コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「Wikipedia:井戸端/subj/調査投票を多数決として編集決定に用いようとすることについて」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
文意確認: 誤解については謝罪します
文意確認: つまり「ゴネ得」を狙って「わからない振り」をしている以外の理由が想像つかないわけです、誰にも
154行目: 154行目:
:::::::: > 発言は文脈を加味して{{Small2|(=行間を)}}読まなければならないのであって、文脈を無視して字義通りに受け取った上で論難する(=挙げ足取りをする)理由がわかりません。
:::::::: > 発言は文脈を加味して{{Small2|(=行間を)}}読まなければならないのであって、文脈を無視して字義通りに受け取った上で論難する(=挙げ足取りをする)理由がわかりません。
:::::::: 事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して指摘があるのを、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能ですから、字義通りに受け取って批判することを論難というのはそれこそ論難というものです。--[[利用者:T6n8|T6n8]]([[利用者‐会話:T6n8|会話]]) 2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)
:::::::: 事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して指摘があるのを、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能ですから、字義通りに受け取って批判することを論難というのはそれこそ論難というものです。--[[利用者:T6n8|T6n8]]([[利用者‐会話:T6n8|会話]]) 2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)
:::::::::>''公表された方法に従って適切に編集決定がされる必要があります。''
:::::::::必ずしもそうとは思いませんが、とりあえず本件投票に関しては「''公表された方法に従って適切に編集決定''」が「為されている」ものと考えています。[[利用者:T6n8|T6n8]]氏が「為されていない」と主張していることは理解しています。その主張の相違の根拠を相互理解する為の議論ですので、巻き戻さないで下さい。
:::::::::>''意見の根拠の伴わないただの一票差でそういうことになるとまずいわけですが、''
:::::::::議論が尽きていない状態{{Small2|(=意見の根拠の伴わない)}}での多数決に限ってはT6n8氏の主張の通りであると認めます。ですが本件投票に関しては既に議論が尽きています。それ故にT6n8氏の主張は不適切であると主張しています。趨勢の問題ではありません。
:::::::::繰り返します。本件投票に関しては既に議論が尽きていますので、例え一票差であっても「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことを阻害しません。これへの有意な反論は前半の否定(=議論が尽きていない根拠)か、前半が満たされて居ても後半が成り立たない(=議論が尽きて居ても一票差であれば阻害する根拠)かのいづれかです。
:::::::::>''事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して''
:::::::::何度も言いますが、文脈を把握して戴きたいです。
:::::::::#T6n8氏「多数決反対」
:::::::::#G「議論が尽きているので多数決ではなくステップ4だと思う」
:::::::::#T6n8氏「多数決は『どちらでも良い』と考えている場合に限る」
:::::::::#G「『どちらでも良い』なら議論に参加しないだろうから、ステップ4の全否定になるのでは?」
:::::::::#T6n8氏「ステップ4には多数決による決定をせよとは書いてない」
:::::::::#G「ステップ4=多数決ならステップ5以降は存在しないでしょう。何でステップ4ではなく多数決だと思うのですか?」
:::::::::#T6n8氏「『票数の多い方を項目名として採用します。』という文を文字通り捉えると、多数決による決定という意味にしかならないと思いますが」
:::::::::#G「いや文脈を無視して字義通りに受け取って論難するのは挙げ足取りでしょう」
:::::::::#T6n8氏「挙げ足取りではない、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能だったはずだ」
:::::::::となっています。私は「それで『誤解』する人は普通は居らんでしょう」と主張して居て、T6n8氏が何故に「誤解」したのかを把握する為にこの議論を行なっています。
:::::::::此処までの議論を見る限り、T6n8氏は未だに「誤解」をしたままであるように思えます。そしてその「誤解」をしている理由として主張されているのは未だに「状況を無視して字義通りに受け取ったらそう解釈出来る」以外にありません。
:::::::::つまり「本件投票では状況を無視して字義通りに受け取るべきである」という主張が無いのです。「本井戸端話題に参加している私を含めた多くの非議論参加者にさえ把握出来ている状況」を「T6n8氏が無視し続けている」理由がわからないのです。
:::::::::[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2015年7月27日 (月) 02:08 (UTC)


* [[ノート:アイスレーベン/改名議論]]で私は「(投票の)結果に一旦従ってこの議論を締め、その上で納得がいかなければ改めて新たな議論を適切な場所で行うべきであると考え投票の提案をさせて戴きました。」と発言しています。固定して保護するわけではありません。にもかかわらず、T6n8さんは、あくまでも投票・多数決は反対だとおっしゃる。一方、T6n8さんは「一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。」ともおっしゃる。つまり、結果がどうであれ、多数決での移動には反対するが、自分 (T6n8さん) の判断であれば移動させて良いと仰っていることになります。発端となった最初の移動も同類です。
* [[ノート:アイスレーベン/改名議論]]で私は「(投票の)結果に一旦従ってこの議論を締め、その上で納得がいかなければ改めて新たな議論を適切な場所で行うべきであると考え投票の提案をさせて戴きました。」と発言しています。固定して保護するわけではありません。にもかかわらず、T6n8さんは、あくまでも投票・多数決は反対だとおっしゃる。一方、T6n8さんは「一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。」ともおっしゃる。つまり、結果がどうであれ、多数決での移動には反対するが、自分 (T6n8さん) の判断であれば移動させて良いと仰っていることになります。発端となった最初の移動も同類です。

2015年7月27日 (月) 02:08時点における版

調査投票を多数決として編集決定に用いようとすることについて

Wikipedia:調査投票の方法には「ウィキペディアは多数決主義ではありません。合意点を見つける主要な方法は議論であって、投票(vote)ではありません(投票が全てではないを参照)。解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」とあるのにもかかわらず、それに真っ向から反する、「票数の多い方を項目名として採用します。」という投票がノート:アイスレーベンで行われようとしています。このようなことは不適当と考えますが、皆様はいかがお考えでしょうか。なお、ノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案で事前にも反対を表明しており、決して合意にもとづく投票ではありません。--T6n8会話2015年7月14日 (火) 13:00 (UTC)[返信]

議論に基づく合意形成が困難な場合には、誰かがいつまでも「こんなのは認めない」と主張し続けることになるのは仕方のない……むしろ(合意形成が無理というほどの事態なのですから)当然のことです。議論による解決がもはや非現実的となれば投票も仕方ありませんし、彼らに投票をさせることになった責任の一端は議論の参加者であるT6n8さんにもあるのです。投票が嫌だとゴネる暇があるのでしたら、全員(または過半数)を説得できる素晴らしい解決策なり演説でも考えてください。--Hisagi会話2015年7月14日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
コメント - 方針・ガイドラインの類ではWP:NOTDEMOCRACYという考えがある一方で、WP:DRでは(合意形成の次の段階として)投票というステップを設けています。私個人は(説得が下手な割に)投票という手段について否定的で、相手が許す限りはあえて投票を避けてグダグダやったりするのですが、どこまで合意形成のステップで頑張るかは人それぞれでしょう(各人の許容範囲および議論の状況次第)。過去の実績から言っても、合意形成が難しい際の手段の一つとして投票という方法で解決を図る時があることは確かです(Wikipedia:投票#過去に実施された投票のリンク先を参照)。
井戸端では過去にも同種の話題が出ていますので、Category:井戸端の話題/投票Category:井戸端の話題/合意形成あたりも参考になると思います(特にWikipedia:井戸端/subj/投票と合意形成Wikipedia:井戸端/subj/投票の拘束力Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアは多数決主義?あたり)。--ButuCC+Mtp 2015年7月14日 (火) 18:08 (UTC)[返信]
コメント 既に、記事名の移動の差し戻しのような過激な行動を取りWikipedia:コメント依頼/T6n8その2#第3者コメントで厳しい指摘を諸兄から受け、その後も問題解決のため皆で膨大な労力を費やし9か月もノートで議論を続けても、実は合意形成する意志など最初から一切無かった事をノート:アイスレーベン/改名議論#解決へ向けてで表明したT6n8さんが、まだ議論が尽くされていないと主張するのですか。「合意点を見つける主要な方法は議論」の意義を完全に否定したのはT6n8さんではありませんか。相手を疲弊させ議論断念に追い込んで思い通りにするのが目的だったなら、その手に載るわけにもいきません。
T6n8さんが投票を認めないといった行動に出るのは予想通りです。移動の差し戻しをしたのは、いったん改名されてしまえば『アイスレーベン』への再改名の合意が取れる見込みが無いので既成事実作り、改名議論中も『ルターシュタット・アイスレーベン』の方が優勢で強硬に反対しているのは実質T6n8さん一人、投票にも調査投票にもT6n8さん一人が絶対反対、仕切りなおして意見表明期間中も『ルターシュタット・アイスレーベン』の方が有利、これで投票となれば改名となる公算が高い、だからどんな手段を使ってでも改名阻止するためには、投票に反対するしかない。いったい、ドイツPJは簡単なドイツ語の記事ひとつ翻訳できないT6n8さんが独裁する場でしょうか。
ところで7月14日13:26にHisagi さんにここで指摘を受けた約3時間後、14日16:15(UTC)に202.224.70.140で意見表明がなされました。意見表明期間経過後の書き込みとして除去されていますが、非常に特徴的な意見でした。
  • 過去に活動履歴なし、いきなりややこしい議論に参入。
  • 常人にはすべてを読んで理解しろというのも苦痛な長さの過去議論にも精通しており、議論に参加していた誰かとしか思えない。
  • Wikipedia のルールに関してトップレベルの知識がある。有力執筆者でも普通はここまでは知らず、いかにも「ルールを盾にした議論を中心に活動している利用者」による意見。
  • 「当方は地図地名事典の類で用例が多くその他の調査でも冠無しが多かった」という文面ですが
  • 一人称に「当方」を使う
  • 日本語資料に基づく用例を調査済
こうなりますと、以前の議論でもノート:アイスレーベン/改名議論#T6n8さんはIPでも書いていますか?と尋ねているのですが、未だ回答は頂いておりませんが、今回も「T6n8さんはログアウトしてIPでも意見表明しましたか?」と尋ねた方が良さそうですね。通りすがりの人間が「投票か。自分も何か役立てば」と興味を持って書いていったというレベルの内容ではなく、むしろ「これを T6n8 さん以外の誰が書けるのか」というレベル。とりわけ、すぐに日本語資料から用例を示して意見を言えるのが特徴的です。
なお以前の議論は過去ログ化されましたが、編集はすべての利用者に許可されていますし、「投票」の説明に「投票に際してはノート:アイスレーベン/改名議論およびこのページの上記の#意見表明のいずれか、または両方を参考にして下さい。」と汲平さんが明記しているので、T6n8 さんも「ノート:アイスレーベン/改名議論」で存分に、素晴らしい解決策・演説を書き加える事ができますし、それが投票に際して参考とされ行動に影響を与える事もあるでしょう。--114.181.36.77 2015年7月15日 (水) 04:08 (UTC)[返信]
反論はありますがノートへしときます。--202.224.70.140 2015年7月16日 (木) 03:11 (UTC)[返信]
コメントコメント依頼が出ていた時に見た限りですと確か「正式名称 vs 用例の多い方」という論争であり、互いに「用例が少ない/正式名称ではない」という反論自体は無かったものと考えます。つまり互いに相手の主張の根拠を認めていて且つ互いの価値観の相違に基づいた「優先順位の相違」により意見が分かれているだけの状態でした。それは既に議論が尽きている状態であり、新たな論点が出ない限り続けても互いに自己の主張の根拠を繰り返し述べるだけの水掛け論にしかならない状態です。しかも今見ると水掛け論が高じて個人攻撃にまで至っている様子。流石に此処まで事態が発展しているのなら多数決も已む無しなのではないでしょうかね。
ただ、今見たら「用例が多い」に対して「相対的に多いだけで絶対数は少ない(=定訳となるほどではない)」という反論がされていますね。これはどちらかと言うと、「用例が多い」のが事実ならば当然にそちらの方が多数派から支持されるはずですので、寧ろ逆に積極的に多数決に賛成するはずのところではないかと考えます。「空論を弄して自説を曲げない輩に現実を思い知らせてやる」ぐらいの勢いで。それが井戸端にまでやってきて「ウィキペディアは多数決ではない」と唱えるのは少々不自然に思えます。
さて、私の意見ですが。一般に多数決が不適切であることには異論はありません。ですが一般的ではない状況下では適切な場合もあると考えます。「一般的ではない状況下」とは幾つかあり、理想的なそれは議論が尽きて「互いに相手の主張の根拠を正しいと認めた上で互いに反対している場合」であり、不本意なそれの一つとして「合意を形成する意思の無い議論参加者が居る場合」があると考えます。
wikipediaは、圧倒的大多数である閲覧者の為の百科事典です。圧倒的大多数が良く知っている表記方法でないのならば、調べる過程で明らかとなるであろう正式名称を用いることに妥当性があります。ですがきっとその多数決で「圧倒的大多数が良く知っている表記方法」であることが明らかとなるでしょう。そうなれば正式名称派だって再考するものと考えます、本当に「用例が百科事典の記事名として適切であるほどに多い」のであれば、ですが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月15日 (水) 05:05 (UTC)[返信]
  • まーうっかりUTCとJST勘違いして大ポカしてしまったんですけどね、結局コメントしたとおり最終的には個人の好みなんですよ、あたしゃ正式名称も通称もどちらでもOKと考えてるけど検索結果やら旅行書やら地図やら世界遺産での扱いやら見て「ある程度用例があり通称のほうがかなり優位なら通称でかまわんのではないか」って考える、ただメジャーな地名じゃないから正式名称選ぶってのもわからんでもないです(メジャーマイナーで決めるのはどうかという疑問はさておき)。一言いうとすればこーいうどちらがベターか決める案件でどちらかがベストと言ってしまうのはバランス感覚が危ういです、考え方の固執はいずれ(現状で)衝突をおこすもととなるだけです。おにーさんは投票否定する精神も自分がIPで活動しながら他のIPが出てくると靴下疑う精神も、もーこれナニヲ考エテイルノカワカラナイです。--202.224.70.140 2015年7月15日 (水) 05:57 (UTC)[返信]
  • 投票を提案し、事実上作業を行っている 汲平会話)です。言いたいことは山ほどありますが、すでに皆様からのコメントにある通りで多言は要しないように思います。T6n8さんが何の議論もなく「ルターシュタット・アイスレーベン」から「アイスレーベン」に強引な移動を行って以後 9か月の間議論を眺めておりましたが、議論は膠着し、双方新たな論拠を示すこともできず、最後には議論の体を成さなくなっていました。みかねて折衷案を提案しましたが、これも否定されました。投票が好ましい方法ではないことは承知しておりますが、今回の提案はやむを得ない状況での提案でした。T6n8さんから投票に対しても、多数を結論とすることに対しても、確かに反対という言葉はうかがっておりますが、ではこの議論をどう収束させるつもりなのか、対案を頂戴することはできませんでした。事ここに至っては、Wikipedia:論争の解決 ステップ4 投票の方法を採ることはやむを得ないと判断しました。--汲平会話2015年7月15日 (水) 11:35 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:論争の解決ステップ4 投票の実施についてはやむを得ないと考えられるかもしれませんが、そこに書かれている「調査投票の方法の原則に従って」を無視していては、実質的にWikipedia:論争の解決ステップ4 投票に従っていることにはならないというのが問題です。実際に多くの方の意見が出て来れば意義がありえますが、単に数名の賛成による多数であれば、それは腕ずくで解決するというのと変わりありません。また、汲平さんの当初提案では、投票期間は一ヶ月でしたが、特に短くすべきという議論があったわけでもないのに、投票開始にあたって、半分以下の14日間として投票を実施せんとしているのも「より広いユーザー、コミュニティから中立的な意見を頂戴すること」と整合しないです。これまでのところでは、新たにCaserioさんとXx kyousuke xさんの意見が出たという点では新たな意見の頂戴にある程度成功しているとも評価できますが、多数決に妥当性が生じるわけではありません。--T6n8会話2015年7月16日 (木) 10:08 (UTC)[返信]
一ヶ月でも二週間でも大差は出ないとおもいますがね。そもそも脱線に脱線を繰り返しているんだから改名賛成派にしろ維持派にしろ一度論点整理して仕切りなおして賛意反意まとめるぐらいはしておけと思います。何度も繰り返しますが結局は方針上グレーゾーンな案件でどちらにもある程度の妥当性があり絶対的な同意は得られない案件なので投票もやむなしです、ゴルディアスの結び目のごとく性急な解法ですがね。--202.224.70.140 2015年7月16日 (木) 11:36 (UTC)[返信]
Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順の2.には予め決定するべき項目として「投票結果の集計方法は? (最多数をとったものを選ぶか、3分の2以上などのラインを設定するか)」とあり、多数決は完全に否定されているものではありません。私も投票がベストな方法とは思っておりません。上記の通りやむを得ない方法であると自覚しています。投票での多数決に不満であれば、どのようにこの議論を収束させるつもりなのか対案をお示し下さい。投票期間については完全な私のミスです。申し訳ありません。修正して参ります。--汲平会話2015年7月16日 (木) 11:41 (UTC)[返信]
対案をお示しくださいということですが、Wikipedia:調査投票の方法に正しく適合するようになされば良いことです。先に述べたように、 まず、共通認識と意見が割れている論点を整理して論点ごとに簡潔な説明を示した上で、削除依頼などで行われているように理由付きの意見を求めるというのが妥当でしょう。Wikipedia:合意形成にも「調査投票は投票ではなく、構造化された議論です。」とあります。Wikipedia:調査投票の方法#調査投票の手順の2.には「合意を得ていなければなりません。」とあるわけで、一方的に決定して良いということは書かれておりません。多数決で決めて良いことと合意されたことなら多数決で決めて良いという点で「多数決は完全に否定されているものではありません」とは考えられますが、合意なく多数決にしても正統性をもたらすことはできないでしょう。
なお、これまでの議論において、T6n8が唯一の改名反対者であったかのように認識されている方もいるようですが、アルビレオさんは改名反対を表明されているし、Vindlysさんは「アイスレーベン表記の方が好ましい」ことを表明しています。ほか、複数IPが登場していますが、アイスレーベンのノート内に私がIPで投稿した意見はありません。--T6n8会話2015年7月19日 (日) 15:40 (UTC)[返信]
ご理解いただけていないようですが、私が対案と言っているのは、多数決でなくどのように議論を収束させるつもりなのかということです。議論が行き詰まって投票を行い、でも多数決でなく参考意見として扱うことで、今後の議論にどのようなビジョンがあるのでしょうか?
また多数決に合意できないのはなぜでしょうか?ノート:アイスレーベンでは投票は意見収集のために行うものだからという以上のご意見は頂戴できませんでしたが、投票が多数決も否定していない以上、その論拠は失われています。--汲平会話2015年7月20日 (月) 00:31 (UTC)[返信]
調査投票という構造化された議論を行い、議論相手ではなく議題そのものに集中すれば、あるべき姿に収束することが期待されるというのが論争の解決のステップ4でしょうに、それで何の問題があるというのか、確かに理解できません。
多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。アイスレーベンの場合は、どちらもどちらでも良いとは考えていない状況なのだから多数決に合意とならないのです。Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんにも「ウィキペディアはその決定を参加し投票する人の数に基づかせることはありません。」。ここで、人数による多数決というのは、WP:NOT#DEMにも「投票や調査は議論の助けになるどころか、むしろ妨げになる場合があります。」とあるのに該当すると考えます。合意のない多数決を数人で出して改名しても、それは数人で強行したというだけのことでしょう。--T6n8会話2015年7月20日 (月) 13:32 (UTC)[返信]
多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です
多数決でいいというのは誰がどちらでも良いと考える場合だ、とT6n8氏はお考えなのでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G会話) 2015年7月22日 (水) 10:37 (UTC)ここにありました文意確認の対話による挿入部分は#文意確認に移動しました。--T6n8会話2015年7月24日 (金) 13:59 (UTC)[返信]

(インデント戻します)HTTHさんが手順を踏んで「ルターシュタット・アイスレーベン」に移動させたのを、誰にも諮らず独断で「アイスレーベン」に再移動を強行されたT6n8さんに「合意のない多数決を数人で出して改名しても、それは数人で強行したというだけのことでしょう。」と言われても、滑稽なだけで何の説得力もありません。それをおっしゃるのであれば、まず「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続けるべきでしょう。「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。」というのはどこかで定義されていますか?まぁ、この件は大多数のユーザーにとっては「どちらでも良いこと」だと思いますよ。
9か月間も議論を続けて結論がでないからこそ投票を提案したのです。投票後に「議論相手ではなく議題そのものに集中すれば、あるべき姿に収束することが期待される」などという理想が実現すると本気で思っておられますか?これまた不思議な話です。それができるのであれば投票などという面倒なことをしなくても理路整然とした議論が出来ていなくてはおかしいでしょう。ここで意見をうかがっても、T6n8さんに賛同される方が現れないのは、この議論がすでにそういう段階でないと皆さん考えておいでだと思うのですがね。せっかく井戸端にまで議論を拡散したのですから、皆さんの意見に真摯に耳を傾けるべきじゃないでしょうか。--汲平会話2015年7月20日 (月) 15:19 (UTC)[返信]

本題のアイスレーベンの項目名として何が妥当かについては依然合意に至っていないし多数決によって決定するべきでないと考えます。しかるに、2014-10-18の差し戻しについては、未だ合意に至っていないことから、遺憾ながら不適切という判断の明らかさが不十分という点に誤りがあり、皆様のご批判をいただいていることは事実ですので、汲平さんがそういうのであるなら、一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。
「「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。」というのはどこかで定義されていますか?」については主語は「私」ですのでどこか云々はないです。それ以外の場合に、意見の重みを見ない多数決で良いと合意するのは妥当でないと考えます。各参加者がみな自分の意見で多数を占めると勘違いしている場合を除き多数決で良いという合意が得られることは期待できません。
なお、汲平さんが投票の労をおっていただいたことで、現に状況がだいぶ明瞭になっていると思いますし、「多数決で決める」「意見なしで名前だけ書く投票」という以外の部分は大変結構だと思いますし感謝もしています。--T6n8会話2015年7月22日 (水) 10:24 (UTC)[返信]
  • 意思決定は合意形成による、とはその通り。しかし、合意形成はゴネ得のことではないし、妥協案や歩み寄りが示されても対案を示すでもなしに反対しか言わず、つまりは合意形成に協力する意思のないギロン参加者がいる以上、不必要なコミュニティの消耗を避けるためにも投票は正当です。思い返せば、ゴネ得を目指した輩ばかりが跋扈したあげくに何万バイトもの容量のノートが形成され、それでいて記事に寄与するところがゼロであった、どこぞのノートみたいなのがまともであるはずがないでしょうが。件のノートよろしく、目的外利用者と靴下が沸いてくる異常事態をまねくより、よほど正常な運営というものでしょう。だいたい記事の改名・移動にあたって、通常とるべき提案も合意形成もなしに独断専行をした利用者が合意形成軽視といって他の利用者を批判するのは、矛盾とかなんとかの域をこえて滑稽というものでしょう。--ikedat76会話) 2015年7月16日 (木) 12:00 (UTC)--ikedat76会話2015年7月16日 (木) 16:38 (UTC)[返信]
  • 上で述べている方々といくらか被りますが、確かに多数決では押し切るのは一般論として好ましくありませんが、少数者のゴネ得を許すというのはそれはそれで違うと思います。そのようなゴリ押しではない、というのであれば議論終息のための代案が示されるべきでしょうが、それが無いのであれば、投票をもって決めるというのは止むを得ないように思います。そもそもノート:アイスレーベン#意見表明を拝見する限り、ほとんど孤軍奮闘にしか見えなかった「アイスレーベン」側を支持する意見が複数ついており、その限りでは新しい事態の動きはどちらか一方だけを利する形ではないように見えます。しかし、そのように事態が動いてもなお「ルターシュタット・アイスレーベン」を支持する側が多数となるのであれば、それを受け入れるのが筋ではないでしょうか。というか、その流れで多数意見を覆して少数意見の側を結論として押し通す(あるいは代案のないままダラダラと議論を続け、結果的に少数意見の側のみを一方的に利する状態で固定する)ことにいかなる正当性を見出しうるのか、少なくとも私には根拠が思いつきません。--Sumaru会話) 2015年7月16日 (木) 15:29 (UTC) 1件訂正--Sumaru会話2015年7月20日 (月) 05:52 (UTC)[返信]
    • (追記)「少数者のゴネ得」について若干補足しておきます。多数決主義をとらない場合に前提になるのは、多数意見が少数意見を尊重し、同様に少数意見も多数意見を尊重する、ということだろうと思いますが、少なくともこの件をざっと眺めている範囲内では、少数意見が多数意見を尊重しているようには見えなかった、ということです。それは、スタート時の強引な改名差し戻しもそうですし、ここでの議論拡散もそうです。ノート:アイスレーベンにここへのリンクを貼ったのは提案者ではなく別の方であって、多数意見の頭越しに別の場所で既成事実を作ろうとした、と解釈されても仕方ないように思います(純粋に第三者の意見を募りたかったからというのなら、そのように明記してリンクを貼ることもできたはずです。ましてWikipedia:コメント依頼/T6n8その2で改名差し戻しを支持する意見が無い以上、手続き云々を問題にするのであれば、まずご自身がなおさら慎重に手続きを踏むべきなのが筋というものです)。少数意見も多数意見を尊重する(少なくとも最低限の敬意を払う)という前提が満たされているように見えない状況で、少数意見が納得する解決以外は一切認めないと主張し続けることについて、これをゴネ得に道を開くもの、と解釈したことに特段の問題は感じません。--Sumaru会話2015年7月17日 (金) 03:41 (UTC)[返信]
    • (さらなる追記)「ほとんど孤軍奮闘にしか見えなかった」について補足しておきますが、これは「アイスレーベン」側が独りしかいなかったといっているのではなく、新しい合意形成に向けた動きが起こったときに強固に反対し続けている人が実質的に一人、という意図で述べました(だからこそアイスレーベンは単独意見ではなく『少数』意見と申し上げています)。ですので、その点に訂正の必要は感じません。他方、改名反対票を投じずにそちら寄りコメントをしていたVindlysさんが、ノート:アイスレーベン#意見表明で「アイスレーベン」側にぶら下げてコメントしたことを捉えて支持する意見が「複数」ついたと表現したことは、その意見の内容が「棄権」であることを踏まえれば不適切でした。こちらにつきましては訂正いたしました。以上、主要な論旨に変更は全くありませんが、追記しておきます。--Sumaru会話2015年7月20日 (月) 05:52 (UTC)[返信]
  • 投票で決めるべきではないです。
    • (不満を述べている御当人の意見と重なりますが)「多数決主義ではない」と前置きしつつ、揉めに揉めた場合には最後の手段として(少数の一方が是認しない)投票に頼るというのであれば、それは多数決主義であることと結局なにが違うのでしょうか。「多数決主義でない」とは、要するに意見表明者の寡多で意見の妥当性を決定しないということです。同意見の者がより多くいるということは、他の利用者が意見の妥当性を勘案する材料の一つにはなるでしょうが、それ以上のものとして取り扱うべきではありません。「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」と、Wikipedia:調査投票の方法に非常に慎重な書かれ方がされていること、Wikipedia:論争の解決の「ステップ4: 投票」は「調査投票の原則に従って」と書かれていることにもっと留意すべきです。Wikipedia:調査投票の方法は、合意に基づかない投票を是認していません。
    • 「少数者のゴネ得」という言い方が出ていますが、「多数決主義でない」というWikipediaの宣言を無視している・乃至軽視しているようにしか取れません。多数決主義でない以上、対立している意見の両陣営の意見は多数派か少数派かに関わらず、差し当たり同等と見なさなければなりません。両陣営がどちらも譲っていない以上、相手の説得に失敗してなお「ゴネ」ているのはどちらも同じなのです。一方がオルタナティブを提示し、もう一方が提示しなかった、ということから後者を問題視することも不当です。両者の意見が対称的な性質のものとは限らず、したがってオルタナティブが両者に公平であるとも限らなければ、両者の意見や考え方が同様にオルタナティブを提示できることが可能な性質のものとは限らないからです。「少数者のゴネ得」という言い回しは、こうしたバイアスを考慮せずに「少数派は譲るべき」という結論をひそかに先取していることを端的に示していると考えます。
    • 少数派の意見に問題があることをコミュニティとして認めるのであれば、その意見の前提や論理展開に無理があったり間違ったりしていることを指摘するという方法を取るべきです。「少数派」以外の誰もが彼らのそうした問題をはっきり認めているにも関わらず、ごく少数の当人だけがそれを認めていない、ということであれば、それは彼らが(少なくともその議題に限っては)排除される正当な理由を構成すると考えます。その場合も利用者コメント依頼などの手続きを取り慎重に議論しなければなりません。この件はその段階を経てそのような明確な合意が得られなかった、ということなのだと思いますが、それであればWikipedia:論争の解決に書かれているように、現時点では解決の方法はありません。問題・議論が起こる前の状態に記事を戻したうえで、(議論に割かれるコミュニティのリソースを問題視するのであれば)議論を停止して状況が変わるまで塩漬けにするのが最善です。
    • 今回の場合、上のようにすると少数派のT6n8さんに利する形になるのだと思いますが、これはたまたまであり、記事が最初に「ルターシュタット・アイスレーベン」だったのであればそちらのほうに戻すべき、ということになっていたでしょう。T6n8さんの改名差し戻しが強引であった、という意見が見られますが、反対意見が出ていたにも関わらず、その時点での相手の意見変化の有無を確認をせずに改名を実行したHTTHさん[1]にも同等の問題があり、この点どちらのほうがより問題であったか、といったことは問えないように思えます(意見表明に間があったことはT6n8さんの落ち度だと思いますが、再度反論がなければ○○日後に改名します、とワンクッション置くこともできたでしょう)。結局のところ、照準に定めるべきは「記事の状態にとってどうか」なのであり、「あるWikipedia利用者にとって得か・損か」ではないはずです。この議論が非常に揉めているのは、魔法使いを自称している方が説明しているとおりなのであれば両者の意見の正当性が「記事の状態」という観点からは微差であることに起因していると思います。問題点が微差なのであれば、大多数の利用者や閲覧者にとってはどちらであろうと大きな問題は起こりません。それであれば少数の意見者のほうをゴネ得として排除する方ではなく、「多数決主義ではない」という宣言を守る処置を取るべきです。--Toedlefts会話2015年7月16日 (木) 23:31 (UTC)[返信]
      • もしも「微差」と切り捨てるのであれば、それこそ多数決で定めて問題無いと考えます。また価値観の相違は(興味の無い他人にとっては「微差」でしかないことは同意しますが)当人達にとっては重大な問題です。Toedlefts氏の説明は、この二件のいづれか一方と必ず矛盾しています。矛盾が解消される(=Toedlefts氏の意見の何を私が誤解しているか理解出来る)ような説明か、前二件の少なくともいづれか片方に対する反論(=私の意見が誤っている指摘)が無い限り、私はToedlefts氏の意見は矛盾している(=誤っている)と判断します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月17日 (金) 02:52 (UTC)[返信]
        • 多数決主義でないのであれば、問題が微差であろうとなかろうと、多数決で決めるべきではありません。これは微差か否かにも、そう感じている主体が誰かということにも関わりません。「議論の長期化が相互の意見が微差であることに起因しているならば」問題を塩漬けしても(というのはつまり、問題の結論を出さずに非決定的な状態に無期限に保留しておくという意味です)巨視的に見て大きな影響はない、と言っているであって、切り捨ててよい問題(多数決で決めようがどうしようがどうでも良い問題)であるなどと言っているのではありません。前後の違いを理解してください。
        • Sumaruさんの追記部分について。少数意見が多数意見を尊重をしているように見えなかった、という事柄は問題とするにたりえる事柄かもしれませんが、「ざっと眺めている範囲」というような検証で決めていいものではないでしょう。多数派と少数派が激しく議論している場合、少数派が譲歩すれば解決するのに、という感情に傾きやすい点、つまり少数派のほうが意固地になっていると見えやすいという非対称性は十分留意しなければなりません。ノート:アイスレーベンにここのリンクを貼っていなかった、程度のことに過大な意味づけをされているあたりを見ても、そうした懸念を抱きます。いずれにしても、それと多数決を最終手段として是認することに論理的な関係は認められません。議論態度を問題とするのであれば議論態度を独立して問題とすべきです。また少数意見の立場を「少数意見が納得する解決以外は一切認めない」と置き換えるのはレトリックの罠です。多数意見者だってしぶしぶであれ、喜んでであれ、怒りながらであれ、議論を降りるというのでもない限り、自分たちが納得する解決以外は誰も一切認めていません。--Toedlefts会話2015年7月17日 (金) 04:32 (UTC)[返信]
          • いやいやいや!? 「微差」とか言い出したのはToedlefts氏ですよ!? Toedlefts氏が「微差」とか言うから、「微差なら多数決の方が『不満を持つ人の数が少ない』分だけマシなんじゃね?」と言ったまでです。さらに言うなら、本件に限るならば「議論はそのまま継続してもらうとして、当面の措置を多数決で仮決定しておいて、議論が進んで合意が形成されたらその時に改めて合意された方に変更する」で問題は何処にも無いと思うのですが。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月17日 (金) 06:15 (UTC)[返信]
            • Toedlefts氏はWP:SOCK)にてブロックされました。なお本件に限るならば改名のための議論ではなくいかに自説に都合の良い論証を持ってくるかという(他の独語記事が略称か通称か、google検索数の差、近辺での日本語資料での用例、同語を含む記事を独語から翻訳し曖昧さ回避上必要と説明、独語記事の翻訳しないなら退席すべし、実質投票が始まってから投票に賛意を出す・・・)ボールを三つ放り込んだ意見のドッジボールか重箱の隅のつつきあいみたいになってるので、一度力技で叩き切って文句がある人は投票後調査を積み重ねて理路整然と再度改名提案しろ、です。--202.224.70.140 2015年7月17日 (金) 06:57 (UTC)[返信]
          • ブロックされた人の言い分に返答するのもなんですが…。「少数派の意見に問題があることをコミュニティとして認めるのであれば、その意見の前提や論理展開に無理があったり間違ったりしていることを指摘するという方法を取るべき」といいながら「議論態度を問題とするのであれば議論態度を独立して問題とすべき」だの何だのと一方に都合の良い条件を付けていけば、それは何でもいえます(そもそも手続き論は「態度」に収斂させられるものではないでしょう)。今回のように『どちらでも誤りでない事例』の場合、どちらの側も論拠自体に瑕疵はないのが普通なのですから、やった者勝ちで強引な編集をして一人でごね続けていればそれで固定できることになってしまいます。それはもはや『百科事典を発展させる』という根本を見失ったルールの悪用に道を開くものでしかないように思います。なお、「ざっと眺めて」というのはあれだけ議論が長大な分、自分の見落としのある可能性を想定した控えめな物言いに過ぎなかったので、よもや具体的な反証のない形での揚げ足取りに使われるとは思いませんでしたね(苦笑)。--Sumaru会話2015年7月17日 (金) 12:53 (UTC)[返信]
コメント 特別:投稿記録/Toedlefts を拝見しましたが、
  • アカウントを作成して10日
  • T6n8 さんの意見を事実上全面支持、かつ HTTHさんを批判
ですか。長文ご苦労様ですが、これでは説得力に乏しいです。さらにこのあたりを見比べると興味深いです。
いずれにせよ、HTTHさんへの批判ですが、T6n8 さんは「議論から雲隠れ → 反論も止んだので合意されたと相手に思わせる → ちゃぶ台返し → これで相手のやる気を打ち砕いて議論を停滞させる → 自分の思い通り」という連続技が得意な人だという事情を考える必要があります。
この議論が揉めているのは、ドイツ語版から記事を翻訳する立場の人は、日本語版Wikipediaとはいえドイツ語記事を翻訳する以上、ドイツ語の正式名称をカナ表記した『ルターシュタット・』が当然でありそもそもこれで議論になる方がおかしいという考えなのに対し、ドイツ記事を書かない人達は日本語に拘泥していてドイツ語なんか関係無いこれは日本語版Wikipediaなんだ的な発想ですね。ドイツ語が分かれば最初からする必要の無い議論までも意味があると信じ込んで主張を続け説明しても理解できないケースもあります。記事を書く立場からすれば、よほど日本で定着した名称がある場合を除き、記事名はドイツ語版の記事名をカナ表記したものにする、と一意に決まるのでないとやってられません。日本ではマイナーな地名・人名の記事ひとつひとつにまでもれなく記事名称で紛糾しドイツ語の分からない人に加え議論専門みたいな人が群がってアイスレーベン同様の膨大な議論に際限なく付き合わされ日本語表記資料調査合戦になるのでは耐え難い執筆の妨げです。--114.181.36.77 2015年7月17日 (金) 03:45 (UTC)[返信]

WP:SOCKの発言に抹消線。SOCKであっても文書の一面のみをとりあげて、趣旨をゆがめて喧伝しているのだから、もとより無意味な戯言ではあるのですが。ともかくも、こういう輩がいるせいで、ゴネ得やいつまでもなっとくしない病や議論容喙専用アカウントやら…が跋扈してまともな執筆者の妨げになるのです。--ikedat76会話2015年7月17日 (金) 12:46 (UTC)[返信]

(汲平さんの2015年7月20日 (月) 15:19 (UTC)付けの発言に続けて)議論を収束させるために投票で意思決定を行うことそれ自体はもとより一般論として問題ないことです。加えて、アイスレーベンにおける特殊論としても議論はすでに決め手を欠いて行き詰っており、投票で決定して差し支えない段階であることは、ここで発言している方々(1名除く)の合意するところでしょう。

アイスレーベンの記事名に関する議論は、投票による意思決定で問題ないとして、問題は意思決定に協力する意思を欠く利用者:T6n8のことです。問題はもはや、合意形成の問題ではないと考えます。経緯を見るに、

  • 合意なき独断での改名・移動
  • コメント依頼で指摘のある「約2週間、回答に反応せず、改名後6日後に「合意なし」「記事名の付け方に添わない」として差し戻し」
  • これ以上進展の見込めない合意形成の進め方を、ただ文書を機械的に引き合いに出しつづけるだけ

等々、何を意図しているのかという問題を棚上げにして、その行動のもたらしている結果を客観的に見るなら、既に指摘したように少数者のゴネ得、他の利用者の根負け・疲弊を狙って、単に記事を思うように左右しようとしているだけに過ぎません。かかるT6n8さんの行動は(公式化されていないとはいえ)Wikipedia:妨害的編集そのものであり、容認されるべきではありません。

このような行動をとる利用者に汲平さんのような執筆者の有限なリソースをこれ以上無為に食いつぶさせるのは、端的に誤りというものであり、投稿ブロック依頼を視野にいれた利用者に関するコメント依頼に移行するべきものと理解します。--ikedat76会話) 2015年7月21日 (火) 15:59 (UTC)下線部追記。--ikedat76会話2015年7月22日 (水) 14:33 (UTC)[返信]

  • コメント  T6n8さんの「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。アイスレーベンの場合は、どちらもどちらでも良いとは考えていない状況なのだから多数決に合意とならないのです」という考えがそもそも間違っています。「どちらでも良い」のならば、放置で良く、投票さえする必要はないでしょう。わざわざ変更したり話し合いする手間をかける必要はありませんよ、どっちでもいいのですから。投票は、「どちらもどちらでも良いとは考えていない状況」であり、議論を尽くしても合意に到らないときに、Wikipedia:論争の解決の「ステップ4: 投票」として推奨されています。T6n8さんは、完全に勘違いされていますから、落ち着いて良く考えてください。自説を通したいからといって、方針やガイドラインに反するような「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合」だなどと、無茶な主張はいけませんよ。内容に関する議論を棚に上げ、方針やガイドラインに反するような愚かな自説を主張して、ゴリ押しばかりされると、普通は議論がむなしくなりやる気がなくなるものです。戦略的に、相手のやる気をなくさせるために、こんな愚かな自説を主張してるのなら一刻も早く停止していただきたいですし、頭に血が上って口走ってしまったということなら、ひとまず、落ち着いてください。T6n8さんにおかれましては、この種の堂々巡りの継続が顕著であると思われますので、ikedat76さんのご提案はもっともでしょう。--ぽてから会話2015年7月22日 (水) 05:06 (UTC)[返信]
    • (T6n8さんの議論を受けて追記)T6n8さんは冒頭で「「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」とあるのにもかかわらず、それに真っ向から反する、「票数の多い方を項目名として採用します。」という投票がノート:アイスレーベンで行われようとしています。」と断言されていますが、ノート:アイスレーベンの投票は「「解決が困難な場合には、調査投票が合意形成の補助として行われるかもしれません。しかし、その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」に反するとは思えません。T6n8さんの解釈が歪んでいませんかね? Wikipedia:調査投票の方法にある「多数派が一つの方向で一致したとしても、かなりの少数派がそれに反対しているならば、できるだけ多くの人が受け入れるような解決策を求めるよう努力」を否定している人はいませんよね。だから、長いことかけて議論を続けてきたわけですし。「自分はAが良いと考えている」からといって、「Bが良いと考えている」人全員が疲弊し尽くすまで、差し戻したり、いつまでも納得しないで自説を主張し続ける態度は、間違いであったと認めるべきでしょう。「Bが良いと考えている人全員」が間違っていて、「Aが良いと考えている自分」だけが正しいのだ!ということでしょうか?--ぽてから会話2015年7月22日 (水) 17:31 (UTC)[返信]

文意確認

上にあった対話による挿入により流れの分断が大きく見にくくなってきましたので、文意確認の対話は節を分けてこちらに移動しました。この対話はまだ継続するものというつもりです。--T6n8会話2015年7月24日 (金) 13:59 (UTC)[返信]

多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です
多数決でいいというのは誰がどちらでも良いと考える場合だ、とT6n8氏はお考えなのでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月22日 (水) 10:37 (UTC)[返信]
時系列がずれてすみませんが、先ほど下で書いたので不十分なら、「私が多数決でいいというのは私がどちらでも良いと考える場合です。」と補ってください。--T6n8会話2015年7月22日 (水) 11:01 (UTC)[返信]
申し訳ありません、私が上手く理解が出来ていないようなので変な書き方になるかも知れませんが、ご気分を害されないようにお願い申し上げます。
私(ことCray-G)には、T6n8氏は「私(ことT6n8氏)が『多数決で良い』と表明するのは、私(ことT6n8氏)が『どちらでも良い』と考えた場合に限る」と主張しているように見受けられます。ではT6n8氏は、「他の議論参加者(=多数決賛成者)が『多数決で良い』と表明する」のはどのような場合だとお考えなのでしょうか。
私の認識では、「『どちらでも良い』と考えた」ならば普通は(茶々入れとか仲裁とか以外は)議論に参加しないのではないか、と考えます。なのでT6n8氏が「私(ことT6n8氏)が『多数決で良い』と表明するのは、私(ことT6n8氏)が議論に参加していない場合に限る」と主張しているように感じられます。だとすると、私の認識では「議論参加者は決して『多数決で良い』と表明しない」ことになるので、つまり論争が起きている場合は決して多数決は行なわれない=Wikipedia:論争の解決のステップ4を全否定しているとしか思えないのです。
流石に公式なガイドラインを全否定しているはずがありませんので、私は何か誤解しているのだと思います。私が何をどのように誤解して居るのかを指摘し、私がT6n8氏の主張を正しく理解出来るように協力して戴ければ幸いです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月22日 (水) 11:44 (UTC)[返信]
「論争が起きている場合は決して多数決は行なわれない=Wikipedia:論争の解決のステップ4を全否定しているとしか思えないのです。」というけれども、これは、Wikipedia:論争の解決のステップ4には多数決による決定をせよとは書いてないのに、Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると考えるのが誤りで、そこに書いてある通り調査投票の方法に従った投票をせよと解釈するべきなのです。また、ステップ4が多数決による決定を意味するなら、それが決裂ということを想定する理由がないのにステップ5が実質ないけど文書上存在するということも、ステップ4は調査投票という構造化された議論であって、多数決による決定ではないことの証左であると考えます。Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると解釈すると、Wikipedia:調査投票の方法にも明文で「その場合も投票結果が決定と見なされないように、注意して使う必要があります。」と書いてあることその他多数の方針文書に矛盾をきたします。
多数決による決定をという合意はAでもBでも良いがAの方がより良いと考える人と、AでもBでも良いがBの方がより良いと考える人がいる場合にはありうることであろうと思います。--T6n8会話2015年7月22日 (水) 13:38 (UTC)[返信]
とりあえず「どちらでもよい」に関しては理解しましたが、何か他に、より根源的な見解の相違があるように思えます。これまでの対話から得られた情報を元に、私の立脚する観点から「そうであるとしか思えない」T6n8氏について書きます。私がT6n8氏の立脚する観点を正しく理解出来るように相違点を指摘し、誤解を糺すことに御協力を戴きたいと思います。
Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると解釈すると
何故に「多数決による決定」を意味すると解釈するのでしょうか。いや「多数決」がそもそも「決定」を含んでいるので頭痛が痛いとかそういう話では無く。
もしもステップ4が「多数決による決定」を意味する(=多数決主義である)のであれば、その後のステップ5以降は一言たりとも存在し得ないはずです。jawpには「論争を調停・仲裁する専門組織」が無いにも関わらずステップ5があるのは、即ち「多数決による決定」ではなく「多数決による暫定措置」であるからだと解釈出来ます。「暫定措置」であるからページを保護(「少数派をブロック」ではなく)した上で「解決するまで」合意形成の努力を続けてもらうわけです。場合によっては少数派のブロックという形で解決ということになるかも知れませんが、それが求められているわけではありません。
多数決主義とは、議論の代替として多数決を用いることです。言い換えると多数決主義では、多数決は議論の最終局面であり決定的な解決法であり、それ以降のステップは存在しないのです。つまりステップ4=解決であり、それでもまだ何か言うならばそれは即ち荒らしなのでブロックすべき、となるのです。しかしT6n8氏の言う通りステップ4はそうではありません。ステップ4で解決することは保証されていないのです。
これはWikipedia:論争の解決のステップ4に於ける投票に基づく多数決が「多数決主義に於ける多数決」と決定的に異なるところです。
なのにT6n8氏はWikipedia:論争の解決のステップ4に於ける多数決を「多数決主義に於ける多数決」であると主張しています。
私から見るとこれは、T6n8氏はステップ4に於ける多数決で結果が出たらそれを根拠に「それ以上議論を継続することを拒絶する」つもりである(=「多数決主義者である」)からだとしか考えられないのです。これは特に「多数決の結果として『アイスレーベン』となった場合」に顕著となることでしょう。そしてそうであれば逆に相手だって同様に「多数決の結果として『ルターシュタット・アイスレーベン』となった場合」にはT6n8氏がそうするように議論継続を拒否するとしか考えられないでしょう。だとすれば「本件投票は多数決主義」であるとか「多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合」であるとか「ステップ4の投票が多数決による決定を意味すると考えるのが誤り」であるとかの主張も理解が出来ます。
さて、此処までが当方により「見えているもの」です。こうなった理由には二つ考えられます。一つには「T6n8氏が多数決主義者であるが故に当然に相手も多数決主義者であると想定している」場合と、「T6n8氏が多数決主義者であるか否かには関わらず相手方が多数決主義者であると推定するに充分な根拠がある」場合とです。前者であればそれは思い込みであり、鏡を相手に戦っている状態です。後者であればその根拠(となる発言)が我々第三者も見ることが出来評価出来るはずです、議論が分断され隠蔽されているので無い限り。後者であれば我々第三者に「その根拠(となる発言)」を示せば本件改名提案が多数決主義であることに同意する者もあらわれることでしょう。前者であれば我々第三者に訴え出る前にT6n8氏は相手方に対して確認を行ない、後者に於ける根拠を確保しておくべきだったと考えます。確認は簡単で「お前らその投票で『ルターシュタット・アイスレーベン』となったらそれを根拠に議論をやめて対話拒否するつもりだろう」とでも言えば良く、それに対して「そんなつもりは無い」と返答が得られれば即ち本件投票が多数決主義に基づくものではなくその後も議論が継続する「言質」を得られたことになります。その後に実際に対話拒否されたならばそれは「騙まし討ち」であり、誠意の無い議論態度であり合意は不成立であったと訴え出る正当性があるはずです。
で、今のところT6n8氏は「その根拠(となる発言)」を全く示して居ません。となりますと私に見るところでは「T6n8氏が多数決主義者であるが故に当然に相手も多数決主義者であると想定している」としか解釈出来ない状態なのです。無論T6n8氏が多数決主義者だと思っているわけではありません。この誤解を解きたいと考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月23日 (木) 01:52 (UTC)[返信]
どうも大変誤解を招いているようです。
>T6n8氏はWikipedia:論争の解決のステップ4に於ける多数決を「多数決主義に於ける多数決」であると主張しています。
というようなことは主張しておりません。
「論争が起きている場合は決して多数決は行なわれない」とすると「Wikipedia:論争の解決のステップ4を全否定している」ことになるとCray-Gさんがお考えであるらしく、それは、Wikipedia:論争の解決のステップ4の投票が多数決による決定を意味すると解釈しているのかと思われる。だがそのような仮定をおくと矛盾が生じるのでWikipedia:論争の解決のステップ4の投票は多数決による決定を意味しないというのが趣旨です。
「ステップ4に於ける多数決」などというものは、T6n8の認識ではステップ4には多数決は定められていないものですから、「ステップ4に於ける多数決」という言葉を使うならあらかじめ定義していただきたいところですが、後からでもいいのでどういうつもりであるか説明願います。(特にT6n8の主張の要約のつもりの文の中に使われるのは困惑するばかりです)。
> 確認は簡単で「お前らその投票で『ルターシュタット・アイスレーベン』となったらそれを根拠に議論をやめて対話拒否するつもりだろう」とでも言えば良く
と言いますが、上記かっこ内の文言は無礼に過ぎて、論争状態の中で発するのは不適切であると思います。
> 今のところT6n8氏は「その根拠(となる発言)」を全く示して居ません。
というのは、理解しがたい見解ですが、「票数の多い方を項目名として採用します。」という文を文字通り捉えると、多数決による決定という意味にしかならないと思いますが他にいかような解釈があるのでしょうか?
また、本投票は、番号署名のみで意見なしのものとなっているのも、Wikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんの「ウィキペディアはその決定を参加し投票する人の数に基づかせることはありません。」に反し多数決主義というべき特徴です。その点もノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案で明示的に反対しているのに、無視して実行されているわけです。ノート:アイスレーベン/改名議論を全てみるのはまあ辛いとしても、ノート:アイスレーベン/改名議論#投票開始の提案だけならそれほど長くないものと思います。
これはステップ4で定められているものとは全く合わないもので、本当に有害なものだと思います。今だと、アイスレーベンに一票だけ入っていますが、そういう票が一票多いからという理由でアイスレーベンになったら困るでしょう。仮に、結論は一致しても、そういうのは正常な運営ではなく、御免被りたいです。--T6n8会話2015年7月24日 (金) 14:41 (UTC)[返信]
無礼に過ぎて
そりゃそのまま言っちゃ駄目ですよ。言い換えることが出来ないならば、そう言って戴ければ「そのまま使える言い廻し」に替えて差し上げます。そうでないならば、発言は自己責任なんですから自分でWikipedia:説明責任を果たせるような言い廻しにしなければ、困るのはT6n8氏です。
そういう票が一票多いからという理由で~~
全然困りませんよ。wikipediaで何かがあったことで困る人達というのは、著作権違反や名誉棄損などの法的被害者を除けば「ピーッ」に囚われた人達かピーッピーッだけだと考えます。
何でそんなことでウィキペディアンが只の一人でも困ると考えているのでしょうか。ウィキペディアンが困ることは唯一つ、「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことが阻害されることのみのはずです。
「誰」が「どんな理由」で、困ることになるとお考えなのかお伺いしたく思います。ただ、もしもそれが「多数決に賛成=自分は多数派だと思い込んでいる正式名称派=正式名称でないと困る人達」と思い込んでいたが故に「自分は多数派だと思い込んでいるから多数決に賛成してるだけなんだろ? 万一多数決により正式名称でなくなったら困るだろ? 多数決を認めるってことはそういうことなんだぞ?」と発言しただけなのであれば不要です。
~~というのが趣旨です
と致しますと、T6n8氏は「本件投票はステップ4に於ける投票である」と認識するものと考えます。それと矛盾する(=本件投票はステップ4に於ける投票ではない=本件投票は多数決主義に基づく多数決である)と思わせるような発言が該議論の中に見当たりません。なので、「票数の多い方を項目名として採用します」が「票数の多い方を項目名本件改名提案の結論として採用し、以後議論は終結したものとして他方への改名提案は今後一切棄却されるものとします」を意味していると判断した理由をお伺いしたいと思います。此処が想像もつかないのです。
他にいかような解釈があるのでしょうか?
ステップ4で多数決ではないとなっているわけですから、私の認識ですと「票数の多い方を項目名として採用します」は「票数の多い方を暫定的に項目名として採用し、それでも納得しない利用者が居るならば議論を継続するなり改めて改名提案してもらうなりすることとします」と解釈します。これは議論が尽きた状況下であるにも関わらず現状が「合意無しに改名した人が妥協を拒絶し復名することを拒否している所為で合意が形成される見込みが無い」状態となってしまっていますので、つまり「ゴネ得」や「やったもん勝ち」と同じ状態となっていますので、合意が形成される見込みが無いまま単純に議論を継続することは「ゴネ得/やったもん勝ち」を認めることになります。多数決主義も良くないですが「ゴネ得/やったもん勝ち」はもっと良くありません。議論の進行状況と考え合わせれば、妥当な処置だと考えます。
発言は文脈を加味して(=行間を)読まなければならないのであって、文脈を無視して字義通りに受け取った上で論難する(=挙げ足取りをする)理由がわかりません。T6n8氏が「此処は文脈を無視するべきである」と判断した理由をお伺いしたいところです。ですが、前述の「~~今後一切棄却される~~」と判断した理由により「結果として」文脈を無視して字義通りに解釈することになっただけなのであれば不要です。
後からでもいいので
基本当方の見解を言葉を変えて再録しました。長い割に不要な人には不要なので折り畳んでおきます。
既に述べた通り、多数決は多数意見を採択する「決定手段」です。この「決定手段」に於いて「決定」されるものの違いです。
ステップ4に於ける投票は「より妥当性の高い方」を決定するものです。本件では通称と正式名称とのいづれが「より妥当性の高い方」かを決定するものです。それは本件改名提案の「『結論』を出す為の議論」の一部(ステップ4)として、また「ゴネ得」を防ぐ暫定措置として用いられます。なので「結論」が決定するわけではありません。多数決主義における投票は、この「『結論』を出す為の議論」に代替して「結論」を決定します。本件投票は私の認識では、「より妥当性の高い方」を「暫定措置として」採用する為に行なわれるものであり、本件改名提案の「結論」が決定するわけではありません。なので本件投票は「多数決ではない」と私は考えています。
ですが投票に基づいて「何か」を決定することはwikipedia以外では一般に「多数決」と呼びますから、十把一絡げにこれを「多数決」と呼ぶことにも正当性はあります。なのでこれを以降《全称多数決》と呼ぶことにします。その真部分集合であり、議論を終結させその結果を結論とする=議論を代替する=多数決主義に基づいた多数決を《代替多数決》と呼びます。またステップ4に於ける投票を《投票》とし、議論の一部を構成する《投票》に基づいた多数決を《投票多数決》と呼びます。
《全称多数決》は何かを決定します。対する《投票》は単なる確認手段であり特に何かを決定するわけではありません。ですが「一切何も決定してはならない」わけではありません。《投票》により何かを決定する場合、その《投票》は《全称多数決》となります。それ自体は禁止されていません。禁止されているのは《代替多数決》です。
「投票」は確認手段なので何かが確認されます。本件投票では通称と正式名称とのそれぞれの「妥当と考える者の多寡」が確認されます。「妥当と考える者の多い方が妥当性が高い」という判断は一般に妥当です。妥当なだけで「絶対でも確実でもない」のですが、それは妥当であることを否定しません。妥当の「妥」は妥協の「妥」です。
極端なことを言えば、議論発生の最初のステップとして「いづれを採択するか先ず《投票多数決》を行ない、暫定的にそちらを採択してから保護して議論を開始し、議論により合意が形成されたら改めてそれにする」でも本来ならば全く問題はありません。
ですが残念ながら、《全称多数決》は一般に《代替多数決》を象徴しています。それは多数決が《代替多数決》として、即ち論客の一方の派閥をまとめて「黙らせる」為に用いられる場合が多いからです。同じことをする他の手段として「権力」や「武力」が用いられてきた歴史があります。即ち《代替多数決》は「権力」や「武力」と同じ種類のものなのです。
この考え方に慣れた人達(=「権力」や「武力」の代用である《代替多数決》を用いる人達=多数決主義者)は、議論の中で《投票多数決》の結果を根拠として用います。そしてその根拠の妥当性が高いという判断は(既に述べた通り)妥当なので、そうなった場合にはそれが「絶対でも確実でもない」ことが「誰の目にも明らか」である場合以外は妥当性の高い方に流れることになります。つまり議論が《投票多数決》の結果の影響を受けてしまい、しかもその影響は循環論証であるので論理学の専門家以外にも理解出来るような抗弁が難しいので取り除くことが出来ません。だからこそ「m:投票は邪悪なもの」と言われるのであり「Wikipedia:投票は議論の代用とはならない」という注意喚起があるのです。そしてそこまで深刻な場合でさえ「《投票多数決》の結果」は「論拠」として用いられるに過ぎず、「《投票多数決》の結果」は「議論の結果」ではありません。即ち《代替多数決》ではないのです。だからステップ4でも解決が保証されていないのです。
現実としては、「《投票多数決》の結果」以上に高い妥当性を持つ論拠があることは常識的に言って有り得ません。何故ならば、そもそもそんなものが本当にあるならばステップ4まで来ないわけですし、よしんばステップ4まで来たとしても間違い無く《投票多数決》で圧倒的多数からの得票が見込めるからです。なにしろ「合意を形成する」ことは即ち全会一致であり、結局のところ「100%得票の多数決」なのですから。ステップ4まで来ている段階で既に「《投票多数決》の結果」以上に高い妥当性を持つ論拠が存在していないことは明白なのです、それまでのステップを飛ばした「時期尚早」な《投票多数決》を除けば。そして本件投票では、以前に述べた通り議論は尽きていますので、「時期尚早」ではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月25日 (土) 05:43 (UTC)[返信]
>何でそんなことでウィキペディアンが只の一人でも困ると考えているのでしょうか。ウィキペディアンが困ることは唯一つ、「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことが阻害されることのみのはずです。
「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ためには、公表された方法に従って適切に編集決定がされる必要があります。そこの信頼が損なわれると、質量とも最大の達成の障害となります。意見の根拠の伴わないただの一票差でそういうことになるとまずいわけですが、結論をサポートする側としてはだからダメとは言えません。現状の趨勢なら、そういうことにはならず、投票結果を参考に決めるとして、改名するということになるでしょうから、結果として大きな問題はないでしょう。
> 発言は文脈を加味して(=行間を)読まなければならないのであって、文脈を無視して字義通りに受け取った上で論難する(=挙げ足取りをする)理由がわかりません。
事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して指摘があるのを、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能ですから、字義通りに受け取って批判することを論難というのはそれこそ論難というものです。--T6n8会話2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)[返信]
公表された方法に従って適切に編集決定がされる必要があります。
必ずしもそうとは思いませんが、とりあえず本件投票に関しては「公表された方法に従って適切に編集決定」が「為されている」ものと考えています。T6n8氏が「為されていない」と主張していることは理解しています。その主張の相違の根拠を相互理解する為の議論ですので、巻き戻さないで下さい。
意見の根拠の伴わないただの一票差でそういうことになるとまずいわけですが、
議論が尽きていない状態(=意見の根拠の伴わない)での多数決に限ってはT6n8氏の主張の通りであると認めます。ですが本件投票に関しては既に議論が尽きています。それ故にT6n8氏の主張は不適切であると主張しています。趨勢の問題ではありません。
繰り返します。本件投票に関しては既に議論が尽きていますので、例え一票差であっても「wikipediaが質量ともに史上最大の信頼されるフリーな百科事典になる」ことを阻害しません。これへの有意な反論は前半の否定(=議論が尽きていない根拠)か、前半が満たされて居ても後半が成り立たない(=議論が尽きて居ても一票差であれば阻害する根拠)かのいづれかです。
事前に「多数を持って項目名とする」が不適切だから反対と特定して
何度も言いますが、文脈を把握して戴きたいです。
  1. T6n8氏「多数決反対」
  2. G「議論が尽きているので多数決ではなくステップ4だと思う」
  3. T6n8氏「多数決は『どちらでも良い』と考えている場合に限る」
  4. G「『どちらでも良い』なら議論に参加しないだろうから、ステップ4の全否定になるのでは?」
  5. T6n8氏「ステップ4には多数決による決定をせよとは書いてない」
  6. G「ステップ4=多数決ならステップ5以降は存在しないでしょう。何でステップ4ではなく多数決だと思うのですか?」
  7. T6n8氏「『票数の多い方を項目名として採用します。』という文を文字通り捉えると、多数決による決定という意味にしかならないと思いますが」
  8. G「いや文脈を無視して字義通りに受け取って論難するのは挙げ足取りでしょう」
  9. T6n8氏「挙げ足取りではない、誤解を招かない文に訂正するなり削除するなりすることは可能だったはずだ」
となっています。私は「それで『誤解』する人は普通は居らんでしょう」と主張して居て、T6n8氏が何故に「誤解」したのかを把握する為にこの議論を行なっています。
此処までの議論を見る限り、T6n8氏は未だに「誤解」をしたままであるように思えます。そしてその「誤解」をしている理由として主張されているのは未だに「状況を無視して字義通りに受け取ったらそう解釈出来る」以外にありません。
つまり「本件投票では状況を無視して字義通りに受け取るべきである」という主張が無いのです。「本井戸端話題に参加している私を含めた多くの非議論参加者にさえ把握出来ている状況」を「T6n8氏が無視し続けている」理由がわからないのです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年7月27日 (月) 02:08 (UTC)[返信]
  • ノート:アイスレーベン/改名議論で私は「(投票の)結果に一旦従ってこの議論を締め、その上で納得がいかなければ改めて新たな議論を適切な場所で行うべきであると考え投票の提案をさせて戴きました。」と発言しています。固定して保護するわけではありません。にもかかわらず、T6n8さんは、あくまでも投票・多数決は反対だとおっしゃる。一方、T6n8さんは「一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。」ともおっしゃる。つまり、結果がどうであれ、多数決での移動には反対するが、自分 (T6n8さん) の判断であれば移動させて良いと仰っていることになります。発端となった最初の移動も同類です。
  • 私の「この件は大多数のユーザーにとっては「どちらでも良いこと」だと思いますよ。」という発言に対して、T6n8さんは「主語は「私」です」と発言なさっておいでです。ユーザーの大部分にとってどちらでも良いことでも、自分 (T6n8さん) がそうは思わないから同意できない。
  • 「今だと、アイスレーベンに一票だけ入っていますが、そういう票が一票多いからという理由でアイスレーベンになったら困るでしょう。」という発言の真意は量りかねるのですが、仰っているのは、とにかく結果が自分の推す結果であったとしても自分 (T6n8さん)が認めていない投票・多数決の結果など意味がない。

厳しい言い方になって、失礼は承知の上で申し上げますが、どの発言も自己中心的な、ウィキペディアとしての価値よりも自分の価値観に重きを置く、いわゆる「俺様状態」と解釈されます。このページで「ゴネ得」と皆さんが仰っているのは、ご自身の価値観を絶対視するこうした姿勢を批判しているのだと思います。--汲平会話2015年7月24日 (金) 15:54 (UTC)[返信]

  • 私の「この件は大多数のユーザーにとっては「どちらでも良いこと」だと思いますよ。」という発言に対して、T6n8さんは「主語は「私」です」と発言なさっておいでです。
これは、歪めて伝えています。「この件は大多数のユーザーにとっては『どちらでも良いこと』だと思いますよ。」に対するものではなく、「『多数決でいいというのはどちらでも良いと考える場合です。』というのはどこかで定義されていますか?」に対するものであるのは明らかです。ユーザーの大部分にとってどちらでも良いことであるという見解はそのように考える理由も不明ですし、それを前提にした議論をすることは不適当であると考えます。
「投票・多数決は認めない」は事実に反します。投票は認めるが、人の数だけを数えるような多数決は認めないと主張していたはずです。
「ウィキペディアとしての価値よりも自分の価値観に重きを置く」というのも、根拠のない解釈です。公表されたウィキペディアとしての価値にもとづく議論です。--T6n8会話2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)[返信]
私に誤解があったことは謝罪いたします。申し訳ありません。でも、『どちらでも良いこと』でないと判断しているのは結局T6n8さんなのですから同じ事です。さらにいえば、結局はそれが「自分ルール」だと言っておられるわけですから、何をか況んやです。私が「大多数のユーザーにとっては『どちらでも良いこと』」だと思っているのは、それがどちらでも間違いではなく、パイプやリダイレクトで転送されるからです。あと、「投票・多数決は認めない」については、今度はT6n8さんの勘違いです。「投票結果に基づく多数決は認めない」という意味で使っています。両者は並列ではありません。これも書き方が悪かったですね、申し訳ありません。あとは、Wikipedia:コメント依頼/T6n8 20150726で主張なさって下さい --汲平会話2015年7月26日 (日) 15:14 (UTC)[返信]
  • (T6n8さんへ)横槍になるかもしれませんが『文意確認』という節なので、「一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません」について確認させて頂けますか。決着手段であろうがなかろうが投票によって「ルターシュタット・アイスレーベン」が多数意見であることが確認されれば、「アイスレーベン」で合意される見通しはまずなくなったといってよいと思います(多数決を否定なさっており、なおかつ最初の移動差し戻しに不適切な点があったと認めておられるのですから、『アイスレーベンに反対』が一人でもいる限り、T6n8さんはアイスレーベンで決着させる手段はないはずです。まして反対が一人どころでないとなれば、言わずもがなでしょう)。そのように少なくとも現時点においてはアイスレーベンへの再改名の合意に至る目処がまったく立たないのが明らかな状況下でルターシュタット・アイスレーベンに戻した状態で仕切り直され、それでもなお議論を続けることにどのような意味があるのか、一体全体どのような合意形成への目処をお持ちなのかが、私には全く見えません。仮に議論を続けたとしても、とりあえずは誰かが(特に一人でなく複数が)定期的にアイスレーベンに反対の意志を示せば、絶対合意形成には達しませんから、結局議論する意味がないのではないでしょうか。--Sumaru会話2015年7月24日 (金) 17:02 (UTC)[返信]
改名後に、まず、なすべきことは
  • 「アイスレーベン」を調べようと思った人が、これが正しく目的の項目であると容易に認識できるように冒頭を調整すること。(改名される方が相応の注意を払ってくださるから議論にはならないかもしれません)
  • 今般の議論の中立的なまとめの作成。
記事の成長を勘案しながら
  • Momonga365さんが提案して114.181.36.77さんが退けた分割の可能性の検討
さらに、中期的に
  • 新しい文献の日本語表記がどのようになされているかの確認
と考えます。
多数決を否定する理由はWikipediaのルールに合わないということですから、そこが読み誤りであるということであるなら、逆向きも投票によることは可能でしょう。投票に付き合う方の負担が大きくなりすぎるのはいけないので、1年以内とかは考えていません。--T6n8会話2015年7月26日 (日) 03:36 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。もともとのご発言では
>何が妥当かについては依然合意に至っていないし多数決によって決定するべきでないと考えます。しかるに、2014-10-18の差し戻しについては、(中略)一旦、「「ルターシュタット・アイスレーベン」に戻して議論を続ける」としていただいてもかまいません。
となっていました。ですが、ルターシュタット・Eに再移動してから「まず、なすべきこと」が「今般の議論の中立的なまとめの作成」というのは訳が分かりません(議論を打ち切ってまとめに入るということ自体は結構なことと思いますが、過去の発言と整合していないように思います。「合意に至っていない」から「議論を続ける」はずなのに、いきなりその件の「まとめ」がなぜ可能になるのかが分からないということです。そのあとの予定をみても、これはそのまま連続的な議論を続けるための小括というレベルのものではないはずですよね)。このあたりは(「そこが読み誤りであるということであるなら、逆向きも投票によることは可能」云々からしても)、下のKs aka 98さんのご意見などを踏まえて考えが変わられたということかもしれませんが、それならそれで、そのあたりのご意見の変更点を明示すべきではないでしょうか。
というわけで確認ですが、ルターシュタット・Eに再移動した後、「議論を続ける」というのは撤回し、当面は年単位をおいた再議論のための準備が行われるにとどまる、という理解でよろしいのでしょうか。--Sumaru会話) 2015年7月26日 (日) 07:12 (UTC) 表現の修正。--Sumaru会話2015年7月26日 (日) 08:32 (UTC)[返信]

コメントそもそもなんですが、もともとコンセンサスと言うのは、全員一致(unanimity)ということではないですよね。コトバンク「コンセンサス方式」や、英語版冒頭でも書かれてる"Consensus on Wikipedia does not mean unanimity (which, although an ideal result, is not always achievable); nor is it the result of a vote."。いちいち投票して見える化はしない。数票差で決定にするようなこともしない。一方、全会一致まで議論することもない。議論の過程で、ある意見が多数であればそれで合意とする、です。日本語版でもWikipedia:合意形成#コミュニティの議論には、「賛成しない人たち」も出てきます(「合意を決定するには、最終的な立場の変化、賛成しない人たちの反論、および利用できるならプロジェクトの名前空間内の既存文書を含めて論点の重要性と品質を考慮してください」)。

これを踏まえて「Wikipedia:合意形成」や「Wikipedia:論争の解決」を読み返すなら、議論の過程では、十分な情報収集や対話、双方の意見を汲み取るための意見調整が必要で、そうした過程を経ずに「投票」で決めるようなことは避ける(Wikipedia:投票は議論の代用とはならない)。少数派の意見に耳を傾けることは大事ですが、今回のような記事名の議論は排他的に一意に決めなければならないものなので、折衷的な解決は困難となります。議論が十分尽くされ、それぞれの意見は間違いとして選択肢に含むのが適切ではないというような形で否定されていない時に、やむを得ない措置として調査投票が導入される。そこで、全員一致ではなくとも「多数」であることが可視化されたなら、それはコンセンサスと言えるでしょう(それ以前にノート:アイスレーベン/改名議論の段階でコンセンサスがあり投票の必要性はない、と考えるのが、表決/投票を拒むという考え方からは真っ当と思います)。多数とは言えない程度の票差なら、さらなる議論や調査が必要になるかもしれないですが。

事実関係とか正誤に関わることについては別ですが、自分が主張したい案について十分に意見を述べた後に、反対意見をとる人たち説得することができず、相手の意見を否定することもできないまま、自分がいいと思う案が多数とも拮抗するところまでの支持を得られなかったということで、多数派の意見を受け入れる、というのが大事なのかなと思います。--Ks aka 98会話2015年7月25日 (土) 06:55 (UTC)[返信]

多数決主義ではないですが、しかしやった者勝ち、いつまでも納得しない者勝ちでもありません。アイスレーベンにかぎらず過去の九州征伐の改名論議などもそうですが、いつまでも納得しない人がいるものです。しかしいつまでも納得しない者勝ちになるのは多数決で多い者勝ちにするより悪影響が強いでしょう。--ぱたごん会話2015年7月26日 (日) 10:29 (UTC)[返信]

コメント依頼提出の報告

報告遅くなりましたがWikipedia:コメント依頼/T6n8 20150726を提出いたしました。井戸端は基本的に一般論を問うべき場のはずですが、もはや個別記事に関する議論拡散の場としかなっておらず、継続するべき理由は失われているものと思われます。各位の意見も見てみましたが、前回コメントで申し上げたとおり、利用者に対するコメント依頼(それも投稿ブロック依頼提出を念頭に置いたコメント依頼)において継続し、このトピックはクローズするべきものと考えます。--ikedat76会話2015年7月26日 (日) 06:26 (UTC)[返信]

現時点でのコメント依頼の提出自体はありうる選択肢だと思います。WP:NOTには『ウィキペディアは多数決主義ではありません』とありますが、そのすぐ下の節には『ウィキペディアは規則主義ではありません』とあり、「規則はコミュニティの目的ではありません」と明記されています。もちろんこの条項は濫用されてはいけないものでしょうが、(百歩譲ってT6n8さんのルール理解が文書の解釈として全面的に正しかったとしても)T6n8さんの解釈がノート:アイスレーベンで支持されなかっただけでなく、拡散させたこの場でも(不正アカウント以外からは)支持されていないという事実からすれば濫用には当たらないでしょう。それを踏まえたうえでT6n8さんの(少なくとも現時点で明記されている)スタンスが百科事典を成長させるという根本目的に適うものなのかどうか、疑問に思っているのも事実です。
他方、いくつかの点でT6n8さんの主張にハッキリしない点があるのも事実ですので、とりあえずそれが確認できるまではクローズに反対です(ikedat76さんのクローズ提案理由の筋は通っていると思いますが、いまさら他の場所で意図の確認を続けるのも議論の分断になって流れを追いづらくなりますから)。--Sumaru会話2015年7月26日 (日) 08:32 (UTC)[返信]
いささか説明しにくいのですが、SumaruさんがT6n8さんの意図の確認をするのを妨げる意図はまったくありません(ただ、もはや井戸端ですることではなくなっているとは考えますし、だからこそクローズ提案をしています)し、賛同のない限り無理にクローズさせる(どうやって?)こともするつもりはありません。
しかしながら、T6n8さんの今までの行動を見る限り、単に自己の意のままに記事を左右する意欲以外に合理的な説明はもはや見つけられず、そのことが明言されない限り「ハッキリしない点」がハッキリすることはないのではないかと考えます。
また、提出したコメント依頼は「T6n8さんの意図」を問題にするものではありません。私の理解する限り、(1)ウィキペディアでの意思決定における合意形成と多数決の関係(2)アイスレーベン固有の問題として「T6n8さん(他の議論参加者ではない)がどうしたいのか」、という2つの筋がこの井戸端のトピックにはあります。前者については、Sumaruさんもおそらくご認識の通り、本質的に結論が出ているはずです。コメント依頼でも述べたとおり、T6n8さんのドイツ地理記事への容喙(アイスレーベンに限らず)やドイツ地理記事以外の場面も含めた行動は、合意形成を悪用し、執筆者が無用な疲弊や負担を強いられることなく執筆に従事できる環境に脅威をおよぼすものであるという意味で、プロジェクト(PJ:ドイツだけでなくウィキペディア日本語版)における合意形成の健全性をそこねる行為であり、これは意図はどうあれ容認するべきではないからです。--ikedat76会話2015年7月26日 (日) 09:04 (UTC)[返信]