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「マイケル・カスクーナ」の版間の差分

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==来歴==
==来歴==
カスクーナは若い頃、ドラムス、サックス、フルートを演奏したが、次第に彼自身の[[レコードレーベル]]を作ることに関心が移った。彼は[[ペンシルベニア大学]]が運営しているFM放送[[:en:WXPN|WXPN]]でジャズ番組を持ち、[[1960年代]]後期にはバーナード・ストールマンが始めたレコードレーベル[[:en:ESP-Disk|ESP-Disk]]で働き、ジャズ・アンド・ポップ・マガジン誌と[[ダウンビート#音楽雑誌の名前|ダウンビート誌]]に寄稿した。[[1970年代]]、彼はWXPNから[[::en:WMMR|WMMR]]に移り、さらにWABC-FM(現在の[[:en:WPLJ|WPLJ]])で、[[プログレッシブ・ロック]]の[[DJ]]として活動するようになった。1970年代に[[アトランティック・レコード]]にプロデューサーの職を得、[[デイヴ・ブルーベック]]や[[アート・アンサンブル・オブ・シカゴ]]の録音をした。彼はまた、[[モータウン]]、[[ABCレコード]]([[インパルス!レコード]]の再発行に携わった)、[[アリスタ・レコード]]、[[:en:Muse Records|ミューズレコード]]、[[:en:Freedom Records|フリーダム・レコード]]、[[エレクトラ・レコード]]、[[:en:Novus Records|ノーバス・レコード]]で仕事をした。[[1975年]]から[[1981年]]まで、ブルーノート・レコードの膨大な[[アーカイブ]]から重要なセッションの発掘をした<ref>[http://www.allmusic.com/artist/michael-cuscuna-mn0000386507 Michael Cuscuna]([[オールミュージック]])</ref>。
カスクーナは若い頃、ドラムス、サックス、フルートを演奏したが、次第に彼自身の[[レコードレーベル]]を作ることに関心が移った。彼は[[ペンシルベニア大学]]が運営しているFM放送[[:en:WXPN|WXPN]]でジャズ番組を持ち、[[1960年代]]後期にはバーナード・ストールマンが始めたレコードレーベル[[:en:ESP-Disk|ESP-Disk]]で働き、ジャズ・アンド・ポップ・マガジン誌と[[ダウンビート#音楽雑誌の名前|ダウンビート誌]]に寄稿した。[[1970年代]]、彼はWXPNから[[:en:WMMR|WMMR]]に移り、さらにWABC-FM(現在の[[:en:WPLJ|WPLJ]])で、[[プログレッシブ・ロック]]の[[DJ]]として活動するようになった。1970年代に[[アトランティック・レコード]]にプロデューサーの職を得、[[デイヴ・ブルーベック]]や[[アート・アンサンブル・オブ・シカゴ]]の録音をした。彼はまた、[[モータウン]]、[[ABCレコード]]([[インパルス!レコード]]の再発行に携わった)、[[アリスタ・レコード]]、[[:en:Muse Records|ミューズレコード]]、[[:en:Freedom Records|フリーダム・レコード]]、[[エレクトラ・レコード]]、[[:en:Novus Records|ノーバス・レコード]]で仕事をした。[[1975年]]から[[1981年]]まで、ブルーノート・レコードの膨大な[[アーカイブ]]から重要なセッションの発掘をした<ref>[http://www.allmusic.com/artist/michael-cuscuna-mn0000386507 Michael Cuscuna]([[オールミュージック]])</ref>。


[[1983年]]チャーリー・ロウリーとともに、ジャズのリイシュー(再発)[[ボックス・セット]]に特化した[[:en:Mosaic Records|モザイク・レコード]]を設立。[[2009年]]現在、レコードをおよそ300ほどリリースしている。対象となったのは[[セロニアス・モンク]]、[[マイルス・デイヴィス]]、[[ナット・キング・コール]]などの有名なアーティストから、[[ティナ・ブルックス]]、[[アイク・ケベック]]など比較的無名なアーティストまで多岐に渡る<ref>[http://www.mosaicrecords.com/ Mosaic公式サイト]</ref>。カスクーナは、その仕事によって3つの[[グラミー賞]]を受けた<ref>[http://www.allmusic.com/artist/michael-cuscuna-mn0000386507/awards グラミー賞]([http://www.allmusic.com/ allmusic.com])</ref>。[[1984年]]から、カスクーナはブルーノート・レコードの特別コンサルタント、プロデューサー、リイシュー(再発)監督を務めている。
[[1983年]]チャーリー・ロウリーとともに、ジャズのリイシュー(再発)[[ボックス・セット]]に特化した[[:en:Mosaic Records|モザイク・レコード]]を設立。[[2009年]]現在、レコードをおよそ300ほどリリースしている。対象となったのは[[セロニアス・モンク]]、[[マイルス・デイヴィス]]、[[ナット・キング・コール]]などの有名なアーティストから、[[ティナ・ブルックス]]、[[アイク・ケベック]]など比較的無名なアーティストまで多岐に渡る<ref>[http://www.mosaicrecords.com/ Mosaic公式サイト]</ref>。カスクーナは、その仕事によって3つの[[グラミー賞]]を受けた<ref>[http://www.allmusic.com/artist/michael-cuscuna-mn0000386507/awards グラミー賞]([http://www.allmusic.com/ allmusic.com])</ref>。[[1984年]]から、カスクーナはブルーノート・レコードの特別コンサルタント、プロデューサー、リイシュー(再発)監督を務めている。

2017年8月28日 (月) 13:14時点における版

マイケル・カスクーナMichael Cuscunaコネチカット州スタンフォード生まれ、1949年9月20日 - )は、アメリカのジャズ音楽プロデューサー、ライター。ブルーノート・レコードの録音・蓄積のディスコグラファの第一人者。

来歴

カスクーナは若い頃、ドラムス、サックス、フルートを演奏したが、次第に彼自身のレコードレーベルを作ることに関心が移った。彼はペンシルベニア大学が運営しているFM放送WXPNでジャズ番組を持ち、1960年代後期にはバーナード・ストールマンが始めたレコードレーベルESP-Diskで働き、ジャズ・アンド・ポップ・マガジン誌とダウンビート誌に寄稿した。1970年代、彼はWXPNからWMMRに移り、さらにWABC-FM(現在のWPLJ)で、プログレッシブ・ロックDJとして活動するようになった。1970年代にアトランティック・レコードにプロデューサーの職を得、デイヴ・ブルーベックアート・アンサンブル・オブ・シカゴの録音をした。彼はまた、モータウンABCレコードインパルス!レコードの再発行に携わった)、アリスタ・レコードミューズレコードフリーダム・レコードエレクトラ・レコードノーバス・レコードで仕事をした。1975年から1981年まで、ブルーノート・レコードの膨大なアーカイブから重要なセッションの発掘をした[1]

1983年チャーリー・ロウリーとともに、ジャズのリイシュー(再発)ボックス・セットに特化したモザイク・レコードを設立。2009年現在、レコードをおよそ300ほどリリースしている。対象となったのはセロニアス・モンクマイルス・デイヴィスナット・キング・コールなどの有名なアーティストから、ティナ・ブルックスアイク・ケベックなど比較的無名なアーティストまで多岐に渡る[2]。カスクーナは、その仕事によって3つのグラミー賞を受けた[3]1984年から、カスクーナはブルーノート・レコードの特別コンサルタント、プロデューサー、リイシュー(再発)監督を務めている。

グラミー賞

脚注