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「バグダード鉄道」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
最も狭義の意味の「バグダード鉄道」はドイツ資本のバグダード鉄道会社に敷設権と沿線開発の権益が供与された[[コンヤ]]・[[バスラ]]間の鉄道およびその計画線のことだが、広い意味では[[イスタンブル]]([[ハイダルパシャ駅]])〜[[エスキシェヒル]]〜コンヤ〜[[バグダード]]〜バスラ〜[[クウェート]]間の鉄道とその計画を指すことも多い。
最も狭義の意味の「バグダード鉄道」はドイツ資本のバグダード鉄道会社に敷設権と沿線開発の権益が供与された[[コンヤ]]・[[バスラ]]間の鉄道およびその計画線のことだが、広い意味では[[イスタンブル]]([[ハイダルパシャ駅]])〜[[エスキシェヒル]]〜コンヤ〜[[バグダード]]〜バスラ〜[[クウェート]]間の鉄道とその計画を指すことも多い。


既にアナトリア鉄道会社によって開通していたハイダルパシャ〜[[アンカラ]]線([[1893年]]開通)もしくは[[エスキシェヒル]]〜コンヤ線([[1896年]]開通)を延長し、[[小アジア]]と[[メソポタミア]]([[イラク]])を横断して[[ペルシア湾]]の海港を終点とする鉄道計画であった。最終的にはエスキシェヒル〜コンヤ線を延長し、終点の海港はバスラとする計画線に基づいて建設が進められたが、バグダード鉄道会社による建設は[[第一次世界大戦]]のため未完に終わり、ドイツは敗戦によってその利権を失った。
既にアナトリア鉄道会社によって開通していたハイダルパシャ〜[[アンカラ]]線([[1893年]]開通)もしくは[[エスキシェヒル]]〜コンヤ線([[1896年]]開通)を延長し、[[小アジア]]と[[メソポタミア]]([[イラク]])を横断して[[ペルシア湾]]の海港を終点とする鉄道計画であった。最終的にはエスキシェヒル〜コンヤ線を延長し、終点の海港はバスラとする計画線に基づいて建設が進められたが、バグダード鉄道会社による建設は[[第一次世界大戦]]のため未完に終わり、ドイツは敗戦によってその利権を失った。

2016年10月18日 (火) 11:39時点における版

バグダード鉄道路線図

バグダード鉄道 (独: Bagdadbahn)は、19世紀末から20世紀初めにかけてドイツ国3B政策として国際的な注目をあびた鉄道

概要

最も狭義の意味の「バグダード鉄道」はドイツ資本のバグダード鉄道会社に敷設権と沿線開発の権益が供与されたコンヤバスラ間の鉄道およびその計画線のことだが、広い意味ではイスタンブールハイダルパシャ駅)〜エスキシェヒル〜コンヤ〜バグダード〜バスラ〜クウェート間の鉄道とその計画を指すことも多い。

既にアナトリア鉄道会社によって開通していたハイダルパシャ〜アンカラ線(1893年開通)もしくはエスキシェヒル〜コンヤ線(1896年開通)を延長し、小アジアメソポタミアイラク)を横断してペルシア湾の海港を終点とする鉄道計画であった。最終的にはエスキシェヒル〜コンヤ線を延長し、終点の海港はバスラとする計画線に基づいて建設が進められたが、バグダード鉄道会社による建設は第一次世界大戦のため未完に終わり、ドイツは敗戦によってその利権を失った。

第一次世界大戦後はオスマン帝国から独立した国々で建設が進められ、1940年に全通した。

関連項目