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「カトリック (概念)」の版間の差分

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2014年1月30日 (木) 03:51時点における版

カトリックギリシャ語:καθολικόςkatholikos: Catholicus、英:Catholic)とは、公同普遍普公とも訳される、キリスト教の概念の一つ。教会論の中で、豊富な歴史と、幾つかの意味がある。公同を奉じる主義思想は カトリシズムと呼ばれる。

単に「カトリック」の語彙を以てローマ・カトリック教会を指す用例も多いが、これは略称として誤りではないものの、「カトリック(普遍性)」を自認・自称する教派ローマ教皇を首長とするローマ・カトリック教会だけではない上に、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指し示す普通名詞・形容詞であるため[1]、文脈によっては普通名詞・形容詞として用いられている場合に注意が必要である。

語義

古代における概念の展開

カトリック(公同、普遍、普公)の語を最初に用いたのはアンティオキアのイグナティオスであり、「イエス・キリストのいるところに、カトリック教会がある。」と述べている[2][3]

語源的な意味は「一者における全体」(カタ・ホロン)であり、古代の文献では「カトリコス(カトリック)」の語は地理的な広がりを意味するものではなく、信仰・学説の完全性、完全な伝統を指していた。アンティオキアのイグナティオス(107年没)、ポリュカルポス(65年頃 - 155年頃)、エルサレムのキュリロス(315年頃 - 386年)においては、「普遍的」といった意味よりも「正統的」の意味で用いられている[4]

「カトリック」と「ローマ・カトリック教会」の概念差

ローマ教皇を首長とし、これとフル・コミュニオンの関係にあるキリスト教教派が、自称他称ともに、単にカトリック教会と呼ばれることが多い。この教派はローマ・カトリック教会ローマ教会とも呼ばれる)および東方典礼カトリック教会の諸教会がある。

しかし、「カトリック」と「ローマ・カトリック」が混同されることが多いが、「カトリック」はギリシャ語の形容詞であるカトリコスギリシア語: καθολικός)に由来するものであり、元来は教会の普遍的性質を言い表そうとした際に用いられた概念であって、ローマ教皇を首長とする教派を指す語彙では無かった。「カトリック教会」を自認・自称する教派の中で最大規模を持つのはローマ・カトリック教会であるが、他にも複数の独立カトリック教会復古カトリック教会など)が自身を「カトリック教会」としている。(ただしローマ教皇庁とは相互承認していないため、ローマ・カトリック教会からは「カトリック教会」とは認められていない。)

正教会におけるカトリック(普遍)

自認と呼称

初期において"καθολικός"(カソリコス[5])の語を用いたアンティオキアのイグナティオス東西教会の分裂以前の聖人であって正教会でも崇敬されており、正教会も自らの教会をカソリコス(普遍)であると自認する。

ただし正教会は、ローマ・カトリック教会のように「カソリコス(カトリック)」を教会の呼称としては使わず、「正しく神を讃美する」事を意味するオーソドックスギリシア語: ορθοδοξία, オルソドクシア)の名を以て自己の教会を名乗る。これの日本語訳が「正教会」である。

概念

正教において、教会における"ギリシア語: καθολικός"(カソリコス・普遍性)は、地理的な広がりといった外的なものとしてのみ理解されるべきではなく、アレクセイ・ホミャコーフ(1804年 - 1860年)が考察したように質的な面からも理解されなければならない[4]

教会共同体論の領域で、至聖三者三位一体)に係る議論がまず検討される。ニッサのグレゴリイが、キリスト教を神的本性の模倣であるとしたように、教会共同体は至聖三者の像であるとされる。このことは教父および正教会の教会法により主張されている。従って教会共同体の普遍性は、至聖三者論の光においてこそ啓示される[6]

こうしたことから、普遍性(カソリコス)は、「一般性」(ウニベルサリテ)といった言葉に置き換える事は出来ない。正教会において、普遍性(カソリコス)という言葉の具体的意味には、単に統一性のみならず多様性も含まれるからである。「普遍性は二つのものの間の一致あるいはむしろ統一性と多様性との同一性を示す[7]」(ウラジーミル・ロースキイ宮本訳)。正教の至聖三者論と正教の法的行政的構造との間には密接な関係がある。ただし正教における教会共同体の研究は、あくまで神と人間的ペルソナとの一致の場に対するものとしてなされるものであるとされる[6]

プロテスタントの見解例

多くのプロテスタントにおいて、公同の教会(カトリック・チャーチ、catholic church)の語は、キリスト教会とイエス・キリストを信じるすべてのキリスト者、教派を指す名称であり、ローマ・カトリック教会のみを指す語彙としてはこれを用いない。

カトリックの語は、コンスタンティヌス帝の改宗によって、帝国教会を意味する語に変化したとマクグラスは捉える[2][3]

ウィンケンティウスはカトリックを「すべての場所で、あらゆる時代に、すべての人から信じられていること」と定義している[2][3]。プロテスタントは宗教改革において、使徒継承による教会制度の制度的な連続性ではなく、教理的な連続性を主張し、ローマ・カトリック教会から分離しても、教会はカトリックであると主張した(改革派ツヴィングリに顕著である。)[2][3]

「カトリック」の用例

使徒信条ニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条は、教会のカトリック性、普遍性、公同性を確認しており、この信条を認める教会においては自らのキリスト教の公同性を自覚している。「公同(カトリック)」の語彙は他にも頻繁に用いられるものであり、例えば新約聖書に含まれるヤコブの手紙ヨハネの手紙は全キリスト者に向けての手紙であるという意味において、公同書簡(カトリック書簡)と呼ばれる[2][3]

カルタゴのキプリアヌスは「カトリック教会の外に救いなし」と主張し、トマス・アクィナスは、1.場所に関して、2.人間の条件に関して、3.時との関係で教会はカトリックであり、使徒継承の制度的な連続性を通してのみ教会のカトリック性が保証されると主張した[2][3]東方教会、ローマ・カトリック教会、聖公会と、聖公会から分かれたメソジスト、ローマ教会から分離したルーテル教会の一部は、使徒継承の教理を信じているが、ほとんどのプロテスタントで否定される。なお、東方教会は使徒継承の教理を保持する一方で、トマス・アクィナスによるような教会のカトリック性についての理解を採らない(正教会におけるカトリック性についての理解は前述)。

脚注

  1. ^ 新約聖書時代のギリシャ語でも現代ギリシャ語でも「一般的な」といった意味をもつ、一般に使われる形容詞でもあった。岩隈直『新約ギリシヤ語辞典』238頁、山本書店、2006年5月11日 増訂7版 ISBN 4841400303 / 川原拓雄『現代ギリシア語辞典』103頁、リーベル出版、1992年9月1日 初版 ISBN 4897980003
  2. ^ a b c d e f アリスター・マクグラス『キリスト教神学入門』教文館
  3. ^ a b c d e f アリスター・マクグラス『宗教改革の思想』教文館
  4. ^ a b パーヴェル・エフドキーモフ著、古谷 功訳『ロシア思想におけるキリスト』129頁 - 130頁(1983年12月 あかし書房)ISBN 4870138093
  5. ^ 現代ギリシャ語読み。古典ギリシャ語再建形からはカトリコスと転写される。
  6. ^ a b ウラジーミル・ロースキイ著、宮本久雄訳『キリスト教東方の神秘思想』221頁 - 222頁、勁草書房(1986年10月)ISBN 9784326100668
  7. ^ 前掲『キリスト教東方の神秘思想』221頁から引用

参考文献

関連項目