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2016年6月8日 (水) 02:08時点における版
須賀響子 | |
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出生名 | 須賀響子 |
別名 | ポン子 (Ponko) |
生誕 |
日本・東京都 1975年9月30日(49歳) |
出身地 | 東京都足立区竹ノ塚 |
ジャンル | J-POP |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1994年11月~1997年 |
レーベル |
ビクターエンタテインメント (1994年~1997年) |
事務所 |
代官山プロダクション (1994年~1997年) |
須賀 響子(すが きょうこ、1975年9月30日 - )は、東京都出身の女性歌手。代官山プロダクションに所属していた。初めはモデルとして街頭でスカウトされたが、デビュー時より歌手活動を開始した。1996年から作品のリリースが無くなり、1997年に「突然の旅に出る」と公式に発表して引退した。
プロフィール
人物・活動
東京都足立区竹ノ塚出身である。祖父(ヘンリー安松)はサーカス団興行を行っていた。幼い頃から姉の影響で音楽に親しみ、音楽番組「ザ・ベストテン」を観て歌手になることを意識し始める。高校を卒業した年の1994年秋に原宿を歩いていた所を、新田一郎からモデル部門にスカウトされ、芸能界入りした。
事務所内では、ポン子の愛称で親しまれた。テレビ番組に出演しており、同事務所の嘉門達夫がパーソナリティのラジオ番組爆裂スーパーファンタジーに数回ゲスト出演した。嘉門達夫の「伝家の宝刀」発売直前に放送されたプロモーション番組にも出演していた。また、ジ・イングリーズとともにテレビ大阪の深夜番組「なんてなワンダーランド」の司会を務めていた。ヒューマンアカデミーのイメージキャラクターとしてのCM出演も行っていた。
保育園時代に一番偉い保育士に冷たい態度をとられた影響で内向的な性格になってしまったという。小学校へ入学してもその性格は変わらず、内気で引っ込み思案の女の子であった。「もちろん友達は欲しいし、気になるコもいたけど、自分からは声をかけない。それは恥ずかしいし、怖かったから。どうしていいかわからないから、怖いって感じがしてたんです」
歌手になることを志したのはごくごく幼い頃だという。本人は雑誌「ガールポップ」の取材で「テレビで『ザ・ベストテン』をよく観てた。いろんな人が出てきて歌ってる、その姿を観てた。あそこに立ちたい、そうと思って観てました。最初は親とかおねえさんに『アナタもああいうふうになりなさい』って言われて、そのうちに自分でも少しずつ意識するようになったんです。」と答えている。誰にも歌手になりたいことを言わなかったが、心の中では強く決心していたという。家ではお気に入りのレベッカ、プリンセス・プリンセスの歌を歌っていたが、恥ずかしいため親には気づかれないようにしていた。
歌手になるための第一歩になるはずだと思い、1994年の秋に代官山プロダクションのモデル部門へのスカウトを受け入れた。そして、1994年11月23日にデビューを果たした。
1stアルバム制作時、同じ事務所に所属していた鈴木彩子に「小さな足跡」を提供してもらう。1stアルバムは全曲が提供された物であったが、2ndアルバムにおいては須賀響子本人が作詞を手掛け、3rdアルバムにおいては作詞・作曲共に自ら手掛けるようになる。3rdアルバム発売後の全国キャンペーンでは全ての会場に一人で出向いた。
3rdアルバム発売後、1996年夏のフルアルバム発売に向けレコーディングを行っていた。しかし、翌年の1997年に「突然の旅に出る」と言う理由により芸能界を引退する。引退後は自動車免許を取得したりフランス語を習うなど様々な事に注力している。
流行のトレンドとは異なる独自性の高い音楽を発表しており、小室ファミリー全盛期だったこともあって決して有名な存在ではなかった。
2009年になってTHE IDOLM@STERの登場人物である三浦あずさ(声:たかはし智秋)により「近道したい」がカバーされ、アルバムが発売された。
年表
- 1994年秋 - 高校を卒業した年の秋、原宿を歩いていた所を代官山プロダクションの社長にモデル部門にスカウトされる。
- 1994年11月23日 - 1stシングル『19回目のクリスマスはちょっと違う』リリース。
- 1994年12月16日 - 1stミニアルバム『きっとこれからも』リリース。
- 1995年1月21日 - 2ndシングル『冒険』発表。
- 1995年4月5日 - 3rdシングル『青空ある限り』発表。
- 1995年6月7日 - 4thシングル『近道したい』発表。
- 1995年6月21日 - 2ndミニアルバム『新しいような古いような』リリース。
- 1995年11月22日 - 5thシングル『Love, TWO LOVE』発表。
- 1995年12月16日 - 3rdミニアルバム『ラブ・ポーション』リリース。このアルバムが事実上最後の作品となっている。
- 1997年 - 「突然の旅に出る」と発表し引退した
ディスコグラフィー
1stアルバムにはシンセサイザーが多用されていたが、2ndアルバムからはアコースティックな作風に変化している。
2ndアルバムのタイトルである「新しいような古いような」は、制作に関わったスタッフがアルバム完成後に「新しいような古いような不思議な感じだよね。」と言ったことに由来している。2ndアルバムが発売された1995年当時は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件等大きな事件・災害が相次いでいた。雑誌「ガールポップ」の取材ではそのことに触れた上で、「すぐそこにある身近な幸せ」をテーマに2ndアルバムの制作を行ったと答えている。
19回目のクリスマスはちょっと違うのプロモーションビデオも制作されている。
シングル
発売日 | タイトル | レコードレーベル | 規格 | |
---|---|---|---|---|
1st | 1994年11月23日 | 19回目のXmasはちょっと違う | ビクターエンタテインメント | 8cmCD |
2nd | 1995年1月21日 | 冒険 | ビクターエンタテインメント | 8cmCD |
3rd | 1995年4月5日 | 青空ある限り | ビクターエンタテインメント | 8cmCD |
4th | 1995年6月7日 | 近道したい | ビクターエンタテインメント | 8cmCD |
5th | 1995年11月22日 | LOVE, TWO LOVE | ビクターエンタテインメント | 8cmCD |
ミニアルバム
発売日 | タイトル | レコードレーベル | 規格 | 品番 | |
---|---|---|---|---|---|
1st | 1994年12月16日 | きっとこれからも | ビクターエンタテインメント | 12cmCD | VICL-23100 |
2nd | 1995年6月21日 | 新しいような古いような | ビクターエンタテインメント | 12cmCD | VICL-23106 |
3rd | 1995年12月16日 | ラブ・ポーション | ビクターエンタテインメント | 12cmCD | VICL-23114 |
エピソード
- 2ndアルバム発売後に、ファンから事務所宛てに「今まで何もやりたいことが見つからなかったが、このアルバムを聴いて今後の目標が見つかった。」と言う内容の電話がかかり、それを知った須賀響子本人は一日中上機嫌であったと言う。
- 爆裂スーパーファンタジーのゲスト出演時に風呂哲に泣かされたことがある。
- 事務所から散歩に出かけると長時間戻ってこないことが多かった。なかなか帰って来なかったので事務所のスタッフも心配していたという。
書籍
本人への取材記事が掲載された書籍を示す。
関連項目
- 代官山プロダクション
- 嘉門達夫
- SAICO (鈴木彩子)
- ぼのぼの - エンディングテーマに近道したいとLOVE,TWO,LOVEが使用されている