コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「大槻義一」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 曖昧さ回避ページへのリンクを付け替え(シンガー歌手
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
138行目: 138行目:
[[Category:日本の演出家]]
[[Category:日本の演出家]]
[[Category:日本の映画監督]]
[[Category:日本の映画監督]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1927年生]]
[[Category:1927年生]]
[[Category:2011年没]]
[[Category:2011年没]]

2016年6月7日 (火) 23:45時点における版

おおつき よしかず
大槻 義一
生年月日 (1927-07-26) 1927年7月26日
没年月日 (2011-12-16) 2011年12月16日(84歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都中野区
死没地 東京都新宿区新宿
国籍 日本
職業 映画監督俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1954年 - 1988年
主な作品
映画版『七人の刑事』(1963年)[1]
備考
遺体発見日を仮に没日とした
テンプレートを表示

大槻 義一(おおつき よしかず、1927年7月26日 - 2011年12月)は、日本の映画監督

経歴

東京都中野区出身。松竹木下惠介の下で修行し、初監督作品の『流し雛』の脚本は木下が書いている。

1963年1月27日に公開されたテレビドラマ『七人の刑事』の映画版の監督を担当した[1]

2011年12月16日、連絡が取れなくなったことを訪問介護員が警察に相談し、東京都新宿区新宿の自宅マンションを訪れた警視庁四谷署員が、室内で妻とともに死亡しているのを発見した[1][2]。血を吐いた痕跡と、倒れた際にできたと思われる傷以外は目立った外傷がなく、病死とみられる[3]

当初は病死とみられたが、現場検証と検死解剖の結果、警告灯が点いていたガスストーブの不完全燃焼による一酸化炭素中毒であろうという事が判明した模様(脚注内「元映画監督、大槻義一 葬儀 (2) 」参照)[4]

尚、ロックシンガー筋肉少女帯のメンバーである大槻ケンヂは甥に当たる[5]

監督・演出作品

映画

  • 流し雛(1962年)
  • 背くらべ(1962年)
  • 僕チン放浪記(1962年)
  • 七人の刑事(1963年)
  • 男の影(1964年)
  • 昨日のあいつ今日のおれ(1965年)

テレビドラマ

連続テレビドラマ

単発テレビドラマ

  • いのちある限り(1977年)
  • 悲しみは愛の笛(1978年)
  • 白銀の死闘(1979年)
  • 砂の殺意(1981年)
  • 惜春鳥(1981年)
  • はばたけ愛の翼(1981年)
  • 父と娘の悲しい終着駅(1982年)
  • 黄色の誘惑(1983年)
  • 娘よ!お前は殺人者か!?(1983年)
  • フルムーン殺人旅行(1983年)
  • 落書きドクトル繁昌記2 ぶらり旅痔へ(1983年)
  • あなたの声が見えない(1984年)
  • 不倫の脅迫状(1984年)
  • 恋文(1984年)
  • 思春期病棟〜看護婦が見た母親の正体(1985年)
  • 女検事・霞夕子 第1作「予期せぬ殺人」(1985年)
  • 逃亡者(1986年)
  • 事故のいきさつ(1986年)
  • 手さぐりの旅路(1986年)
  • いのちください(1986年)
  • 母と子の卒業式(1988年)
  • 時効・あの時…南アルプス渓流殺人事件(1988年)

出演作品

  • 女の園(1954年)- 大学生野崎 役
  • 二十四の瞳(1954年)- 森岡正 役

脚注

外部リンク