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2016年6月7日 (火) 23:32時点における版
うぶかた あきら 生方 明 | |
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本名 | 同じ |
生年月日 | 1917年2月12日 |
没年月日 | 不詳年 |
出生地 | 日本 東京市神田(現在の東京都千代田区) |
職業 | 俳優、元子役 |
ジャンル | 新劇、劇映画(現代劇・時代劇、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1931年 - 1949年 |
著名な家族 | 生方賢一郎(父親) |
主な作品 | |
『雪崩』 『はたらく一家』 |
生方 明(うぶかた あきら、1917年2月12日 - 没年不明)は、日本の俳優、元子役[1]。東京市神田(現在の東京都千代田区)出身。本名同じ。父親は俳優の生方賢一郎。
来歴・人物
1923年12月、渋谷幡代尋常小学校(現在の渋谷区立幡代小学校)1年生の時、築地小劇場の小山内薫演出の『そら豆が煮えるまで』で初舞台。1934年、青山学院中等部を卒業するまでに父・生方賢一郎の関係する新劇協会や築地座の公演に子役として出演する。
映画では中学校1年から教育映画や鈴木傳明出演の映画『熊の出る開墾地』などに出演していたが、父のいるP.C.L.映画製作所(東宝の前身)製作の1934年の映画『只野凡児 人生勉強』に出演したのがきっかけで中学卒業直後の同年4月、P.C.L.に入社。1937年には成瀬巳喜男監督の『雪崩』で初主演を果たした。
しかし1939年、戦局悪化により応召され盛岡陸軍士官学校に学び、1942年除隊。東宝に復帰し1944年の映画『怒りの海』や『加藤隼戦闘隊』に出演するも同年、再び応召。1947年に陸軍大尉で復員する。1948年に新東宝に入社し、再び復帰したが僅か1年で退社し、退社後は呉服店を営んでいた。しかし、その後の消息は不明である。
出演作品
- 二郎と其の母(1931年、キヨノ教育映画)
- 熊の出る開墾地(1932年、不二映画)
- 昼寝も出来ない(1932年、映音商店) - その子
- 只野凡児 人生勉強(1934年、P.C.L.)
- 雪崩(1937年、P.C.L.) - 弟・圭介
- 禍福(1937年、P.C.L.) - 次男・昌二
- 阿部一族(1938年、東宝映画東京) - 光尚
- 藤十郎の恋(1938年、東宝映画東京) - 沢村長十郎
- 太陽の子(1938年、東京発声) - 三村
- 幼い英雄たち(1938年、東宝映画京都)
- はたらく一家(1939年、東宝映画東京) - 長男・希一
- 忠臣蔵(1939年、東宝映画東京) - 大石主税
- 誓ひの合唱(1943年、東宝映画)
- 愉しき哉人生(1944年、東宝) - 本屋・修一郎
- 加藤隼戦闘隊(1944年、東宝)
- 怒りの海(1944年、東宝)
- 鍋島怪猫伝(1949年、新東宝) - 高丸
- あきれた娘たち(1949年、新東宝) - 三男・三郎
- 野良犬(1949年、新東宝) - 若い警察医
出典
- ^ 『日本映画人名事典 男優篇 上巻』キネマ旬報社、1996年、222頁。
関連項目
外部リンク
- 生方明 - 日本映画データベース
- 生方明 - KINENOTE