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「ウィレム=アレクサンダー (オランダ王)」の版間の差分

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母のベアトリクスが[[2013年]][[4月30日]]をもって退位し、同日即位式が挙行された<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/35031515.html オランダで国王即位式 ベアトリックス女王の退位受け](2013年4月30日)、[[CNN|Cnn.co.jp]]、2013年4月30日閲覧。</ref>。即位に伴い、オランダでの国王の誕生日を祝う祝日「女王の日」は「王の日」に名称が変わり、祖母[[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]]の誕生日である[[4月30日]]からウィレム=アレクサンダーの誕生日である4月27日に変更となった<ref>[http://www.holland.com/jp/tourism/osusume-spots/the-dutch-royal-family/queens-day-will-be-kings-day-jp.htm 「女王の日」は「王の日」になります!]、オランダ政府観光局(日本語)、2013年5月5日閲覧。</ref>。
母のベアトリクスが[[2013年]][[4月30日]]をもって退位し、同日即位式が挙行された<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/35031515.html オランダで国王即位式 ベアトリックス女王の退位受け](2013年4月30日)、[[CNN|Cnn.co.jp]]、2013年4月30日閲覧。</ref>。即位に伴い、オランダでの国王の誕生日を祝う祝日「女王の日」は「王の日」に名称が変わり、祖母[[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]]の誕生日である[[4月30日]]からウィレム=アレクサンダーの誕生日である4月27日に変更となった<ref>[http://www.holland.com/jp/tourism/osusume-spots/the-dutch-royal-family/queens-day-will-be-kings-day-jp.htm 「女王の日」は「王の日」になります!]、オランダ政府観光局(日本語)、2013年5月5日閲覧。</ref>。


[[2014年]](平成26年)[[10月28日]]から[[10月31日]]まで[[日本]]を[[要人#国賓|国賓]]訪問した。即位後、[[ヨーロッパ|欧州]]域外の[[国家]]を公式訪問するのはこれが初めてであった。王太子時代の[[1988年]](昭和63年)以降、通算で15回以上も来日している<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H09_U4A001C1NNE000/ オランダ国王、御嶽山噴火の被害者に哀悼(2014年10月4日)日本経済新聞]、2014年11月1日閲覧。</ref>。2014年(平成26年)10月29日に催された、[[皇居]]・宮中晩餐会では、「私たちは[[第二次世界大戦|第二次大戦]]中におけるオランダの市民と兵士の経験を忘れませんし、忘れることはできません」「互いの苦しみを認め合うことが両国の和解の基礎となるでしょう。そして両国はそれに積極的に取り組み新たな信頼を築いてきたのです」とスピーチし、日本オランダ両国が自らの[[戦争体験]]を直視することが[[日蘭関係|日蘭両国]]の友好の基礎になると訴えたが、これは儀礼的なスピーチであり、先代も同様のスピーチを行っている。英国王室と血縁関係にあるオランダ王室と日本の皇室は、同じ[[立憲君主制]][[民主主義]]国家として、特に親密な関係で知られており、欧州では、[[スウェーデン]]王室や英国王室などと共に王家間での交流が盛んな国である<ref>[http://www.koninklijkhuis.nl/globale-paginas/taalrubrieken/english/speeches/speeches-archive/2014/oktober/speech-by-his-majesty-the-king-at-the-state-banquet-on-the-occasion-of-the-state-visit-to-their-majesties-the-emperor-and-empress-of-japan-tokyo/ Speech by His Majesty the King at the state banquet on the occasion of the State Visit to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan, Tokyo] オランダ王室公式ウェブサイト、2015年2月26日閲覧</ref>。
[[2014年]](平成26年)[[10月28日]]から[[10月31日]]まで[[日本]]を[[要人#国賓|国賓]]訪問した。即位後、[[ヨーロッパ|欧州]]域外の[[国家]]を公式訪問するのはこれが初めてであった。王太子時代の[[1988年]](昭和63年)以降、通算で15回以上も来日している<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM04H09_U4A001C1NNE000/ オランダ国王、御嶽山噴火の被害者に哀悼(2014年10月4日)日本経済新聞]、2014年11月1日閲覧。</ref>。2014年(平成26年)10月29日に催された、[[皇居]]・宮中晩餐会では、「私たちは[[第二次世界大戦|第二次大戦]]中におけるオランダの市民と兵士の経験を忘れませんし、忘れることはできません」「互いの苦しみを認め合うことが両国の和解の基礎となるでしょう。そして両国はそれに積極的に取り組み新たな信頼を築いてきたのです」とスピーチし、日本オランダ両国が自らの[[戦争体験]]を直視することが[[日蘭関係|日蘭両国]]の友好の基礎になると訴えたが、これは儀礼的なスピーチであり、先代も同様のスピーチを行っている。英国王室と血縁関係にあるオランダ王室と日本の皇室は、同じ[[立憲君主制]][[民主主義]]国家として、特に親密な関係で知られており、欧州では、[[スウェーデン]]王室や英国王室などと共に王家間での交流が盛んな国である<ref>[http://www.koninklijkhuis.nl/globale-paginas/taalrubrieken/english/speeches/speeches-archive/2014/oktober/speech-by-his-majesty-the-king-at-the-state-banquet-on-the-occasion-of-the-state-visit-to-their-majesties-the-emperor-and-empress-of-japan-tokyo/ Speech by His Majesty the King at the state banquet on the occasion of the State Visit to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan, Tokyo] オランダ王室公式ウェブサイト、2015年2月26日閲覧</ref>。


==系譜==
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*高祖母:[[エンマ・フォン・ヴァルデック=ピルモント]]([[ウィルヘルミナ (オランダ女王)|ウィルヘルミナ]]女王生母)


== その他 ==
== その他 ==

2016年10月1日 (土) 05:29時点における版

ウィレム=アレクサンダー
Willem-Alexander
オランダ国王
2013年6月3日、ドイツ・ヘッセン州ヴィースバーデンにて
在位 2013年4月30日 - 在位中

全名 Willem-Alexander Claus George Ferdinand
ウィレム=アレクサンダー・クラウス・ヘオルフ・フェルディナント
出生 (1967-04-27) 1967年4月27日(57歳)
オランダの旗 オランダ
ユトレヒト州ユトレヒト
配偶者 マクシマ・ソレギエタ
子女 カタリナ=アマリア
アレクシア
アリアーネ
家名 オラニエ=ナッサウ家
父親 クラウス・フォン・アムスベルク
母親 ベアトリクス
宗教 キリスト教改革派教会
サイン
テンプレートを表示
オランダ王室

国王ウィレム=アレクサンダー
王妃マクシマ



ウィレム=アレクサンダー・クラウス・ヘオルフ・フェルディナント・ファン・オラニエ=ナッサウオランダ語: Willem-Alexander Claus George Ferdinand van Oranje-Nassau, 1967年4月27日 - )は、オランダ国王である。ドイツの貴族のひとつアムスベルク家の家長でもある。

経歴

オランダのベアトリクス女王の第一子としてユトレヒトで生まれた。オランダ王室で直系男子の誕生はアレクサンダー王子以来116年ぶりであったが、翌1968年ヨハン・フリーゾ王子2004年、結婚のため王位継承権放棄)、1969年コンスタンティン王子が続いて生まれた。

ハーグプロテスタント系の小学校に通い、様々な階層・人種の子供たちと共に学んだ。その後、ウェールズアトランティック・カレッジを卒業。ライデン大学史学学位を取得した。

王妃となるアルゼンチン出身のマクシマ・ソレギエタは、その父ホルヘがアルゼンチンの軍事政権の高官であったため、王太子との結婚には賛否両論があったが、軍事政権の反対派への流血の弾圧にホルヘが関与していないことがあきらかになり、2002年に結婚にこぎつけた。

イギリス王ジョージ2世の娘であったオラニエ公妃アンネの子孫であるため、英国王位継承権を持っていた。しかし、1701年の王位継承法ではカトリック教徒と結婚すると継承権を失うことが明記されていることから、カトリック教徒であるマクシマとの結婚で英国王位継承権を失った。

2003年に長女のカタリナ=アマリア王女(現オラニエ女公)が生まれ、さらに2005年にはアレクシア王女、2007年にアリアーネ王女が生まれている。

1998年から2013年まで国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた[1]

母のベアトリクスが2013年4月30日をもって退位し、同日即位式が挙行された[2]。即位に伴い、オランダでの国王の誕生日を祝う祝日「女王の日」は「王の日」に名称が変わり、祖母ユリアナの誕生日である4月30日からウィレム=アレクサンダーの誕生日である4月27日に変更となった[3]

2014年(平成26年)10月28日から10月31日まで日本国賓訪問した。即位後、欧州域外の国家を公式訪問するのはこれが初めてであった。王太子時代の1988年(昭和63年)以降、通算で15回以上も来日している[4]。2014年(平成26年)10月29日に催された、皇居・宮中晩餐会では、「私たちは第二次大戦中におけるオランダの市民と兵士の経験を忘れませんし、忘れることはできません」「互いの苦しみを認め合うことが両国の和解の基礎となるでしょう。そして両国はそれに積極的に取り組み新たな信頼を築いてきたのです」とスピーチし、日本オランダ両国が自らの戦争体験を直視することが日蘭両国の友好の基礎になると訴えたが、これは儀礼的なスピーチであり、先代も同様のスピーチを行っている。英国王室と血縁関係にあるオランダ王室と日本の皇室は、同じ立憲君主制民主主義国家として、特に親密な関係で知られており、欧州では、スウェーデン王室や英国王室などと共に王家間での交流が盛んな国である。[5]

系譜

ウィレム=アレクサンダー 父:
クラウス・フォン・アムスベルク
祖父:
クラウス・フェリックス・フォン・アムスベルク
曾祖父:
ウィルヘルム・フォン・アムスベルク
曾祖母:
Elise von Vieregge
祖母:
ゴスタ・フォン・デム・ブッシェ=ハッデンハウゼン
曾祖父:
ゲオルグ・フォン・デム・ブッシェ=ハッデンハウゼン男爵
曾祖母:
Baroness Gabriele von dem Bussche-Ippenburg
母:
ベアトリクス (オランダ女王)
祖父:
ベルンハルト (オランダ王配)
曾祖父:
ベルンハルト・ツア・リッペ
曾祖母:
アルムガルト・フォン・クラム
祖母:
ユリアナ (オランダ女王)
曾祖父:
ハインリヒ・ツー・メクレンブルク
曾祖母:
ウィルヘルミナ (オランダ女王)

その他

使用言語は、オランダ語のほか、英語ドイツ語スペイン語

趣味は、スキースケート乗馬、航空機操縦。

写真

注釈

  1. ^ IOC委員、103人に(2013年9月3日)朝日新聞デジタル、2013年9月3日閲覧。
  2. ^ オランダで国王即位式 ベアトリックス女王の退位受け(2013年4月30日)、Cnn.co.jp、2013年4月30日閲覧。
  3. ^ 「女王の日」は「王の日」になります!、オランダ政府観光局(日本語)、2013年5月5日閲覧。
  4. ^ オランダ国王、御嶽山噴火の被害者に哀悼(2014年10月4日)日本経済新聞、2014年11月1日閲覧。
  5. ^ Speech by His Majesty the King at the state banquet on the occasion of the State Visit to Their Majesties the Emperor and Empress of Japan, Tokyo オランダ王室公式ウェブサイト、2015年2月26日閲覧

外部リンク