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2016年11月10日 (木) 18:30時点における版

安東由美子
出生名 未公表
別名 あんゆみ
出身地 日本の旗 広島県広島市
学歴 ノートルダム清心中学校・高等学校[要出典]
ジャンル 歌謡曲
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ボーカル
アコースティックギター(2015年 - )
ハーモニカ(2016年 - )
活動期間 2010年 - 2012年10月(ラジオレギュラーのみ2013年3月まで)
2014年7月 - 現在
公式サイト 安東由美子オフィシャルサイト

安東 由美子(あんどう ゆみこ、3月15日生まれ)は、日本のシンガーソングライター。安東由美子は本名ではなく、本名と年齢は非公開。広島県広島市出身。血液型AB型。身長155cm。

2011年9月7日「平凡ガール」でデビュー。デビュー後、僅か1年で病気を理由に約2年間活動を引退(ラジオレギュラーのみ2013年3月まで担当した)。

引退後、2年の歳月を経て2014年7月に復帰。

来歴・人物

中学時代に歳の離れた姉の影響で歌謡曲に夢中になる。なかでも1980年代の楽曲を好んでいると度々ブログに綴っている。音楽を意識的に聞き始めた当初は歌謡曲以外はほとんど聴かなかったが、徐々に幅広いジャンルに興味を示すようになったという。

プロのテニスプレーヤーを目指すほど子どもの頃からテニス漬けの日々を送り、学生時代は広島県で2位の成績を収めたという[要出典]。大学進学後もテニスを続けていたが、卒業後は上京、音楽業界へ就職した。特技は暗記書道経理にも明るいという。

OL時代にはライブハウスに足繁く通う。その時期に古田たかしとも顔見知りになる(安東自身が音楽活動を開始してライブを行うようになった際に古田はバンドマスターを担った(2012年の一時活動引退まで)。

2010年頃から、作詞・作曲を開始。音楽に関する知識や楽器演奏技術も全くなく、制作は全て完全なアカペラで完成させていた。全ての楽曲が歌詞を先に書き、後からメロディを付ける方法(詞先)で楽曲を制作。この方法に慣れてしまったため楽器が出来るようになった現在も制作方法は変えていない。

リスペクトしていると公言している柴田淳の他に、YO-KINGスピッツの草野マサムネ、堀内孝雄を尊敬し、影響を受けてライブに度々通っている旨をブログで綴っている(YO-KINGの影響で2016年よりハーモニカを始め、同じくGOING UNDER GROUNDの中澤寛規の影響で2015年よりアコースティックギターを始めた)。

2011年9月「平凡ガール」で全国デビュー。2ndシングル「ホームランは狙わない」(佐久間正英プロデュース)がUSENのチャート上位にランクインされ、またベイエフエムのプッシュ楽曲の一曲に選ばれる。3rdシングルの「一ヶ月」も幸先が良く、フリーライブを積極的に行い動員も徐々に増えてきていた。

佐久間とは2ndアルバムを作る約束をしており、1周年ワンマンライブでは佐久間からのコメントが会場で流された。しかし佐久間は他界したためアルバム制作の夢は叶わなかった。

デビュー直後の活動休止の理由は、うつ病パニック障害だった事をブログにて明かしている。また急性喉頭蓋炎をデビュー時と活動再開後に2度発症し、命に関わる病気の経験をしたことで人生観が変わったという。

安藤優美(HFMのラジオ出演のみ)、YUMIKOの名義と幾度か名前を変えて活動していたが、2015年10月にデビュー当初の安東由美子名義に戻して活動を続ける旨をブログにて公表した。

2016年9月11日、自身のオフィシャルブログで一般男性との結婚を発表[1]

活動履歴

  • 2010年 - 作詞・作曲を開始。都内ライブハウスを拠点に月に1本のペースでライブを行う。
  • 2011年 - ライブハウスでの活動と並行して、路上ライブ活動を始める。
  • 2011年5月 - 同年3月11日に発生した東日本大震災の惨状を受け、独自で支援活動を開始。「あんゆみらい基金」と題し、チャリティーライブを不定期ではあるが開始した。その際の名義は「安東由美子with古田たかし」とし、チャリティーライブの際はこの名義で出演していた(活動引退の2012年までアーティストを招き定期的に自主企画ライブを行っていた)
  • 2011年9月 - 「平凡ガール」で全国デビュー。
  • 2011年10月 - 泉谷しげるらが主体となった石巻での被災地支援イベントに、当初手伝いとして参加をと志願したところ、参加者の嘉門達夫の計らいでオープニングアクトとして出演することになった[2]
  • 2012年3月15日 - 初のワンマン&バースデーライブを渋谷7thFloorにて行う。
  • 2012年4月 - 佐久間正英プロデュースの2ndシングル「ホームランは狙わない」を発売。USEN上位にランクインした。bayfmで番組が開始、同時に同曲がプッシュ曲に選ばれる。
    • 2012年初め、47都道府県フリーライブを決行する旨を発表。毎週末は地方でフリーライブを行った。
  • 2012年7月 - 3rdシングル「一ヶ月」を発売。
  • 2012年9月6日- 2度目のワンマンライブとなる、デビュー1周年ライブを渋谷duo music exchangeで公演。
  • 2012年9月- 1stアルバム「年齢制限」発売。
  • 2012年10月 - HFMのレギュラー以外の活動を引退する旨を発表。
  • 2013年6月 - 全ての活動の引退を正式に発表した。
  • 2014年7月 - ライブ等全ての活動再開を2年ぶりに再開することを発表。
  • 2016年5月 - 初のセルフプロデュースとなる4年ぶりのリリースであるアコースティックミニアルバム「スポットライト」を発売。編曲も手がけている。

ディスコグラフィ

シングル

  • 平凡ガール(2011年9月7日) - 作詞・作曲:安東由美子
    • (C/W)14才
  • ホームランは狙わない(2012年4月25日) - 作詞・作曲:安東由美子 / プロデュース:佐久間正英
    • (C/W)9月の風
  • 一ヶ月(2012年7月25日) - 作詞・作曲:安東由美子
    • (C/W)はんぶんこ

ミニアルバム

  • スポットライト(2016年5月14日) - 作詞・作曲・編曲・プロデュース:安東由美子

アルバム

  • 年齢制限(2012年9月19日) - 全作詞・作曲:安東由美子

出演

ラジオレギュラー

  • 安東由美子と根岸孝旨のえいや〜! (2011年5月 - 2011年8月、エフエム世田谷
  • 安東由美子と根岸孝旨のよ〜いどん!(2011年9月 - 2012年3月、エフエム世田谷)
  • 安東由美子の「木曜日の電話」(2012年4月 - 2012年12月、ベイエフエム)
  • 安藤優美の年齢制限なし★(2013年2月3日 - 3月24日HFM)※体調不良により2013年3月24日放送分をもって休止。この番組のみ安藤優美名義で出演した。

インターネットTVレギュラー

  • 「安東由美子の願はくば」(2012年4月 - 2012年6月30日、あっ!とおどろく放送局) ※同局の閉局(新局立ち上げ)に伴い番組も終了した。

脚注

  1. ^ “安東由美子、ブログで結婚を報告”. 音楽ナタリー. (2016年9月11日). http://natalie.mu/music/news/201486 2016年9月12日閲覧。 
  2. ^ 矢野きよ実、嘉門達夫、泉谷しげると共演

外部リンク