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2016年11月10日 (木) 19:04時点における版
明日香 都(あすか みやこ)とは元宝塚歌劇団の歌手。兵庫県神戸市出身。芦屋女子学園出身。芸名の由来は万葉集より。宝塚歌劇団時代の愛称はマイティ、バッシャン。改名前は明日香 みやこ(同音)。
来歴・人物
1965年に宝塚音楽学校に入学し、1967年に卒業。同年、宝塚歌劇団に53期生として入団し、星組公演『世界は一つ[1]』で初舞台を踏む。入団時の成績は54人中22位[1]。
同年、昭和五十四年度年度賞音楽賞受賞[2]。
退団後は関西を中心に舞台、コンサート、ディナーショーなどで活動。弾き語り、即興演奏も得意とし、作詞、作曲も手がけている。
宝塚歌劇団時代の主な舞台
※「歌劇」1987年3月号 (宝塚歌劇団)のpp.100-101を参照
- 『ドリーム・ア・ドリーム』スペインの男 *新人賞受賞(1970年7月)
- 『花は散る散る』歌手ソロ(1971年3月 - 4月)
- 『人魚姫』博士 *音楽賞受賞(1971年8月)
- 『この恋は雲の涯まで』新人公演:乾王陵(本役:瀬戸内美八)(1973年7月 - 8月)
- 『虞美人』樊噌(1974年4月 - 5月)
- 『ベルサイユのばら』ノワイユ伯爵夫人(1975年7月)
- 第3回ヨーロッパ公演に参加(1975年9月 - 1976年1月)
- 『ノバ・ボサ・ノバ』メール夫人(1976年8月 - 9月)
- 『宝舞抄』白き椿の歌手/『ザ・レビュー』トリオの男、歌う幻の鳥(1977年8月 - 9月)
- 『風と共に去りぬ』チャールズ・ハミルトン(1978年2月 - 3月)
- 『ホフマン物語』シュレーミル(1978年4月、宝塚バウホール)
- 『紅はこべ』アルマン・サン・ジュスト(1979年3月 - 5月)
- 『アップルツリー』吟遊詩人(1979年5月 - 6月、宝塚バウホール)
- 『ビューティフル・シティ』ノスタルジック・シンガー(1979年11月 - 12月)
- 『アナトール』プルーパーソン卿(1980年9月 - 10月、宝塚バウホール)
- 『ディーン』モーゼス(1981年2月、宝塚バウホール)
- 『エストレリータ』フェルナンド/『ジュエリー・メルヘン』ジュエリースノウの歌手(1981年10月 - 11月)
- 『夜明けの序曲』ジョージ・モルガン(1982年8月 - 9月)
- 『オール・フォー・ラブ』ポール・マクラス、ニューボーイ(歌手)、アマポーラの歌手(1985年4月 - 5月、宝塚バウホール)
- 『ショー・ボート』アンディ船長(1986年1月、宝塚バウホール)
- 『ラ・ノスタルジー』アマポーラの歌手(1986年11月 - 12月)
脚注
- ^ a b c 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』pp.74-75(阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日)。ISBN 9784484146010
- ^ a b 「歌劇」1987年3月号 p.101(宝塚歌劇団)