「ノート:サマタ瞑想」の版間の差分
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すべて、止:シャマタとか止:サマタというような書き方で、カタカナ部分には表記ゆれがあり、止観の漢字も示されますし「瞑想」とはつきません。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年1月15日 (日) 11:16 (UTC) |
すべて、止:シャマタとか止:サマタというような書き方で、カタカナ部分には表記ゆれがあり、止観の漢字も示されますし「瞑想」とはつきません。--[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]([[利用者‐会話:タバコはマーダー|会話]]) 2017年1月15日 (日) 11:16 (UTC) |
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:とりあえず上座部仏教の信頼できる出典がほとんどないので、「止」への改名は取消させてもらいます。(止という記事名は一般的すぎるとも思います)。改名提案の手続きを踏んでからの改名が穏当かと存じます。--[[利用者:Ryo 625|Ryo 625]]([[利用者‐会話:Ryo 625|会話]]) 2017年1月17日 (火) 16:28 (UTC) |
2017年1月17日 (火) 16:28時点における版
改名
上座部仏教でサマタ瞑想と呼ぶというように書いてあったり、ヴィパッサナー瞑想の呼称が、特定の観点であるはずが観点を省略しており、上座部仏教はもちろん、それ以外の仏教学の専門書とも言及が異なっており改定が必要でした。
特別:投稿記録/Dhamma氏が、サティ (仏教)、 サマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想と記事を作成され2007年から活動停止状態ですが、仏教記事は漢字が多いですけど、記事の止観、あとは仏教#止観・瞑想ですね、このあたりとも整合性がおかしいので、ここサマタ瞑想に関しては出典もないスタブであることもあって修正が簡単ですので、伴って改名します。
もちろん、Wikipedia:ページの改名のガイドラインには「明らかに記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき」には直ちに改名できるということとなっておりますし、上座部、大乗、チベットの仏教の専門書、また中村元などの仏教大辞典、そうした信頼できる情報源において一般的ではないので。
- 総合仏教大辞典編集委員会『総合佛教大辞典』法蔵館、2005年。ISBN 4-8318-7070-6。
- (編集)中村元、田村芳朗、末木文美士、福永光司、今野達『岩波仏教辞典』(第2版)岩波書店、2002年。ISBN 4-00-080205-4。
- 中村元『佛教語大辞典』東京書籍、1975年。
- ラリー・ローゼンバーグ 著、井上ウィマラ 訳『呼吸による癒し』春秋社、2001年。ISBN 4-393-36406-6。
- ダライ・ラマ14世テンジン・ギャツォ 著、菅沼晃 訳『ダライ・ラマ 智慧の眼をひらく』春秋社、2001年。ISBN 978-4-393-13335-4。
- ラマミパム、(解説)タルタン・トゥルク 著、林久義 訳『静寂と明晰―チベット仏教ゾクチェン修習次第』ダルマワークス、1992年。ISBN 4-7952-8281-1。
すべて、止:シャマタとか止:サマタというような書き方で、カタカナ部分には表記ゆれがあり、止観の漢字も示されますし「瞑想」とはつきません。--タバコはマーダー(会話) 2017年1月15日 (日) 11:16 (UTC)
- とりあえず上座部仏教の信頼できる出典がほとんどないので、「止」への改名は取消させてもらいます。(止という記事名は一般的すぎるとも思います)。改名提案の手続きを踏んでからの改名が穏当かと存じます。--Ryo 625(会話) 2017年1月17日 (火) 16:28 (UTC)