「営団日比谷線中目黒駅構内列車脱線衝突事故」の版間の差分
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Shinkansen (会話 | 投稿記録) 鉄道事故 2006年7月5日 (水) 19:40 Rusk の版より |
(相違点なし)
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2006年7月5日 (水) 12:50時点における版
営団日比谷線脱線衝突事故(えいだんひびやせんだっせんしょうとつじこ)では、2000年(平成12年)3月8日の9時1分頃に、帝都高速度交通営団(営団地下鉄、今の東京地下鉄)日比谷線において発生した、列車脱線事故・列車衝突事故について記す。
事故概要
営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線の東横線直通菊名行き電車(03-102F:営団03系8両編成)の最後尾車両が、中目黒駅手前の急曲線で車両の重量の不均衡など複数の要因で乗り上がり脱線。線路からはみ出した状態で対向の中目黒始発東武伊勢崎線直通各駅停車竹ノ塚行き電車(21852F:東武20050系8両編成)と側面衝突。死者5名、負傷者64名を出した。
原因・対策その他
脱線の仕方としては競り上がり脱線であるが、原因因子として急カーブであるにもかかわらず補助レールが無かったことや、異常を察知した車掌による非常制動装置(非常ブレーキ)の作動、点検時に見落とされた空気バネの異常などがある事から、複合的原因により発生した事故(競合脱線)だと帰結した。このことにより、裁判では一者に罪の無いことから一人に罪を負わせることを不可とし、無罪となった。この事故を契機に半径200m以下のカーブに脱線防止ガードの設置を義務化した。
なおこの事故の報道においては、一部で同じように複数要因が重なって発生した脱線事故である、鶴見事故(1963年)と比較される事があった。
また、前年6月に発足した鉄道事故調査検討会の最初の仕事となり、航空・鉄道事故調査委員会発足の契機にもなった。