「スクランブルPHOTO」の版間の差分
m Bot作業依頼:フライデーへのリンク修正依頼 - log: フライデー → フライデー (雑誌) |
|||
4行目: | 4行目: | ||
先行した[[新潮社]]の『[[FOCUS]]』の作った[[写真週刊誌]]のフォーマットを踏襲し、1983年2月25日に創刊された。10日と25日に発行の月2回刊行の写真雑誌である。編集と発行は株式会社スクランブル社、発売は新英出版<ref>『[[噂の眞相]]』1985年5月号、p.2。『スクランブルPHOTO』広告より。</ref>、後に発行も新英出版となった。[[定価]]は180円で全68ページのうち半数がカラーページ<ref>『裏本時代』p.169</ref><ref>『[[噂の眞相]]』1985年8月号、p.2。『スクランブルPHOTO』広告より。</ref>。[[イメージキャラクター]]は、[[漫画家]]の[[成田アキラ]]が5万円のギャラでデザインした<ref>『裏本時代』p.156</ref>。1983年7月に休刊し、同年3月10日号から7月25日号までの通巻10号という短命に終わった<ref name="uwashin8309">本橋信宏「『スクランブル』休刊の顛末とスキャンだリズム再生に向けて」『噂の眞相』1983年9月号、pp.36-40。</ref>。 |
先行した[[新潮社]]の『[[FOCUS]]』の作った[[写真週刊誌]]のフォーマットを踏襲し、1983年2月25日に創刊された。10日と25日に発行の月2回刊行の写真雑誌である。編集と発行は株式会社スクランブル社、発売は新英出版<ref>『[[噂の眞相]]』1985年5月号、p.2。『スクランブルPHOTO』広告より。</ref>、後に発行も新英出版となった。[[定価]]は180円で全68ページのうち半数がカラーページ<ref>『裏本時代』p.169</ref><ref>『[[噂の眞相]]』1985年8月号、p.2。『スクランブルPHOTO』広告より。</ref>。[[イメージキャラクター]]は、[[漫画家]]の[[成田アキラ]]が5万円のギャラでデザインした<ref>『裏本時代』p.156</ref>。1983年7月に休刊し、同年3月10日号から7月25日号までの通巻10号という短命に終わった<ref name="uwashin8309">本橋信宏「『スクランブル』休刊の顛末とスキャンだリズム再生に向けて」『噂の眞相』1983年9月号、pp.36-40。</ref>。 |
||
創刊当時、写真週刊誌『FOCUS』が200万部を突破する勢いの中でまだ『[[フライデー]]』『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』などの類似した写真週刊誌がないことに目をつけて売れるという判断から<ref name="takarajima">桃井四六取材・文「打倒『フォーカス』の野望と挫折 村西とおる×本橋信宏」『別冊宝島1238 戦後ジャーナリズム事件史』宝島社、2006年、pp.106-111</ref>、芸能版というコンセプトで『FOCUS』とは差別化し、[[本橋信宏]]を編集長に創刊された。オーナーは、後に[[AV監督]]の[[村西とおる]]として有名になった新英出版の草野博美会長で、新英出版のイメージアップの役割も担っていた<ref name="uwashin8309" />。発売元となった新英出版は、もともと[[裏本]]の製作を手がけていた草野が裏本とは別に表の出版社として設立し、芸能評論家の[[加東康一]]をコーディネーターに迎えて普通のタレント本の単行本を出していた会社である<ref>『アダルトビデオ』p.11</ref><ref>『素敵な教祖たち』p.47</ref>。『スクランブルPHOTO』は[[雑誌コード]]がなく<ref>『素敵な教祖たち』p.54</ref>、裏本で構築した自社の営業部員による流通ルートを活用して、[[東販]]や[[日販]]など[[取次]]の大手に対抗することも創刊の動機であった<ref name="takarajima" /><ref>[[豊田正義]]「根性を忘れた日本人へ "昭和最後のエロ事師" AV監督・村西とおる」『[[新潮45]]』2009年8月号、pp.246-247</ref>。 |
創刊当時、写真週刊誌『FOCUS』が200万部を突破する勢いの中でまだ『[[フライデー (雑誌)|フライデー]]』『[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]』などの類似した写真週刊誌がないことに目をつけて売れるという判断から<ref name="takarajima">桃井四六取材・文「打倒『フォーカス』の野望と挫折 村西とおる×本橋信宏」『別冊宝島1238 戦後ジャーナリズム事件史』宝島社、2006年、pp.106-111</ref>、芸能版というコンセプトで『FOCUS』とは差別化し、[[本橋信宏]]を編集長に創刊された。オーナーは、後に[[AV監督]]の[[村西とおる]]として有名になった新英出版の草野博美会長で、新英出版のイメージアップの役割も担っていた<ref name="uwashin8309" />。発売元となった新英出版は、もともと[[裏本]]の製作を手がけていた草野が裏本とは別に表の出版社として設立し、芸能評論家の[[加東康一]]をコーディネーターに迎えて普通のタレント本の単行本を出していた会社である<ref>『アダルトビデオ』p.11</ref><ref>『素敵な教祖たち』p.47</ref>。『スクランブルPHOTO』は[[雑誌コード]]がなく<ref>『素敵な教祖たち』p.54</ref>、裏本で構築した自社の営業部員による流通ルートを活用して、[[東販]]や[[日販]]など[[取次]]の大手に対抗することも創刊の動機であった<ref name="takarajima" /><ref>[[豊田正義]]「根性を忘れた日本人へ "昭和最後のエロ事師" AV監督・村西とおる」『[[新潮45]]』2009年8月号、pp.246-247</ref>。 |
||
創刊号は公称35万部、印刷部数が15万部で全国販売のため100人の営業マンによる直販メインではコストがかさみ、月に700万円の赤字を出している状態で宣伝費を工面できず、『[[ズームイン!!朝!]]』の街風景に露出したり、『[[久米宏のTVスクランブル]]』に送りつけたり、宣伝シール1千枚を街に貼り付けるなどゲリラ的な宣伝を行った<ref name="uwashin8309" />。 |
創刊号は公称35万部、印刷部数が15万部で全国販売のため100人の営業マンによる直販メインではコストがかさみ、月に700万円の赤字を出している状態で宣伝費を工面できず、『[[ズームイン!!朝!]]』の街風景に露出したり、『[[久米宏のTVスクランブル]]』に送りつけたり、宣伝シール1千枚を街に貼り付けるなどゲリラ的な宣伝を行った<ref name="uwashin8309" />。 |
2017年4月28日 (金) 11:21時点における版
スクランブルPHOTO(すくらんぶるふぉと)は、日本の写真雑誌。
概要
先行した新潮社の『FOCUS』の作った写真週刊誌のフォーマットを踏襲し、1983年2月25日に創刊された。10日と25日に発行の月2回刊行の写真雑誌である。編集と発行は株式会社スクランブル社、発売は新英出版[1]、後に発行も新英出版となった。定価は180円で全68ページのうち半数がカラーページ[2][3]。イメージキャラクターは、漫画家の成田アキラが5万円のギャラでデザインした[4]。1983年7月に休刊し、同年3月10日号から7月25日号までの通巻10号という短命に終わった[5]。
創刊当時、写真週刊誌『FOCUS』が200万部を突破する勢いの中でまだ『フライデー』『FLASH』などの類似した写真週刊誌がないことに目をつけて売れるという判断から[6]、芸能版というコンセプトで『FOCUS』とは差別化し、本橋信宏を編集長に創刊された。オーナーは、後にAV監督の村西とおるとして有名になった新英出版の草野博美会長で、新英出版のイメージアップの役割も担っていた[5]。発売元となった新英出版は、もともと裏本の製作を手がけていた草野が裏本とは別に表の出版社として設立し、芸能評論家の加東康一をコーディネーターに迎えて普通のタレント本の単行本を出していた会社である[7][8]。『スクランブルPHOTO』は雑誌コードがなく[9]、裏本で構築した自社の営業部員による流通ルートを活用して、東販や日販など取次の大手に対抗することも創刊の動機であった[6][10]。
創刊号は公称35万部、印刷部数が15万部で全国販売のため100人の営業マンによる直販メインではコストがかさみ、月に700万円の赤字を出している状態で宣伝費を工面できず、『ズームイン!!朝!』の街風景に露出したり、『久米宏のTVスクランブル』に送りつけたり、宣伝シール1千枚を街に貼り付けるなどゲリラ的な宣伝を行った[5]。
創刊号では25本中、16本が芸能ネタで4本がスポーツネタで芸能記事が中心で芸能人のプライベート写真やデビュー前のお宝写真を掲載していたが、徐々に政治ネタや社会ネタも増やしていった[6]。その他にミニコミ誌『東京おとなクラブ』の中森明夫やエンドユイチ(現・遠藤諭)が参加してサブカルチャーネタを担当した[11]。駆け出し時代の木村和久もライターを務めていた[12]。
売れ行きは悪くなかったが[13]直販による人件費のため収支では赤字が続き、同社の経営を支えていた裏本の出版・流通が警察の摘発により困難になるにつれ資金繰りが苦しくなった上、会長の草野自身も全国に指名手配になるなど次々に問題を抱えた。6月25日発売の9号からは新英出版社の資金は底をついた状態で発行していた[14]。7月18日に新英出版が2度目の不渡りを出し事実上の倒産。『スクランブルPHOTO』も7月25日号の10号で休刊を迎えた[5]。
10号と短命に終わったことと、国立国会図書館には1冊も所蔵されておらず、大宅壮一文庫でも最終号が欠号のため「幻の雑誌」と伝説的に語られることもある[6]。
主な記事
- 中森明菜の中学生時代の修学旅行
- 薬師丸ひろ子の玉川大学での学生生活
- 東京駅助役の郷ひろみの父
- 『FOCUS』編集部と編集長の盗み撮り
- Sugarのミキのヌード
- 徳島ラジオ商殺し事件の冤罪被害者の遺体写真
- 『忍者ハットリくん』に杉良太郎がケムマキ役で出演(ガセネタ)
- ゴジラとウルトラセブンの消された部分
参考文献
- 本橋信宏『裏本時代』飛鳥新社、1996年
- 本橋信宏『素敵な教祖たち サブカルチャー列伝 業界カリスマ17人の真実』コスモの本、1996年
- 本橋信宏『アダルトビデオ 村西とおるとその時代』飛鳥新社、1998年
出典
- ^ 『噂の眞相』1985年5月号、p.2。『スクランブルPHOTO』広告より。
- ^ 『裏本時代』p.169
- ^ 『噂の眞相』1985年8月号、p.2。『スクランブルPHOTO』広告より。
- ^ 『裏本時代』p.156
- ^ a b c d 本橋信宏「『スクランブル』休刊の顛末とスキャンだリズム再生に向けて」『噂の眞相』1983年9月号、pp.36-40。
- ^ a b c d 桃井四六取材・文「打倒『フォーカス』の野望と挫折 村西とおる×本橋信宏」『別冊宝島1238 戦後ジャーナリズム事件史』宝島社、2006年、pp.106-111
- ^ 『アダルトビデオ』p.11
- ^ 『素敵な教祖たち』p.47
- ^ 『素敵な教祖たち』p.54
- ^ 豊田正義「根性を忘れた日本人へ "昭和最後のエロ事師" AV監督・村西とおる」『新潮45』2009年8月号、pp.246-247
- ^ 『裏本時代』p.233
- ^ 『素敵な教祖たち』p.49
- ^ 『アダルトビデオ』p.12
- ^ 『裏本時代』p.270