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2016年11月10日 (木) 20:16時点における版
鈴木 三重子 | |
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出生名 | 菊池 ミヘ子 |
生誕 | 1931年11月24日 |
出身地 | 日本・福島県 |
死没 | 1987年3月12日(55歳没) |
ジャンル | 民謡、歌謡曲 |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1954年 - 1980年 |
レーベル | テイチク |
鈴木 三重子(すずき みえこ、1931年11月24日 - 1987年3月12日)は福島県出身の歌手である。本名:菊池 ミヘ子。
経歴
父は民謡歌手の鈴木正夫(三女)。1954年、「籠の鳥エレジー」でテイチクよりレコードデビュー。 1956年、「愛ちゃんはお嫁に」の大ヒットで「愛ちゃん」ブームを引き起こす。 1958年には、藤山愛一郎や山野愛子と共に愛ちゃんの会を結成する。 その後は巡業などを中心に活動を行う。
1987年3月12日、肝硬変のため都内の病院で死去。55歳没。同3月15日、東京都渋谷区の代々木八幡葬祭場で葬儀・告別式が営まれた。
ペギー葉山がカバーしたことで一躍著名となった「南国土佐を後にして」を1955年にレコードに吹き込んでいる。
現在、実弟が二代目鈴木正夫(1937年11月8日‐)として活躍中。
NHK紅白歌合戦出場歴
- 第7回 (1956年12月31日、東京宝塚劇場) 『愛ちゃんはお嫁に』
- 第8回 (1957年12月31日、東京宝塚劇場) 『坊や船頭さん』
- 第7回と第8回の両方とも、三重子の歌のラジオ中継の音声が現存する。
- 第8回は三重子の歌唱中の写真も現存する[1]。
代表曲
- 籠の鳥エレジー
- 南国土佐を後にして
- 浮草小唄
- ほろ酔ユンタ
- むすめ巡礼
- 愛ちゃんはお嫁に
- 兄さは東京で嫁もろた
- 潮来恋唄
- 小島の灯台娘
- 背戸の踊り子
- 相馬盆唄
出演映画
脚注
関連項目