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「アレッサンドラ・ムッソリーニ」の版間の差分

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{{政治家
{{政治家
|各国語表記 = Alessandra Mussolini
|各国語表記 = Alessandra Mussolini
|画像 = Alessandra Mussolini.jpg
|画像 =File:Alessandra Mussolini datisenato 2013.jpg
|画像説明 =2007、[[ミラノ]]にて
|画像説明 =上院議員時代の肖像写真(2013
|国略称 ={{ITA}}
|国略称 ={{ITA}}
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|出身校 = [[ローマ・ラ・サピエンツァ大学]]
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|所属政党 = [[社会行動 (イタリア)|社会行動(AS)]]
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|配偶者 =マウロ・フロリアーニ
|配偶者 =マウロ・フロリアーニ
|国旗 = 欧州連合
|国旗3 = 欧州連合
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|職名3 = [[欧州議会議員]]<BR><small>([[:en:Central Italy (European Parliament constituency)|中部イタリア選挙区]])</small>
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|国旗2 = イタリア
|国旗2 = イタリア
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|前職 = [[医師]]、[[俳優|女優]]、[[歌手]]、[[モデル (職業)|モデル]]
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'''アレッサンドラ・ムッソリーニ'''('''Alessandra Mussolini'''、[[1962年]][[12月30日]] - )は、[[イタリア]]の[[政治家]][[欧州議会]]議員、[[ラティーナ県|ラティーナ県議会議員]]。
'''アレッサンドラ・ムッソリーニ'''('''Alessandra Mussolini'''、[[1962年]][[12月30日]] - )は、[[イタリア]]の[[政治家]][[俳優|女優]]、[[医師]]。


[[ファシスト]]の[[独裁政治|独裁者]]として知られる[[ベニート・ムッソリーニ]]の孫娘であり、女優[[ソフィア・ローレン]]の姪にあたる。[[政治家]]として下院議員(5期)、上院議員(1期)、欧州議会議員(3期)を歴任した。
== 概要 ==
== 経歴 ==
イタリアの首相[[ベニート・ムッソリーニ]]の三男で[[ジャズ]]・ピアニストで評論家の[[ロマーノ・ムッソリーニ]] と妻[[アンナ・マリア・シッコローネ]]との間に生まれた。アンナ・マリアは女優[[ソフィア・ローレン]]の妹で、アレッサンドラはソフィア・ローレンの姪に当たる。
=== 生い立ち ===
[[1962年]][[12月30日]]、[[イタリア]][[ラツィオ州]][[ローマ]]に音楽家[[ロマーノ・ムッソリーニ]]とアンナ・マリア・シッコローネの長女として生まれる。父ロマーノは名が示す通り、[[イタリア王国|王政期]]のイタリアで[[独裁体制]]を築いた[[ファシスト党|国家ファシスト党]](PNF)の[[ベニート・ムッソリーニ]]首相とその後妻[[ラケーレ・グイーディ]]の三男(前妻イーダ・ダルセルとの子を含めれば四男)であったが、政治とは距離を取ってピアニストとして生計を立てていた。そのため、[[第二次世界大戦]]前後の騒乱に巻き込まれず、[[共和制]]に移行した[[戦後]]イタリアで静かな日々を送っていた。


一方、母アンナも[[アカデミー賞]]女優として知られる[[ソフィア・ローレン]]の実妹であり、むしろ当初はこちらの血縁の方が彼女の人生に強い影響を与えた。
若い頃は[[モデル (職業)|モデル]]・[[俳優|女優]]・[[歌手]]として活動しており、[[PLAYBOY]](イタリア版)にて[[ヌード]]を披露したことがある。また[[日本]]の[[アルファレコード]]から日本語歌詞のポップスを多数収録した[[アルバム]]をリリースしている。


=== 芸能活動 ===
1986年にリミニ大学で[[医学]]と[[外科]]の[[修士号]]を取得し、[[外科医]]となる。さらに[[ファシズム]]政党[[イタリア社会運動|イタリア社会運動・国民右翼]](現在の[[国民同盟 (イタリア)|国民同盟]]の前身)に入党し、政治家に転身した。
1970年代からソフィアの元で養育を受け、アカデミー賞及び[[ゴールデングローブ賞]]の外国映画部門にノミネートされた『[[特別な一日]]』で映画デビューを果たし、主演を務める伯母と共演した。以後、「大女優の姪」として女優の他にモデル・歌手など様々な活動を展開した。精力的な芸能活動の傍ら、学業では[[アメリカンスクール]]を経て[[ローマ・ラ・サピエンツァ大学]][[医学部]]に入校して医師免許取を取得、1986年に修士課程も修了している。


歌手業では1982年に[[日本]]の[[アルファレコード]]から[[日本語]]歌詞のポップスを多数収録した[[アルバム]]を限定リリース、日本のみの展開ということもあって欧米諸国で話題を集めた<ref name=Orrore>{{cite news|url=http://www.orrorea33giri.com/2007/04/alessandra-mussolini-amore-1982.html|work=Orrore a 33 Giri|title=Alessandra Mussolini - Amore (1982)|date=13 April 2007|accessdate=3 january 2008|archiveurl= https://web.archive.org/web/20080209003430/http://www.orrorea33giri.com/2007/04/alessandra-mussolini-amore-1982.html| archivedate=9 February 2008 <!--DASHBot-->|deadurl= no}}</ref>。モデル業では肉感的な体を武器にしていた叔母ソフィアに倣って[[:en:Glamour photography|グラマー写真]]を中心に活動<ref name=BBC20040109>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/3382151.stm|work=[[BBC News]]|title=Italy's post-fascists to regroup|date=9 January 2004|accessdate=3 January 2008|author=Jan Repa}}</ref>、イタリア版及び[[ドイツ]]版『[[PLAYBOY]]』ではヌード撮影にも挑んでいる<ref name=PBCoversIT>{{cite news|url=http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=it&y=1983&cover=it_198308|work=PBCovers|title=Playboy Italy - Covers of 1983|date=August 1983|accessdate=3 January 2008|archiveurl= https://web.archive.org/web/20071225234659/http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=it&y=1983&cover=it_198308|archivedate=25 December 2007<!--DASHBot-->|deadurl= no}}</ref><ref name=PBCoversDE>{{cite news|url=http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=de&y=1983&cover=de_198311|work=PBCovers|title=Playboy Germany - Covers of 1983|date=November 1983|accessdate=3 January 2008}}</ref>。
[[2003年]]、[[ジャンフランコ・フィーニ]]党首のファシズム否定発言に反発して国民同盟を離党、極右政党「行動の自由 ([[:it:Libertà di Azione]]」(現在の「[[社会行動 (イタリア)|社会行動]]《[[:it:Azione Sociale]]》」) を結党し、その党首となった。現在は[[欧州議会]]議員、[[イタリア]]下院議員、イタリア[[赤十字社]]の名誉会員を務めている。


またこの時期には日本の歌手・[[沢田研二]]のオリジナルアルバム『[[JULIE SONG CALENDAR]]』に収録されている「CHI SEI(君は誰)」の作詞も手掛けている<ref>{{Twitter status2|JaneElisa1|1065562726536163328|91年春ジュリーが出演した「音楽マイラブ」(テレビ東京)。|4=JaneElisa1の2018年11月22日のツイート|5=2023-11-13}}</ref>。
私生活では税関吏のマウロ・フロリアーニと結婚。カテリーナ、クラリッサ、ロマーノの3人の子供に恵まれた。子供たちが母方の姓も名乗れるようにするため、複雑な法的手続きを行った。

1989年、税関吏マウロ・フロリアーニと結婚、翌年に[[イスラエル]]映画『[[:en:HaDerekh LeEin Harod|הדרך לעין חרוד]]』(Ha-Derech L'Ein Harod)を最後に芸能界からは引退した。ある映画プロデューサーに「ムッソリーニ姓を名乗らないこと」を勧められた為であると語っている<ref name=Independent>{{cite news|url=http://news.independent.co.uk/people/profiles/article67581.ece |archive-url=https://archive.today/20131201044932/http://news.independent.co.uk/people/profiles/article67581.ece |url-status=dead |archive-date=1 December 2013 |work=The Independent |title=Alessandra Mussolini: Politician in stilettos |date=8 February 2004 |access-date=3 January 2008 }} Also archived at FindArticles.com as [http://findarticles.com/p/articles/mi_qn4159/is_20040208/ai_n12751423 "Mussolini In Stilettos"] by Susan Chenery.</ref>。引退後は医師活動と家庭生活に専念して、外科医として勤務しつつカテリーナ、クラリッサ、[[ロマーノ・フロリアーニ・ムッソリーニ|ロマーノ]]の一男二女を育てた。その際、子供たちが母方の姓も名乗れるようにするための複雑な法的手続きを行っている。

=== 政治活動 ===
==== イタリア社会運動 ====
1992年、[[共和ファシスト党]](PFR)の後継政党である[[イタリア社会運動]](MSI)からムッソリーニの孫娘として[[代議院 (イタリア)|下院]]選挙の[[ナポリ]]選挙区に擁立され、新人候補ながら初当選を勝ち取って下院議員となった。1993年11月、今度はナポリ市長選挙に出馬。決選投票まで駒を進めているが、[[民主党 (イタリア)|イタリア民主党]]の{{仮リンク|アントニオ・バッソリーノ|en|Antonio Bassolino}}候補に敗れた。1994年、[[カンパニア州]]第1選挙区から出馬して下院議員に再選された。

1990年代から2000年代にかけて行われた[[ジャンフランコ・フィーニ]]書記長による穏健化改革が進み、[[イタリア社会運動]]が[[国民同盟 (イタリア)|国民同盟]]に再編され、2001年には悲願であった[[政権]]参加が達成される。1996年、国民同盟の候補としてカンパニア州第1選挙区で下院議員に三選した。この頃から党の方向性を巡ってフィーニ書記長とは政治的対立が生じるようになったが、一度は和解して国民同盟に留まっている<ref name=NYTimes1996>[https://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F07E1DC163AF936A25752C1A960958260 "A Mussolini Quits Rightist Party in Italy"] ''[[The New York Times]]'', 15 November 1996.</ref>。2001年、カンパニア州第1選挙区で当選して下院議員の4期目を迎え、同年にテレビのトークショーで[[イタリア共産党 (2016-)|イタリア共産主義者党]]出身の{{仮リンク|カティア・ベルリッロ|en|Katia Bellillo}}機会均等大臣を「醜い[[共産主義|コミュニスト]]」「[[キューバ]]に移民したらいい」と痛罵している<ref name=Independent/><ref>{{Cite web|url=https://www.repubblica.it/online/politica/vespa/video/video.html|title=la Repubblica/politica: Calci e insulti il duello e' servito|last=Tonelli|first=Matteo|date=January 31, 2001|website=www.repubblica.it|access-date=2019-04-03}}</ref>。

2002年、ムッソリーニへの賛辞を取り下げる言動を繰り返すフィーニに「目的の為に歴史を歪める政治家は好ましくない」と不快感を示すなど、関係は再び悪化した<ref name=Telegraph2002>[https://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2002/01/26/wmuss26.xml "Alessandra Mussolini seeks leadership of Italy's far Right"] by Bruce Johnston, ''[[The Daily Telegraph]]'', 26 January 2002</ref><ref>[http://archives.cnn.com/2002/WORLD/europe/01/25/italy.mussolini/ "Mussolini to challenge party boss"] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070312053106/http://archives.cnn.com/2002/WORLD/europe/01/25/italy.mussolini/ |date=12 March 2007 }}, [[CNN]], 25 January 2002</ref>。2003年、フィーニが外務大臣として訪問した[[イスラエル]]において、ファシスト政権の人種政策を「まったくの悪 (the absolute evil) 」と謝罪した事に激怒し、国民同盟を離党した<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2003/novembre/28/Mussolini_lascia_Gianfranco_tradito__co_0_031128096.shtml|title=La Mussolini lascia An "Gianfranco ha tradito"|accessdate=8 July 2008}}</ref>。ただしイスラエルの国家承認については支持しており、フィーニの言動に対する不信感が離党の原因となっている。

==== 社会行動 ====
2003年、個人政党「行動の自由」([[:it:Libertà di Azione]])を立ち上げ、後に新党として「{{仮リンク|社会行動 (イタリア)|en|Social Action|label=社会行動|redirect=1}}」([[:it:Azione Sociale]])に改称された。フィーニとは異なり明確に[[ファシズム]]を標榜しつつも、[[反ユダヤ主義]]への反対<ref>{{cite web|url=http://www.haaretz.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=364285&contrassID=1&subContrassID=1&sbSubContrassID=0&listSrc=Y|title=Mussolini: World should 'beg forgiveness of Israel'|accessdate=8 July 2008}}</ref>、[[同性愛]]<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/1995/gennaio/06/Destra_gay_pace_vicina_Alessandra_co_0_9501062501.shtml|title=Destra e gay, pace vicina. Alessandra Mussolini: tra loro ho molti amici|access-date=8 July 2008}} See also: {{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/1996/febbraio/09/Alessandra_per_una_volta_sono_co_8_9602091092.shtml|title=Alessandra: per una volta sono vicina alla sinistra|access-date=8 July 2008}} and {{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/1997/febbraio/08/Mussolini_piace_gay_mette_imbarazzo_co_0_9702088459.shtml|title=La Mussolini piace ai gay e mette in imbarazzo An|access-date=8 July 2008}}</ref>や[[シビル・ユニオン]]<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2003/ottobre/24/Turco_Mussolini_Thelma_Louise_della_co_0_031024128.shtml|title=Turco-Mussolini, Thelma e Louise della politica "Tanta invidia ma andiamo avanti lo stesso"|access-date=8 July 2008}} See also: {{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2003/ottobre/21/Raddoppiano_coppie_fatto_Polo_contro_co_0_031021030.shtml|title=Raddoppiano le coppie di fatto Polo contro la proposta Mussolini|access-date=8 July 2008}}</ref>の容認、[[中絶]]<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/1994/agosto/11/Mussolini_macche_omicidio_cosi_criminalizzano_co_0_9408115537.shtml|title=la Mussolini: macche' omicidio cosi' si criminalizzano le donne|access-date=8 July 2008}}</ref>や[[人工授精]]の合法化<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/1997/febbraio/04/Embrioni_Mussolini_Melandri_ancora_polemica_co_0_9702048957.shtml|title=Embrioni, da Mussolini a Melandri e' ancora polemica|access-date=8 July 2008}}</ref><ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2004/febbraio/11/Fecondazione_Parlamento_vara_regole_co_9_040211027.shtml|title=Fecondazione, il Parlamento vara le regole|access-date=8 July 2008}}</ref>、[[フェミニズム]]の支持<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2003/luglio/08/Alessandra_Mussolini_ora_serve_nuovo_co_0_030708057.shtml|title=Alessandra Mussolini: ora serve un nuovo femminismo|access-date=8 July 2008}}</ref>など[[革新|進歩]]的な政策を標榜し、穏健なファシストとして活動した。[[保守]]派からはしばしば「社会主義者」<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/1996/maggio/31/Buttafuoco_Mussolini_vattene_con_Ulivo_co_0_96053111728.shtml|title=Buttafuoco: Mussolini, vattene con l' Ulivo Alessandra: triste non sapere dove buttarsi|access-date=8 July 2008}}</ref>「[[左翼]]」<ref>{{cite web|url=http://archiviostorico.corriere.it/2005/marzo/25/interroga_Alessandra_destra_femminista__co_9_050325040.shtml|title=An s' interroga su Alessandra "E' di destra o femminista?"|access-date=8 July 2008}}</ref>との批判も受けているが、元々は祖父ムッソリーニも[[社会主義]]から[[ファシズム]]に転向しており、福祉政策などで進歩的な政策を採用する事も多々あった。

[[2004年]]、下院から[[欧州議会]]への鞍替え出馬を行うべく[[新しき力]]の[[ロベルト・フィオレ]]、{{仮リンク|イタリア国民戦線|it|Fronte Nazionale (1997)}}の{{仮リンク|アドリアーノ・ティルゲル|en|Adriano Tilgher (politician)}}ら他のネオファシストと連携して政治会派「社会的選択」 (Alternativa Sociale)を結成した。参加政党はファシズムへの支持を除いて相容れない部分も多かったが、会派の支持を受けて欧州議会選の{{仮リンク|中部イタリア選挙区|en|Central Italy (European Parliament constituency)}}で[[欧州議会議員]]に当選した。同年の欧州議会では[[イギリス独立党]]の{{仮リンク|ゴドフリー・ブルーム|en|Godfrey Bloom}}欧州議員が専業主婦を称揚して「まともな知能のある経営者なら出産適齢期の女性を雇う事などあり得ない」「(女性が働くと)冷蔵庫が綺麗にならない」<ref>{{cite news|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3912205.stm|title=UKIP MEP in row over working women| date=21 July 2004|work=BBC}}</ref>と発言した事に、「ナポリの女は冷蔵庫の掃除もできるし政治もできるけど、貴方にはどちらも無理でしょうね」と応酬している<ref>Quote in the original language Italian: "So che gli Inglesi hanno il senso dell’autoironia, ma io sono napoletana e posso dire che noi donne sappiamo cucinare e pulire i frigoriferi e facciamo anche politica, mentre forse [[Godfrey Bloom]] non-sa né pulire i frigoriferi, né fare politica."</ref>。

2005年、ラツィオ州の州知事選を巡って推薦人の署名に問題があるとして地方裁判所から立候補が認められず<ref>[https://www.theguardian.com/italy/story/0,,1436835,00.html "Alessandra Mussolini barred from election because of faked signatures"] by John Hooper, ''[[The Guardian]]'', 14 March 2005</ref>、自身に対する政治的攻撃であり「[[民主主義]]の正当性を失わせる」として国務院に上訴した<ref>[http://www.tiscali.co.uk/news/newswire.php/news/reuters/2005/03/13/world/mussolinirsquosgranddaughterbarredfromvote.html "Mussolini’s granddaughter barred from vote"] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080507184033/http://www.tiscali.co.uk/news/newswire.php/news/reuters/2005/03/13/world/mussolinirsquosgranddaughterbarredfromvote.html |date=7 May 2008 }}, ''[[Reuters]]'', 13 March 2005, ''Tiscali News''</ref>。国務院は地方裁判所の判決を無効とし、「社会的選択」の立候補を認めた<ref>[http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/4401023.stm "Q&A: Italy regional elections"], ''BBC News'', 1 April 2005</ref>。

2006年、加盟政党の齟齬が大きくなった事から「社会的選択」の解散が決定された。同年に[[移民]]についての論戦で[[共産主義再建党|イタリア共産主義再建党]]の{{仮リンク|ウラジーミル・ルクスリア|en|Vladimir Luxuria}}([[トランスジェンダー]]として初めて下院議員に当選)から「ファシスト」と執拗に攻撃された事に対し、「[[オカマ]]よりもファシストになる方がよい」(Meglio fascista che frocio)と応酬している<ref>[http://www.repubblica.it/2006/c/sezioni/politica/versoelezioni35/muslux/muslux.html "Mussolini a Vladimir Luxuria 'Meglio fascista che frocio'"], ''[[La Repubblica]],'' 9 March 2006 {{it icon}}</ref>。移民問題については強硬な姿勢を持ち、新たに参加した[[極右]]の欧州会派「{{仮リンク|アイデンティティ、伝統、主権|en|Identity, Tradition, Sovereignty}}」の会合で「[[ルーマニア人]]は不法滞在が職業がない」と発言し、[[大ルーマニア党]]が激怒して会派を離脱する騒動となった<ref>[http://www.guardian.co.uk/eu/story/0,,2211166,00.html "Xenophobia destroys EU's ultra-rightwing MEP group"], ''[[The Guardian]]'', 15 November 2007</ref>。

==== 自由の人民 ====
2008年、社会行動を[[フォルツァ・イタリア]]と国民同盟による選挙連合「自由の家」に参加させる形で下院選挙に出馬し、5期目の当選を果たした。鞍替え当選によって欧州議会議員の残り任期は「社会的選択」で第2位候補だった[[ロベルト・フィオレ]]が繰り上げ当選した。

[[2009年]]、フォルツァ・イタリアと[[国民同盟 (イタリア)|国民同盟]]を母体とする新党「[[自由の人民 (イタリア)|自由の人民]]」が結党されると、社会行動も提案を受け入れて合流した<ref name="chamberSite">[http://www.camera.it/29?shadow_deputato=33830 Deputati – MUSSOLINI Alessandra], website of the Chamber of Deputies of Italy. Retrieved 23 November 2010.</ref>。自由の人民では「社会行動」を背景に独自行動を取り、強いて言えばフィーニ派が主導する国民同盟系の政治家よりも[[シルヴィオ・ベルルスコーニ]]らフォルツァ・イタリア出身の政治家と協力する事が多かった。

==== フォルツァ・イタリア ====
[[2013年]]、「自由の人民」が分裂すると国民同盟系の議員らの[[イタリアのための未来と自由]]や[[イタリアの同胞]]ではなく、ベルルスコーニが再結党したフォルツァ・イタリアに参加した。同年の上院選挙に擁立されて上院議員に初当選したが、早くも翌年には[[2014年欧州議会議員選挙|欧州議会議員選挙]]に鞍替え出馬し、欧州議会議員に再選されている。

[[2015年]]、夫であるフロリアーニが[[児童買春]]の容疑で逮捕されるというスキャンダルが起き、裁判で夫は懲役1年を求刑された。以前から[[カトリック教会の性的虐待事件]]を批判していた事もあり、離婚こそ選択しなかったものの、テレビ番組のインタビューで妻や女性として許す事はできないと強く夫を非難した。その際に「祖父のムッソリーニが生き返れば何を聞きたいか」と質問され、「[[クラレッタ・ペタッチ]]をどう思っていたか」と回答している。

[[2018年]]、[[五つ星運動]]と[[同盟 (イタリア)|同盟]]の連立に協力的な姿勢を取り、[[閣外協力]]に消極的なベルルスコーニとの距離感が生じた。フォルツァ・イタリアを反EUと[[ポピュリズム]]の潮流に乗せようとする動きは親EUと中道主義を堅持する党内で成功せず、離党を宣言したが<ref>{{Cite web|title=Mussolini: «Lascio Forza Italia». E su Salvini: «Mi piace, è un vero militante»|url=https://www.corriere.it/politica/18_luglio_30/alessandra-mussolini-lascio-forza-italia-salvini-mi-piace-suo-approccio-vero-militante-59f5c0a8-93d8-11e8-827e-24bcbc32092b.shtml|website=Corriere della Sera|date=2018-07-30|accessdate=2019-04-07|language=it|first=Giuseppe Alberto|last=Falci}}</ref>ベルルスコーニから慰留される形で選挙協力は維持している。

[[2019年]]、[[ジム・キャリー]]が[[ドナルド・トランプ]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]を批判する意図でムッソリーニの処刑を揶揄するイラストを描いた事について「嫌な奴」(bastard)と呼び、「どうせなら[[核実験]]や[[黒人差別]]を描いたらどうか」と皮肉っている<ref>{{Cite web|title=Benito Mussolini’s granddaughter has spent decades defending him. Now she’s feuding with Jim Carrey.|url=https://www.washingtonpost.com/nation/2019/04/01/benito-mussolinis-granddaughter-has-spent-decades-defending-him-now-shes-feuding-with-jim-carrey/|website=Washington Post|accessdate=2019-04-07|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Jim Carrey's picture of Mussolini's demise sparks Twitter tirade from dictator's granddaughter|url=https://www.nbcnews.com/news/us-news/jim-carrey-s-picture-mussolini-s-demise-sparks-twitter-tirade-n989566|website=NBC News|accessdate=2019-04-07|language=en}}</ref>。

2019年の欧州議会選挙に無所属で出馬するが、及ばず落選した。27年間の政治キャリアで鞍替え選挙での辞任は何度も行っているものの、落選での失職は[[1993年]]のナポリ市長選挙以来となる。敵対する[[イタリアの同胞]]が同じムッソリーニ家からカイオ・ジュリオ・チェザーレ・ムッソリーニ(ムッソリーニの次男[[ヴィットーリオ・ムッソリーニ|ヴィットーリオ]]の孫、アレッサンドラの従甥)を擁立するなど、求心力の低下が否めない状態になっている。

2020年12月、今後の去就が注目される中、[[社交ダンス]]の番組「Ballando con le stelle」にゲスト出演し、インタビューで政界復帰を否定するコメントを行った。以降はコメンテーターとしてテレビに出演したり、同性愛を擁護する運動に参加するなどの穏健な活動が中心となっている。

[[2022年]]、フォルツァ・イタリア所属の[[アントニオ・タイヤーニ]]欧州議会議員が下院選に出馬する為に任期途中で辞任した事により、後任の欧州議会議員として政界復帰した。

[[2024年]]、フォルツァ・イタリア所属の候補として欧州議会選に出馬したが、落選し議席を維持する事はできなかった。


== 略歴 ==
== 略歴 ==
*[[1962年]]、[[ベニート・ムッソリーニ]]の三男[[ロマーノ・ムッソリーニ]](Romano Mussolini) とアンナ・マリア・シコローネ (Anna Maria Scicolone) との間に[[ローマ]]で生まれる。
* [[1962年]]、[[ベニート・ムッソリーニ]]の三男[[ロマーノ・ムッソリーニ]]とアンナ・マリア・シコローネとの間に[[ローマ]]で生まれる。
*[[1977年]]、映画『特別な一日』(Una giornata particolare、[[エットレ・スコーラ]]監督)でマリア・ルイサ役として母方の伯母[[ソフィア・ローレン]]と共演。
* [[1977年]]、映画『特別な一日』(''Una giornata particolare、[[エットレ・スコーラ]]監督でマリア・ルイサ役として母方の伯母[[ソフィア・ローレン]]と共演。
* [[1986年]]、[[ローマ・ラ・サピエンツァ大学]][[医学]][[修士課程]]修了。外科医として医師免許を取得。
*[[1990年]]、映画"Ha-Derech L'Ein Harod"にリオラ役で出演。最後の映画出演となる。
* [[1990年]]、税関吏マウロ・フロリアーニと結婚、一男二女を儲ける。
*[[1992年]]、総選挙で下院議員に[[ナポリ]]から立候補し当選。
* [[1990年]]、映画"Ha-Derech L'Ein Harod"にリオラ役で出演。最後の映画出演となる。
*[[1993年]]11月、ナポリ市長戦に立候補するも決選投票でやぶれる。
* [[1992年]]、[[イタリア社会運動]]に入党。同年の下院選に立候補し、下院議員に初当選。
*[[2003年]]11月、[[ジャンフランコ・フィーニ]]副首相の[[エルサレム]]での発言(ベニート・ムッソリーニが1938年に施行した人種法について謝罪し、[[ファシズム]]を『まったくの悪 (the absolute evil) 』と表現した)に対して反発し、フィーニの[[国民同盟 (イタリア)|国民同盟]] (Alleanza Nazionale) からの離党を表明。
* [[1993年]]、ナポリ市長戦に立候補し、決選投票まで進むものの落選。
*離党後、極右政党「行動の自由 (Libertà di Azione) 」(現在の名称・社会行動 Azione Sociale)を結成した。また欧州議会選挙に向け、他のネオ・ファシスト運動と連携して会派「社会的選択 (Alternativa Sociale) 」を結成した。
*[[2004年]]6月欧州議会選挙での「社会的選択」の得票率は1.2%し、欧州議会の議員に当選。
* [[1994年]]、イタリア社運動から下院選挙に出馬し、当選(再選)
* [[1995年]]、イタリア社会運動を中心とする[[国民同盟 (イタリア)|イタリア国民同盟]]の結党に参加。
* [[1996年]]、国民同盟から下院選挙に出馬し、当選(三選)。
* [[2001年]]、国民同盟から下院選挙に出馬し、当選(四選)。
* [[2003年]]、国民同盟の穏健化に反発して離党を表明。ネオファシストの新政党「行動の自由」(後に[[社会行動]]に改称)と政治会派「[[社会的選択]]」を結成。
* [[2004年]]、下院議員を辞任。[[社会的選択]]から欧州議会選に立候補し、欧州議会議員に初当選。
* [[2006年]]、欧州会派「社会的選択」を解散。
* [[2008年]]、欧州議会議員を辞任。[[社会行動]]から下院選挙に出馬し、当選(五選)。
* [[2009年]]、国民同盟と[[フォルツァ・イタリア]]が合流して結党された[[自由の人民 (イタリア)|自由の人民]]に、[[社会行動]]を率いて合流。
* [[2013年]]、[[自由の人民]]の分裂に伴い、[[フォルツァ・イタリア]]の再結党に参加。フォルツァ・イタリアから上院選挙に出馬し、初当選。
* [[2014年]]、上院議員を辞任。[[フォルツァ・イタリア]]から欧州議会選に立候補し、当選(再選)。
* [[2018年]]、コンテ政権を支持してフォルツァ・イタリアを離党(選挙協力は継続)。
* [[2019年]]、無所属候補として欧州議会議員選挙に出馬し、落選。
* [[2020年]]、政界引退を声明。
* [[2022年]]、[[アントニオ・タイヤーニ]]の後任として欧州議会議員に就任し、政界復帰。
* [[2024年]]、[[フォルツァ・イタリア]]から欧州議会選に立候補し、落選。


== ディスコグラフィー ==
== ディスコグラフィー ==
=== アルバム ===
=== アルバム ===
*[[1982年]] 「アモーレ」(''Amore'') (アルファレコード ALFA ALR 22002)
* [[1982年]] 「アモーレ」(''Amore'') (アルファレコード ALFA ALR 22002)


=== シングル ===
=== シングル ===
*[[1982年]] 「ラヴ・イズ・ラヴ」("Love Is Love") (アルファレコード ALFA ALR 755)
* [[1982年]] 「ラヴ・イズ・ラヴ」("Love Is Love") (アルファレコード ALFA ALR 755)
*[[1982年]] 「Tokio Fantasy」(アルファレコード ALFA ALR 756)
* [[1982年]] 「Tokio Fantasy」(アルファレコード ALFA ALR 756)

== 出典 ==
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== 外部リンク ==
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2024年8月31日 (土) 04:55時点における最新版

アレッサンドラ・ムッソリーニ
Alessandra Mussolini
上院議員時代の肖像写真(2013年)
生年月日 (1962-12-30) 1962年12月30日(61歳)
出生地 イタリアの旗 イタリア
ラツィオ州ローマ県ローマ
出身校 ローマ・ラ・サピエンツァ大学
前職 医師女優歌手モデル
所属政党 イタリア社会運動
(1992-1995)
国民同盟
(1995-2003)
社会行動
(2003-2009)
自由の人民
(2009-2013)
フォルツァ・イタリア
(2009-2018)
無所属
(2019-2022)
フォルツァ・イタリア
(2022-)
配偶者 マウロ・フロリアーニ
親族 ベニート・ムッソリーニ(祖父)
ロマーノ・ムッソリーニ(父)
ソフィア・ローレン(伯母)

当選回数 5回
在任期間 1992年6月28日 - 2004年7月19日
2008年4月29日 - 2014年6月30日

当選回数 1回
在任期間 2013年3月8日 - 2014年6月30日

当選回数 3回
在任期間 2004年7月20日 - 2008年4月28日
2014年7月1日 - 2019年7月2日
2022年11月2日 - 2024年6月18日
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アレッサンドラ・ムッソリーニAlessandra Mussolini1962年12月30日 - )は、イタリア政治家女優医師

ファシスト独裁者として知られるベニート・ムッソリーニの孫娘であり、女優ソフィア・ローレンの姪にあたる。政治家として下院議員(5期)、上院議員(1期)、欧州議会議員(3期)を歴任した。

経歴

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生い立ち

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1962年12月30日イタリアラツィオ州ローマに音楽家ロマーノ・ムッソリーニとアンナ・マリア・シッコローネの長女として生まれる。父ロマーノは名が示す通り、王政期のイタリアで独裁体制を築いた国家ファシスト党(PNF)のベニート・ムッソリーニ首相とその後妻ラケーレ・グイーディの三男(前妻イーダ・ダルセルとの子を含めれば四男)であったが、政治とは距離を取ってピアニストとして生計を立てていた。そのため、第二次世界大戦前後の騒乱に巻き込まれず、共和制に移行した戦後イタリアで静かな日々を送っていた。

一方、母アンナもアカデミー賞女優として知られるソフィア・ローレンの実妹であり、むしろ当初はこちらの血縁の方が彼女の人生に強い影響を与えた。

芸能活動

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1970年代からソフィアの元で養育を受け、アカデミー賞及びゴールデングローブ賞の外国映画部門にノミネートされた『特別な一日』で映画デビューを果たし、主演を務める伯母と共演した。以後、「大女優の姪」として女優の他にモデル・歌手など様々な活動を展開した。精力的な芸能活動の傍ら、学業ではアメリカンスクールを経てローマ・ラ・サピエンツァ大学医学部に入校して医師免許取を取得、1986年に修士課程も修了している。

歌手業では1982年に日本アルファレコードから日本語歌詞のポップスを多数収録したアルバムを限定リリース、日本のみの展開ということもあって欧米諸国で話題を集めた[1]。モデル業では肉感的な体を武器にしていた叔母ソフィアに倣ってグラマー写真を中心に活動[2]、イタリア版及びドイツ版『PLAYBOY』ではヌード撮影にも挑んでいる[3][4]

またこの時期には日本の歌手・沢田研二のオリジナルアルバム『JULIE SONG CALENDAR』に収録されている「CHI SEI(君は誰)」の作詞も手掛けている[5]

1989年、税関吏マウロ・フロリアーニと結婚、翌年にイスラエル映画『הדרך לעין חרוד』(Ha-Derech L'Ein Harod)を最後に芸能界からは引退した。ある映画プロデューサーに「ムッソリーニ姓を名乗らないこと」を勧められた為であると語っている[6]。引退後は医師活動と家庭生活に専念して、外科医として勤務しつつカテリーナ、クラリッサ、ロマーノの一男二女を育てた。その際、子供たちが母方の姓も名乗れるようにするための複雑な法的手続きを行っている。

政治活動

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イタリア社会運動

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1992年、共和ファシスト党(PFR)の後継政党であるイタリア社会運動(MSI)からムッソリーニの孫娘として下院選挙のナポリ選挙区に擁立され、新人候補ながら初当選を勝ち取って下院議員となった。1993年11月、今度はナポリ市長選挙に出馬。決選投票まで駒を進めているが、イタリア民主党アントニオ・バッソリーノ英語版候補に敗れた。1994年、カンパニア州第1選挙区から出馬して下院議員に再選された。

1990年代から2000年代にかけて行われたジャンフランコ・フィーニ書記長による穏健化改革が進み、イタリア社会運動国民同盟に再編され、2001年には悲願であった政権参加が達成される。1996年、国民同盟の候補としてカンパニア州第1選挙区で下院議員に三選した。この頃から党の方向性を巡ってフィーニ書記長とは政治的対立が生じるようになったが、一度は和解して国民同盟に留まっている[7]。2001年、カンパニア州第1選挙区で当選して下院議員の4期目を迎え、同年にテレビのトークショーでイタリア共産主義者党出身のカティア・ベルリッロ英語版機会均等大臣を「醜いコミュニスト」「キューバに移民したらいい」と痛罵している[6][8]

2002年、ムッソリーニへの賛辞を取り下げる言動を繰り返すフィーニに「目的の為に歴史を歪める政治家は好ましくない」と不快感を示すなど、関係は再び悪化した[9][10]。2003年、フィーニが外務大臣として訪問したイスラエルにおいて、ファシスト政権の人種政策を「まったくの悪 (the absolute evil) 」と謝罪した事に激怒し、国民同盟を離党した[11]。ただしイスラエルの国家承認については支持しており、フィーニの言動に対する不信感が離党の原因となっている。

社会行動

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2003年、個人政党「行動の自由」(it:Libertà di Azione)を立ち上げ、後に新党として「社会行動英語版」(it:Azione Sociale)に改称された。フィーニとは異なり明確にファシズムを標榜しつつも、反ユダヤ主義への反対[12]同性愛[13]シビル・ユニオン[14]の容認、中絶[15]人工授精の合法化[16][17]フェミニズムの支持[18]など進歩的な政策を標榜し、穏健なファシストとして活動した。保守派からはしばしば「社会主義者」[19]左翼[20]との批判も受けているが、元々は祖父ムッソリーニも社会主義からファシズムに転向しており、福祉政策などで進歩的な政策を採用する事も多々あった。

2004年、下院から欧州議会への鞍替え出馬を行うべく新しき力ロベルト・フィオレイタリア国民戦線イタリア語版アドリアーノ・ティルゲル英語版ら他のネオファシストと連携して政治会派「社会的選択」 (Alternativa Sociale)を結成した。参加政党はファシズムへの支持を除いて相容れない部分も多かったが、会派の支持を受けて欧州議会選の中部イタリア選挙区英語版欧州議会議員に当選した。同年の欧州議会ではイギリス独立党ゴドフリー・ブルーム英語版欧州議員が専業主婦を称揚して「まともな知能のある経営者なら出産適齢期の女性を雇う事などあり得ない」「(女性が働くと)冷蔵庫が綺麗にならない」[21]と発言した事に、「ナポリの女は冷蔵庫の掃除もできるし政治もできるけど、貴方にはどちらも無理でしょうね」と応酬している[22]

2005年、ラツィオ州の州知事選を巡って推薦人の署名に問題があるとして地方裁判所から立候補が認められず[23]、自身に対する政治的攻撃であり「民主主義の正当性を失わせる」として国務院に上訴した[24]。国務院は地方裁判所の判決を無効とし、「社会的選択」の立候補を認めた[25]

2006年、加盟政党の齟齬が大きくなった事から「社会的選択」の解散が決定された。同年に移民についての論戦でイタリア共産主義再建党ウラジーミル・ルクスリア英語版トランスジェンダーとして初めて下院議員に当選)から「ファシスト」と執拗に攻撃された事に対し、「オカマよりもファシストになる方がよい」(Meglio fascista che frocio)と応酬している[26]。移民問題については強硬な姿勢を持ち、新たに参加した極右の欧州会派「アイデンティティ、伝統、主権英語版」の会合で「ルーマニア人は不法滞在が職業がない」と発言し、大ルーマニア党が激怒して会派を離脱する騒動となった[27]

自由の人民

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2008年、社会行動をフォルツァ・イタリアと国民同盟による選挙連合「自由の家」に参加させる形で下院選挙に出馬し、5期目の当選を果たした。鞍替え当選によって欧州議会議員の残り任期は「社会的選択」で第2位候補だったロベルト・フィオレが繰り上げ当選した。

2009年、フォルツァ・イタリアと国民同盟を母体とする新党「自由の人民」が結党されると、社会行動も提案を受け入れて合流した[28]。自由の人民では「社会行動」を背景に独自行動を取り、強いて言えばフィーニ派が主導する国民同盟系の政治家よりもシルヴィオ・ベルルスコーニらフォルツァ・イタリア出身の政治家と協力する事が多かった。

フォルツァ・イタリア

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2013年、「自由の人民」が分裂すると国民同盟系の議員らのイタリアのための未来と自由イタリアの同胞ではなく、ベルルスコーニが再結党したフォルツァ・イタリアに参加した。同年の上院選挙に擁立されて上院議員に初当選したが、早くも翌年には欧州議会議員選挙に鞍替え出馬し、欧州議会議員に再選されている。

2015年、夫であるフロリアーニが児童買春の容疑で逮捕されるというスキャンダルが起き、裁判で夫は懲役1年を求刑された。以前からカトリック教会の性的虐待事件を批判していた事もあり、離婚こそ選択しなかったものの、テレビ番組のインタビューで妻や女性として許す事はできないと強く夫を非難した。その際に「祖父のムッソリーニが生き返れば何を聞きたいか」と質問され、「クラレッタ・ペタッチをどう思っていたか」と回答している。

2018年五つ星運動同盟の連立に協力的な姿勢を取り、閣外協力に消極的なベルルスコーニとの距離感が生じた。フォルツァ・イタリアを反EUとポピュリズムの潮流に乗せようとする動きは親EUと中道主義を堅持する党内で成功せず、離党を宣言したが[29]ベルルスコーニから慰留される形で選挙協力は維持している。

2019年ジム・キャリードナルド・トランプ大統領を批判する意図でムッソリーニの処刑を揶揄するイラストを描いた事について「嫌な奴」(bastard)と呼び、「どうせなら核実験黒人差別を描いたらどうか」と皮肉っている[30][31]

2019年の欧州議会選挙に無所属で出馬するが、及ばず落選した。27年間の政治キャリアで鞍替え選挙での辞任は何度も行っているものの、落選での失職は1993年のナポリ市長選挙以来となる。敵対するイタリアの同胞が同じムッソリーニ家からカイオ・ジュリオ・チェザーレ・ムッソリーニ(ムッソリーニの次男ヴィットーリオの孫、アレッサンドラの従甥)を擁立するなど、求心力の低下が否めない状態になっている。

2020年12月、今後の去就が注目される中、社交ダンスの番組「Ballando con le stelle」にゲスト出演し、インタビューで政界復帰を否定するコメントを行った。以降はコメンテーターとしてテレビに出演したり、同性愛を擁護する運動に参加するなどの穏健な活動が中心となっている。

2022年、フォルツァ・イタリア所属のアントニオ・タイヤーニ欧州議会議員が下院選に出馬する為に任期途中で辞任した事により、後任の欧州議会議員として政界復帰した。

2024年、フォルツァ・イタリア所属の候補として欧州議会選に出馬したが、落選し議席を維持する事はできなかった。

略歴

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ディスコグラフィー

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アルバム

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  • 1982年 「アモーレ」(Amore) (アルファレコード ALFA ALR 22002)

シングル

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  • 1982年 「ラヴ・イズ・ラヴ」("Love Is Love") (アルファレコード ALFA ALR 755)
  • 1982年 「Tokio Fantasy」(アルファレコード ALFA ALR 756)

出典

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  1. ^ “Alessandra Mussolini - Amore (1982)”. Orrore a 33 Giri. (13 April 2007). オリジナルの9 February 2008時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080209003430/http://www.orrorea33giri.com/2007/04/alessandra-mussolini-amore-1982.html 3 january 2008閲覧。 
  2. ^ Jan Repa (9 January 2004). “Italy's post-fascists to regroup”. BBC News. http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/3382151.stm 3 January 2008閲覧。 
  3. ^ “Playboy Italy - Covers of 1983”. PBCovers. (August 1983). オリジナルの25 December 2007時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071225234659/http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=it&y=1983&cover=it_198308 3 January 2008閲覧。 
  4. ^ “Playboy Germany - Covers of 1983”. PBCovers. (November 1983). http://www.pbcovers.com/pbcovers.php?c=de&y=1983&cover=de_198311 3 January 2008閲覧。 
  5. ^ JaneElisa1の2018年11月22日のツイート2023年11月13日閲覧。
  6. ^ a b “Alessandra Mussolini: Politician in stilettos”. The Independent. (8 February 2004). オリジナルの1 December 2013時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20131201044932/http://news.independent.co.uk/people/profiles/article67581.ece 3 January 2008閲覧。  Also archived at FindArticles.com as "Mussolini In Stilettos" by Susan Chenery.
  7. ^ "A Mussolini Quits Rightist Party in Italy" The New York Times, 15 November 1996.
  8. ^ Tonelli, Matteo (January 31, 2001). “la Repubblica/politica: Calci e insulti il duello e' servito”. www.repubblica.it. 2019年4月3日閲覧。
  9. ^ "Alessandra Mussolini seeks leadership of Italy's far Right" by Bruce Johnston, The Daily Telegraph, 26 January 2002
  10. ^ "Mussolini to challenge party boss" Archived 12 March 2007 at the Wayback Machine., CNN, 25 January 2002
  11. ^ La Mussolini lascia An "Gianfranco ha tradito"”. 8 July 2008閲覧。
  12. ^ Mussolini: World should 'beg forgiveness of Israel'”. 8 July 2008閲覧。
  13. ^ Destra e gay, pace vicina. Alessandra Mussolini: tra loro ho molti amici”. 8 July 2008閲覧。 See also: Alessandra: per una volta sono vicina alla sinistra”. 8 July 2008閲覧。 and La Mussolini piace ai gay e mette in imbarazzo An”. 8 July 2008閲覧。
  14. ^ Turco-Mussolini, Thelma e Louise della politica "Tanta invidia ma andiamo avanti lo stesso"”. 8 July 2008閲覧。 See also: Raddoppiano le coppie di fatto Polo contro la proposta Mussolini”. 8 July 2008閲覧。
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  16. ^ Embrioni, da Mussolini a Melandri e' ancora polemica”. 8 July 2008閲覧。
  17. ^ Fecondazione, il Parlamento vara le regole”. 8 July 2008閲覧。
  18. ^ Alessandra Mussolini: ora serve un nuovo femminismo”. 8 July 2008閲覧。
  19. ^ Buttafuoco: Mussolini, vattene con l' Ulivo Alessandra: triste non sapere dove buttarsi”. 8 July 2008閲覧。
  20. ^ An s' interroga su Alessandra "E' di destra o femminista?"”. 8 July 2008閲覧。
  21. ^ “UKIP MEP in row over working women”. BBC. (21 July 2004). http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/3912205.stm 
  22. ^ Quote in the original language Italian: "So che gli Inglesi hanno il senso dell’autoironia, ma io sono napoletana e posso dire che noi donne sappiamo cucinare e pulire i frigoriferi e facciamo anche politica, mentre forse Godfrey Bloom non-sa né pulire i frigoriferi, né fare politica."
  23. ^ "Alessandra Mussolini barred from election because of faked signatures" by John Hooper, The Guardian, 14 March 2005
  24. ^ "Mussolini’s granddaughter barred from vote" Archived 7 May 2008 at the Wayback Machine., Reuters, 13 March 2005, Tiscali News
  25. ^ "Q&A: Italy regional elections", BBC News, 1 April 2005
  26. ^ "Mussolini a Vladimir Luxuria 'Meglio fascista che frocio'", La Repubblica, 9 March 2006 (イタリア語)
  27. ^ "Xenophobia destroys EU's ultra-rightwing MEP group", The Guardian, 15 November 2007
  28. ^ Deputati – MUSSOLINI Alessandra, website of the Chamber of Deputies of Italy. Retrieved 23 November 2010.
  29. ^ Falci, Giuseppe Alberto (2018年7月30日). “Mussolini: «Lascio Forza Italia». E su Salvini: «Mi piace, è un vero militante»” (イタリア語). Corriere della Sera. 2019年4月7日閲覧。
  30. ^ Benito Mussolini’s granddaughter has spent decades defending him. Now she’s feuding with Jim Carrey.” (英語). Washington Post. 2019年4月7日閲覧。
  31. ^ Jim Carrey's picture of Mussolini's demise sparks Twitter tirade from dictator's granddaughter” (英語). NBC News. 2019年4月7日閲覧。

外部リンク

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