コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「藤井貢」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
77行目: 77行目:
[[Category:ピンク映画]]
[[Category:ピンク映画]]
[[Category:ポルノ男優]]
[[Category:ポルノ男優]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1909年生]]
[[Category:1909年生]]
[[Category:1979年没]]
[[Category:1979年没]]

2016年6月8日 (水) 04:35時点における版

ふじい みつぐ
藤井 貢
生年月日 (1909-08-28) 1909年8月28日
没年月日 (1979-10-23) 1979年10月23日(70歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京市
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1932年 - 1979年
主な作品
『大学の若旦那』
テンプレートを表示

藤井 貢(ふじい みつぐ、1909年8月28日 - 1979年10月23日)は、東京市出身の俳優、元ラグビー選手日本代表キャップは1。

来歴

慶應義塾普通部慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学法学部政治学科に進学[1]。同大学ではラグビー部で活動して、ラグビー日本代表として初のキャップ対象試合となった、1930年9月24日カナダバンクーバーで行われたブリティッシュコロンビア州代表戦にセンター(CTB)のポジションで出場した[2]1931年横浜外人チームとの試合でアキレス腱を断裂したために、ラグビー選手を引退する[1]1932年5月に、当時、松竹蒲田撮影所所長であった城戸四郎にスカウトされて、大学在学中に松竹蒲田に入社して俳優になった[1]。その後は東京発声映画製作所新興キネマ松竹下加茂撮影所と変遷するが、松竹蒲田制作の『大学の若旦那』シリーズ[3]の主演、松竹下加茂制作で高田浩吉と組んだ『彌次喜多シリーズ』などに出演[1]第二次世界大戦後松竹大映東映で活躍した。また、晩年はピンク映画にも数本出演した。

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報増刊1979年10月23日号、キネマ旬報社、1979年、P501
  2. ^ 大友信彦編『ザ・ワールドラグビー』、新潮社、P44
  3. ^ 大学の後輩にあたる加山雄三が主演した、若大将シリーズのルーツと言われている。

参考文献