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2016年10月18日 (火) 08:48時点における版

スージー・クアトロ
Suzi Quatro
基本情報
出生名 スーザン・ケイ・クアトロッチオ
生誕 (1950-06-03) 1950年6月3日(74歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト
ジャンル ハードロックグラムロック
職業 シンガーソングライターベーシスト音楽プロデューサー女優ラジオパーソナリティ
担当楽器 ボーカルエレクトリックベースピアノ
活動期間 1964–現在 (歌手)
レーベル RAKレコード (en
EMI Int'l
EMI
Bgo - Beat Goes On
Disky Records
Razor & Tie (en
共同作業者 クリス・ノーマン (en
公式サイト Official Website

スージー・クアトロSuzi Quatro, 1950年6月3日 - )は、アメリカ合衆国のロック・ミュージシャンベーシストDJ俳優。女性ロッカーの先駆者[1]

プロフィール

スーザン・ケイ・クアトロッチオ(Susan Kay Quatrocchio)としてミシガン州デトロイトで、バンドリーダーの娘として生まれる。父親アート・クアトロッチオはイタリア系であり、母親のヘレン・レベルはハンガリー系であった。

1965年、スージー・ソウルの芸名で、姉パティらと女性のみのバンド、ザ・プレジャー・シーカーズ(The Pleasure Seekers)を結成し(後にアーリーン、ナンシーの二人の姉も加わる)、デトロイトを拠点に、MC5ジェファーソン・エアプレインなどと[2]アメリカ各地をツアー。1969年にクレイドル(Cradle)とバンド名を変えベトナムツアーなども行った[2]。1970年6月にデトロイトで歌っている際、ジェフ・ベックのモータウン・スタジオでのレコーディングのために同地に来ていた音楽プロデューサーのミッキー・モストによって高い評価を受け、1971年末、ミッキーを頼って渡英する。

72年7月、ミッキー自身のレーベルRAKレコードからソロ名義のファースト・シングル「Rolling Stone」を発表。フォークソング調の曲で、ポルトガルではチャート1位となるものも[3]、他国ではさほど売れなかった。

73年に入ってからハードロック路線へのイメージチェンジのためソングライティングチームにニッキー・チンとマイク・チャップマンを迎え、芸名もSuzie QuatroからSuzi Quatroに変わった。セカンドシングルの「キャン・ザ・キャン」はイギリスを含むヨーロッパ及びオーストラリアでナンバーワン・ヒットを記録する[4]。続いてリリースされた、「48クラッシュ」(1973、UKチャート3位)、「デイトナ・デモン」(1973、UKチャート14位)も大ヒットし、この年のイギリスのBest Selling Artist/Female/Singleの第1位となった。

オランダのテレビ・ショー出演時。(1973)

74年にも「悪魔とドライブ」(UKチャート1位)[4]、「トゥ・ビッグ」(UKチャート14位)、「ワイルド・ワン」(UKチャート7位)が英国で大ヒットした。彼女のファースト及びセカンド・アルバムはヨーロッパとオーストラリアで大成功を収めた。日本でも70年代の終わりまで大変な人気があり、74年から78年まで5年連続で来日し[2]、77年には大都市だけではなく中都市も回る大規模な日本ツアーを成功させ、日本でのライブアルバムも発表している。

しかしながら母国のアメリカにおいては、1970年代中頃にアリス・クーパーと共にツアーを行うなどの努力をしたにもかかわらず、それほどヒットしなかった。1975年以降彼女のヘビーで妖しい魅力を伴ったスタイルは受け入れられなくなっていき、人気は1978年まで好転しなかった。78年に「If You Can't Give Me Love(邦題・涙のヤング・ラヴ)」がリリースされると、同作はイギリスとオーストラリアでトップ10ヒットを記録する[4]。アメリカでは引き続いて成功はしなかったが、1979年にスモーキー(en:Smokie (band))のクリス・ノーマンと共に「Stumblin' In(邦題・メロウな二人)」をRSOレコードからリリースすると、同作は4位とアメリカで初の大ヒットを記録することとなる。この成功は短期間のものであった。彼女の最後の(オーストラリアでのみの)ヒットは1981年前半にリリースされた「Rock Hard」であった。

ドイツでのライヴ(2011)

1987年には日本のロックバンドBOØWYのシングル曲「Marionette」のB面曲として「THE WILD ONE」を、BOØWYのボーカリスト氷室京介とデュエットしたバージョンを発表。しかし、同時にレコーディングした訳ではなく、日本で録音したオケをイギリスに送りスージーに歌わせ、その後日本に送り返しミキシングすると言う手法で作られた。

2006年2月、アルバム『Back To The Drive』をスウィートのギタリスト、アンディー・スコットのプロデュースでリリースした。アルバムのタイトル・トラックはマイク・チャップマンによって書かれたものである。2009年、BBCの"Queens of British Pop"において12人の内のひとりに選ばれた[5]

現在イギリスドイツで暮らし、BBCラジオ2で毎週ロック・プログラムのDJを務める。さらにミュージシャンとしてのツアーも継続している。

私生活

1978年に長年バック・ギタリストを務めていたレン・タッキーと結婚し、二人の子供(ローラ(1982年生)およびリチャード・レナード(1984年生))がいたが、1992年に離婚した。1993年にドイツの興行プロモーターと結婚した。

女優シェリリン・フェンの叔母にあたる。

ディスコグラフィ

()内はリリース時の邦題

主なシングル

  • 1973 Rolling Stone/Brain Confusion
  • 1973 Can The Can(キャン・ザ・キャン)/Ain't Ya Somethin' Honey
  • 1973 48 Crash(48クラッシュ)/Little Bitch Blue
  • 1973 Daytona Demon(デイトナ・デモン)/Roman Fingers
  • 1974 Devil Gate Drive(悪魔とドライヴ)/In the Morning
  • 1974 The Wild One(ワイルド・ワン)/Shake My Sugar
  • 1974 Too Big(トゥ・ビッグ)/I Wanna Be Free
  • 1975 Your Mama Won't Like Me(ママのファンキー・ロックン・ロール)/Peter, Peter
  • 1975 I Bit Off More Than I Could Chew(ビット・オフ)/Red Hot Rosie
  • 1975 I May Be Too Young(恋するヤング・ガール)/Don´t Mess Around
  • 1976 Make Me Smile(やさしくスマイル)/Same As I Do
  • 1976 Harf As Much As Me(スリルがいっぱい)/American Lady
  • 1977 Roxy Roller(ロキシー・ローラー(サケ・ロック))/It'll Grow On You
  • 1977 Tear Me Apart(恋はドッキリ)/Close Enough To Rock'n'Roll
  • 1978 If You Can't Give Me Love(涙のヤング・ラヴ)/Cream Dream
  • 1979 She's In Love With You(愛のゲーム)/Space Cadets
  • 1979 Stumblin' In(メロウなふたり)/A Stranger To Paradise
  • 1980 Mama's Boy(ママズ・ボーイ)/Mind Demons
  • 1980 I've Never Been In Love(ネバー・ラヴ)/Starlight Lady
  • 1980 Rock Hard(ロック・ハード)/State Of Mind

アルバム

  • 1973 Suzi Quatro (サディスティック・ロックの女王)
  • 1974 Quatro(陶酔のアイドル)
  • 1975 Your Mama Won't Like Me(ママに捧げるロック)
  • 1977 Aggro Phobia(クアトロ白書)
  • 1978 If You Knew Suzi(スージーからの伝言)
  • 1979 Suzi...And Other Four Letter Words(フォー・レター・ワーズの秘密)
  • 1980 Rock Hard(ロック・ハード)
  • 1982 Main Attraction(メイン・アトラクション)
  • 1991 OH,Suzi Q(OH、スージーQ)
  • 1996 What Goes Around
  • 2006 Back To The Drive

関連項目

脚注

  1. ^ フィリップ・オースランダー、"I Wanna Be Your Man: Suzi Quatro's musical androgyny" 、2004、[1]
  2. ^ a b c 赤岩和美 監修 『ブリティッシュ・ロック大名鑑』、ブロンズ社、1978年、佐田智博
  3. ^ answers.com "Suzi Quatro" [2]
  4. ^ a b c Official Charts Company [3]
  5. ^ Suzi Quatro talks about her iconic image [4]

外部リンク