を主張しているのか単に認めていないだけなのかわかりません。書き加えるならば、「エホバの証人が信じている(或いは主張する)事実」を書き加えればよいのではないでしょうか。
上記にも記載しましたが、エホバの証人はものみの塔協会の会長を「代表者」とは考えていないし、伝統行事に参加し

ないのはそれを忌避しているからではない!

いわゆる「大ちゃん事件」についても、助からなかった可能性が高いという話は信者の間では通説のようになっているようですが、医師の初診では「入院二ヶ月」だったそうですから、これも仮に輸血を施しても助からなかった可能性が高かったことが分かったとだけ書くのは問題があるように思います。このようなことより、旧版のほうがより適切ではないかと思った次第です。
別に信者の間では通説のようになっているのではなく、事故後の国会議員調査団による調査や後の裁判所による調査に基づいています。61.22.157.95 2005年11月9日 (水) 08:02 (UTC)[返信]
しかし、何も連絡することなく勝手に前の版に戻したことは間違った行動でした。きちんとみなさんにお話をし、意見を仰ぐべきでした。―O-tsuka 2005年11月3日 (木) 06:48 (UTC)[返信]


改竄された記事の検討

  • ところどころ批評家が~という文言が目立ちますが、これは記事自体の信憑性を落とすことが目的なのでしょうか? 両論併記でもなく、一方的にこれまでの記述に対して「批評家が勝手に主張している」というレッテルを貼っていますが、このような記述をするならば教団側が主唱する事実もあわせて書かなければおかしいのではないでしょうか。
    • その点については「信条」の項目に記載しました。
  • 現代医療、治療の禁忌に関する記述が全て削除されていますが、エホバの証人の指導部がこれらの主張を行っていたのは事実ですから、削除すべき理由は存在しないと思われます。
    • エホバの証人には「指導部」などという部門は存在しませんが(それは批評家が勝手に主張していることと存じますが)、仮にあったとしても、「治療の禁忌」なる表現は用いられてことはありません。
  • 1975年前後に、ものみの塔がハルマゲドンが来るといった主張を行っていたのは事実であり、一部の人間の誤解であるといった主張は今の信者に向けたメッセージとして紹介する以外は、元の記述に戻すべきだと思います。
    • 「ハルマゲドンが来る」ではなく、「人類の六千年が終わる」という記述がなされていました。確かに両者は結び付けられて表現はされていますが、1975年=ハルマゲドンという記載はされていません。
  • 「大ちゃん事件」に関して、助からなかったという見解があるのは事実ですが、医師の初診では全治二ヶ月であり、開放骨折で運ばれてきて出血性ショック死という事実を考えると、その見解に疑問の声を上げる人も多いですから、その記述をするならばこちらの記述も加えた方がいいと思います。付け加えるならば、輸血を拒否して亡くなった方は他にもいらっしゃるわけですし、あえてこの事件だけ掘り下げる必要性も検討すべきかもしれません。
  • 搬送先の病院が転院を拒否したのはある意味当然といえるもので、これもわざわざこの記事に書くべきことなのか、かなり疑問です。
  • 「無輸血治療」は輸血に完全に代わるものではないので、正確な表現ではないと思います。
    • 「無輸血治療が輸血に変わる」とは主張していません。ただ、エホバの証人が輸血の代わりに「無輸血治療」を受けるというのは事実です。
  • 輸血拒否の問題に関して言えば、新たに未成年と自己決定権についての記述が必要ではないでしょうか。
  • 禁止事項を「良心的」と書きかえられていますが、実質的には禁止されているものなので、正しい表現としては「禁止されている」が適当だと思います。
    • エホバの証人には「禁止事項」なるものは存在しません。するもしないも自己判断に委ねられています。

以上の点を踏まえ、近日中に記事を書き換えたいと思っています。-O-tsuka 2005年11月18日 (金) 17:29 (UTC)[返信]


見づらいので、記事に直接書き加えることは止めて頂きたいのですが・・・。
  • 信条の問題ではなく、歴史的な記述の問題です。既存の記事の記述に不満があるならば、「批評家による~」などと言うレッテルを貼るのではなく、直接その記述に対して文句をつければ良いと考えます。その上でどうしても折り合えない場合は、お互いの主張する歴史観を併記する形でもよいかもしれません。
  • 私は言葉遊びをするつもりはありません。表現の仕方がどうであれ75年に終わりが来ると言っていたのは事実でしょう(あなたが認められている通りです)。それは医療の禁忌でも禁止事項でも同じです。
  • 「輸血に代わる」という表現は誤解を招くと思いましたので、指摘させてもらいました。O-tsuka 2005年12月4日 (日) 17:29 (UTC)[返信]

推測記述について

  • ラザフォードによって再組織化されたエホバの証人は立場上、分派の一つであったゆえ創設者との繋がりや正当性を強調する必要があった。エホバの証人という新たな呼称を提唱すると同時に従来の「ものみの塔」という言葉を使う必要性があったため登記名と対外的な呼称が異なる事態になったと思われる

百科事典にこのような「推測記述」を載せるのはいかがかと存じます。

  • 加えて言うなら、「家から家の布教活動」はラッセルのときからあり、彼らは「聖書文書配布者(コルポーター)」と呼ばれていました。早くも「ものみの塔(英語)」1881年7・8月号で「あなたは宣べ伝えているだろうか」という質問がなされ、「宣べ伝えていない者が小さな群れのメンバーになることはない……我々(の任務)は…良いたよりを宣べ伝えることである」と続けています。

後に背教者になった人たちがそうした活動に反対していただけです。

  • 加えて批評家の言う「排斥制度」ですが、これについてはラッセル存命中の1904年に刊行された「新しい創造物(New Creation)」の中で、会衆を堕落させないように悪行者に対して適切な処置をとるような指示がなされており、N・H・ノアが勝手に作った制度ではありません。
  • 1975年については「アダムの誕生から数えて人類史の六千年が終わる」という記述は以前なされていましたが、「1975年にハルマゲドンが来る」という記載はありませんでした。それは批評家が考えた憶測です。
  • 「無輸血治療のためには病院側に莫大な設備投資が求められる」とする根拠は何でしょうか。そういった事実はありません。むしろ、無輸血治療の方がコストが少なくて済みます。61.22.157.95 2005年12月4日 (日) 06:30 (UTC)[返信]

社会問題の項目について

 

●改変聖書

  ものみの塔の教理は後述の輸血禁止にはじまり聖書の拡大解釈であり曲解である。

  • その根拠は何なのかが記載されておらず一方的。

過去において神の律法に反するとしてワクチン療法や臓器移植を禁止したこともある。 このために数多くの犠牲者が出たが、その後にワクチン療法も臓器移植も受けて良いと、方針を180度転換している。

  • 「このために数多くの犠牲者が出た」という事実はありません。

また臓器移植を受ける事と後述の輸血を拒否することの矛盾についても明確な説明がなされていない。

  • 「これは100%うそです! 臓器移植をすることは良心の決定事項、輸血は使徒15:28,29に反していると明確に発表されています。
  • 信者が現実的な医療の進歩にあわせて対応を変えることは信者の内外にとってよいことでは?信者が輸血拒否を唱えた当時は全血輸血が当たり前で枕元輸血という信じられない行為でさえ、現在でもドラマや映画ではあるほどです。輸血なしの医療はエイズやBSEの問題でいまや人類の理想となっています。その研究に不可欠な臨床はエホバの証人だけが現在医療に提供しているのです。いまや、信者の輸血拒否は非信者との利益と合致しているのです。

 

●マインドコントロール

  強制的ではなく、自分の意志で学んでいる、伝導していると感じる事であり、俗に言われる洗脳とは異なる。聖書の学び方、理解の仕方が偏り、情報が遮断されていることで、十分調べ、学んだと納得してしまう。

  • 「情報が遮断されている」と記載しているが、組織が何かの情報を遮断したという事実はありません。

ものみの塔誌、目ざめよ!誌や各種研究資料など、出版物の量もおびただしく、熟読し理解するだけで相当のエネルギーが消耗され、考えるゆとりが与えられない為であるとする声もある。

  • 出版物が多いのは事実だが、考えるゆとりは十分あります。

その結果、組織だけが唯一の神の経路だと感じ、他は家族さえもサタン(悪魔)であるとみなしはじめる。

  • 「家族さえもサタン(悪魔)であるとみなしはじめる」というのはエホバの証人の信条ではありません。

●輸血禁止

  1985年4月神奈川県川崎市交通事故に遭った小学校6年生男児の手術に当たって、エホバの証人の信者であった書店経営の両親が輸血を拒否したため、男児は出血多量で死亡した。 聖書のレビ記17章14節の「血を食べてはならない」という聖句を体内に摂取することと拡大解釈してこのような教義が生まれている。

  • レビ記だけでなく使徒15:28,29もです。

しかしながらエホバの証人問題を憂慮する会の調べでは、今現在も日本全国の病院で輸血を拒否し、医師を困らせたり命の危険を冒すエホバの証人は5~6000人にも登るとされる。

 *その記述は興味深いですが、何らかの検証を得た数字ではないのであたかも確定した数字であるかのように辞書へ記載するのは主観を主張する事になるのであまり感心しませんけど。

  • エホバの証人は無輸血治療を施してくれる病院しか入院しないのでこれは事実ではありません。

大局的見地からは2000年以上も前に書かれた聖書が近代医学の処置に言及しているはずは無く、輸血禁止は典型的な聖書の曲解であると言える。

  • それはあなたの大局的見地でしょう。

●厳しい戒律主義他

  これら以外にも選挙、投票を禁止したり、誕生日、お正月お年玉年賀状のやりとり、雛祭り端午の節句夏祭り鯉のぼり母の日父の日等の日本の伝統的行事への参加を禁止するなど良識に欠ける戒律が多い。

また復活祭クリスマスなども異教に基づく伝統行事として参加せず、十字架を異教の象徴であるとみなしている。 また、ものみの塔を批判する文書や他の宗教の出版物を読んではならず、組織に対して疑問を抱く事、あるいは組織の指導がなくても生きていけると考える事は「神のご意志に反する」ともしている。本記事も例外とならず、エホバの証人をカルトとする大局の意思を含めて中立的にまとめられた記事であるため、エホバの証人がこれを読む事は神のご意志に反すると解するのが相当であり、楽園に入る為には決して読んではならない文書に値する。

  • 「エホバの証人をカルトとする大局の意思を含めて中立的にまとめられた記事である」。。。どこが…。

さらに伝道活動を行う事は楽園に入るための必須条件であり、伝道報告書の提出も義務づけるなど、信者はもっと伝道するように煽り立てられてもいる。

  • 伝道活動を行うのは自由ですし、伝道を行っているからといって楽園に入れるとは限りません。

●後を断たない家庭崩壊

  信者の大半は主婦層であり、曲解した聖書知識と厳しい戒律家庭に持ち込んでしまう事で兄弟親戚も巻き込む。

  • エホバの証人に「戒律」は存在しないし、信者の大半は主婦層というのはうそです。

その結果、想像を絶する深刻な家庭崩壊親戚関係断絶等の例が激増している。 また、小さな子ども連れの主婦の場合、子どもと一緒に戸別訪問をする。集会へ出席する時も子どもと一緒で、2時間の間、子どもは大人と一緒の席でおとなしく座って話を聞かなければいけない。

  • 集会に参加するかどうかは子供の自由です。

※既成キリスト教の教会では、母子室があり、子どもの立場に立った時、子どもにストレスをためさせないよう工夫をしている。尚且つ、子供向けの教会学校(教会により受け入れる年齢は違う)があり、歳相応の聖書の話や礼拝ができるよう、子どもに対して配慮をしている。

  • これはエホバの証人の信条とは何も関係ない!
付記 61.22.157.95 2005年12月4日 (日) 07:01 (UTC)[返信]
  • 総務省の発表によれば30%以上が日本の家庭の離婚率です。信者の家庭崩壊を主張するならそれなりの根拠を示すべきでしょう。エホバの離婚率は世間の常識からすると壊滅的に少ないことは、信者から離反して人さえ認めるところですね。5%に満たないはずです。エホバの証人の家庭に生じる問題が一般とどう違うのかという点が必要でしょう。2005年12月9日
エホバの証人は淫行や聖書活道の著しい妨害(霊的淫行)以外の理由での離婚は認めていません。(マタイ19:9)原則離婚はしない、というのが信条です。(マラキ2:16)61.22.157.95 2005年12月21日 (水) 01:02 (UTC)[返信]


Redcrimsoncrossと言います。 「集会」への参加は子供の自由という方がおられますが、あえてこういう表現を使いますが、 妄信的な既婚女性がエホバの証人には多いように思います(家庭を子供を連れて回るおばさんが多いように)。 そのような女性は「行った方がよいのか悪いのかも判断できない児童、幼児」にも集会への参加を「あなたのためなのだから・救われるのだから」と促し、 それが配偶者との指導方針の対立や、判断能力のないまま集会などへの参加を余儀なくされている子ども自身にとって問題となっていることが 非常に多いように思います。 :それはその「妄信的な」女性に問題があるのであって、エホバの証人がそう教えているわけではありません。61.22.157.95 2005年12月21日 (水) 01:02 (UTC)[返信]

>信者の家庭崩壊を主張するならそれなりの根拠を示すべきでしょう とおっしゃる方がいらっしゃいますが、根拠も何も、実際家を巡回訪問・奉仕活動に来る子連れの団体を見れば自明です。 「子どもの自由」なんて記述がありますが、子供に「これこれこういう教えがある」ということをきっちり教えて、 そのうえで「集会に来るか、来ないかはあなたの自由です」なんて言う家庭は少ないように思います。

集会に参加することを強制するような教えはエホバの証人にはないでしょう。ですが「よかれと思って」参加を強制する、あるいは促す親は 相当数存在すると思います。それが離婚や家庭崩壊を招いているのはデータなどなくとも火を見るより明らかです。 今記述されている内容でさえ生ぬるい気がします。 「これはエホバの証人の信条とは何も関係ない! 」なんて、冷静さを欠いていてちょっと怖いですね。 --Redcrimsoncross 2005年12月12日 (月) 14:15 (UTC)[返信]


補足という形になりますが、まだお留守番させるには早い年齢(未就学児)やこのご時世ですから、小学生でもお留守番させるには心配です。 それは、子育て世代なら共感できると思います。 預け先がない=子どもを連れて戸別訪問しなければいけなかったり、集会に出席しなければいけなかったりする事が必然的に出てきます。 集会の間は子どもの立場に立った時、難しい話を席で聞かなければいけません。とても子どもにとっては負担になります。 既成キリスト教では、イエス・キリストが幼子を祝福するシーンが聖書の中にあり、それを根拠に本来は日本文化ですが、七五三をしている教会もありますし、日常でも子どもを大切にしようと教会学校という子どもの時間帯があります。 私の個人的な見解ですが、61.22.157.95氏が、女性の立場を考えてあげれられたら、お子さん連れの親御さんの気持ちがもう少し楽になるかな、と思います。 --Bigkoro 2005年12月12日 (月) 23:23 (UTC)[返信]

子供の意思を尊重する親であったとしても、このマインドコントロールを行う組織において、エホバの証人にならなければ救われない(滅ぼされる)という教義をもつ宗教で、子供を育てればどうなるかは結果が見えています。子供が救われるためにはこの宗教の信者になるしかないから、ここの宗教教育を厳しく行うのです。この教団では脅迫的マインドコントロールのみならず、鞭といった体罰も常習化しており、例えば集会中に少しでも落ち着いていられないと(殆どの子供はそうでしょう)専用の部屋に連れて行かれ、鞭で叩かれるといった虐待行為が日常化しています(現在では集会場での体罰は行わないようになったようですが)。宗教教育に体罰が用いられるのは道義的に見ても問題があるでしょう。そう言う経緯を無視して、いきなり「本人の意思」の一点張りはどうかと思います。記事にも書かれていましたが、エホバの証人を親に持つ子供に宗教活動をしない自由は基本的にありません。何れにせよ、特に片親のみが信者の場合、こういった子育ての面からも両親が対立し、家庭崩壊が始まるのは想像に難くありません。O^tsuka 2005年12月28日 (水) 17:59 (UTC)[返信]

家庭崩壊はエホバの証人(あるいはカルト)に特有のものではなく、様々な原因(ほとんど全ての不幸なこと)で二次的に起こるものです。積極的に家庭を崩壊させるような教義、方針を持っているわけでもありません。ここで触れる必要はないと判断しコメントアウトしました。203.141.155.228 2006年1月9日 (月) 09:50 (UTC)[返信]

エホバの証人が引き起こす問題として取り上げられるものの中でも、家庭崩壊の問題は最もメジャーな問題の一つである、という事実があります。確かにエホバの証人という宗教に、積極的に家庭を崩壊させようといった方針があるわけではありませんが、それは家庭崩壊の事実を否定する根拠にはならないでしょう。広く家庭崩壊の問題が指摘されている以上は記述すべきと思います。O^tsuka 2006年1月10日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
家庭崩壊というのは感情に訴える言葉で、政治的プロパガンダや霊感商法にもよく使われる脅し文句です。その上、「風が吹けば家庭が崩壊する」式の議論も容易に出来てしまいます。客観性を保つためには、この手の言葉は慎重に扱うべきだと思います。203.141.155.228 2006年1月10日 (火) 22:48 (UTC)[返信]

○数字でわかりやすいエホバの証人の離婚率が、一般に比べて極端に低いということは信者を離反した人手さえ充分に認識していることなのに、その事実をとぼけて「家庭崩壊が信者家庭に深刻である」と、主張することが悪質なプロパガンダであるということに同意します。辞書という客観性が重んじられる場所においては慎むほうがいいと思います。世間には多くの家庭崩壊が見られますが、信者の家庭の崩壊原因が宗教上の不一致以外にあまり見られないならそれはそれで結構なことでしょう。現実に、信者同士の結婚なら離婚率はほぼゼロという事実もあります。信者の家庭における問題が宗教上の不一致のみなら、そもそも個人の宗教的良心は何にもまして尊重されるべき日本の国のルールがないがしろにされているということです。事実、問題が生じるといわれる多くの事案が、家庭における嫁や妻といった社会的弱者のに対する封建的な蔑視やその権利の軽視が夫やその両親の圧制的な態度が存在する家庭から生じることが普通です。また、最近のように女性の権利擁護が高まって生きた状況では以前のような宗教上の問題でトラブルになるケースが減じています。信者の家庭における宗教上の問題は、女性に対する権利の蔑視という問題が日本の場合その根底にあるのです。2006年1月11日 (水) 13:49

離婚率が低い=家庭崩壊していないという主張もそもそも間違いだし、離婚裁判がエホバの証人に突出して多いのは有名です。離婚しにくいのは離婚を認めていないこと、無理に離婚をしようとすればものみの塔の弁護士に莫大な慰謝料を請求されること、などによる。--匿名

結局、家庭崩壊という概念自体がWikipediaにふさわしくないのだと思います。強い印象を与える割に、定義が曖昧で数字で扱えないので、簡単にこういう水掛け論を招いてしまいます。価値観、習慣の違いによる一般社会との軋轢という文脈で、家庭内の問題にも触れていくなら、無用な対立を避けられるでしょう。203.141.155.228 2006年1月11日 (水) 09:55 (UTC)[返信]

家庭崩壊の問題が多く存在するのは事実ですが、表現方法には気をつけなければならないと思います。
どのようにして家庭崩壊、あるいは家庭が分裂の危機に直面するのかについては、以下のサイトが客観的に解説してあると思いますので、お読みください。
O^tsuka 2006年1月11日 (水) 17:26 (UTC)[返信]
ちょっと読んでみましたが、私の結論に変わりはありません。ちょっと意地悪に考えてみましょう。
  • 単にしばしば家庭崩壊の原因になるという理由なら、不倫」「破産」「病気」「災害」などのページにも「家庭崩壊の問題」という項目を設けなければ不公平です。これは現実的ではありません。
  • 宗教に限定しても、ちょっと厳格な宗教ならそのサイトに書かれているような状況が起こり得ます。
  • 家父長制の社会では、宗教が家庭崩壊を引き起こす心配はほとんどありません。従って、男女平等が家庭の崩壊を引き起こす、と考えることも出来ます。
  • 宗教が家庭の崩壊を引き起こすという言説は、家庭は宗教より尊いという前提に立っています。これを逆転すれば、家庭のしがらみが信仰の混乱を引き起こす、という言説が成立します。その場合、「家庭」のページに子供の信仰が云々という記事が書かれることになります。
  • 家庭の崩壊という概念は、特定の家庭像に依存しています。円満だが単身赴任者のいる家庭は崩壊していないが、夫婦が同居しながら鋭く対立している家庭は崩壊している、といった線引きは現代日本の常識に過ぎません。
詭弁のようですが、記事を書く前に色々な立場を仮定してみるのが大切だと思います。203.141.155.228 2006年1月12日 (木) 07:26 (UTC)[返信]
「色々な立場を仮定してみるのが大切」という意見には賛成いたします。
私は破壊的カルトの問題として家庭崩壊の問題を取り上げられるという見方です。破壊的カルトの定義として挙げられるのが三つの破壊、すなわち「信者本人の人格破壊」、「信者と信者の家族との間の関係破壊」、「信者と社会との関係破壊」ですが、エホバの証人の家庭崩壊(家庭内の対立/軋轢)は、この信者と信者の家族との間の関係破壊の現象として言及出来ると思います。
もちろん、宗教の問題だけが家庭崩壊の要因ではないでしょうが、それ以外については各々の項目で個別に議論すればよいのではないでしょうか。O^tsuka 2006年1月13日 (金) 17:05 (UTC)[返信]
批判を一ヶ所にまとめて、その中で言及してみました。203.141.155.228 2006年1月14日 (土) 18:02 (UTC)[返信]

エホバの証人の教義との統合について

ノート:エホバの証人の教義で提案し、2週間以上経過しましたが特に反対意見もなかったので、こちらにお知らせを出しました。 こちらでも特に反対意見がないようであれば、こちらに統合出来ればと思います。-O-tsuka 2005年11月18日 (金) 17:36 (UTC)[返信]

「日本三大カルト教団」について

のこりの二つの教団はなんですか?「日本三大カルト教団」で検索(google)をしましたがヒットしません.「日本三大カルト」で検索すると,該当する宗教がバラバラです.原典は何なのでしょうか? 150.65.7.70 2005年11月24日 (木) 18:46 (UTC)[返信]

キリスト教系」の日本三大カルト教団(異端)と言えば、エホバの証人統一協会モルモン教だと私は認識しております。三位一体論を認めていない、聖書以外の経典を持っている、主イエス・キリストを救い主と認めていない、などが根拠で、カトリックローマ法王もこの三つはキリスト教ではない=異端と認めている発言をしたことがあります。--Bigkoro 2005年11月25日 (金) 06:07 (UTC)[返信]
そりゃ検索が下手でしょう。「三大」と「異端」、あるいは「三大」と「カルト」を離して(スペース挟んで列挙して)もう一度やって、ご自分で納得してください。「日本」や「世界」も、離してなら検索語に足してもいいです。LR 2005年11月25日 (金) 10:01 (UTC)[返信]
Wikipediaは。Bigkoro氏が個人的な見解を書くところではないはずです。61.22.157.95 2005年12月4日 (日) 06:34 (UTC)[返信]
「異端」と「カルト」は同義語なんですかね?「カルト」という言葉は別の人がおっしゃるように強すぎる言葉なので,せめて「異端」といった方がと思いますが.キリスト教関係者でない人間からはずいぶん語感が違うように思います.150.65.7.70 2005年12月26日 (月) 08:11 (UTC)[返信]

キリスト教系における三大カルト、ないし日本において代表的な破壊的カルト教団といったほうがより適切かもしれません・・・。-O-tsuka 2005年11月26日 (土) 12:21 (UTC)[返信]

ノートの書き込み方がよくわからずここに書きます。すいません

いまさらカルトという言葉は中立的な表現にはなじまないでしょうね。このウィキペディアでも「侮蔑的表現」となっています。気持ちはわかりますけどね。


Redcrimsoncross そもそもエホバの証人はカルトでしょうか?まあそれはカルトというイメージが浸透しているのかもしれませんが、 「破壊的カルト教団」というのは理解できません。破壊活動を行う教団・集団ということですか? それはさすがに言い過ぎで、エホバの証人の教義からも全く外れていると思います。--Redcrimsoncross 2005年12月12日 (月) 14:24 (UTC)[返信]

「破壊的カルト」とは世間で不用意かつ不正確に濫用されている「カルト」という語を比較的厳密に定義した準学術用語で、単なる「カルト」よりは中立的な概念です。そしてエホバの証人はこれに該当すると目される事が多い、というところまでは「事実」です。統一協会の記事に参考文献になっているハッサン著・浅見訳の「マインドコントロールの恐怖」という本が日本では基本文献ですので、一読をお勧めします。というか、それを読まずして語感に反発しても誰にも相手にしてもらえないと思います。LR 2005年12月12日 (月) 14:50 (UTC)[返信]
あなたに「語感に反発して」などと言われるのは非常に心外です。自分は実体験に基づいた上で発言しているつもりです。そのうえで総合的に判断して「カルトというのはどうだろうか」と言っているのです。私のエホバの証人に対する考えはノートの離婚問題に関する発言をご覧ください。「この本を読んでいない素人が口出しするな」と言うのはどうかと思います。自分はエホバの証人の人間と様々な面で接しながら生活していた(いる)のですから。--十舞啓斗(Redcrimsoncross) 2005年12月20日 (火) 11:22 (UTC)[返信]

○やはり、破壊的とかカルトとかという主張は自説を公表するHPで主張すべきでしょうね。ちなみに日本の福音派やバプテスト派などには カトリックさえ「カルトだ」と批判しているところもあるほどです。浅見氏のかかわる宗派もそれと五十歩百歩です。だいたい辞書に カルトだの破壊的などと記載すれば、それだけで他の項目についての公平性のイメージが損なわれてしまいます。2006年1月11日 (水) 13:17

破壊的カルトという語は、否定的意味を持っているとはいえ学術的にも使われており、パージすべきではないと思います。しばしばカルトと見なされる、といった記述まで削ってしまうとすれば、重要な事実を無視することになります。他方、この言葉は相対主義、信教の自由といった建前に例外を設ける性格を持ちますから、その用法には細心の注意が必要です。断定的に「破壊的カルトである」と述べたりするのは言語道断と思います。

例えば、「これこれの特徴から破壊的カルトとされることが多い」のような形なら、網羅性と中立性を両立できるのでないかと思います。203.141.155.228 2006年1月11日 (水) 10:39 (UTC)[返信]

破壊的カルトされる場合が非常に多い、という点に加え、どのような点から破壊的カルトとされることが多いのか、という指摘は必要だと思います。O^tsuka 2006年1月11日 (水) 17:26 (UTC)[返信]

「曲解」という表現について

異端とカルトは違う概念だろう。もうちょっと宗教学を知った人が書くべきだと思う。 あと、「格闘技」のところで「聖書の曲解」って、逆に19世紀のキリスト教みたいな書き方だなぁと思ってしまいます。「曲解」って書くと、そこに価値判断含んでるでしょ。そんな聖書解釈は教会ですればいいのであって、百科事典で書くべきことはないと思う。こういう書き方だと、奴隷制に賛成した教会と、開放の神学を唱えた神学者のどちらかが「曲解」ってことになる。この項目の記事は、そういう一方的な価値判断を含みすぎ。


ここまでは、署名がありませんが222.149.24.202氏の投稿。

以下はくしなだの投稿。

私はエホバの証人の教義を正しいとは思わない立場であることを最初に明確にしておきますが、その私が読んでも2005年12月5日 (月) 01:17 の版の「社会問題」の節には、批判の立場に偏りすぎた記述が見られると思います。上のIPの方もおっしゃっておられますが「曲解」という言葉は、明らかに教義の正誤を判定する言葉であり、百科事典がそのような価値判断を下すべきではないと思います(POVです)。「本教団を批判する立場からは聖書の曲解であるとされている」などの表現であれば問題はないと思います。 --くしなだ 2005年12月6日 (火) 06:15 (UTC)[返信]

私も、エホバの証人に対するスタンスとしては、どちらかというと批判的な立場にあります。しかし、確かに「曲解」という表現は、過度に主観的な表現であり、中立性からも問題があると思います。聖書の解釈として何が「正しい解釈」であり、何が「曲解」かというのは、議論が分かれるところであり、断定できるものではないからです。
「一般的な解釈とは異なる」「主要な宗派の解釈とは異なる」辺りであればまだしも。 Blackdragon 2005年12月8日 (木) 01:06 (UTC)[返信]

●改変聖書について

  ものみの塔の教理は後述の輸血禁止にはじまり聖書の拡大解釈であり曲解である。 過去において神の律法に反するとしてワクチン療法や臓器移植を禁止したこともある。 このために数多くの犠牲者が出たが、その後にワクチン療法も臓器移植も受けて良いと、方針を180度転換している。 また臓器移植を受ける事と後述の輸血を拒否することの矛盾についても明確な説明がなされていない。  

最初の二行の主張の根拠が何も示されていないし、最後の二行の主張はまったくうそなので削除しました。61.22.157.95 2005年12月15日 (木) 06:55 (UTC)[返信]

●厳しい戒律主義他

  これら以外にも選挙投票を禁止したり、誕生日、お正月お年玉年賀状のやりとり、雛祭り端午の節句夏祭り鯉のぼり母の日父の日等の日本の伝統的行事への参加を禁止するなど良識に欠ける戒律が多い。

○キリスト教書店に行くと、クリスチャンが異教に基づく日本の伝統行事に参加することはよいことではないと説く本はたくさんあります。 実際に厳格なクリスチャンはエホバの証人ではなくても多かれ少なかれ同じ傾向を示すものです。なので、教義上厳格というより厳格な信者 が多いということではないでしょうか。また、選挙投票については信者各人が宗教者である以上政治的な影響力を行使しないということであり、異教に基づく伝統行事への不参加とは少し異なります。2006年1月11日 (水) 13:26


別に参加するしないは本人の自由なので戒律ではありません。61.22.157.95 2005年12月15日 (木) 07:01 (UTC)[返信]

戒律でしょう?聖書の言葉に(エホバの証人の教義に)反していることになるのですから。少なくとも暗黙の了解というか、「それに従うのは『世の者』」とされるのではないですか?違いますか?--十舞啓斗(Redcrimsoncross) 2005年12月20日 (火) 10:45 (UTC)[返信]


また復活祭クリスマスなども異教に基づく伝統行事として参加せず、十字架を異教の象徴であるとみなしている。 また、ものみの塔を批判する文書や他の宗教の出版物を読んではならず、組織に対して疑問を抱く事、あるいは組織の指導がなくても生きていけると考える事は「神のご意志に反する」ともしている。本記事も例外とならず、エホバの証人をカルトとする大局の意思を含めて中立的にまとめられた記事であるため、エホバの証人がこれを読む事は神のご意志に反すると解するのが相当であり、楽園に入る為には決して読んではならない文書に値する。

Wikipediaの記事とエホバの証人の信条は何も関係ありません。61.22.157.95 2005年12月15日 (木) 07:01 (UTC)[返信]

さらに伝道活動を行う事は楽園に入るための必須条件であり、伝道報告書の提出も義務づけるなど、信者はもっと伝道するように煽り立てられてもいる。

何度も言っているように伝道と楽園とは何の関係もない!61.22.157.95 2005年12月15日 (木) 07:01 (UTC)[返信]
なんでそんな嘘をつくのかなあ?「ものみの塔」(1997/1/15)には「宣べ伝えて弟子を作る業も,一つの義務,すなわち要求です。自分自身の命もそれを果たすことにかかっているのです」とはっきり明言されているのに。

あなたが書かれていることは、どちらかというと自説の展開と思われます。それはご自分のウェブサイトで行う方が適していると思うのですが・・・。O^tsuka 2005年12月28日 (水) 17:59 (UTC)[返信]

  • (賛成) 61.22.157.95さんだけ空気が読めないと言うか、皆で協力して百科事典にしていこう、というのがウィキペディアの良い所なのに、自分の主張のみが正しいと思っているのではないでしょうか?--Bigkoro 2005年12月29日 (木) 08:30 (UTC)[返信]

輸血の項目について

輸血に関する問題は、この宗教団体の主要問題ともいえるものなので、項目を独立させて更に掘り下げてもいいかも知れないと思います。O^tsuka 2005年12月28日 (水) 17:59 (UTC)[返信]

輸血問題は、昔はかなり「異常事態」としてマスコミも注目しましたが、日本ではもともと「臓器移植否定」という一般の宗教界の流れがあるために、よほど騒ぎたい「キリスト教関係者」以外は手を出さない分野です。日本は臓器移植問題についてアメリカなどとは違う特殊環境にあるのです。なので、この点を考慮せずに「輸血問題」を騒ぐのはそういった日本の「文化」を考慮しない外国人の口車をそのまま鵜呑みにして主張していることをある意味で本人が露呈することになります。日本人は臓器や血液をエンジンパーツかオイル交換のように扱うことに本来的に拒否感を持っているのです。その上、非加熱製剤で生じた血友病エイズ問題という日本独特の要素も影響しています。低コストで使いやすかった「非加熱製剤」を利用した結果多くの血友病患者にエイズが生じました。多くの国民はそういった判断を下した病院や医師を訴えたのです。これは多くの医師にとって衝撃的なこととなりました。この事件により、医療機関は自分の判断で当たり前のように患者に輸血できるという時代ではなくなったのです。医師が「高価で使用が難しい」加熱製剤の利用も選択肢として提示していなければならないのと同じように「高コストで利用が難しい」不輸血治療も選択肢として提示しなければならない時代と今はなっています。仮に信者が不輸血で成功した治療を他の患者に輸血で治療を行い、不具合が生じた場合責任が生じかねない時代となったのです。それを「インフォームドコンセント」の原則といいます。十数年前の「輸血という当たり前の治療を拒否する」という論点は今では「JW批判活動をもっぱら行うキリスト教派関係者」だけしか利用しません。臓器移植・エイズ血友病問題・インフォームドコンセントの三点を日本における輸血問題を語る上で欠かすことは辞書を書くにはあまりに「恣意的」ないしは「古い知識による」主張といえるでしょう。2006年1月11日 (水) 14:27

違う問題を持ち込まないでください。臓器移植に抵抗感を持つ日本人は少なくありませんが、輸血への抵抗感を持つのはエホバの証人の信者くらいでしょう。輸血拒否が新奇であり、ルールが確立していなかったからこそ、マスコミで騒がれ医療関係者を悩ませたのです。インフォームドコンセントとの関係は重要ですが、臓器移植や薬害エイズとリンクすべき問題ではないと思います。203.141.155.228 2006年1月12日 (木) 07:26 (UTC)[返信]

「エホバの証人」と「信者」という言葉の違い

「辞めることの困難」の部分などをカットしました。

何ですか?「破壊的カルトであるエホバの証人においては、辞めることは大変な困難を伴う」とか、いろいろ書かれていますが、 あまり知識の無い方が書かれたのだと思いますが、大きな誤りがあります。

そもそも「エホバの証人」には「信者」というものは存在しないんです。

「聖書の勉強会」や「集会」に参加を勧められることはあるでしょう。ですが、一般の宗教団体のような、 「入会する」というシステムはエホバの証人には全くないじゃないですか。違いますか?

だから「脱会が困難」という言葉自体ムチャクチャです。

強いて言うなら、「信者」とは、「活発に奉仕活動などを行ったうえで(水につかるかたちの)バプテスマの儀式を受けて『エホバの証人』の仲間入りをした者」でしょう。 バプテスマを受けなければ「エホバの証人」とは呼ばれません。それ以外はせいぜい「聖書研究者」くらいの呼称くらいしか与えられず、「信者」「入信」「入会」という言葉が使われることはありません。


その他の記述も滅茶苦茶です。「信者を辞めた者は一切絶縁するべきであると決められている」って誰が決めたんでしょう?それ自体聖書の教えに反してる気がしますし、「エホバの証人」にしてみれば去る者に固執する必要性がないでしょう。別に信者から金を搾り取ってるわけでもないんですから。せいぜい「楽園に行けなくなる、可哀想に」くらいです。


ただ「辞めたくても辞められない状態で苦しむ信者は相当数居られるといわれる。」というのは、あるでしょう。 ただこれも、別に「脱会届」だとか「脱会します」という意志を誰かに示さなければいけない必要がないのですから、「誘ってくれる手前顔を出さなければ気まずい」というレベルの話であって、「辞める」とか「信者」という言い方は適正ではないと考えます。


家をまわる巡回訪問だとか聖書研究だとか集会だとか、辞めたければ知人から申し込まれた借金を断るくらいの気持ちで参加を辞めればいいだけです。


「現在では自然消滅という形で信者を辞めるパターンが定着しつつある。」と書いてありましたが、これが全てですよ。入信も脱会もないのですから、自然消滅する人はする、ダラダラ続ける人は続ける。 そのなかで書かれていたような葬儀がどうのこうのという問題が発生することはあると思います。それは「辞めることの困難」とは別です。


「高校に行くことを推奨していない」なんて記述もありますが、エホバの証人がため高校に進学しない関係者がどれだけいるのでしょうか?


「辞めることの困難」の記事は、61.22.157.95さんの一連の編集により削除された記事を加筆して復活させたものです。

全体的にみて、あなたの仰っていることはエホバの証人に対する不理解によるものだと思いました。 記事からリンクしている外部サイトや関連書籍をお読みになればご理解いただけると思います。 信者という言葉の問題についても、単なる言葉遊びのように思えます。教団内では「信者と非信者(或いは未信者)」という区別を設けていることは有名な事実であり、協会の出版物にも登場する単語ですので、記事に書く上で問題にする必要はないと考えます。

「辞めることの困難」、「教育を受ける機会の喪失」の記事はいずれも事実に合致した内容のものであり、改訂の余地はありますが削除するべき理由は見当たりませんでした。O^tsuka 2006年1月4日 (水) 17:06 (UTC)[返信]

「辞めることの困難」については、既成宗教でも頻繁に見られる現象であり、その制裁も危害を加えるような形ではないため、殊更言及する必要は無いと判断しコメントアウトしました。203.141.155.228 2006年1月9日 (月) 09:37 (UTC)[返信]

エホバの証人を辞める際に生じる困難、あるいは辞めてから生じる困難については、この教団独特の問題があります(詳しくは外部サイト等をご覧ください)。これはカルト問題としては共通するものであるかもしれません。確かに物理的な攻撃を伴ったリンチ等はありませんが、精神的虐待とも言える厳しい絶交や忌避は教義として定められており、それはこの教団に関わった人間に深い傷を与える問題として確実に存在しています。このような脱会者に対する不当な処罰があるため、辞められないままに教団内で苦しんでいる人間が存在していることもまた事実です。
各所からこの問題が指摘されている以上、この宗教の問題として記述することは問題ないと考えます。O^tsuka 2006年1月10日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
信者が教えを否定する小説を書くと大々的に死刑宣告が出る既成宗教も、本人の出自によっては改宗と同時に違う民族になってしまう既成宗教もあります。むろん、改宗、背教に対する考え方は重要ですから、教義の一つとして厳しい絶交や忌避に触れるのが良いと思います。203.141.155.228 2006年1月10日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
破壊的カルトの特徴の一つに、「組織からの離脱について極度の恐怖心を与える」というものがあるようです。中立性に気をつけるなら、この点について指摘することに問題はないと思います。O^tsuka 2006年1月11日 (水) 17:26 (UTC)[返信]

既成のキリスト教会との比較

記事の中で既成キリスト教会と比較している箇所があり、それを「特定宗教の宣伝」として削除した方がいらっしゃいますが、エホバの証人もキリスト教を名乗っている以上、対比されるのは当然ではないでしょうか。 過度に既成キリスト教会の利点ばかりを強調するのは問題だとしても、削除された記事の記述が問題になるとは思えないのですが。 O^tsuka 2006年1月7日 (土) 16:52 (UTC)[返信]

  • その削除の記事(既成キリスト教会との対比:2箇所)を執筆をしたのが私です。エホバの証人について調べたいと思っている方が、既成キリスト教会とどの様に違うのか、分からないと困りませんか?既成キリスト教の宣伝ではなく、読む側の立場に立って執筆したのですが、ごく一部の方が誤解されてはとても残念です。--Bigkoro 2006年1月8日 (日) 13:22 (UTC)[返信]
  • 宗教の記事で他の宗教・宗派と比較する場合は、普通は近縁の宗教・宗派の間の違いを明確にすることが目的です。誰の目にもエホバの証人に特有である部分について、そのような解説を入れる必要はありません。また、エホバの証人と一般社会の間で起きている問題に、既成キリスト教会を持ち出す理由もありません。百科辞典のらしさを損なうだけと判断して削除しました。203.141.155.228 2006年1月9日 (月) 09:32 (UTC)[返信]
輸血拒否の問題が世間を騒がせたこともあり、キリスト教やクリスチャンというと「輸血を拒否する宗教」のことだと思っている方もいらっしゃるようです。そう言う意味でも、違いについて記述することは意味のあることだと思います。また、エホバの証人は聖書を根拠として様々な教義を打ち出しているわけですから、比較対象として既成キリスト教が挙げられるのも当然ではないかと思います。O^tsuka 2006年1月10日 (火) 17:18 (UTC)[返信]
認識不足でした。既成キリスト教との混同が広まっているとすれば何らかの形で比較しておく必要がありますね。203.141.155.228 2006年1月10日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
私は無心論者ですが、エホバの証人の問題点を指摘した上で、「既成キリスト教の教会では・・」とことあるごとに書いてあるのは、「既成キリスト教の方が優れている」といいたいのでしょうが、無心論者の私からみれば「わが宗教がベスト」という手前味噌にすぎず、「中立的な観点」とはいえません。既成キリスト教がどう考えているか、仏教がどうしているか、イスラム教がどうしているかなど全部かけるわけもありません。こうした記述は一律に排除するべきです。

科学的根拠

感染症は病原体感染が原因ではないといった主張に対して、科学的根拠がないという記述は問題ないのではないでしょうか。 神さまの存在は科学的根拠がないといったものであれば問題でしょうが、そうではないのですし・・・。O^tsuka 2006年1月10日 (火) 17:25 (UTC)[返信]

香油を塗ると病気が治ると主張する世界宗教も、豚肉は不潔であると主張する世界宗教も、水銀から不死の薬を製造できると主張する民族宗教もありますが、科学的根拠が無いという但し書きを見たことはありません。
また、ラザフォードの時代の科学の水準も考慮する必要があります。例えば、当時は「脚気菌」に効くと称する下痢止め(東洋の島国ではいまだに売られているそうです)が使われていました。203.141.155.228 2006年1月10日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
豚肉は不潔であるという主張と、病原体起源説に対する非難は次元の異なる話ではないかと思います。教団は、パスツールの死後何十年も経った後でも、パスツールへの根拠のない誹謗中傷を繰り返してきました。O^tsuka 2006年1月11日 (水) 17:26 (UTC)[返信]
うーん、次元が異なるようには思えません。新しい宗教であるぶん見掛けが異なっているだけではありませんか?パスツール云々についても、地動説や進化論に対する伝統的キリスト教の態度に比べればおとなしいものだと思います。203.141.155.228 2006年1月12日 (木) 07:26 (UTC)[返信]
キリスト教が弾圧していた行為も正しくなかったという点は指摘されるべきですが、ものみの塔の偽医療や疑似科学はその当時からインチキであることが指摘されていました。ものみの塔が医師会等に攻撃的になったのも、医師会のいかさま治療への警告が原因とも言われています。O^tsuka 2006年1月13日 (金) 17:05 (UTC)[返信]
  • 後発の宗教だけが主張に科学的根拠を求められるとすれば、公平性を欠きます。
  • 科学の立場から批判を受けたのに教義を撤回しなかったことを問題にするなら、科学を宗教の上位に置くことになります。これはWikipediaで言うところの中立的な観点ではありません。
  • 病者の塗油に警告を出さない医師会のあり方はどうなのでしょうか。
科学的根拠云々について触れなければ、これらの問題を避けることができ、また必要な知識も十分に伝えることができます。203.141.155.228 2006年1月14日 (土) 18:02 (UTC)[返信]
宗教の教義に科学的根拠が求められているわけではありませんが、偽医療や疑似科学については指摘されるべきでしょう。この点を指摘しないことは逆に中立的な観点に反することになると思います。この点で「科学的根拠云々」以外でよい指摘方法があればお願いします。O^tsuka 2006年1月15日 (日) 16:40 (UTC)[返信]

アーカイブ化

かなりノートページが長くなっていたので、とりあえず目次の部分までを除きました。アーカイブにするのは初めてで、手順等を間違っているかもしれないので、気付かれた方は直して頂けるとうれしいです。O^tsuka 2006年1月15日 (日) 16:40 (UTC)[返信]