「フラント・ディンク」の版間の差分
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[[マラティヤ]]生まれ。[[イスタンブール大学]]理学部動物学科を卒業。ディンクは[[アルメニア語]]と[[トルコ語]]による週刊紙『アゴス』を発行し、その中でアルメニア人虐殺を「民族虐殺」であると告発してきた。[[2005年]]には「国家侮辱罪」で逮捕され、[[禁錮]]10ヶ月(執行猶予つき)の有罪判決を受けた。その一方、[[2006年]]に[[フランス]]の[[国民議会 (フランス)|国民議会]]で「アルメニア人虐殺否定禁止法」が可決されると、それを「過激な行動」と批判した。 |
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[[2007年]]1月19日、[[イスタンブール]]市・シシリ地区のハラースキャールガーズィ通りにあるアゴス新聞の出入り口で、元大統一党党員で[[マクドナルド]]のトラブゾン店爆破犯であるヤースィン・ハヤル ([[:en:Yasin Hayal|Yasin Hayal]])の教唆を受けたオギュン・サマスト ([[:en:Ogün Samast|Ogün Samast]]、犯行当時17歳)により射殺された。 |
[[2007年]]1月19日、[[イスタンブール]]市・シシリ地区のハラースキャールガーズィ通りにあるアゴス新聞の出入り口で、元大統一党党員で[[マクドナルド]]のトラブゾン店爆破犯であるヤースィン・ハヤル ([[:en:Yasin Hayal|Yasin Hayal]])の教唆を受けたオギュン・サマスト ([[:en:Ogün Samast|Ogün Samast]]、犯行当時17歳)により射殺された。 |
2016年10月18日 (火) 13:39時点における版
フラント・ディンク(トルコ語: Hrant Dink、アルメニア語: Հրանդ Տինկ、1955年9月15日 - 2007年1月19日)は、トルコのジャーナリスト。アルメニア系。トルコ国内で第1次世界大戦中に行われた「アルメニア人虐殺」を告発する一方で、アルメニア人とトルコ人の和解を訴えてきた。2007年、暗殺された。
略歴
マラティヤ生まれ。イスタンブール大学理学部動物学科を卒業。ディンクはアルメニア語とトルコ語による週刊紙『アゴス』を発行し、その中でアルメニア人虐殺を「民族虐殺」であると告発してきた。2005年には「国家侮辱罪」で逮捕され、禁錮10ヶ月(執行猶予つき)の有罪判決を受けた。その一方、2006年にフランスの国民議会で「アルメニア人虐殺否定禁止法」が可決されると、それを「過激な行動」と批判した。
2007年1月19日、イスタンブール市・シシリ地区のハラースキャールガーズィ通りにあるアゴス新聞の出入り口で、元大統一党党員でマクドナルドのトラブゾン店爆破犯であるヤースィン・ハヤル (Yasin Hayal)の教唆を受けたオギュン・サマスト (Ogün Samast、犯行当時17歳)により射殺された。
→詳細は「フラント・ディンク暗殺事件」を参照
暗殺のニュースはトルコ社会に大きな衝撃を与えた。当局は組織的犯行かどうか調査を開始した。レジェップ・タイイップ・エルドアン首相は「ディンク氏に向けられた銃弾はわれわれに向けられたものである」と暗殺を非難し弔意を表した。
外部リンク
- ディンク氏殺害、トルコに衝撃 - BBC NEWS(英語)
- アルメニア系トルコ人作家、撃たれて死亡 - BBC NEWS(英語)