「三原さと志」の版間の差分
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2016年11月12日 (土) 02:35時点における版
三原 さと志 | |
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出生名 | 小山田晃 |
生誕 | 1935年7月3日 |
出身地 | 中華民国青島市 |
死没 | 2006年9月30日(71歳没) |
ジャンル |
ハワイアン ムード歌謡 |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1953年 - 2003年 |
共同作業者 | 和田弘とマヒナスターズ |
三原 さと志(みはら さとし、本名: 小山田 晃(おやまだ あきら)、1935年7月3日 - 2006年9月30日)は、日本の歌手。歌謡コーラスグループ「和田弘とマヒナスターズ」のリードボーカル。長男はミュージシャンの小山田圭吾。
プロフィール
1953年和田弘らと共にコーラスグループ「山口銀次とマヒナスターズ」(山口が引退後は「和田弘とマヒナスターズ」に改称)を結成し、1957年にデビューする。リードボーカルを務め、女性歌手と歌った「愛して愛して愛しちゃったのよ」、「寒い朝」、「お座敷小唄」などをヒットさせた。1960年には松尾和子と歌った「誰よりも君を愛す」で、第2回日本レコード大賞を受賞した。
松平直樹らのメンバー離脱後も残留し、リードボーカルを務めた。1981年に一度脱退したが、5年後の1986年に復帰した。2003年に和田弘との内紛が原因で再び脱退し、同年5月にマハロ☆エコーズ(和田以外のマヒナメンバーで結成、現在のマヒナスターズ)として発売したシングル「ブルースを囁いて」が最後の曲になった。2003年7月に脳梗塞で倒れた後は芸能活動を休止し、復帰を目指しリハビリに励んでいた。2006年9月30日午後6時頃、東京都世田谷区の病院に呼吸不全で死去した。享年71。
和田弘の没後、往年のメンバーだった松平直樹・佐々木敢一らが中心となって「マヒナスターズ」としての活動を続けていたが、このような事情から、それに三原が参加することは叶わなかった。
なお、『ひらけ!ポンキッキ』で「まる・さんかく・しかく」「カンフーレディー」など、『みんなのうた』で「だるまさんがころんだ」を作曲している小山田 暁は別人(小島豊美によれば、1948年生まれで元広告代理店勤務の人物とのこと)[1]。
脚注
- ^ 小島豊美とアヴァンデザイン活字楽団『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』DU BOOKS、2015年、114-117頁。ISBN 978-4-907583-45-3