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「尾上榮三郎 (8代目)」の版間の差分

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2016年6月8日 (水) 00:09時点における版

はちだいめ おのえ えいざぶろう
八代目 尾上 榮三郎
屋号 音羽屋
定紋 重ね扇に抱き柏 
生年月日 1924年
没年月日 1945年12月10日
本名 寺島禧一
出身地 東京市
七代目尾上榮三郎
尾上泰次郎(叔父)

八代目 尾上榮三郎(はちだいめ おのえ えいざぶろう、1924年大正13年) - 1945年昭和20年)12月10日)は歌舞伎役者。屋号音羽屋定紋重ね扇に抱き柏、替紋は四ツ輪。本名は寺島 禧一(てらしま きいち)。

来歴・人物

1924年(大正13年)、東京都に生まれた。父は七代目尾上榮三郎。叔父に尾上泰次郎がいる。

父とは2歳で死別。臨終の際には、父から後を頼むと言われた[1]1929年昭和4年)6月帝国劇場にて八代目尾上榮三郎を襲名した。

数々の舞台に立ち、将来を期待されていたが、戦争の激化が彼の運命を決めつけてしまった。日中戦争に従軍し、終戦時には中国にいて国共内戦に従軍していたが、1945年12月10日中国大陸戦病死した。21歳の若さだった。

父,叔父,そして自身と立て続けに20代で夭折した[2]ことにより、尾上榮三郎名跡止め名となってしまい、戦後誰一人として、この名跡を襲名した者はいない。

参考文献

脚注

  1. ^ 今昔芝居暦 大正13~15年(昭和元年)まるの部屋HP
  2. ^ 他に、四代目尾上榮三郎(幕末期に活躍)も1858年に29歳の若さで死去している。

外部リンク