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|党首職名 = 党首
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|党首氏名 = アレクサダー・ペフトルド
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|上院議員数 = 10
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|上院議員定数 = 75
|上院議員定数 = 75
|上院議員集計年月日 = 2015年5月26
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|下院 = [[第二院 (オランダ)|第二院]]
|下院 = [[第二院 (オランダ)|第二院]]
|下院議員数 = 12
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|下院議員定数 = 150
|下院議員定数 = 150
|下院議員集計年月日 = 2012912
|下院議員集計年月日 = 20231122
|議席1 = [[欧州議会]]
|政治的思想・立場 = [[自由主義]]<br/>[[社会自由主義]]<br/>[[進歩主義 (政治)|進歩主義]]<br/>[[民主主義]]
|議員数1 = 2
|議員定数 = 29
|議員集計年月日1 = 2020年
|党員・党友数 = 31,830
|党員・党友数集計年月日 = 2022年<ref name="dnpp">{{cite web|url=https://dnpp.nl/pp/d66/lt/perjaar|title=D66 ledentallen per jaar (1966- )|website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>
|政治的思想・立場 = [[中道政治|中道]] - [[中道左派]]<br/>[[社会自由主義]]<br/>[[親欧州主義]]<br/>{{仮リンク|欧州連邦主義|en|European federalism}}
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|機関紙 =
|ウェブサイト = http://www.d66.nl/
|ウェブサイト = http://www.d66.nl/
|サイトタイトル = 民主66公式ホームページ
|サイトタイトル = 民主66公式ホームページ
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|国際組織 = [[自由主義インターナショナル]]<br/>[[欧州自由民主改革党]]
|国際組織 = [[自由主義インターナショナル]]<br/>[[欧州自由民主改革党]]<br/>[[欧州刷新]]
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}}
'''民主66'''(みんしゅろくろく、'''{{lang-nl|Democraten 66}}''', 略称: '''D66''')は、[[オランダ]]の[[社会自由主義]]政党<ref name="HloušekKopeček2010">{{Cite book|last=Vít Hloušek|last2=Lubomír Kopeček|title=Origin, Ideology and Transformation of Political Parties: East-Central and Western Europe Compared|url=https://books.google.com/books?id=K79sdX-amEgC&pg=PA109|accessdate=14 July 2013|year=2010|publisher=Ashgate Publishing, Ltd.|isbn=978-0-7546-9661-2|pages=108–109}}</ref> <ref name="Almeida2012">{{Cite book|last=Dimitri Almeida|title=The Impact of European Integration on Political Parties: Beyond the Permissive Consensus|url=https://books.google.com/books?id=zGzZ0MpDjtsC&pg=PA98|year=2012|publisher=Routledge|isbn=978-0-415-69374-5|page=98}}</ref> <ref name="Fiers2007">{{Cite book|last=Stefaan Fiers|last2=André Krouwel|chapter=The Low Countries: From Prime Minister to President-Minister|editor=Thomas Poguntke|title=The Presidentialization of Politics: A Comparative Study of Modern Democracies|chapterurl=https://books.google.com/books?id=fp0VDAAAQBAJ&pg=PA158|accessdate=24 August 2012|year=2007|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-921849-3|page=158}}</ref> <ref name="Lightfoot2005">{{Cite book|last=Simon Lightfoot|title=Europeanizing Social Democracy?: The Rise of the Party of European Socialists|url=https://books.google.com/books?id=wd6DbuUVpxcC&pg=PA74|accessdate=14 July 2013|year=2005|publisher=Routledge|isbn=978-0-415-34803-4|page=74}}</ref>。党名は、[[1966年]]にジャーナリストの{{仮リンク|ハンス・ファン・ミエルロ|en|Hans_van_Mierlo}}を中心とした若い知識人グループによって設立されたことに由来している。1985年までは[[アポストロフィー]]を含む'''D'66'''との表記だった。日本では民主66の他、「'''民主主義66'''」「'''民主主義者66'''」等と訳される場合もある。
'''民主66'''(みんしゅろくろく、'''Democraten 66''', 略称: '''D66''')は、[[オランダ]]の[[自由主義]][[政党]]。公式には'''Politieke Partij Democraten 66'''を名乗る。党名の邦訳については、「民主66」のほか、「'''デモクラシー66'''」、「'''民主主義(者)66'''」などがある。


==歴史==
[[進歩主義]]、[[社会自由主義]]、および[[急進主義|急進]]的民主主義政党を標榜している。そのため、同じ自由主義政党でも同国の[[自由民主国民党]]よりは左の立場([[中道左派]]的な[[リベラル]])であるが、最近は同じ[[中道左派]]でもある[[労働党_(オランダ)|労働党]]との関係がよくない。
===結党まで===
4月30日、ハンス・ファン・ミエルロと{{仮リンク|ハンス・グライテルス|en|Hans_Gruijters}}の主導により、[[アムステルダム]]のホテルに集まった13人の無党派層や左派リベラル層による集会が開催された。<ref>{{cite web|url=https://www.parlement.com/id/vh8lnhrouwy0/democraten_66_d66|title=Democraten 66 (D66) |website=Parlement.com|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref><ref>{{cite web|url=https://d66.nl/vereniging/55-jaar-d66/|title=D66 – De geschiedenis van D66|website=D66|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>。会議参加者のうちの11人を中心に、後述のアピールの原型が議論された。


9月15日に37人で構成されるイニシアチブ委員会(initiatiefcomité D’66)が「我が国の民主主義の深刻な切り下げを懸念する全てのオランダ人へのアピール」<ref>{{cite book|url=https://dnpprepo.ub.rug.nl/13053/1/D66%20-%20Appel%20aan%20iedere%20Nederlander%20-%201966.pdf|title=Appèl aan iedere Nederlander die ongerust is over de ernstige devaluatie van onze democratie|publisher=D'66|year=1966|format=PDF|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>を発表した。アピールは書店を通じて約12,000部が1[[ギルダー]]で販売された<ref>{{cite web|url=https://d66-digitaal.dnpp.nl/perioden/1966/geschiedenis|title=Geschiedenis 1966|Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>。
第2次[[マルク・ルッテ]]内閣に対しては[[野党]]の立場を取る。


アピールに対する反響を受け、政党化されることになり、10月14日に、ハンス・ファン・ミエルロとハンス・グライテルスを共同創設者として設立された。
民主66は、[[自由主義インターナショナル]]、[[欧州自由民主改革党]]に加盟している。

===1967年から1974年まで===
1967年の総選挙では、前年(設立前日)に起こった{{仮リンク|シュメルツァーの夜|nl|Nacht_van_Schmelzer}}と呼ばれる政治危機の影響もあり<ref>{{cite web|url=https://www.parlement.com/id/vh8lnhrouwx7/kabinetscrisis_1966_de_nacht_van|title=Kabinetscrisis 1966: de Nacht van Schmelzer|website=Parlement.com|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>、同党は[[第二院 (オランダ)|第二院]]で150議席中7議席を獲得した。

ミエルロの下で、D'66は、[[労働党_(オランダ)|労働党]](PvdA)と{{仮リンク|急進党_(オランダ)|label=急進党(PPR)|en|Political_Party_of_Radicals}}と共に政治同盟を形成した。1971年の第二院選挙では、議席数を11議席に伸ばした。1972年の第二院選挙では、3党で共通の選挙プログラム(Keerpunt '72)を作成して臨んだが、3党全体では議席を伸ばしたものの、第二院の過半数には至らず、D'66単独では議席を11議席から6議席に減らした。選挙後の連立交渉は長引いたが、1973年には労働党のヨープ・デン・アイルを首班とする{{仮リンク|デン・アイル内閣|en|Den_Uyl_cabinet}}の連立与党(PvdA、PPR、D'66、{{仮リンク|カトリック人民党|en|Catholic_People%27s_Party}}(KVP)、{{仮リンク|反革命党|en|Anti-Revolutionary_Party}}(ARP)の5党)に参加した。

ミエルロはPvdAとPPRとの合併による「{{日本語版にない記事リンク|進歩人民党|nl|Progressieve_Volkspartij}}」の構想を持っていたが、実現しなかった。

===1974年から1985年まで===
1972年から74年にかけての選挙での敗退や党員の減少を背景に、党の存在意義が問い直された。1974年には党大会で党の解散動議が決議されたが、必要な3分の2の賛成が得られず、党は存続した。1973年に党首となった{{仮リンク|ヤン・テルロー|en|Jan_Terlouw}}は、政治改革よりも環境問題や社会問題に重点を置き、既存政党の代替となることを目指した<ref>{{cite web|url=https://d66-digitaal.dnpp.nl/perioden/1973-1986/geschiedenis|title=Geschiedenis 1973 - 1986 |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>。

1977年の第二院選挙では8議席を獲得したが、連立交渉が難航し、野党となった。1981年の第二院選挙では議席を17議席に倍増させ、{{仮リンク|第2次ファン・アフト内閣|en|Second_Van_Agt_cabinet}}の連立与党([[キリスト教民主アピール]](CDA)、PvdA、D'66)に加わった。同内閣はCDAとPvdAの対立から瓦解し、D'66は引き続き{{仮リンク|第3次ファン・アフト内閣|en|Third_Van_Agt_cabinet}}(CDA、D'66)を形成した。しかし、1982年の第二院選挙では6議席しか獲得できず、野党に転落した。

===1985年から2006年まで===
1985年にはミエルロが再び党首に戻り、党名もアポストロフィーを含まない形に変更された。翌1986年の第二院選挙では9議席、1989年の第二院選挙では12議席となり、1994年の第二院選挙では24議席を獲得した。選挙後にはPvdAの[[ウィム・コック]]を首相とする{{仮リンク|第1次コック内閣|en|First_Kok_cabinet}}(PvdA、[[自由民主国民党]](VVD)、D66)に参加した。同内閣は1918年以降初めてキリスト教民主主義政党が与党を降り、社会民主主義政党(赤)と自由主義政党(青)による連立政権であることから「{{仮リンク|紫連立|en|Purple_coalition}}」とも呼ばれた。1998年の第二院選挙では議席数を14議席に減らしたが、引き続き{{仮リンク|第2次コック内閣|en|Second_Kok_cabinet}}に参加した。

2002年の第二院選挙では7議席しか獲得できず、野党となった。2003年の第二院選挙では更に1議席減らして6議席となったが、連立交渉の結果、CDAの[[ヤン・ペーター・バルケネンデ]]を首相とする{{仮リンク|第2次バルケネンデ内閣|en|Second_Balkenende_cabinet}}(CDA、VVD、D66)に参加した。しかし、2006年には[[アヤーン・ヒルシ・アリ]]の国籍問題を契機に移民担当大臣の不信任決議に賛成し、D66は連立を離脱した。

===2006年以降===
2006年の第二院選挙では結党以来最低の3議席に留まった。2006年に党首となった{{仮リンク|アレクサンデル・ペヒトルト|en|Alexander_Pechtold}}の元で党改革が行われた。2009年の欧州議会選挙では2議席増の3議席を獲得し、約15年ぶりに選挙で勝利した。2010年の第二院選挙では10議席、2012年の第二院選挙では12議席を獲得した。引き続き野党に留まったが、当時、VVDの[[マルク・ルッテ]]を首相とする第2次ルッテ内閣(VVD、PvdA)は第一院で過半数を得ていなかったため、D66、[[キリスト教連合|キリスト教連合(CU)]]、{{仮リンク|改革政党|label=改革政党(SGP)|en|Reformed_Political_Party}}と住宅政策に関する協定を結ぶなど、一部の法案で内閣に協力した。

2017年の第二院選挙では19議席を獲得した。選挙後の内閣形成には{{仮リンク|第3次ルッテ内閣|en|Third_Rutte_cabinet}}(VVD、CDA、D66、CU)に参加した。2021年の第二院選挙では24議席を獲得し、{{仮リンク|第4次ルッテ内閣|en|Fourth_Rutte_cabinet}}(VVD、CDA、D66、CU)に参加した。

==選挙結果==
{| class="wikitable"
|+ 第二院の選挙結果<ref name=Kiesraad>出典はオランダ選挙管理委員会([https://www.verkiezingsuitslagen.nl/ Kiesraad - verkiezingsuitslagen])掲載データ(2022年5月15日閲覧)</ref>
|-
! 選挙年
! 得票数
! %
! 獲得議席数
! +/-
! 備考
|-
! 1967
| style="text-align:right" |307,859
| style="text-align:right" |4.48
| {{Composition bar|7|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{steady}}
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1971
| style="text-align:right" |428,150
| style="text-align:right" |6.77
| {{Composition bar|11|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}4
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1972
| style="text-align:right" |307,048
| style="text-align:right" |4.15
| {{Composition bar|6|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}5
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1977
| style="text-align:right" |452,423
| style="text-align:right" |5.44
| {{Composition bar|8|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}2
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1981
| style="text-align:right" |961,121
| style="text-align:right" |11.06
| {{Composition bar|17|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}9
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1982
| style="text-align:right" |351,278
| style="text-align:right" |4.26
| {{Composition bar|6|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}11
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1986
| style="text-align:right" |562,466
| style="text-align:right" |6.13
| {{Composition bar|9|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}3
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1989
| style="text-align:right" |700,538
| style="text-align:right" |7.89
| {{Composition bar|12|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}3
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 1994
| style="text-align:right" |1,391,202
| style="text-align:right" |15.49
| {{Composition bar|24|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}12
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 1998
| style="text-align:right" |773,497
| style="text-align:right" |8.99
| {{Composition bar|14|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}10
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2002
| style="text-align:right" |484,317
| style="text-align:right" |5.10
| {{Composition bar|7|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}7
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! rowspan="2" |2003
| rowspan="2" style="text-align:right" |393,333
| rowspan="2" style="text-align:right" |4.07
| rowspan="2" |{{Composition bar|6|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| rowspan="2" |{{decrease}}1
| style="background-color:#dbffed | 連立与党(2003-2006)
|-
| style="background-color:#ffdddd | 野党(2006)
|-
! 2006
| style="text-align:right" |193,232
| style="text-align:right" |1.96
| {{Composition bar|3|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}3
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 2010
| style="text-align:right" |654,167
| style="text-align:right" |6.95
| {{Composition bar|10|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}7
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 2012
| style="text-align:right" |757,091
| style="text-align:right" |8.03
| {{Composition bar|12|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}2
| style="background-color:#ffdddd | 野党
|-
! 2017
| style="text-align:right" |1,285,819
| style="text-align:right" |12.23
| {{Composition bar|19|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}7
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
! 2021
| style="text-align:right" |1,565,861
| style="text-align:right" |15.02
| {{Composition bar|24|150|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}5
| style="background-color:#dbffed | 連立与党
|-
|}

{| class="wikitable"
|+ 欧州議会選挙の選挙結果<ref name=Kiesraad />
|-
! 選挙年
! 得票数
! %
! 獲得議席数
! +/-
! 備考
|-
! 1979
| style="text-align:right" |511,967
| style="text-align:right" |9.03
| {{Composition bar|2|25|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{steady}}
|
|-
! 1984
| style="text-align:right" |120,826
| style="text-align:right" |2.28
| {{Composition bar|0|25|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
! 1989
| style="text-align:right" |311,990
| style="text-align:right" |5.95
| {{Composition bar|1|25|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|
|-
! 1994
| style="text-align:right" |481,843
| style="text-align:right" |11.66
| {{Composition bar|4|31|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}3
|
|-
! 1999
| style="text-align:right" |205,623
| style="text-align:right" |5.80
| {{Composition bar|2|31|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
! 2004
| style="text-align:right" |202,502
| style="text-align:right" |4.25
| {{Composition bar|1|27|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}1
|
|-
! rowspan="2" |2009
| rowspan="2" style="text-align:right" |515,422
| rowspan="2" style="text-align:right" |11.32
| {{Composition bar|3|25|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}2
|
|-
| {{Composition bar|3|26|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{steady}}
|※[[リスボン条約]]批准後の議席数見直し後
|-
! 2014
| style="text-align:right" |735,825
| style="text-align:right" |15.48
| {{Composition bar|4|26|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{increase}}1
|
|-
! rowspan="2" |2019
| rowspan="2" style="text-align:right" |389,692
| rowspan="2" style="text-align:right" |7.09
| {{Composition bar|2|26|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{decrease}}2
|
|-
| {{Composition bar|2|29|hex={{Democrats 66/meta/color}}}}
| {{steady}}
|※[[イギリスの欧州連合離脱|英国のEU離脱]]に伴う議席数見直し後
|-
|}

==支持基盤==
同党は特に大学卒業者に人気があり、[[ランドスタット]]等の、大都市や富裕層が平均以上に多い自治体で支持を得ている。2022年の地方議員選挙では、[[デンボス]]、[[ゴーダ]]、[[アメルスフォールト]]で最大の得票を得た<ref>{{cite news|url=https://nos.nl/collectie/13894/artikel/2421520-lokale-partijen-nog-dominanter-grote-verschuivingen-door-debutanten-blijven-uit|title=Lokale partijen nog dominanter, grote verschuivingen door debutanten blijven uit|agency=[[オランダ放送協会|オランダ放送協会(NOS)]]|date=2022-03-17|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>。

==党組織==
2022年現在、党を率いているのは、2020年9月4日に党首に選出された{{仮リンク|シフリット・カーフ|en|Sigrid_Kaag}}である<ref>{{Cite web|url=https://nos.nl/artikel/2346757-sigrid-kaag-met-96-procent-gekozen-tot-d66-leider.html|title=Sigrid Kaag met 96 procent gekozen tot D66-leider|publisher=オランダ放送協会(NOS)|date=2020-09-04|accessdate=2022-08-12|language=nl}}</ref>。

===党大会===
党大会は毎年数回開催される<ref>{{cite web|url=https://dnpp.nl/pp/d66/congres_oud_nieuw|title=D66 congressen vanaf 1966 tot nu |website=Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP)|language=nl|accessdate=2022-08-12}}</ref>。

===党員数===
2022年時点の党員数は31,830人とされる<ref name="dnpp" />。党員数は長期的に増加傾向にある。

===関連組織===
* ハンス・ファン・ミエルロ財団({{lang-nl-short|Mr. Hans van Mierlo Stichting}}):党シンクタンク。1977年に前身の組織が設立され、2011年4月に現在の名称となった。
* 青年民主党員({{lang-nl-short|Jonge Democraten}}):青年組織(1984年設立)

===国際組織===
自由民主国民党と共に、[[欧州自由民主改革党]](ALDE)、[[自由主義インターナショナル]](LI)に所属している。欧州議会の会派としては、自由民主国民党と共に[[欧州刷新]](2019年までは[[欧州自由民主同盟]])に所属している。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
45行目: 315行目:


{{オランダの政党}}
{{オランダの政党}}
{{poli-stub}}
{{Netherland-stub}}


{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:みんしゆ66}}
{{DEFAULTSORT:みんしゆ66}}
[[category:オランダの政党]]
[[category:オランダの政党]]
[[Category:1966年設立の政党・政治団体]]
{{poli-stub}}
[[Category:進歩主義]]
{{Netherland-stub}}
[[Category:社会自由主義の政党]]

2024年11月25日 (月) 17:11時点における最新版

オランダの旗 オランダ政党
民主66
: Democraten 66(D66)
党首 シフリット・カーフ英語版
成立年月日 1966年10月14日
本部所在地 オランダの旗 オランダデン・ハーグ
第二院議席数
9 / 150   (6%)
(2023年11月22日)
第一院議席数
7 / 75   (9%)
(2019年5月27日)
欧州議会
2 / 29   (7%)
(2020年)
党員・党友数
31,830
(2022年[1]
政治的思想・立場 中道 - 中道左派
社会自由主義
親欧州主義
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国際組織 自由主義インターナショナル
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公式サイト 民主66公式ホームページ
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民主66(みんしゅろくろく、オランダ語: Democraten 66, 略称: D66)は、オランダ社会自由主義政党[2] [3] [4] [5]。党名は、1966年にジャーナリストのハンス・ファン・ミエルロ英語版を中心とした若い知識人グループによって設立されたことに由来している。1985年まではアポストロフィーを含むD'66との表記だった。日本では民主66の他、「民主主義66」「民主主義者66」等と訳される場合もある。

歴史

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結党まで

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4月30日、ハンス・ファン・ミエルロとハンス・グライテルス英語版の主導により、アムステルダムのホテルに集まった13人の無党派層や左派リベラル層による集会が開催された。[6][7]。会議参加者のうちの11人を中心に、後述のアピールの原型が議論された。

9月15日に37人で構成されるイニシアチブ委員会(initiatiefcomité D’66)が「我が国の民主主義の深刻な切り下げを懸念する全てのオランダ人へのアピール」[8]を発表した。アピールは書店を通じて約12,000部が1ギルダーで販売された[9]

アピールに対する反響を受け、政党化されることになり、10月14日に、ハンス・ファン・ミエルロとハンス・グライテルスを共同創設者として設立された。

1967年から1974年まで

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1967年の総選挙では、前年(設立前日)に起こったシュメルツァーの夜オランダ語版と呼ばれる政治危機の影響もあり[10]、同党は第二院で150議席中7議席を獲得した。

ミエルロの下で、D'66は、労働党(PvdA)と急進党(PPR)英語版と共に政治同盟を形成した。1971年の第二院選挙では、議席数を11議席に伸ばした。1972年の第二院選挙では、3党で共通の選挙プログラム(Keerpunt '72)を作成して臨んだが、3党全体では議席を伸ばしたものの、第二院の過半数には至らず、D'66単独では議席を11議席から6議席に減らした。選挙後の連立交渉は長引いたが、1973年には労働党のヨープ・デン・アイルを首班とするデン・アイル内閣英語版の連立与党(PvdA、PPR、D'66、カトリック人民党英語版(KVP)、反革命党英語版(ARP)の5党)に参加した。

ミエルロはPvdAとPPRとの合併による「進歩人民党オランダ語: Progressieve_Volkspartij」の構想を持っていたが、実現しなかった。

1974年から1985年まで

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1972年から74年にかけての選挙での敗退や党員の減少を背景に、党の存在意義が問い直された。1974年には党大会で党の解散動議が決議されたが、必要な3分の2の賛成が得られず、党は存続した。1973年に党首となったヤン・テルロー英語版は、政治改革よりも環境問題や社会問題に重点を置き、既存政党の代替となることを目指した[11]

1977年の第二院選挙では8議席を獲得したが、連立交渉が難航し、野党となった。1981年の第二院選挙では議席を17議席に倍増させ、第2次ファン・アフト内閣英語版の連立与党(キリスト教民主アピール(CDA)、PvdA、D'66)に加わった。同内閣はCDAとPvdAの対立から瓦解し、D'66は引き続き第3次ファン・アフト内閣英語版(CDA、D'66)を形成した。しかし、1982年の第二院選挙では6議席しか獲得できず、野党に転落した。

1985年から2006年まで

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1985年にはミエルロが再び党首に戻り、党名もアポストロフィーを含まない形に変更された。翌1986年の第二院選挙では9議席、1989年の第二院選挙では12議席となり、1994年の第二院選挙では24議席を獲得した。選挙後にはPvdAのウィム・コックを首相とする第1次コック内閣英語版(PvdA、自由民主国民党(VVD)、D66)に参加した。同内閣は1918年以降初めてキリスト教民主主義政党が与党を降り、社会民主主義政党(赤)と自由主義政党(青)による連立政権であることから「紫連立英語版」とも呼ばれた。1998年の第二院選挙では議席数を14議席に減らしたが、引き続き第2次コック内閣英語版に参加した。

2002年の第二院選挙では7議席しか獲得できず、野党となった。2003年の第二院選挙では更に1議席減らして6議席となったが、連立交渉の結果、CDAのヤン・ペーター・バルケネンデを首相とする第2次バルケネンデ内閣英語版(CDA、VVD、D66)に参加した。しかし、2006年にはアヤーン・ヒルシ・アリの国籍問題を契機に移民担当大臣の不信任決議に賛成し、D66は連立を離脱した。

2006年以降

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2006年の第二院選挙では結党以来最低の3議席に留まった。2006年に党首となったアレクサンデル・ペヒトルト英語版の元で党改革が行われた。2009年の欧州議会選挙では2議席増の3議席を獲得し、約15年ぶりに選挙で勝利した。2010年の第二院選挙では10議席、2012年の第二院選挙では12議席を獲得した。引き続き野党に留まったが、当時、VVDのマルク・ルッテを首相とする第2次ルッテ内閣(VVD、PvdA)は第一院で過半数を得ていなかったため、D66、キリスト教連合(CU)改革政党(SGP)英語版と住宅政策に関する協定を結ぶなど、一部の法案で内閣に協力した。

2017年の第二院選挙では19議席を獲得した。選挙後の内閣形成には第3次ルッテ内閣英語版(VVD、CDA、D66、CU)に参加した。2021年の第二院選挙では24議席を獲得し、第4次ルッテ内閣英語版(VVD、CDA、D66、CU)に参加した。

選挙結果

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第二院の選挙結果[12]
選挙年 得票数 % 獲得議席数 +/- 備考
1967 307,859 4.48
7 / 150
増減なし 野党
1971 428,150 6.77
11 / 150
増加4 野党
1972 307,048 4.15
6 / 150
減少5 連立与党
1977 452,423 5.44
8 / 150
増加2 野党
1981 961,121 11.06
17 / 150
増加9 連立与党
1982 351,278 4.26
6 / 150
減少11 野党
1986 562,466 6.13
9 / 150
増加3 野党
1989 700,538 7.89
12 / 150
増加3 野党
1994 1,391,202 15.49
24 / 150
増加12 連立与党
1998 773,497 8.99
14 / 150
減少10 連立与党
2002 484,317 5.10
7 / 150
減少7 野党
2003 393,333 4.07
6 / 150
減少1 連立与党(2003-2006)
野党(2006)
2006 193,232 1.96
3 / 150
減少3 野党
2010 654,167 6.95
10 / 150
増加7 野党
2012 757,091 8.03
12 / 150
増加2 野党
2017 1,285,819 12.23
19 / 150
増加7 連立与党
2021 1,565,861 15.02
24 / 150
増加5 連立与党
欧州議会選挙の選挙結果[12]
選挙年 得票数 % 獲得議席数 +/- 備考
1979 511,967 9.03
2 / 25
増減なし
1984 120,826 2.28
0 / 25
減少2
1989 311,990 5.95
1 / 25
増加1
1994 481,843 11.66
4 / 31
増加3
1999 205,623 5.80
2 / 31
減少2
2004 202,502 4.25
1 / 27
減少1
2009 515,422 11.32
3 / 25
増加2
3 / 26
増減なし リスボン条約批准後の議席数見直し後
2014 735,825 15.48
4 / 26
増加1
2019 389,692 7.09
2 / 26
減少2
2 / 29
増減なし 英国のEU離脱に伴う議席数見直し後

支持基盤

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同党は特に大学卒業者に人気があり、ランドスタット等の、大都市や富裕層が平均以上に多い自治体で支持を得ている。2022年の地方議員選挙では、デンボスゴーダアメルスフォールトで最大の得票を得た[13]

党組織

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2022年現在、党を率いているのは、2020年9月4日に党首に選出されたシフリット・カーフ英語版である[14]

党大会

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党大会は毎年数回開催される[15]

党員数

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2022年時点の党員数は31,830人とされる[1]。党員数は長期的に増加傾向にある。

関連組織

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  • ハンス・ファン・ミエルロ財団(: Mr. Hans van Mierlo Stichting):党シンクタンク。1977年に前身の組織が設立され、2011年4月に現在の名称となった。
  • 青年民主党員(: Jonge Democraten):青年組織(1984年設立)

国際組織

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自由民主国民党と共に、欧州自由民主改革党(ALDE)、自由主義インターナショナル(LI)に所属している。欧州議会の会派としては、自由民主国民党と共に欧州刷新(2019年までは欧州自由民主同盟)に所属している。

脚注

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  1. ^ a b D66 ledentallen per jaar (1966- )” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年8月12日閲覧。
  2. ^ Vít Hloušek; Lubomír Kopeček (2010). Origin, Ideology and Transformation of Political Parties: East-Central and Western Europe Compared. Ashgate Publishing, Ltd.. pp. 108–109. ISBN 978-0-7546-9661-2. https://books.google.com/books?id=K79sdX-amEgC&pg=PA109 14 July 2013閲覧。 
  3. ^ Dimitri Almeida (2012). The Impact of European Integration on Political Parties: Beyond the Permissive Consensus. Routledge. p. 98. ISBN 978-0-415-69374-5. https://books.google.com/books?id=zGzZ0MpDjtsC&pg=PA98 
  4. ^ Stefaan Fiers; André Krouwel (2007). “The Low Countries: From Prime Minister to President-Minister”. In Thomas Poguntke. The Presidentialization of Politics: A Comparative Study of Modern Democracies. Oxford University Press. p. 158. ISBN 978-0-19-921849-3. https://books.google.com/books?id=fp0VDAAAQBAJ&pg=PA158 24 August 2012閲覧。 
  5. ^ Simon Lightfoot (2005). Europeanizing Social Democracy?: The Rise of the Party of European Socialists. Routledge. p. 74. ISBN 978-0-415-34803-4. https://books.google.com/books?id=wd6DbuUVpxcC&pg=PA74 14 July 2013閲覧。 
  6. ^ Democraten 66 (D66)” (オランダ語). Parlement.com. 2022年8月12日閲覧。
  7. ^ D66 – De geschiedenis van D66” (オランダ語). D66. 2022年8月12日閲覧。
  8. ^ (オランダ語) (PDF) Appèl aan iedere Nederlander die ongerust is over de ernstige devaluatie van onze democratie. D'66. (1966). https://dnpprepo.ub.rug.nl/13053/1/D66%20-%20Appel%20aan%20iedere%20Nederlander%20-%201966.pdf 2022年8月12日閲覧。 
  9. ^ Geschiedenis 1966” (オランダ語). 2022年8月12日閲覧。
  10. ^ Kabinetscrisis 1966: de Nacht van Schmelzer” (オランダ語). Parlement.com. 2022年8月12日閲覧。
  11. ^ Geschiedenis 1973 - 1986” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年8月12日閲覧。
  12. ^ a b 出典はオランダ選挙管理委員会(Kiesraad - verkiezingsuitslagen)掲載データ(2022年5月15日閲覧)
  13. ^ “Lokale partijen nog dominanter, grote verschuivingen door debutanten blijven uit” (オランダ語). オランダ放送協会(NOS). (2022年3月17日). https://nos.nl/collectie/13894/artikel/2421520-lokale-partijen-nog-dominanter-grote-verschuivingen-door-debutanten-blijven-uit 2022年8月12日閲覧。 
  14. ^ Sigrid Kaag met 96 procent gekozen tot D66-leider” (オランダ語). オランダ放送協会(NOS) (2020年9月4日). 2022年8月12日閲覧。
  15. ^ D66 congressen vanaf 1966 tot nu” (オランダ語). Documentatiecentrum Nederlandse Politieke Partijen (DNPP). 2022年8月12日閲覧。

外部リンク

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